学位論文要旨



No 118978
著者(漢字) 荒田,純平
著者(英字)
著者(カナ) アラタ,ジュンペイ
標題(和) 低侵襲手術支援システムに関する研究
標題(洋)
報告番号 118978
報告番号 甲18978
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5710号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 助教授 割澤,伸一
 九州大学 教授 橋爪,誠
内容要旨 要旨を表示する

近年,医療の質が問われる中,外科領域では患者の苦痛や身体的な負担を軽減する手段として,低侵襲手術(Minimany Invasive SurgBry)が注目されている,低侵襲手術は医療技術の進歩とともに発展し,その対象も今日では飛躍的に広がっている.中でも内視鏡下手術(EndoscopicSurgery)は,従来の開腹手術に比べ小さな切開のみで行われるため,患者の術後の唇痛が少なく,患者への身体的負担は極めて小さく,愚者の早期社会復帰,入院期間短縮による医療費削減などが期待でき,低侵襲手術の代表的な術式として広く普及している.患者のQOL(Quality ofLife)の観点からも,低侵襲手術は今後さらなる発展・普及が期待されている.

 しかし,これらの長所の反面内視鏡下手術では内視鏡下の限られた視野のもと,挿入点で拘束された手術器具を用いて繊密で正確な作業を行う必要があるため,術者には高度な技術が要求され,作業には熟練を要する.そこで,本研究ではロボット技術に代表される工学技術の導入による手術支援を提案する.これらロボット技術の導入により,これまで不可能とされてきた手術方法の創出・発展が期待できる,

 本研究では,低侵襲手術の中でも最も広く行われている,腹腔鏡下胆嚢摘出手術を対象に,低侵襲手術支援システム(Minimany Invasive Surgery System)の構築法を提案するとともに実装を行い,提案したシステムの有効性を確認した.低侵襲手術支援システムとは,単に医師とロボットの置き換えを目指すものではなく,複雑な動作内容を直感的なものに変換し,インターフェイスとして医師と患者の間に介在することで,より効果的な手術手技を医師が実現できるよう,支援するためのシステムである.

 低侵襲手術支援システムは,l低侵襲手術における物理的制限を受ける医師の手術技能を拡張し,また距離を隔てた医師と患者間を結び,手術が可能となるシステム」と定義される.「距離を隔てた」とは,医師と患者との距離の大きさに関わらず,通常の手術と比較して低侵襲手術システムを用いることによる距離を意味する.そのため,患者側近の数mから,無菌室から壁を隔てた数十m程度,または医師のいない離島等と大病院を結ぶ数百〜数千kmを指す.

 本研究では,以下の項鼠について研究を行った. (1)作業(手術手技)分析 (2)システム構築法の提案 (3)接触強調力帰還 (4)遠隔手術実験(1)作業(手術手技)分析

 本研究で開発する低侵襲手術支援システムは腹腔鏡下胆嚢摘出術を対象として開発を行った.これは腹腔鏡下胆嚢摘出術が,最も広く行われる低侵襲手術であり,また,他の手術でも共通の手術手順を多く含むためであり,腹腔鏡下摘出術を対象に開発を進めることで,将来的な手術式の発展,拡張が期待できるためである.

 腹腔鏡下胆嚢摘出手術は,作業の流れとして大きく,術野の確保,胆嚢間と胆嚢動脈の剥離,胆嚢間と胆嚢動脈の処理,胆嚢の切離,止血と腹腔内洗浄,胆嚢の体外への摘出からなる.本論文ではこれらの要素を手術フェーズとし,それぞれの手順を分解,動作の抽出を行うことでロボットの行うべき動作を抽出した.必要な動作は,胆嚢の把持(左手),胆嚢の持ち上げ,術野の展開(左手),電気メスによる胆嚢切除,剥離中の胆嚢保持,また微小な操作(左手),胆嚢管と胆嚢動脈の剥離(右手),電気メスによる胆嚢管と胆嚢動脈の剥離(右手),電気メスによる胆嚢管と胆嚢動脈の切離(右手),電気メスによる胆嚢の切離(右手),術野確保のための腹腔鏡移動(腹腔鏡)と抽出された.さらに,それぞれの動作について,ロボットに実装するための分析を与えた.(2)システム構築法の提案

 これらの動作分析をもとに,低侵襲手術支援システムとして,操作者が存在するオペレーション・サイト,患者に対して手術を行うサージェリ・サイトから構成されるシステムを構築した(図1)

 オーペレーション・サイトとは,執刀医が存在し,操作を行う場所であり,また,サージェリ・サイトとは,患者が存在し,実際の手術が行われる場所である.これらの2つのサイトは,通信ネットワーク回線により結ばれ,LANによる接続,またはATM,ISDN等,様々な回線種別を状況に応じてサポートする必要がある.

 手術の執刀を行う医師はオペレーション・サイトにおいて,操作入力器である,マスタ・マニピュレータ(図2)を操作することにより,動作入力を行う.マスタ・マニピュレータとは多自由度で構成されるマニピュレータ型インターフェイスであり,医師によって入力された操作情報は幾何学計算が行われた後,通信ネットワークを介してサージェリ・サイトヘと伝送される.マスタ・マニピュレータは,医師が直感的な動作入力が可能である必要があり,また力提示機能が必要である,

 サージェリ・サイトではオペレーション・サイトより伝送された操作情報をもとに,スレーブ・マニピュレータ(図3)が動作を行うことによって手術が行われる.スレーブ・マニピュレータは,患者の安全性を考慮して設計がなされる必要がある.本研究では,患者へ挿入する手術ツールとして,カセンサ内臓鉗子(図4)を開発した.本装置により,手術中の把持力等の測定が可能となる.また,ワイヤを用いない,メンテナンスが容易なリンク機構を用いた,多自由度屈曲鉗子(図5)を開発し,患者腹腔内での複雑な動作を実現した.これによりさらに低侵襲な,またはこれまでの手術では不可能だった術式の開発が可能となる.

 円滑な手術実現のためには,スレーブ・サイトの腹腔鏡映像,また,患者,助手の様子,手術場全体の様子,また愚者バイタルサイン等の環境情報は同じく通信ネットワークを介してオペレーション・サイトへ伝送され,環境伝送型インターフェイスによって.執刀医へ提示される.環境伝送型インターフェイスとは,大型スクリーン,スピーカによって周辺環境情報として映像・畜声を伝送提示するシステムである.同様にオペレーション・サイトの操作者の映像・音声をサージェリ・サイトへ伝送し,サージェリ・サイトの助手への指示などに用いる必要がある.(3)接触強調力帰還

 力制御を低侵襲手術支援システムへ実装するにあたり,手術中の動作を考慮し,操作者が任意に,力帰還機能をON/OFF切替可能なシステムが効果的であると考えた.そこで,力逆走型バイラテラル制御を用いることにより,スレーブ・マニピュレータとマスタ・マニピュレータ間の位置制御を力制御から独立とし,簡便なON/OFF切替を可能とした.評価実験により,実際の手術における肝臓の一端を把持するタスクを模擬したタスクでは,タスク遂行に力逆走型バイラテラル制御が有効であることがわかり,操作感としても被験者全員が力帰還制御を支持した.この結果を得て,本研究では力逆走型バイラテラル制御の発展形として,操作者の感覚認知を考慮することによる,接触強調制御の開発を行った.

 接触強調制御は,臓器との接触を選択的に強調して,操作者に知らせるための制御手法であり,力逆走型バイラテラル制御にダンパ要素を加えたものである.ダンパ要素を使用することから,制御は安定であることが特徴である.接触を知らせる反力の大きさは被験者5名による官能テストにより求めた.接触強調制御の評価実験を行ったところ,柔らかい対象物の把持に際して,対象物にかける負荷が力逆走型バイラテラル制御と比較して小さくとも,接触を感知可能であることが確認された.これは臓器の把持に際し,組織へのストレスを減ずるという効果が期待され,特に軟性組織をハンドリングする腹腔鏡下手術のようなタスクに有効である,被験者を用いた実験では,力逆走型バイラテラル制御と比較して,把持の感知までに対象物へ与える負荷が30%軽減することが確認された.(4)遠隔手術実験低侵襲手術支援システムを用いたブタを対象とした遠隔手術実験において,4回全ての場合において,胆嚢摘出手術を完遂することが可能であった.制御信号,映像の時間遅れ,ロボットの応答速度等を考慮し,実際に操作を行う上での時間遅れはおおよそ600[ms]であり,遠隔操作システムとして実用に足るとされるシステムを構築することができた.

 構築したシステムを評価するためのブタを対象とした遠隔手術実験を4度に渡って行った.東京大学にオペレーション・サイトを置き,静岡県富士宮市の動物実験施設をサージェリ・サイトとした.サイト間を結ぶ通信ネットワークとして,ISDN(2B+D)を3回線,またISDN(23B+D)回線を用いた.結果として,全て実験において腹腔鏡下胆嚢摘出手術に成功した.手術に必要な時間は,セットアップに約1時間,手術には1時間半程度であった.手術に要した時間はほぼ従来の手術と変わらない結果を得た.開発したシステムは実際に手術場環境に適応し,実験を行った腹腔鏡下手術が可能であることが確認され,構築した低侵襲手術支援システム開発思想の有効性が確認された,また,力帰還制御の有効性を確認し,通信ネットワークの評価を行った,

 本論文では手術対象として腹腔鏡下胆嚢摘出手術を取り上げ,システムの構築を行った,このシステムは,ロボット・システムにより術者の技能を支援・拡張し,また,物理的空間の制限を越えた手術参加を可能とする技術である,本論文で得られた知見は多くの術式において共通の事項を含んでおり,適用が可能である.

低侵襲手術支援システム概要図

マスタ・マニピュレータ

スレーブ・マニピュレータ

多自由度屈曲鉗子

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「低侵襲手術支援システムに関する研究」と題して,全7章により構成される.

近年,医療の質が問われる中,外科領域では患者の苦痛や身体的な負担を軽減する手段として,低侵襲手術が注目されている.低侵襲手術は医療技術の進歩とともに発展し,その対象も今日では飛躍的に広がっている.中でも内視鏡下手術は,従来の開腹手術に比べ小さな切開のみで行われるため,患者の術後の疼痛が少なく,患者への身体的負担は極めて小さい.このため,患者の早期社会復帰,入院期間短縮による医療費削減などが期待でき,低侵襲手術の代表的な術式として広く普及している.患者のQOL(Quality of Life)の観点からも,低侵襲手術は今後さらなる発展・普及が期待されている.

しかし,これらの長所の反面,内視鏡下手術では内視鏡下の限られた視野のもと,挿入点で拘束された手術器具を用いて緻密で正確な作業を行う必要があるため,術者には高度な技術が要求され,作業には熟練を要する.そこで,本研究ではロボット技術に代表される工学技術の導入による手術支援を提案する.これらにより,これまで不可能とされてきた手術方法の創出・発展が期待できる.

本研究では,低侵襲手術の中でも最も広く行われている腹腔鏡下胆嚢摘出術を対象とした低侵襲手術支援システムを構築した.主に,次の成果を得ている:

(1)腹腔鏡下手術における手術手技を分析し,手術支援ロボットで行うべき動作を抽出した.

(2)低侵襲手術支援システムとして,操作者が存在するオペレーション・サイト,患者に対して手術を行うサージェリ・サイト,両サイト間を結ぶ情報伝送システムから構成される統合システムの構築法を示した.

(3)力帰還手法を発展させ,感覚認知に基づき,物体との接触を強調提示可能な力帰還手法を提案した.本手法は血管などの柔軟物体を扱うのに有効である.

(4)ブタを対象として腹腔鏡下胆嚢摘出手術実験を遠隔で4回行い,全て成功した.実験では東京−静岡を通信回線によって結び,バイタルサイン,腹腔鏡患部映像,手術室環境映像,ロボット制御信号等の術場環境を伝送した.本実験により,提案したシステムの有効性が確認された.

本論文における各章は,以下の様に構成されている.

第1章「序論」では,低侵襲手術の社会的背景を含めた現状について述べ,その利点と問題点を明らかにしている.また,本研究と関連する従来の研究,本論文の構成について述べている.

第2章「低侵襲手術支援システム」では,低侵襲手術支援システムを構築するために必要で十分なシステムは以下にあるべきかを示した.具体的には,システムはオペレーション・サイト,サージェリ・サイト,また,これら結ぶ環境伝送システムから構成される.医師はマスタ・マニピュレータによって動作を入力し,動作情報を環境伝送システムによってサージェリ・サイトへ伝送を行う.この情報に基づき,スレーブ・マニピュレータは動作し,手術を行う.このとき,両サイト間の映像・音声情報が相互に伝送される必要がある.さらに,手術を実行するためには,サージェリ・サイトの術場環境として,患者バイタルサイン,助手の様子,内視鏡映像,ロボット全体の様子等の伝送し,オペレーション・サイトの医師へ提示される必要がある.また,スレーブ・マニピュレータに加わる力をマスタ・マニピュレータに帰還することで,より有効な手術支援が可能となる.

第3章「オペレーション・サイト」では,低侵襲手術支援システムにおけるオペレーション・サイトにおける要素について,詳細を述べている.オペレーション・サイトでは操作者がマスタ・マニピュレータを操作し,必要な情報は環境伝送システムによってサージェリ・サイトより伝送され,提示がなされる.本章では,マスタ・マニピュレータの設計思想から,具体的な実装として,2腕から構成され,片腕7自由度を持ち,力帰還機能,また機能切り替えのためのフットスイッチを有するシステムの構築について述べた.術場環境として,患者バイタルサイン,助手の様子,内視鏡映像,ロボット全体の様子などを伝送する環境伝送システムについてその詳細を示した.

第4章「サージェリ・サイト」では,低侵襲手術支援システムにおけるサージェリ・サイトにおける要素について,詳細を述べている.サージェリ・サイトではマスタ・マニピュレータからの動作信号をもとにスレーブ・マニピュレータが動作を行い,患者に手術を施す.本章ではスレーブ・マニピュレータの腹腔鏡下胆嚢摘出術に必要な動作内容を明らかにし,これらの動作を実現するベース部,アーム部,ツール部から構成される構造について実装法を述べた.また,それぞれの機構部について,患者の安全性を考慮するための設計について述べた.また,手術器具の多自由度化の手法として,多自由度鉗子の機構についても示された.

第5章「腹腔鏡下手術のための力帰還手法」では,腹腔鏡下手術では主に臓器の把持について力帰還が求められることを示した.そこで,腹腔鏡下手術のための力帰還手法として,力逆走バイラテラル制御を適用し,その評価実験を行った.さらに,その発展形として,操作者の感覚認知を考慮し,さらに系の安定性を考慮した力帰還手法の開発について述べた.その評価実験より,臓器などの柔らかい把持対象物に対して,把持の感知までに生ずる対象物への負荷を3割程度低減することに成功し,その有効性を明らかにした.

第6章「遠隔手術実験」では,低侵襲手術支援システムによって,東京−富士宮間(直線距離150[km])を結び,ブタを対象とする腹腔鏡下胆嚢摘出手術を行う,遠隔手術実験について述べた.実験では,セットアップにかかる時間を除けば,ほぼ従来の腹腔鏡下胆嚢摘出手術と同程度の時間で手術を成功した.このことから,開発を行った低侵襲手術支援システムの有効性が確認された.また,ロボットのセットアップの容易性等の今後解決すべき問題点を明らかにした.さらに,力帰還,情報伝送システムの評価を行った.

第7章「結論」では,低侵襲手術支援システムの構築,また評価実験について総括を行った.

以上を要するに,本論文は,低侵襲手術を支援するためのシステム構築法を提案するとともに実験を行い,その有用性を確認するに至っている.提案したシステムにより将来,手術技能の向上,ネットワークを介しての遠隔手術が実現可能となることが実証された.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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