学位論文要旨



No 118979
著者(漢字) 小泉,憲裕
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ノリヒロ
標題(和) 超音波遠隔医療診断システムの構築法に関する研究
標題(洋)
報告番号 118979
報告番号 甲18979
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5711号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 教授 山田,一郎
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 助教授 割澤,伸一
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,超音波遠隔医療診断システムの構築法を研究した.高齢化社会の到来により,わが国の医療は今後ますます病院での診療から在宅医療・介護へと移行すると推察される.また,医療の専門・分化が進んでいることにより専門性を有する病気を診断することのできる専門医の数は限られる.例えば,本研究で対象とした透析肩を中心とする肩関節疾患の診断をすることのできる専門医は国内では限られる.そのため,診断の高効率化のための遠隔医療支援システムの実現が必要となる.本論文では遠隔医療支援システムのひとつの例として透析肩を中心とする肩関節疾患の診断が可能な超音波遠隔医療診断システムを取りあげ,その構築法について研究を行った.超音波医療診断はその安全性,手軽さから医療分野で広く利用されている.

本研究で提案する超音波遠隔医療診断システムの概念は,診断画像や検査データのやりとりだけでなく, 診断画像の獲得操作をも遠隔で行うことのできる機能を追加することにより,遠隔地に存在する患者を診断することのできるシステムである.このようなシステムを実現するために,医師側,患者側の双方に機器を設置してマスタ・スレーブ・システムとする.医師はマスタ・マニピュレータ(以下,マスタと呼ぶ),および,スレーブ・マニピュレータ(以下,スレーブと呼ぶ)を介して超音波診断プローブを操作して患部に押しあてることにより超音波医療診断を行う.

効率的な超音波遠隔医療診断を実現するためには,システムを介したプローブの操作性を向上させる必要がある.そのためには,まず,システムの要求機能を明らかにする必要がある.次に,これに基づいて超音波遠隔医療診断システムを構築する方法を確立する.

超音波遠隔医療診断システムの要求機能は,次の2つに分解できる:(FR-1) 医師への(患者側の)情報提示機能,(FR-2) コミュニケーション機能.

このうち,特に要求機能(FR-1)は以下の3つの要求機能に分解される:(FR-1.1) 診断画像の獲得機能,(FR-1.2) 診断画像の伝送機能,(FR-1.3) 診断画像の提示機能.

要求機能(FR-1.1)に関しては,診断中のプローブ操作を分析することにより,次のように分解される:(FR-1.1.1) プローブを患部に近づける機能,(FR-1.1.2) プローブを患部に押しあてる機能,(FR-1.1.3) 患部を探す機能,(FR-1.1.4) 診断画像を維持する機能,(FR-1.1.5) プローブを患部から離す機能.

この中で,要求機能(FR-1.1.2)〜(FR-1.1.4)は機能実装レベルでは,診断画像の適正化機能としてまとめられる.診断画像の適正化のためには,プローブの位置・姿勢・押しつけ力を専門医の専門知識(医学知)に基づいて遠隔から適切に調整できる必要がある.そこで,診断画像を得るために必要な押しつけ力,押しつけ姿勢の精度を明らかにした.その結果を表1に示す.

ここで,マスタ・スレーブ方式を本システムに導入するに際して以下のような点を考慮する必要がある:・安全性の確保,・プローブの操作性の向上,・患者の不安・恐怖感の低減,・プローブと患部の接触安定性の確保,・医師や患者の個人差への対応.

上記を踏まえて本研究は,(1)超音波診断画像を獲得可能なシステムを構築すること,(2)診断画像を安定的に獲得・保持可能な制御系を構築すること,(3)診断タスクに応じて制御系を動的に切替える機能を実装すること,(4)遠隔連続高追従機能を有する通信・制御アルゴリズムを開発・実装すること,(5)遠隔診断臨床実験を実施し,本システムの有効性を示すこと,の5点を目的として研究を実施し,下記の知見を得た.

超音波診断画像を獲得可能なシステムを構築すること

適切な超音波診断画像を獲得するためにはプローブの位置・姿勢・押しつけ力を適正化する必要がある.本研究では,スレーブは曲率ガイドを用いた.このことにより,プローブの位置を調節しながら,姿勢のみを変更できる.さらに,剛性の高い構造とした.このことにより,プローブの位置・姿勢の正確な実現・保持が可能となり,適切な診断画像を容易に獲得することが可能となった.また,プローブ押し込み方向に冗長な1軸を設けた.このことにより,マスタ側で指定した押しつけ力で患部をトレースするなどのスレーブの自律動作が可能になった.また,平行リンク型のマスタを開発した.平行リンク機構によりマスタの駆動力入力のための多軸力センサの姿勢が水平面に対して変わらず,計算量を減少させることが可能になった.超音波遠隔医療診断システムの構成,マスタ,および,スレーブの概観をそれぞれ図1,2,3に示す.

診断画像を安定的に獲得・保持可能な制御系を構築すること

人体は骨格とそれを取りまく筋肉等により構成される.そのため,患部にプローブを押し込んでいくとある所で急に剛性が高くなる.一般に,粘性を比較的小さくした時にスレーブを剛性の高い環境に接触させるとマスタ,および,スレーブの応答が振動的になることが知られている.本システムにおいてもこの不安定接触問題が診断タスクを遂行する上での障害であった.この問題に対してインピーダンス・パラメータのひとつである粘性パラメータを操作対象に応じて調整する方法が舘らにより提案されている.本研究では,接触状態に応じて動的に制御則を切替えることによりこの問題に対処する方法を示した.

また,従来のシステムでは,マスタ・スレーブ・システムをインピーダンス制御する場合,インピーダンス制御器は通常一つであり,マスタ側に置かれる.ここで,スレーブ側のプローブと患部の間の接触力入力に対するスレーブ動作の応答性について考える.通常のシステムでは以下の4つのむだ時間が存在する. (i) スレーブ側で検出された力情報がマスタに伝送される時間遅れ,(ii) マスタを制御する際のむだ時間(マスタのサンプリング時間程度),(iii) マスタの位置情報がスレーブに伝送される時間遅れ,(iv) マスタの位置情報をもとに位置フィードバック系によりスレーブを位置制御する際の整定時間.従来のシステムではこれらのむだ時間のためにプローブと患部の間の接触安定性が低下するという問題が生じる,その解決方法として,本論文ではマスタ,および,スレーブ側の各々の制御系で各々のインピーダンス制御器を有する制御系を提案する.このことにより,スレーブ側の接触力入力に対するスレーブ動作の応答性に関して, むだ時間はスレーブを制御する際のむだ時間(スレーブのサンプリング時間程度)のみとなる.そのため,プローブと患部の間の接触安定性が通常のシステムより向上する.この方法はプローブと接触対象物との接触状態を安定的に保持するシステムにおいて,特にマスタとスレーブとの間の通信の時間遅れが大きい場合に有効である.また,実際の公衆回線(ISDN)を用いた遠隔地間(マスタ・スレーブ間は約10km)において,スレーブの接触力入力に対するスレーブの応答性を評価する実験を行った.

診断タスクに応じて制御系を動的に切替える機能を実装すること

超音波医療診断において,プローブ操作の目的に応じて,好適なインピーダンス・パラメータの値は異なる.しかしながら,従来のインピーダンス制御によるマスタ・スレーブ・システムでは作業開始から終了までインピーダンス・パラメータの値は固定されていた.そのため,タスクによっては使いにくいシステムとなっていた.実際に,超音波遠隔医療診断において,この問題が医師にストレスを与えるとともにタスクの遂行にとって大きな障害となっていた.そこで本研究では,医師が行っている診断タスクに応じて制御系を動的に切替える手法を提案した.

具体的に,まず,超音波遠隔医療診断における医師のプローブ操作タスクは次の3つに分類されることを明らかにした:(i)患部から離れた位置からプローブを大きく移動させるタスク,(ii)患部付近でプローブを精密に操作するタスク,(iii)患部にプローブが強く接触している状態でプローブを精密に操作するタスク.次に,プローブ操作の目的に応じて好適な仮想粘性値が存在することを診断実験により明らかにした.さらに,診断中に医師が行っているプローブ操作タスクを自動認識し,仮想粘性値を動的に切替える手法を提案し,診断実験によりプローブ操作タスクに応じた制御系の動的切替えが有効であることを示した.

遠隔連続高追従機能を有する通信・制御アルゴリズムを開発・実装すること

本研究で対象とするのは遠隔システムであるため使用できる情報伝送量に限りがある.マスタ・スレーブ・システムにおいてスレーブの姿勢制御系をPTP(Point To Point)制御系により構築する場合,追従性を高めようとするとスレーブ動作が振動的になり患者に恐怖感を与え,スレーブの安定性を高めようとすると追従性が十分に得られないため作業の効率が低下するという問題がある.

そこで,本研究では,遠隔システムに連続軌道(Continuous Path)制御系を導入することによりこの問題に対処する手法を提案した.本手法によって,マスタ側の姿勢情報を低いサンプリングレートでスレーブ側に伝送してもマスタに対するスレーブの追従性を損なうことなくスレーブの振動の少ない滑らかな動作を実現できる.その結果,安全性が向上し,情報伝送量の低減にも資する.

遠隔診断臨床実験を実施し,本システムの有効性を示すこと

本研究では,提案したシステムを用いて行った遠隔診断臨床実験の結果について報告した. 専門医がISDN回線を介して実際の透析患者に対して診断を行った.その際,マスタ,および,スレーブの制御用データの送受信に128kbps,音声・画像用データの送受信には384kbpsを用いた.次に,同じ患者に対して同じく専門医が近傍にて通常の診断を行ない,遠隔診断と通常診断の結果について比較した.具体的には,診断時間,獲得された診断画像,診断結果を比較した.このことにより,研究で提案したシステムを用いた遠隔診断により通常診断とほぼ同等の診断が可能であることを示した.図4〜6に通常診断の様子, 遠隔診断の様子, および,診断時間を4人の患者に対して比較した結果を示す.図6の診断時間の比較において通常診断のほうが格段に短い事例では,患者とのコミュニケーションが円滑に行えなかったこと,患者の姿勢が適切でないために一度で所望の診断画像が得られず,診断画像を獲得しなおしたことなどが原因であった.

本研究により,遠隔からの高度,専門的かつ効率的な医療診断活動が可能になる.これによって,病院までの移動や待ち時間の低減,医師の負担軽減,地域による医療格差の是正等に大きく貢献することができる.

適切な診断画像を得るための押しつけ力,押しつけ姿勢の範囲

遠隔超音波診断システムの構成

マスタ・マニピュレータの概観

スレーブ・マニピュレータの概観

遠隔診断(上:患者とスレーブ下:超音波画像)

遠隔診断(左上および右上:患者とスレーブ左下:超音波画像 右下:医師とマスタ)

通常診断と遠隔診断の診断時間の比較

審査要旨 要旨を表示する

高齢化社会の到来により,わが国の医療は今後ますます病院での診療から在宅医療・介護へと移行すると推察される.また,医療の専門・分化が進んでいることにより専門性を有する病気を診断することのできる専門医の数は限られる.このため,さらなる高度で質の良い医療サービスの提供を目指した医療支援システムの実現はわが国にとって重要な課題である.

本論文は,医療支援システムのひとつとして透析肩を中心とする肩関節疾患の診断が可能な超音波遠隔医療診断システムを取り上げ,その構築法について研究したものである.超音波診断は,その安全性,手軽さから医療分野で広く利用されている.

第1章では,本論文の目的について述べている.つぎに,国内外の関連研究について概観し,超音波遠隔医療診断システムの構築法に関する議論がほとんどなされていないことを指摘し,本論文の重要性を示している.

第2章では,まず,本論文で提案する超音波遠隔医療診断システムの概念が提示されている.具体的には,正確な超音波診断のためには,診断画像や検査データのやりとりだけでは不十分であることが指摘されている.そこで,診断画像の獲得操作をも遠隔で行うことのできる機能を追加することにより,遠隔地に存在する患者を診断することのできるシステムを超音波遠隔医療診断システムの概念として提案している.つぎに,超音波遠隔医療診断システムの要求機能が明らかにされ,これに基づいて設計指針が導出,提案されている.これらの要求機能は今後,同様のシステムを構築する上で重要な手法であると評価できる.具体的には,超音波診断画像を適正化するためには,プローブの位置・姿勢・押しつけ力の適正化を行う必要があることを明らかにし,そのために必要な押しつけ力,押しつけ姿勢の精度について明らかにしている.このことが,超音波診断画像を獲得するという専門医の技能を技術としており,評価できる.さらに,提案された設計指針に基づいて,実際に構築した超音波遠隔医療診断システムの基本構成および機能の実装について概説している.

第3章では,診断画像を安定的に獲得・保持可能な制御系の構築について述べられている.診断画像を安定的に獲得,保持できることが超音波遠隔医療診断システムに要求されており,その実現のためにはプローブと患部の接触安定性が要求される.そこで,接触力に応じて制御則を動的に切替える方法,マスタ・マニピュレータ(以下,マスタと呼ぶ)およびスレーブ・マニピュレータ(以下,スレーブと呼ぶ)の各々にインピーダンス制御器を配した力制御系,並びにローカル・インテリジェンス機能を提案し,実験により,その有効性が示されている.

第4章では,まず,超音波遠隔医療診断のタスク分類を行い,プローブ操作タスクに応じた制御系の動的切替えについて説明されている.具体的には,超音波診断において,プローブ操作の目的に応じて好適な制御系は異なる.しかしながら,従来型のシステムでは作業開始から終了まで制御系は固定されており,タスクによっては使いにくいシステムとなっている問題が指摘されている.この問題を解決するために,本論文では,診断中のプローブ操作タスクに応じて制御系を動的に切替える手法を提案している.このように,状況に応じて好適な制御系を切替えて,診断状況に対応させることにより,結果的に診断を通しての操作性を最適にするという考え方は人間にとって使いやすいシステムという観点から今後ますます重要になると考えられ,本研究によって得られた知見であると評価できる.

第5章では,遠隔連続高追従性機能を有する通信・制御アルゴリズムについて説明されている.マスタ・スレーブ・システムにおける姿勢制御系を従来からのPTP (Point To Point)制御により実装する場合,マスタに対するスレーブの追従性を高めようとするとスレーブの動作が振動的になり,患者に恐怖感を与える.一方,スレーブの安定性を高めようとするとスレーブ動作が振動的になるという問題が生じる.この問題に対し,本論文では,連続軌道(Continuous Path)制御を遠隔システムに導入することにより,マスタに対するスレーブの追従性を損なうことなくスレーブの滑らかな動作を実現する手法を提案している.その結果,安全性が向上し,情報伝送量の低減にも資する.このことは本論文で得られた知見として評価できる.

第6章では,構築したシステムを実際の医療の現場に導入した結果について報告している.具体的には,透析患者に対して,構築したシステムによる遠隔診断を行ない,その結果を通常診断の結果と比較することにより,構築したシステムを用いて通常診断と同等の診断が可能であることを示している.このことにより,超音波遠隔医療診断の方法としてマスタ・スレーブ方式が有効な方法の一つであると結論づけられる.このことは,本論文によって得られた知見として評価できる.

第7章では,本研究で得られた結果について総合的な考察が行なわれ,本研究の将来展望が述べられている.

第8章では,本研究の結論が述べられている.

以上をまとめると,本論文は,医療支援システムの一つの方法として超音波遠隔医療診断システムを提案し,その構築法を示した論文である.本研究は同様の医療システムを構築するにあたり,有用な指針を与える.なお,対外発表の主なものとして,学術論文が3編,国際会議論文が6編ある.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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