学位論文要旨



No 119000
著者(漢字) 中谷,辰爾
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤ,シンジ
標題(和) 航空機排気成分の成層圏オゾンに及ぼす影響に関する基礎研究
標題(洋)
報告番号 119000
報告番号 甲19000
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5732号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 津江,光洋
 東京大学 講師 寺本,進
内容要旨 要旨を表示する

1970年代にCrutzenやJohnstonらによって航空機の排気成分が成層圏オゾン(O3)を破壊すると警告されて以来,高高度を飛行する航空機などの排気ガスの高層大気に及ぼす影響が危惧され始めた.航空機の排気ガスには一酸化炭素(CO),二酸化炭素(CO2),窒素酸化物(NOx),水素酸化物(HOx)および硫酸化物(SOx)が含まれるが,これらの成分が及ぼす影響としては,温室効果,エアロゾルや巻雲の形成,O3の破壊など様々な影響が考えられる.排気成分の中でも,NOxやHOxは触媒的な反応機構によりO3を大きく破壊すると考えられている.これらの排気成分が成層圏O3に及ぼす影響に関する研究は,地球規模の数値シミュレーションを中心に数値的に研究されてきた.これらの数値シミュレーションには様々なモデルが含まれており,結果はこれらのモデルに依存するために様々な不確定性が含まれる.これらのモデルの不確定性は実測による研究の欠如によるものと考えられる.

航空機の排気ガスが成層圏O3に及ぼす影響に関する実測的な研究としては,ER-2やコンコルドの排気プルームを直接計測した研究や大気成分を測定した研究以外はほとんど行われていないのが現状である.また,ノズルから噴射された直後の排気プルーム中のO3と排気成分の反応に関しては翼端渦の影響を取り入れた計算やExpanding Box法を使用したいくつかの数値計算が行われているが,それらの研究は希である.排気直後の排気成分の挙動を詳細に調べるためにもさらなる数値計算および実験的研究が必要であると考える.

本研究は,航空機排気成分が成層圏に及ぼす影響に関する基礎的な研究として,実験および数値計算を通じて行う.排気成分の挙動および成層圏におけるO3濃度を測定する手法として二つの計測法を提案する.一つは排気プルーム中に含まれるNO2をNd:YAGレーザによって光解離させ,生じたNO分子をLIF法で追跡することにより速度を測定する流速測定法であり,もう一つは大気中に存在するO3に対しNO希釈ガスを徐々に導入し,NOとO3が完全に反応させそのNO分子をLIF法で計測することでO3濃度を測定するという気相滴定法である.流速測定法は非接触で計測を行えるのに加え,流速の乱れ成分および平均速度成分を測定できる利点を持つ.O3の気相滴定法は,微小成分を測定するために,吸収法などのように長い光路長を必要とせず高精度でコンパクトに計測でき,LIF法を用いることにより高精度に測定することが可能である.本研究ではこれらの計測法を提案するのに加え,成層圏におけるNOX,HOXおよびO3反応系を詳細に調べる.実験によりこれらの反応系を調べるために,真空チェンバ内に低圧水銀ランプを設置し,光化学反応を含むNOx,HOxおよびO3反応系に対してNO,NO2,HNO3,O3の濃度をLIF法,フーリエ変換赤外吸収分光法,紫外吸収法を用いることによって計測した.十分化学種が拡散しているという条件下において計測を行った.アメリカ標準大気においてO3濃度が最も大きくなるという高度25km,およびコンコルドなどの超音速機が飛行している高度21kmに相当する圧力である2.67kPaと5.34kPaの圧力雰囲気において計測を行った.光化学反応を含む反応系においてNOXおよびO3などの挙動を実験的に調べたのに加え,化学反応計算を同時に行った.化学反応計算においては感度解析を同時に行うことにより,反応系を詳細に解析し,それらの反応機構を明らかにした.これらの化学種によるO3破壊機構を明らかにした.また,成層圏環境におけるこれらの反応系の数値計算を行うのに最適なパラメータを決定した.

上記計測によって,化学反応計算の妥当性を検証した後,成層圏環境における圧力雰囲気および温度環境において,光解離定数を日周期的に変化させることにより成層圏環境におけるNOx,HOxおよびO3反応系の挙動を詳細に調べた.また,感度解析を同時に行うことにより,日周期における各々の化学種のO3濃度に及ぼす影響を詳細に調べた.その結果,成層圏環境における日周期的なO3の挙動および排気に含まれる化学種の背景レベルの濃度での挙動を明らかにした.HOXがO3減少に及ぼす影響はNOX存在下においては小さく,逆にNOxをNOyに変換することによりO3濃度の減少を緩和する方向に働いていることがわかった.

これらの日周期的な挙動を計算した後,これらのデータを使用することにより,Expanding Box法を使用することにより,排気プルームが拡散していく中におけるO3破壊機構を詳細に調べた.周囲の雰囲気の挙動は上記の日周期的な変動に従うとし,プルームの成分が周囲と混合することによって反応し変化していく様子を計算した.またプルームの排気時間の影響を調べるために,日中の4条件において排気を行い排気時間の影響を詳細に調べた.感度解析も同時に行うことにより排気直後の化学種の挙動を詳細に調べた.その結果排気プルーム中における上記化学種のO3反応系における挙動が明らかになった.OHなどの活性種が直接排気される場合においても,HOxはNOxのO3の減少作用を緩和していることがわかった.

また,実験室内において,大型真空チェンバを用いることで,チェンバ内でO3を含む雰囲気中にNO希釈ガスを噴射することにより,プルーム中におけるNOとO3の反応を詳細に調べた.同時に3次元反応性流体の計算を行うことによりこれらのプルーム中における反応を詳細に調べた.実験室内においてプルーム中でのNOおよびO3の反応を調べることにより,それらの反応挙動の特性を把握することができた.数値計算と実験の結果,定性的に良い一致が見られ,3次元の流体計算が概ね妥当であることが示された.さらに,より排気ガスに近い排気成分を含むガスを,成層圏に排気した場合の数値計算を同時に行った.その結果排気プルーム中でのNOx,HOxおよびO3の分布が得られ,Expanding Box法をによる結果の妥当性を検証したのに加え,プルーム中での反応機構を理解することができた.航空機の排気ガスによるO3の減少機構およびそれらの化学種の挙動に関して重要な知見が得られた.

本研究を通じ,成層圏プラットフォームにおけるいくつかの計測法が提案され,またそれらが実際に成層圏環境において適用可能であることが示された.また,航空機の排気に含まれるNOxやHOxの挙動を実験および数値計算によって詳細に調べることにより,成層圏背景レベルでのそれらの化学種の挙動および特性,また成層圏環境において航空機の排気プルーム中におけるそれらの挙動および特性に関して基礎的な知見が得られた.

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)中谷辰爾提出の論文は,「航空機排気成分の成層圏オゾンに及ぼす影響に関する基礎研究」と題し5章からなっている.

近年,航空機の移動手段としての役割が非常に大きくなっており,その需要は今後も増大していくものと思われる.それにともない,航空機の環境に及ぼす影響に対する関心が高まっている.それらの影響の中でも,航空機の排気成分による成層圏オゾンの破壊は,超音速機が飛行を始めた1970年代から危惧されており,いくつかの研究プロジェクトが立ち上げられてきた.従来の研究では,地球規模のような大規模スケールの数値計算により,成層圏オゾンの減少挙動が調べられている.しかしながら,これら数値計算の結果は各々の研究が用いた数値計算手法やモデルに依存するため,それらの妥当性が明確にされているとは言えない.これらの数値計算の精度を向上させるためには,実験的な手法を用いることでそれらのモデルの妥当性を検討する必要があると考えられるが,成層圏における航空機の排気成分が成層圏オゾンに及ぼす影響に関する研究は,実機の排気成分の挙動を直接測定したものや,超音速機を使用して成層圏における微量化学種濃度を測定した研究を除いてあまり行われていない.

航空機の排気成分には,窒素酸化物(NOx),水素酸化物(HOx),二酸化炭素,未燃炭化水素および水蒸気等が含まれるが,中でも,NOxとHOxはそれらの触媒的なオゾン破壊機構から,オゾン濃度を減少させると考えられている.これらの化学種は,将来使用されると考えられる水素を燃料とする空気吸い込み式エンジンの排気中に多く含まれていると考えられ,それらの成層圏環境に及ぼす影響を見積もることは非常に重要である.このような観点から,本論文では成層圏を飛行する航空機のオゾンに及ぼす影響に関して基礎的な研究を行っている.実際に成層圏を航空機が飛行した際に,それらの排気直後の状態や,オゾン濃度を長期的に測定する計測法を提案するとともに,排気中に含まれるNOxおよびHOxが成層圏オゾンに及ぼす影響を調べている.これらの影響を評価するために,大型真空チェンバを使用することで,成層圏レベルの低圧力環境下における静止雰囲気および排気プルーム中におけるNOxおよびHOxとオゾンの反応挙動を実験的に調べている.また,数値計算を用いて,成層圏背景レベルのオゾン濃度雰囲気におけるこれらの化学種の挙動,および排気プルームが噴射された場合のそれらの反応挙動を,基礎的な観点から検討している.

第1章は序論であり,高層大気の特性,成層圏オゾンに関する歴史的な研究,航空機の排気中に含まれる成分の特性,航空機の排気が環境に及ぼす影響に関する研究,および計測法に関する従来の研究を概観し,本研究の目的と意義を明確にしている.

第2章では実験装置,測定原理および方法について述べている.使用された実験装置の概要が説明されるとともに,レーザ誘起蛍光法(LIF法),紫外吸光光度法およびフーリエ変換赤外分光光度法(FT-IR)の測定原理および測定方法を述べている.また,LIF法によるオゾン濃度の気相滴定法やNO2の光解離を利用したLIF法による流速測定法など,本研究で提案される測定法に関して説明を加えている.

第3章では数値計算手法と計算内容について説明されている.0次元の化学反応計算と感度解析の手法,Expanding Box法を使用した化学反応計算と感度解析,および3次元Navier-Stokes方程式を利用した排気プルーム中における反応計算について説明が加えられている.

第4章では実験結果および数値計算結果について述べている.LIF法を使用した気相滴定法の妥当性,NO2の光解離を利用した流速測定法による速度測定結果が示され,それらの計測法により精度良く濃度および速度を測定できることが示されている.また,真空チェンバを用いた低圧水銀ランプ照射下の反応系のLIF法およびFT-IRによる測定結果と,0次元化学反応計算結果を比較することにより,NOx,HOxおよびオゾンの基礎的な挙動を明らかにしている.また成層圏環境における背景レベルの濃度の化学種に関する反応計算および感度解析,Expanding Box法による排気プルーム中における化学種の挙動および感度解析を行い,成層圏におけるNOx,HOxおよびオゾンの反応機構を詳細に検討している.さらに3次元計算を用いて,成層圏に噴射された排気プルーム中における排気成分とオゾンの反応特性を調べるとともに,排気プルーム中の化学種濃度計測を行い,計算結果が実験結果と定性的に一致することを示している.これらの結果から,成層圏環境における航空機排気成分の基礎的な挙動およびオゾンとの反応機構を明確にすることができたと結論づけている.

第5章は結論であり,本論文において得られた結果を要約している.

以上要するに,本論文は,成層圏レベルの高度において航空機が飛行した際の排気成分を測定する手法を提案するとともに,排気に含まれる化学種の排気プルーム中および成層圏環境下における挙動を詳細に解析することにより,航空機排気のオゾン破壊に関する反応機構を実験的および理論的に明らかにしたものであり,航空宇宙推進工学上貢献するところが大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク