学位論文要旨



No 119001
著者(漢字) 松田,淳
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,アツシ
標題(和) 超軌道速度再突入カプセル衝撃層内非平衡現象に関する実験的研究
標題(洋) Experimental Investigation of Nonequilibrium Phenomena in the Shock Layer of Reentry Capsule with Super-orbital Velocity
報告番号 119001
報告番号 甲19001
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5733号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
 東京大学 助教授 小紫,公也
内容要旨 要旨を表示する

2003年5月打ち上げに成功した小惑星探査衛星「はやぶさ」は、宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部)が1990年代中頃からMUSES-C計画として開発を進めてきたものであった。本計画は、小惑星の岩石サンプルを地球に持ち帰る、いわゆるサンプルリターンミッションであり、本計画を契機として、様々な工学技術の開発が行われた。中でも、最も空気力学的関心を集めたものが、本ミッションの最終段階で行われる地球大気への再突入の際に予定されている惑星間軌道からの直接再突入である。この直接再突入の採用は、地球周回軌道を経ないため、軌道変更に必要な推進材を省略でき、再突入システムの簡素化、軽量化に繋がると考えられたためである。従来のスペースシャトル等の再突入ミッションでは、地球周回軌道からの再突入を行っており、その再突入速度は秒速8km程度であったが、MUSES-C計画で予定しているような直接再突入の場合、その速度は秒速12km程度の高速度に及ぶと予測されている。

秒速12km程度での再突入においては、再突入カプセル前方に強い衝撃波が発生し、その衝撃層内(衝撃波とカプセル表面の間の領域)では、気体分子の解離、電離、輻射等、複雑な熱化学非平衡現象が発生すると考えられる。このような高速飛行環境下で発生する非平衡な衝撃層内でのカプセル表面への空力加熱として、対流加熱のみならず輻射加熱も多大な寄与を示す事が指摘されて来た。

空力加熱量の予測には、地上設備を用いて飛行環境を実現することが困難なため、数値解析が用いられる。再突入飛行環境で発生する熱化学非平衡現象を再現するモデルとして、Parkの二温度モデルが良く用いられる。しかし、このモデルは、地球周回軌道からの再突入環境を模擬するために構築されたものであるため、惑星間軌道からの直接再突入環境をどれほど正確に再現できるかについては、疑問の余地がある。また、これまでの研究から、空力加熱のうち特に輻射加熱量の予測値について、熱化学モデルに含まれる経験的パラメーターに対して敏感であるということが知られている。一方、秒速12km程度の高速飛行環境で発生する衝撃波背後の熱化学非平衡現象について十分な理解は得られていないのが現状であり、また、実験データもそれほど蓄積されていないため、既存の熱化学モデルのMUSES-C再突入速度クラス(秒速12km)への適用可否についての実験結果との比較による検証はほとんどなされていない。このため、実際の再突入カプセルの設計には、予測される加熱量に対して、マージンを加味することで対応せざるを得ないのが現状である。しかし、この手法は将来の惑星探査ミッションにおける惑星大気直接再突入カプセルの開発におけるボトルネックとなることが危惧される。そこで、この問題を解決するために、これまで、宇宙科学研究本部では、純粋窒素を試験気体として、衝撃波管を用いた実験が行われて来た。純粋窒素を試験気体とした理由は、現象の理解の簡単化のためである。その結果、衝撃波背後での回転、振動温度、電子励起温度、電子密度等の分布が得られ、既存の熱化学モデルの問題点が指摘されてきた。

しかし、実際の再突入カプセルは、地球大気への突入となるため、次の段階として、空気(窒素、酸素混合気体)中で発生する衝撃波背後の熱化学非平衡現象について実験的に調べて行く必要がある。

そこで、本論文では、空気中を秒速12km程度の高速飛行で発生する衝撃波背後の熱化学非平衡現象について調べていく事を目的とする。具体的には、以下の通りである。

1)空気中で発生する衝撃波背後でのN2、N2+の回転、振動温度、N原子の電子励起温度、電子密度の挙動を調べる。2) 1)で得られた結果を、以前、窒素を試験気体として得られた結果との比較を行うことで、空気と窒素の場合での結果の差異について調べる。3)衝撃波背後の領域で直接並進温度を測定し、熱化学モデルから予測される並進温度の妥当性を検討する。

目的1)は、空気中で発生する衝撃波背後の非平衡構造を調べるために必要なデータが得られると考えられるためである。目的2)は、酸素は窒素より解離が起こり易く、酸素起因の化学種(O、O+、NO等)が熱化学非平衡現象に影響を及ぼす可能性が考えられるため、空気と窒素での実験結果の比較により、N2、N2+、Nの各物理量への酸素起因の化学種の影響を調べて行くことができると考えられるためである。目的3)は、これまで、秒速12km程度で伝播する衝撃波背後の並進温度分布が実験で計測されておらず、二温度モデルから予測された結果を基にのみ議論が進められてきたため、本研究成果を基に、従来行われてきた二温度モデルに基づく並進温度の予測の妥当性の検討が可能となると考えられるためである。

目的1)、2)のためには、衝撃波背後の輻射光に対して発光分光法を適用し、輻射スペクトルを取得した。スペクトルに対して、Spectrum Fitting 法を適用する事で、分子の回転、振動温度を、相対線強度比法で電子励起温度を、水素のバルマー線のStark効果を利用することで、電子密度を求めた。

目的3)のためには、酸素原子に対するレーザー吸収分光法を適用した。この手法の適用は、ユニークなものであるが故、次のような方策を取っている。即ち、本研究で行ったレーザー吸収分光法は、通常のアーク風洞等の気流持続時間が長い現象に対して行われる連続波長掃引による方法が困難なため、一度の実験ではレーザー波長を固定しておき、衝撃波管の駆動毎に波長を変化させ、繰り返し何度も実験を行い、吸収スペクトル全波長域でのデータを取得する方法を用いた。各実験毎のデータのばらつきを考慮するため、二本のレーザーを用い、一本を規格化用として全実験を通して同一波長での吸収率を測定し、残りのレーザーは実験毎に波長をわずかずつ変化させ各波長での吸収率を計測した。規格化用レーザーのデータにより各波長での吸収率を規格化する事で、各実験から得られたデータを関連付けることにより吸収プロファイルを取得する方法を採った。また、衝撃波背後の状態でのスペクトル線広がりの検討の結果は、ドップラー広がりとStark広がりの両者の寄与を考慮する必要性を示唆していた。従って、吸収スペクトルに対して、ドップラー広がりとStark広がりを同時に考慮した関数形であるVoigtプロファイルを適用することで、並進温度と、電子密度を算出した。ここで得られた電子密度と水素のバルマー線に基づく電子密度を比較した所、両者でオーダーが良く一致した結果が得られた。この電子密度のオーダーの一致は、酸素原子へのレーザー吸収分光による計測の妥当性を間接的に示すものであると考えられる。

実験は、自由ピストン二段膜衝撃波管を用い、衝撃波伝播速度については、(1)秒速12kmと(2)10km又は8kmの2ケースについて行った。(1)は惑星間軌道からの直接再突入に対応する速度であり、(2)は、Parkの二温度モデルの適用範囲と考えられている速度域である。

発光分光及び、吸収分光実験で得られた結果をまとめると、以下のようになる。

1)実験で計測された並進温度は、二温度モデルによる予測結果と良く合った。このことから、二温度モデルによる並進温度の予測は妥当であると考えられる。

2)発光分光により得られた空気中で発生する衝撃波背後の物理量の傾向は、以下のようである。2.1)N2+の回転、振動温度はN2のそれより高い。2.2)秒速12km、8kmの両ケース共に、回転温度は、並進温度と非平衡であり、二温度モデルと矛盾する傾向が見られた。2.3)秒速12km、8kmの両ケース共に、振動温度は、並進温度と非平衡であるものの、二温度モデルによる予測と合っている傾向が見られた。2.4)N原子の電子励起温度は、二温度モデルの予測よりかなり低く、計測された領域では、ほぼ、一定の温度分布を示している傾向が見られた。2.5)電子密度の挙動は、次のようであった。2.5.1)秒速10kmの場合、衝撃波直後での領域では、実験結果と二温度モデルによる予測は、ほぼ一致していた。2.5.2)一方、秒速12kmの場合は、特に、衝撃波直後での領域での実験結果と二温度モデルによる予測との著しいずれが目立った。

3)2)で得られた結果と以前行われた窒素の結果について、実験を行った全速度領域において比較した。注目した波長領域での発光スペクトルの比較では、秒速12kmの場合には、空気と窒素で両者ともN2、N2+が支配的な化学種となっており、ほぼ同様のスペクトル形状であったが、秒速8kmの場合には、N2、N2+に加えてNOの発光がオーバーラップしたスペクトル形状となっていた。しかし、計測を行った全速度領域(秒速12km、10km又は8km)で、回転、振動、電子励起温度、電子密度分布の挙動が空気と窒素でかなり類似の挙動を示していることが観察された。このことから、N2やN2+の温度及び、電子密度分布への酸素起因の化学種の影響は非常に小さいと考えられる。

本研究で得られた結論、2.2)と2.5)は、従来広く用いられてきたParkの二温度モデルの修正の必要性を示唆する結果だと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)松田淳提出の論文は「Experimental Investigation of Nonequilibrium Phenomena in the Shock Layer of Reentry Capsule with Super-orbital Velocity(超軌道速度再突入カプセル衝撃層内非平衡現象に関する実験的研究)」と題し、本文7章及び付録3項から成っている。

大気中を高速飛行する飛翔体周りに生じる極超音速流れは高温であり、そのために生じる飛翔体の空力加熱を防ぐことが機体設計における重要な課題となっている。空力加熱は、突入速度に依存し、速度の増大とともに急増するため、特に、惑星間空間からの直接地球大気突入では、空力加熱量の把握が重要である。空力加熱は、機体の正面に生じる強い衝撃波で加熱された大気により生じるため、そのような大気の状態を把握することが、空力加熱量の把握のための基礎となっている。

地球周回軌道からの再突入に見られるような比較的突入速度の遅い再突入で衝撃波加熱された大気の状態は、実験的、理論的にも比較的よく理解されているのが現状であるが、惑星間宇宙空間からの直接地球大気突入のような高速突入(約12km/sec)では、実験データすら不足している状況にある。かろうじて、窒素気体における衝撃波加熱についてのデータがあるのみである。そのため、本研究は地球大気への高速再突入を想定して、空気における衝撃波加熱について実験的な知見を得ることを目的としている。

第1章は、序論であり、惑星間空間からの直接地球大気再突入にあたり、衝撃波加熱された高温空気の熱的状態を実験的に把握する必要性、及び、過去の研究の経緯が述べられる。特に、衝撃波加熱された気体の並進温度に関する実験的知見は欠如しており、その必要性が述べられている。

第2章では、本実験において用いられたデータ解析手法の理論的背景について述べている。本実験では、衝撃波加熱された気体からの輻射光や外部光の吸収を利用した分光学的手法により、各種の励起温度、電子密度などが見積もられる。特に、外部光の吸収分光計測による並進温度計測の可能性が述べられている。

第3章では、本実験で用いられた装置および計測手法について述べている。装置は自由ピストン型の二段膜衝撃波管であり、その最終段に生じる強い衝撃波を利用して、衝撃波加熱された気体の熱的状態を計測する。衝撃波速度として、8,10、12km/secの強さの衝撃波を研究の対象としている。計測は、発光分光計測、吸収分光計測であり、それらの計測装置の概要が述べられる。また、吸収分光法を衝撃波管のような瞬時現象へ適用した例はなく、そのための工夫が述べられている。

第4章では、発光分光による結果が述べられる。得られたスペクトルは、N2,N2+分子のバンドスペクトルや、N原子、H原子の線スペクトルからなる。分子のバンドスペクトルからは、理論から予測されるスペクトルとの比較により、それぞれの分子の回転、振動温度が見積もられる。また、N原子の線スペクトルからは、N原子の電子温度が見積もられる。さらに、H原子のバルマー線はシュタルク広がりで支配されるため、計測されたスペクトル形状から電子密度が見積もられる。これらを利用して、衝撃波背後での回転・振動温度、電子励起温度、電子密度の空間分布が得られている。窒素気体について従来得られていた結果と比較し、酸素分子の存在にも関わらず、両者には大きな差異がないことが結論される。ただし、パークモデルによる理論的な予測に対し、衝撃波直後において著しい不一致を見せており、空気における衝撃波加熱に関する理論モデルの再構成の必要性を示唆している。

第5章では、吸収分光計測による結果が述べられる。吸収は原子酸素の吸収線により生じ、その吸収スペクトル線プロファイルは、原子酸素の並進温度のみならず、電子密度にも支配される。そのため、理論プロファイルとの比較により、並進温度のみならず、電子密度をも得ることが可能となっている。得られた電子密度分布は第4章で得られたものとよく一致し、本手法の妥当性を示している。得られた並進温度は、衝撃波直後においては回転、振動温度より高くなり、ほぼ、パークモデルによる予測結果とも一致するものである。

第6章では、本実験において得られた結果を総合的に評価するとともに、その限界についても議論している。

第7章は結論である。地球大気への高速再突入時に生じる衝撃波加熱により生成される高温空気の熱的状態は、純粋窒素気体に生じる同様の高温気体と比較して、酸素分子の存在にもかかわらず、大きな差異がないことが結論されている。また、従来よく用いられている理論モデルに限界があることが結論されている。

以上要するに、本論文は高速再突入時に生じる高温空気の状態を実験的に明らかにすると同時に、従来の理論モデルの限界を示した点で、宇宙工学に貢献するところが大きいと認められる。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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