学位論文要旨



No 119011
著者(漢字) 安田,祐治
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ユウジ
標題(和) 周波数特性同定に基づいたリアルタイム電力系統ディジタルシミュレータにおける送電網モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 119011
報告番号 甲19011
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5743号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,明彦
 東京大学 教授 仁田,旦三
 東京大学 教授 石井,勝
 東京大学 教授 日高,邦彦
 東京大学 教授 堀,洋一
 東京大学 助教授 古関,隆章
内容要旨 要旨を表示する

年々大規模化、複雑化を続ける電力系統において、その系統上で発生する諸現象を解析することは重要なことであり、特に保護リレーやその他の新たなパワーエレクトロニクス応用電力制御機器の有用性を検証する際には、リアルタイム電力系統シミュレータを用いるのが大変有効な手段となってきている。現在では、コンピュータの性能の向上に伴い、場所を取らず、操作性の良いフルディジタルタイプのシミュレータが主流になってきている。電力系統の過渡現象の三相瞬時値解析ツールとしては、これまで世界的にはEMTPが広く利用されてきた。この計算をリアルタイムで処理し、保護・制御システムなどの検証試験に利用するなどの応用をはかることが行われている。しかしながら、リアルタイム処理の側面から大規模系統への適用には限界があり、また、このようなディジタルタイプのシミュレータ装置は高価であり、またデータ収集の手間、装置のデータフォーマットやそれに合わせたデータ処理などに知識や慣れが必要となるなど、これらの諸問題を解決するために、近年では、市販のCADソフトであるMATLAB/SIMULINKを用いてプログラムを作成し、それを近年処理能力が極めて向上しているDSPで処理する手法の研究が行われている。この手法を用いることにより、開発コストを抑えて従来のものよりも安価で汎用性のあるものにしたディジタルシミュレータの研究が進められている。このようなコンセプトを基に商品化されているARTEMISのようなソフトもすでに存在している。ARTEMISでは微分方程式の解法として台形法を用いており、SVC、TCR、インバータといった機器に関するシミュレーション例が多く扱われている。

電力系統においてディジタルシミュレーションを行う際、系統を構成する要素は電力源、電圧源、電流源のどれかの形でモデル化されてきた。これは電力系統というものが巨大な電気回路網であるという事実から当然のことである。本研究では3相瞬時値でのシミュレーションを行うため電力源形式のモデルではなく、電圧源、電流源のモデルを用いる。

リアルタイムシミュレーションのための送電線モデルに関しては、これまでにも研究がなされてきており、IEEEなどで発表されている。その中には実用化技術として、ディジタルタイプの電力系統リアルタイムシミュレータがある。TNAやRTDSに組み込まれているものも存在する。この送電線モデルは、J.R.Martiの提案したBergeron法を用いたモデルを発展させたもので、すべての周波数帯域を網羅した非常に詳細なモデルであり、主としてHVDCや異国間の連系線モデルとして送電線自体の特性解析に用いられている。電力系統に生じる諸現象は、周波数変動や電圧不安定といったものからサージ現象や高調波といったものまでその周波数は幅広く分類される。従来のリアルタイムシミュレーション技術は基幹系統を中心に据えていたため高コストの解析技術でも開発が行われてきたが、今後は分散電源の導入などを背景に、サージ現象などの非常に速い現象の解析領域の外で装置の運転特性などをリアルタイムに確認したいといったニーズも高まることが予想される。このような目的のためには、低コストで諸現象をリアルタイムに再現することを可能にする技術が必要になると考えられる。そこで本研究では、シミュレータによる解析対象を電圧不安定現象、過渡不安定現象、定態不安定現象、周波数変動といった安定度に関する諸現象に絞り、1kHz付近以下の帯域の現象を扱うこととし、それ以上に高い周波数領域であるサージ現象などは対象としない。そのため、送電網の基礎となる送電線のモデルは、分布定数線路を用いたBergeron法などサージ領域まで網羅した方法を用いる必要はなく集中定数回路で十分なモデル化ができると考えられる。このことにより、演算コストを低減し、汎用のハードウェアにおける、相互インピーダンスを考慮した送電線モデルを組み込んだ大規模電力系統でのリアルタイムシミュレーションの実現を目指している。また、従来の安定度計算においては対称故障で三相地絡事故が多かったため、相互インピーダンスの有無が問題視されることはあまりなかった。しかし実際の系統において、ほとんどの事故、故障は不平衡であることから、実系統に生じる現象から考えて、不平衡故障を取り扱うことのできるモデルを提案する。

ディジタルタイプのシミュレータの特徴としては、モデル化の精密さと比例してシミュレーションの精度が向上するということである。しかしその反面、より詳細なモデル化は計算時間の増大につながる。また、電力系統のモデルにおいて、系統が大規模かつ複雑になるほど、系統の構成に労力を要する。また、発電機その他の系統機器と比較して、大規模系統になるほど送電網部分の計算量というものがシミュレーション全体の中で大きな割合を占めることになる。

電力系統を構成する際、送電網部分とそれ以外という分割の仕方でモデル化を行うと、送電網モデルの自由度が不足するというデメリットが存在する。そこで本研究では、送電網モデルをさらに2つの部分で構成することを提案する。発電機モデルと接続する送電線モデルの対地キャパシタンスを引き出し、送電網モデルを2つのブロックに分けそれぞれが独立して演算を行うという形をとる。この形をとることで、対地キャパシタンス部分の処理方法を変更するだけで入出力の自由度を確保することができる。

送電網モデルをこのような構造にすることで、そこに接続する発電機その他の機器モデルにおいてもメリットが生じる。電圧源モデル、電流源モデルのどちらを用いるにしても、送電網モデルにおけるデータの入出力関係を気にする必要がなくなり、系統を簡単に構成することができる。

本研究では、大規模複雑系統でのシミュレーションにおける送電網部分の計算時間短縮、送電網モデルの自動作成による労力の削減を目的としている。そのため、周波数特性の数値データから次数を抑えた有理伝達関数行列の形に同定することにより、電圧源、電流源の双方に接続することが可能な低次同定送電網モデルを自動的に作成する手法を提案する。同定手法には、初期値に依存せず、また繰り返し計算を削減できる重み付け線形化最小二乗法を用いる。

ラプラス領域(s領域)での同定(連続時間領域)は、相互インピーダンスを考慮しない簡易送電線モデルを用いて構成した系統では非常に精度のよい同定結果を得ることができた。一方で相互インピーダンスを含めた場合、同定する有理伝達関数の分子側の次数が分母側よりも高次になってしまうため、周波数特性は精度よく同定されるものの伝達関数の極の実部が正になってしまい安定に同定することができないという現象が問題となった。そこで、s領域ではなく、z領域での同定(離散時間領域)を用いることで問題の回避を試みた。標準z変換だけでなく、台形法近似、テイラー展開一次近似などの手法を用いて同定を行うことで相互インピーダンスを考慮した送電線モデルで系統を構成した場合でも低次同定送電網モデルを安定なシステムとして同定することを可能にした。提案手法を用いてさまざまなパターンの系統のモデルを作成し、送電網を詳細にモデル化した場合のシミュレーション結果との比較を行い提案手法の妥当性の評価を行った。その結果、低次伝達関数同定送電網モデルは十分な精度を持つことが確認され、また負荷ノードを多く含む大規模な系統において計算時間の短縮効果が得られることがわかった。

これら提案してきた手法を用いて作成したプログラムをDSPへ実装し、実際にリアルタイムシミュレータとしての評価を行った。DSPへの実装に際しては、MATLAB/SIMULINKとの整合性から、dSPACEを用いている。このdSPACEにMATLAB/SIMULINKのモデルファイルをダウンロードする際に、シミュレーション時に収束計算を必要とする代数ループを含んではならないこと、微分方程式の解法はオイラー法を用いること、というのが使用条件になっている。また、DSPの能力ではリアルタイムで処理することが不可能と判断されたプログラムをダウンロードすることはできないことになっている。代数ループを含まないようにするという条件に関しては、送電網モデルを同定する際に必ず分母の次数を分子の次数よりも最低1大きくするという条件を設定することで代数ループを回避することができる。オイラー法を用いなければならないという条件により、本来システムとして安定であり、ルンゲ・クッタ法など高次の解法を用いれば収束するシミュレーションが発散してしまうということが考えられるが、これは送電網モデルをz領域で離散化して同定することで解決することができる。これらを踏まえた上でDSP1台あたりで扱える系統規模の検証を行った。その結果、提案手法を用いることでDSPに問題なくダウンロード可能なことが確認され、またDSP1台あたり発電機3機を含む系統まで扱えることがわかった。DSPを並列することでその倍数台発電機を含む系統のリアルタイムシミュレーションが行えると考えられる。

以上、周波数特性から低次伝達関数行列型に同定した送電網モデルが十分な精度をもつこと、大規模系統を扱う際に計算時間を短縮できることが確認された。また、s領域ではなく近似を用いたz領域で同定することにより相互インピーダンスの考慮が可能になることがわかった。それらをDSPにダウンロードすることでリアルタイムシミュレーションを実現し、DSPの並列によりより大規模な系統を扱うことができることを確認した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「周波数特性同定に基づいたリアルタイム電力系統ディジタルシミュレータにおける送電網モデルに関する研究」と題し、8章よりなる。

第1章は「序論」で、今後の電力自由化、分散電源の電力系統への大量導入などの状況を踏まえて、多種多様そして多数の機器を含む電力系統のリアルタイムシミュレーションが重要となり、リアルタイム電力系統シミュレータの研究が必要となる背景を述べ、既存のさまざまなリアルタイムシミュレータの概要を示している。その中で特に、本研究で対象としている市販のCADソフトを用いて安価で使いやすいディジタルシミュレータを開発する目的、そのシミュレータ用の送電網モデルの開発の必要性についても述べている。

第2章は「三相瞬時値解析手法」と題し、大規模電力系統のリアルタイムディジタルシミュレーションに三相瞬時値解析手法を適用するにあたり、シミュレーションの演算精度を落とさずに演算のプロセスを少なくするために、対象とする系統現象を周波数1kHz以内と限定し、従来用いられてきたBergeron法やJ.R.Martiモデルではなく、集中定数回路で模擬した送電線モデルを用いることで送電網モデルの演算を簡単化することを提案している。また不平衡故障を扱うために相互インピーダンスを考慮した送電網モデルを構築している。

第3章は「送電網モデルの構成」と題し、送電網をモデル化する際に、それぞれの送電線のモデルを一つ一つつなぎ合わせて構成するのは労力がかかり、また大規模系統になるほどシミュレーション時間の増大をもたらすことになるので、その問題の解決策として、送電網全体を伝達関数行列で表現し、その各要素を周波数特性データから低次の有理伝達関数として同定する手法を提案し、系統内の浮遊ノードの縮約を行うことで伝達関数行列の次元を下げることを提案している。また、機器モデルと送電網モデルの接続ノードにおいて、送電線の対地キャパシタンスを利用して送電網モデルに電圧源機器モデルと電流源機器モデルの双方を接続可能にする手法を開発している。

第4章は「連続時間処理手法」と題し、系統シミュレーションにおいて、一般に離散時間領域よりも数値安定性にすぐれていると言われている連続時間領域において、送電網を低次の有理伝達関数行列モデルとして同定する手法を述べている。本同定手法は重み付け線形化最小二乗法を用いている。使用するCADソフト上で代数ループを生じないように同定結果の分母の次数が分子の次数よりも大きくなることを条件とし、周波数特性を1kHzまでに制限し、同定次数を徐々に上げていくというアルゴリズムにより、低次な伝達関数に同定することを可能にしている。

第5章は「離散時間処理手法」と題し、前章の連続時間領域での同定手法では、送電線の相互インピーダンスを考慮すると送電網伝達関数行列モデルの要素の伝達関数の極が不安定になるという問題が生じるために、離散時間領域において、離散化の手法に工夫を加えることによって数値安定性、シミュレーション精度の維持可能な送電網モデルを作成する手法について述べている。また、離散化のための差分方程式の作成を自動化することが困難であるため、近似を加えたz変換を用いて周波数特性から直接、伝達関数行列を同定する手法を提案している。

第6章は「結果」で、提案した手法の妥当性を検証するために、周波数特性から同定した送電網モデルの同定精度、同定した送電網モデルを用いてシミュレーションを行った結果の精度、数値安定性といった観点からの検討を行っている。さまざまな系統においてCADソフト上でシミュレーションを行った結果、送電線の相互インピーダンスを考慮する場合は離散時間領域での同定が効果的であることが明らかとなった。シミュレーションの数値的安定性の観点からも離散時間領域での同定が有効であった。送電網の中に浮遊ノードが多く存在する場合には、縮約が可能な本提案手法による伝達関数行列モデルがシミュレーションプロセスの削減に効果的であることもわかった。

第7章は「DSPへの実装」と題し、リアルタイム・ディジタルシミュレータとしての検証を行うため、Linx社の提供するdSPACEというDSPボードに市販CADソフトであるMATLAB/SIMULINKで作成したアプリケーションモデルをダウンロードし、シミュレーションを行った結果について述べている。リアルタイムでのシミュレーションを実現するためにはいくつかの条件を遵守しなければならないが、条件を満たしていれば、DSPの処理能力を超えない範疇であればMATLAB/SIMULINK上とまったく同じシミュレーション結果を実時間単位でリアルタイムに再現することが可能であることがわかった。また、DSP1枚あたりの処理能力には限界があるが、DSPを複数並列処理させることでより大規模な系統がリアルタイムで取り扱えることがわかった。

第8章は「結論」で、本研究で得られた知見をまとめている。

以上を要するに、本論文は、大規模電力系統の不安定現象や電力制御機器導入によって生じる系統現象を、できるだけ詳細かつ低コストに三相瞬時値で解析するリアルタイム・ディジタルシミュレータ用の低次同定送電網モデルを提案し、連続時間領域と離散時間領域において自動的に作成する手法を開発し、シミュレータへの適用上の特徴を明らかにすることによってリアルタイムシミュレーションの可能性を示したもので、電気工学上貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1831