学位論文要旨



No 119033
著者(漢字) 井口,智明
著者(英字)
著者(カナ) イノクチ,トモアキ
標題(和) 超強磁場における半金属および低次元電子系の量子極限物性
標題(洋)
報告番号 119033
報告番号 甲19033
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5765号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長田,俊人
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 嶽山,正二郎
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 家,泰弘
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は,100T以上の超強磁場中におかれた物質の電子状態を探索することである。超強磁場中におかれた半金属や低次元電子系は純粋な量子極限状態に入るため,多彩な量子現象を示すと考えられる。このような現象についての研究を行う上で電気伝導測定は必須である。しかし,100T以上の超強磁場は破壊的な方法を用いて単発かつ高速パルスの磁場として発生されるため,大きな誘導起電力やノイズ等の影響により,測定は極めて難しい。そこで,本研究では超強磁場中で使用できる電気伝導測定法の開発を行い,その測定法を用いて量子極限下にある半金属および低次元電子系の電子状態について研究を行った。その結果を以下に記す。

(1)超強磁場における電気伝導測定法の開発

本研究では一巻きコイル法および電磁濃縮法を使用して超強磁場発生を行った。一巻きコイル法では,コンデンサーに蓄えられた電荷を銅製の1巻きコイルに直接放電することで約10μsの間に200T以上の超強磁場を発生する。放電の際,コイルはマクスウェル応力を受けて破壊されるが,完全に破壊される前に放電を完了することで超強磁場発生を可能にしている。電磁濃縮法では,銅製のリングに初期磁場を注入しておき,リングを電磁力によって収縮させることで磁束を濃縮し超強磁場の発生を行う。この方法で約50μsの間に300Tを超える磁場が発生されている。

以上のように100T以上の超強磁場は数10μsの時間幅を持つパルスとして発生されるため,電気伝導測定を行う際には誘導起電力とノイズへの対策が必要となる。本研究では誘導起電力よりも高い周波数のバイアスおよび反射係数測定を用いた測定装置の開発を行い,超強磁場中での電気伝導測定に成功した。この測定法は磁場発生に伴う誘導起電力とノイズの影響を抑えることができるため,超強磁場中で有効な測定手段であり,今後量子極限での電子状態の解明に大きな発展をもたらすことが期待される。

(2)超強磁場におけるグラファイトの電子状態の探索

グラファイトは,面方向には炭素原子のσ結合およびπ結合による強固なハニカム構造を形成し,積層方向にはvan der Waals 力で弱く結合した典型的な層状物質である。このハニカム構造のシート1層だけではゼロギャップ半導体であるが,積層方向のわずかなトランスファーによって半金属となる。このトランスファーの弱さを反映して,キャリア密度は絶対零度で1原子あたり10-4個程度と,非常に少ない。そのため,積層方向に平行に磁場を印加すると7.3Tと比較的弱い磁場でn=-1, n=0と指数付けされた2つのサブバンドにのみキャリアが存在する擬量子極限状態に入る。この系の60Tまでの電子状態については詳細に研究されており[1-3], 28-53Tの領域で磁場誘起相転移を示すことが知られている[4]。この相転移は,磁場によって系が1次元化される結果生じる2kF不安定性による密度波電子相転移として理解されている[5]。それ以上の磁場領域では,新たな2たF不安定性が生じる可能性や電子間相互作用の増大など多彩な量子効果の発現が期待されているにもかかわらず,過去の実験例は極めて少ない。

そこで,本研究では前記の測定法を用いて,100Tを超える磁場までグラファイトの磁気抵抗測定を行った。その結果,新たに63T付近に磁気抵抗の折れ曲がりを観測した。27.0〜31.5Kと比較的高温で観測されたことから,この構造はおそらく電子相転移によるものではなく, Shubnikov de-Haas (SdH) 振動であろうと考えられる。なお,従来観測されている28〜53T付近の磁気抵抗異常は観測されなかったが,これは初期温度が高かったことに起因すると考えられる。また,63T以降120Tまでには顕著な磁気抵抗構造は観測されなかったことから,実験を行った温度範囲内では63T以上の磁場領域での電子相転移はないものと考えられる。

この実験結果を解釈するために,電子状態を数値計算によって予測した。グラファイトのランダウ準位計算には,Slonczewski, Weiss, McClure らによって導出されたSWMハミルトニアンを用い, その値を用いて密度応答χ0を計算した。その結果, 70,90,130TにSdH振動が現れること,また,65,106T付近では各サブバンドのネスティングベクトルが一致して密度応答関数の極大が生じ,新しい形の密度波相転移が起こる可能性があることがわかった。

しかしながら,以上の計算結果では実験結果を説明出来ない。これは,従来グラファイトの電子状態を説明するために用いられているSWMモデル,すなわち1体近似が強磁場になるにつれて成立しなくなることに起因すると考えられる。過去,高田らによる理論的研究により,サイクロトロン軌道半径が平均電子間隔以下になる超強磁場中では系が古典化し,電子相関効果が強調されるとの指摘がなされていた[6]。本測定はこの超強磁場における相関効果の増大を観測したのではないかと考えている。

(3)超強磁場におけるビスマスの電子状態の探索

ビスマスはJahn-Teller効果によって面心立方格子からわずかにずれた正菱面体の結晶構造を持つ。電子および正孔の数は一般の金属に比べて極端に少なく,1原子あたり10-5個である。このため,比較的弱い磁場で量子極限状態にすることができる。また,強磁場を印加すると,電子と正孔のランダウ準位の交差が起き,半金属から半導体へと転移するという予想がなされている。比留間らは超強磁場下でビスマスの遠赤外透過率を測定したところ,88T付近に透過率の不連続な増加を見出し,半金属から半導体への転移であると解釈した[7]。

本研究では,電気伝導測定によるビスマスの超強磁場中での電子状態の解明を試みた。その結果,40Tまでの磁場領域での測定結果は従来の電気伝導測定の結果と一致するものの,半金属-半導体転移に対応する磁気抵抗の増加は観測されなかった。この結果と遠赤外透過率測定の結果との相違の原因として,試料のキャリア数の違い,磁場発生方法の違いなどが考えられるが,本質的な原因についてはわかっていない。

(4)超強磁場における2次元電子系の電子状態の探索

磁場中におかれた2次元電子系のエネルギー分散はδ関数的なランダウ準位に量子化される。各ランダウ準位は不純物ポテンシャルの影響を受けて有限の幅をもち,中心部分を除いて波動関数は空間的に局在する。フェルミ準位がそのような局在状態にあるとき,ホール伝導率σxyが-e2/hの整数倍に量子化される,整数量子ホール効果と呼ばれる現象が観測されている。さらに強い磁場中におかれた2次元電子系では,系のすべてのキャリアが最低ランダウ準位に分布する。すると,キャリア間の運動エネルギーの競合が無くなるため,電子間相互作用によってのみ系の電子状態が決まる。このような条件下で,σxyが-e2/hの非整数倍に量子化される,分数量子ホール効果と呼ばれる現象が観測されている。このように50T付近までの電子状態は精力的に研究されている。それ以上の磁場領域ではWigner結晶状態もしくはホール絶縁体などの電子状態が発現する等の理論的な予想がなされているものの,実験例はほとんど無く,特に電気伝導測定は皆無である。そこで,本研究では超強磁場中で2次元電子系の電気伝導測定を行う実験方法を開発し,その手法を用いて100Tまでの測定を行った。

超強磁場中で2次元電子系の電気伝導測定を行う際には,試料のインピーダンスの高さが問題となる。標準的なホールバー構造の縦抵抗Rxxは20 kΩ〜∞Ωの範囲で変化し,ホール抵抗Rxyは20 kΩ以上の値をもつ。このインピーダンスを反射係数法で測定する場合,0.5%以下の反射率の変化を測定しなければならず,実験精度から考えて測定はほぼ不可能である。そこで,本研究では, Corbino構造の縦伝導率の逆数Rが,〓で表されることから,r2/r1を限りなく1に近づけ,また周長を長くすることでインピーダンスを下げる手法を用いた。ここで,r1およびr2はそれぞれ内側電極と外側電極の半径である。しかし,量子ホール効果を観測できるだけのチャネル幅を確保しながら周長を長くすると,磁場に対する試料の断面積が大きくなることに伴って誘導起電力が増大し,量子ホール効果のブレークダウンが起きる恐れがある。そこで,小さな面積に折り畳まれたCorbino構造を考案し,誘導起電力の問題を解決した。

また,2次元電子系ではSdH振動が顕著に現れるため,パルス超強磁場中で電気伝導測定を行う際には磁気抵抗信号の高速な変化を観測しなければならない。そこで,新たに50MHzの変化まで測定可能な反射係数法を用いたインピーダンス測定装置を構築した。

以上の電極構造と測定装置を用いて, GaAs/AlGaAsヘテロ界面に形成された2次元電子系について,初期温度4.2Kで100Tまでの電気伝導測定を行った。なお,この試料の4.2Kでの移動度は2.4×105cm2/Vsである。その結果,25T(υ=1)付近および80T(υ=1/3)付近に,それぞれ整数量子ホール効果および分数量子ホール効果に対応すると考えられる磁気抵抗の構造を観測した。この結果により分数量子ホール状態のギャップが〓で与えられるとする Halperin らの理論[8]が超強磁場下においても適用可能であるという知見を得た。なお,100Tまでの磁場領域で2次元電子系の電気伝導測定を行った例は本研究が初めてであり,今後超強磁場領域での電子状態の解明に大きな発展をもたらすことが期待される。

S. Tanuma, R. Inada, A. Furukawa, O. Takahashi, Y. Iye, and Y. Onuki, Physics in High Magnetic Fields, Vol. 24, Springer Series in Solid State Science, ed. By S. Chikazumi and N. Miura (Springer, Berlin, 1981) p.316.Y. Iye, L. E. McNeil, and G. Dresselehaus, Phys. Rev. B 30 (1984) 7009.G. Timp, P. D. Dresselhaus, T. C. Chieu, G. Dresselhaus, and Y. Iye, Phys. Rev. B 28 (1983) 7393.H. Yaguchi and J. Singleton. Phys. Rev. Lett., 81 (1998) 5193.D. Yoshioka and H. Fukuyama, J. Phys. Soc. Jpn., 50 (1981) 725.Y.Takada and H. Goto, J.Phys. : Cond.Matt,10(1998)11315N.Miura,K.Hiruma,G.Kido,ans S.Chikazumi,Phys.Rev.Lett.49(1982)1339B.I.Halperin et.al.,Phys.Rev.B47(1993)7312.
審査要旨 要旨を表示する

100Tを超える「超強磁場」は破壊的かつ瞬間的(幅数μ秒)にしか発生できないため、その下での物性実験は、100T以下の通常の強磁場実験に比べ技術的に格段に困難となる。特に、(1)巨大な誘導電圧や放電雑音の重畳、(2)誘導電流による試料の自己発熱、という不可避の問題のために、従来の超強磁場下物性実験の多くは比較的電磁雑音の影響を受けにくい光学的測定手段に限られ、その対象も自己発熱のない半導体・絶縁体試料に限られてきた。しかし電子多体効果や電子相の探索、格子系(Bloch電子系)の問題など、超強磁場下の電子物性研究には電気伝導実験が必須である。(2)の発熱問題は試料サイズの微小化が唯一の解決法であり、各試料に対する微細加工技術という個別の問題に帰着する。結局、(1)の誘導・雑音問題を克服できる一般的な電気伝導測定技術の開発が課題となる。

本論文は、「超強磁場における半金属および低次元電子系の量子極限物性」と題し、超強磁場下電気伝導測定技術の確立を目的として、一巻きコイル法と電磁濃縮法により発生されたパルス超強磁場の下で、RF高周波バイアスを用いた反射係数法による電気伝導測定技術を初めて開発し、それをグラファイト、ビスマスおよび半導体2次元電子系の伝導実験に適用した結果について記述したものである。

第1章「序論」では、本論文の目的、構成について述べられている。

第2章「パルス超強磁場下での電気伝導測定法」では、まず2.2節で100Tを超えるパルス超強磁場発生法として本研究で用いた一巻きコイル法と電磁濃縮法について、また低温技術などの周辺技術について解説がなされている。2.3節は本論文の中核をなす部分であり、上に述べたパルス超強磁場実験の問題点(1)と(2)について詳細に分析した後、(1)の誘導・雑音問題に対する解決策として高周波反射係数法による電気伝導測定法を初めて提案し、開発した新技術について詳細に説明している。これは、誘導電圧と放電雑音の主たる周波数分布域より十分高いRF帯周波数(〜100MHz)の高周波バイアスを試料に加え、インピーダンス不整合による試料からの反射信号を方向性結合器で分離、高域フィルタを通したのち位相検波して検出するものである。反射信号に重畳する誘導電圧・放電雑音はフィルタと位相検波により原理的には除去される。試料を取り付ける測定プローブの周波数特性を振幅・位相共に平坦にすることが、測定の信頼性を確保する上で極めて重要であることが強調されている。

第3章「超強磁場におけるグラファイトの電子状態」では、高周波反射係数法によるグラファイトの超強磁場下電気伝導の実験について述べられている。グラファイトは7.3T以上の磁場で少数のランダウサブバンドのみがフェルミ準位と交叉する準量子極限に入り、系が10K以下の低温・25T〜55Tの磁場範囲で密度波相と考えられる電子相に入ることが知られていた。磁場掃引時の自己発熱による試料の温度上昇過程を考慮して、一巻きコイル法および電磁濃縮法の実験結果を整理すると、準量子極限に入った後、低温では密度波相を経て、63T付近にシュブニコフ・ドハース振動と思われる構造が存在すること、115T付近から350T以上まで磁気抵抗は磁場に対し減少傾向を示すこと等が今回初めて明らかになった。10T 以下の電子構造を高い精度で再現する一体バンド理論に従うと、100T以下の領域では45T、70T、90T付近にシュブニコフ・ドハース振動が現れるはずであるが、観測された構造は63Tのもの一つである。これは『量子極限近傍では電子相関効果が強調され、一体バンド理論に対し大きな自己エネルギー補正が現れる』とする高田らの理論を支持する結果であると議論されている。

第4章「超強磁場におけるビスマスの電子状態」では、高周波反射係数法によるビスマスの超強磁場下電気伝導の実験について述べられている。測定された磁気抵抗は40T以下の低磁場領域では従来から知られている振舞を良く再現し、60T付近にも一体バンド理論から予測されるシュブニコフ・ドハース振動を見出した。しかし過去の超強磁場下遠赤外線透過実験で観測され、半金属半導体転移であると主張された88Tの構造の兆候は、本実験では見られなかったと報告されている。

第5章「超強磁場における2次元電子系の電子状態」では、ランダウ準位占有率νが1よりも十分小さい強磁場極限における量子ホール系の電子相を調べることを目標に行った、高周波反射係数法によるGaAs/AlGaAs界面2次元電子系の超強磁場下電気伝導測定技術の開発について述べられている。量子ホール系の抵抗率は、超強磁場では極めて高くなり、また非常に広い範囲で変動する。このように試料のインピーダンスが50Ωより十分高くなると、高周波反射係数法の感度は著しく低くなり、浮遊容量や残留インダクタンスのために変動に対する応答が遅れる。こうした問題点を克服するために、試料をチャネル部を折畳んだ変形コルビノ型に微細加工することを発案し、試料の低インピーダンス化を実現している。その結果、2次元電子系のコンダクタンスを100Tまでの磁場領域で測定することに初めて成功した。1/3分数量子ホール効果に相当する構造を4.2Kで80T付近に観測し、強磁場で分数量子ホール状態が安定化したと議論している。

第6章「総括」では、以上の研究の概要がまとめられている。

以上を要約すると、本研究はパルス超強磁場下での有力な電気伝導測定技術として、高周波反射係数法の開発に初めて成功し、それを半金属や2次元電子系に適用して新たな知見を得たものである。超強磁場下の輸送現象測定の試みは過去いくつか存在するが、現時点で最も実用的な測定法である高周波反射係数法は本学位論文請求者によって初めて確立されたものである。技術上の注意点、問題点と解決法も各測定例で実戦的に示されている。これらは今後推進されるであろう超強磁場下伝導物性研究の技術的な基礎となる重要な知見であり、物理工学、物性物理学の発展に寄与するところが極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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