学位論文要旨



No 119034
著者(漢字) 岩下,靖孝
著者(英字)
著者(カナ) イワシタ,ヤスタカ
標題(和) セッケン2分子膜系の構造形成と制御
標題(洋)
報告番号 119034
報告番号 甲19034
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5766号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 高木,堅志郎
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 要旨を表示する

ソフトマテリアルとは高分子溶液やゲル、液晶、コロイドなどの軟らかい物質群の総称であり、その特徴は構造の階層性にある。例えば微小な分子が集合したメゾスケールの超分子構造が単位構造となり、それがマクロな秩序構造を形成する場合がある。このように単位構造が大きく、かつその相互作用がKBT程度と弱いため、単位構造・相互作用とも外場などの影響を受けやすく、そのためマクロな秩序構造までもが大きく変化し、その結果多様な非線形応答を示す。

さて、ソフトマテリアルの多様な物性の起源となっている秩序構造の制御には、●構造欠陥のない、秩序度の高い構造の形成、●特定の構造(欠陥など)のパターニング、の2つの側面が重要となる。そこで「秩序構造の形成過程」及び「構造欠陥などの微小構造の性質」を解明することを目的として研究を行った。また高エントロピー系の秩序構造の基礎的な物理そのものに関してもいまだ十分に解明されておらず、そのような観点からも意義のある研究であると考えている。

本研究では主にリオトロピック液晶であるセッケン2分子膜系(C12E5/H2O等)を対象とした。この系は単位構造である膜が層状に積み重なったラメラ相(図1(a)、1次元周期構造)、膜がランダムに連結したスポンジ相(等方的な流体)などの様々な構造をもつ。この系の顕著な特徴の一つは、秩序構造の基本周期構造即ち膜間距離を濃度φによって非常に大きなスケールまで制御可能という点にあり(nm⇔μmオーダ)、そのため他の液晶などと比べてかなりマクロな実験でも秩序構造そのものについて研究することが可能であるという、実験的に大きな利点がある。

以下主な研究内容について説明する。

○レーザ・トラッピング法による単独線欠陥の光操作と物性測定

液晶などの個々の構造欠陥は小さくそのエネルギーも弱いため、これまでは系全体からの平均化された応答を調べることが主であり、基本的な欠陥単独について実験を行った例はほとんどない。C12E5/H2O系はhyperswollen ラメラ相を形成するため秩序構造のスケールが大きく、そのため基本的な構造欠陥を光学顕微鏡で容易に観察することが出来る。この系に対し更にレーザ・トラッピング法による局所・微小力測定(サブμm、pNオーダ)を実現し、単独の構造欠陥の光操作、力学物性測定に成功し、その構造の詳細を解明した。

レーザ・トラッピング法はレーザ光により数μmの微小球をプローブとして捕捉し、pNオーダの任意の力で自由に(非破壊・非接触で)操作する技術である。我々はこの方法を応用することで微小球によるメゾスコピックな構造の操作、及び力学応答解析によるμm以下の分解能での局所力学物性の測定、単一欠陥構造の直接操作を可能とする強力な手法を開発した。以下C12E5/H2Oのラメラ相(膜間距離d〜20-100nm)を用いて行った実験結果の一部について説明する。

ラメラを50μmの厚さでカバーガラス間に封入し、ホメオトロピック配向させた。試料にあらかじめ分散させたプローブ(ガラスビーズ、直径2μm)を操作し、意図的に線欠陥を形成することに初めて成功した(図1(b))。またビーズをリリースすると欠陥に引っ張られて元の位置に戻っていくが、これは欠陥構造がトポロジーを維持しつつ欠陥フリーな完全配向状態に緩和していく、欠陥の修復過程であることが判明した(cf.図2(a))。その張力Fr (=単位長辺りの線欠陥のエネルギー)をトラップ力との釣り合いから測定し、曲率弾性のみを考慮したモデルの張力〓K:膜の曲率弾性率、m:折り返された膜の数、2s:線欠陥の太さ)と比較したところ非常によく一致し(図2(b))、欠陥エネルギーが主に曲率弾性率により決まっていることが明らかになった。

このような単一欠陥についての直接力学測定は単独の線欠陥の任意操作によりはじめて実現できたものであり、この手法ならではのものといえる。

また近接した線欠陥には欠陥に伴う歪場を介して引力が働き、癒着する事がわかった。図3(a)は癒着を用いて形成した渦状パターンである。癒着した部分の張力は元の張力との釣り合いから となる(図3(a))。よって癒着による線欠陥の単位長辺りの安定化エネルギーを と見積もった。これを濃度に対し測定したところ、 の依存性が判明した(図3(b))。これは線欠陥のエネルギー計算では無視した、欠陥のコア周辺の変形に伴うエネルギーを考慮することで説明できる。

この研究結果は従来単なる補正項として取り扱われていたコア変形に伴うエネルギーコストを実際に測定した点で意義深い。

○空間拘束下におけるラメラ相の構造形成

相転移などにより秩序構造が形成される場合、従来はエネルギー最小の構造として単に平衡論を用いて議論することが多かった。しかし本実験における秩序構造形成(スポンジ→ラメラ相転移)は一次転移であり、ラメラの核生成を伴うため、転移過程での非平衡性がマクロな構造形成に決定的な影響を与える可能性がある。

空間拘束を用いた秩序の構造形成はよく用いられる手法であり、基本構造の大きなソフトマテリアルではセル壁面などの界面の影響が非局所化するため、系全体が秩序化しやすいと考えられる。しかし本研究のように核生成を伴うならば壁面での不均一核生成も考慮する必要がある。また膜系の場合は壁面による膜の揺らぎの抑制、壁面への膜の配向などの効果も構造に影響し得る。このような問題は、空間拘束下での秩序化を理解する上で根源的かつ普遍的な問題である。

そこでマクロな秩序構造の形成過程について、その非平衡性や壁面による空間拘束の影響を解明するため、スポンジ相からラメラ相に相転移する過程を様々な条件下(濃度、クエンチレートなど)で詳細に観察した。C12E5/H2O系ではラメラ相の膜間距離 を3桁にわたり制御できるため、空間拘束を特徴付けるスケール比(単位構造と閉じ込めの比)を大きく変えることができる。実験にはクサビセルを用いて試料の厚さ、即ち空間拘束の強さを連続的に変化させた。その結果の一部について説明する。

3-20wt%のC12E5/H2Oについてスポンジから相転移させラメラを形成したところ、厚さが薄いところ(厚さh <100μm)では濃度(α-d-1)に依存せずストライプ・パターンが現れた(図5(a))。この構造は図4(a)のような線欠陥(edge dislocation)が並んだものと考えられ、クサビセル中のラメラが形成する典型的な構造として知られている。模式図(図4(a))から分かるようにこれは系全体がホメオトロピック(膜‖壁面)によく配向した、well-ordered ラメラ相であることを表している。実際に3-9wt%ではストライプ間隔がNalletらによる計算式(Nallet et.al., Europhys.Lett., (1987))とよく一致しており(図4(b)の9.2wt%)、この系がラメラの弾性エネルギーを最小にする、クサビセル中でのラメラ相の平衡状態にあることが分かる。しかし15、20wt%では計算式と大きく異なっており(図4(b))、ラメラの平衡状態を前提にするとこの結果は説明できない。この結果はラメラの形成過程における非平衡性が影響していることを強く示唆している。そこでストライプ以外のマクロなラメラ構造についても研究を行った。

セルが厚い側(h>100μm)には濃度(α-d-1)によって異なる構造が現れた。濃度3%ではランダム配向(乱れた構造、図5(b))、9%ではオニオン相(多重膜ベシクル、即ち球殻状に配向したラメラによる相。図5(c))、20%では薄い側と同じストライプが現れた(cf.図5(a))。これらの構造の起源を解明するため、断面(図4(a)の面)を観察できるクサビセルを作成し相転移過程を追った。その結果核生成されたラメラが、壁面にホメオトロピック配向した濡れ層を作る場合はストライプパターンになり、そうでなければラメラドメインのランダム配向状態やオニオン相になることが分かった。高濃度(15、20%)では壁面からの不均一核生成が支配的なので壁面に濡れてストライプを形成し、低濃度(3-9%)では均一核生成が支配的なので厚い場合(h >100μm)に壁面に濡れることが出来ず、ホメオトロピックでないラメラになる。またクエンチレートを大きくすると均一核生成しやすくなり、より薄い(h小)ところから非ホメオトロピック構造が現れるが、高濃度(15、20%)ではクエンチレート最大(-4℃/min.)でもストライプが形成された。

ラメラドメインのランダム配向状態とオニオンのどちらの相が現れるかは、核生成のキネティクスで決まっていると考えられ、3%付近ではラメラ-スポンジ界面に対してラメラの層を一定の角度に保とうとするエピタキシーが反映されるのに対し、9%以上では界面の面積を最小にしようとする界面張力が効くためであろうと考えている。

このように複数の条件が組み合わさることによりマクロスケールでは様々なラメラ構造が形成されることが分かった。これらの知見は空間拘束下での秩序化を理解し、構造形成に応用する上で極めて重要であると考えられる。

論文ではこの他の関連する研究成果に関しても説明している。

(a)ラメラ相。(b)ビーズにより形成された線欠陥(60℃、3.0wt%)。ビーズを止めておくと次第に破線の位置へ緩和していく。スケールバーは10μm。

(a)線欠陥のビーズ周囲の膜構造。手前端面が図1(b)のA-B断面に相当。(b)張力の測定値(●)と計算値(実線)。

(a)渦状パターン(60℃、9.2wt%)。スケールバーは10μm。(b)癒着エネルギーの測定値。

(a)セルとサンプルの模式図。hは厚さ、Δnは欠陥の膜数(ここでは2)。図4(a)の水平断面図に相当。(b)θ=0.6°におけるストライプ間隔の測定値。

ラメラ相が形成する構造の例(位相差顕微鏡観察)。(a) 9.2wt%、θ=2.3°におけるストライプ。 (b) ランダム配向(3.1wt%、θ=0.6°)。(c)オニオン相(9.2wt%、θ=0.6°)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はセッケン2分子膜系の秩序構造の形成およびその制御について、実験的に研究した成果について述べている。特に2分子膜系の秩序構造であるラメラ相における構造欠陥の光操作、空間拘束下におけるラメラ相の構造形成という2つのテーマについて研究を行い、秩序構造の特徴的な現象について明らかにした。

第1章では研究の背景および目的について述べている。ソフトマテリアルとは高分子溶液やゲル、液晶、コロイドなどの軟らかい物質群の総称である。その特徴は構造の階層性にあり、通常の固体等よりはるかに大きいメゾスケールの単位構造が弱い相互作用によりマクロな秩序構造を形成している。そのため外場などによりこのマクロな秩序構造までもが大きく変化し、多様な非線形応答を示す。つまり「階層的秩序の物理」こそがソフトマテリアルの本質であるが、系の内部自由度の高さに起因する複雑さのためその全容は未解明のままである。そこで本研究は、セッケン膜系の構造形成に焦点を当て、「空間拘束下での秩序構造の形成過程」及び「ラメラ相の欠陥の性質」を解明することを目的としている。

第2章において本研究で用いたセッケン2分子膜系、中でもC12E5/H2O系について説明している。この系の顕著な特徴は単位構造の大きさにあり、nmからμmオーダにわたる。更に秩序相(ラメラ相)が室温付近にあることなど秩序構造の物理を研究する上でさまざまな利点を持つ。

第3章ではレーザ・トラッピング法による単独線欠陥の光操作と物性測定について述べている。液晶などの個々の構造欠陥は小さくそのエネルギーも弱いため、基本的な欠陥単独について実験を行った例はほとんどない。そこでC12E5/H2O系の単位構造が非常に大きいことを利用し、レーザ・トラッピング法を用いた単独線欠陥の任意光操作・物性測定を行った。その結果その挙動からこれがトポロジー欠陥であることが判明した。また線欠陥の張力、即ち単位長あたりのエネルギーの測定に成功し、それを基に詳細な膜構造のモデルを作ることができた。他にも線欠陥の精密な形成・操作による六方格子状、らせん状などの任意パターン形成、癒着現象の発見およびそのエネルギーの測定・解析、2分子膜の2次元流動性の測定などに成功している。このような基本的な構造欠陥の自由な操作、直接物性測定は本研究で初めて実現されたものである。

第4章では空間拘束下におけるラメラ相の構造形成について述べている。産業界・自然界を問わず空間的に限られた領域における秩序形成は本質的な重要性を持っているが、従来は単に平衡論を用いて議論することが多く、ソフトマテリアルの多くに見られる一次転移、即ち核生成などに由来する非平衡性およびその空間拘束との関係についてはほとんど明らかにされていない。そこで空間拘束スケールが連続的に変化するクサビセルを用い、スポンジ相からのラメラ秩序の形成と空間拘束の関係について調べた。3-20wt%のC12E5/H2Oについて-1℃/minでラメラを形成したところ、厚さ100μm以下程度では系全体がホメオトロピックに配向した結果であるストライプ・パターンが現れた。この構造は3-9wt%では弾性エネルギー最小の構造と一致したが(Nallet et.al., Europhys.Lett., (1987))、15、20wt%では一致しなかった。この結果はラメラの形成過程における非平衡性が構造形成に影響していることを強く示唆している。一方厚さが100μm以上では3%ではランダム配向、9%ではオニオン相、15%ではストライプなど濃度によって異なる構造が現れた。これらの構造の形成過程を厚さ・濃度を変え詳細に観察したところ、核生成されたラメラが壁面に濡れ層を作りつつ成長する場合は系全体がホメオトロピック配向し、そうでなければラメラドメインのランダム配向状態やオニオン相等の非ホメオトロピック構造になることが分かった。またラメラの配向秩序の冷却速度依存性、非ホメオトロピック構造とエピタキシーの関係などについても明らかにし、空間拘束下の秩序構造形成においてそのキネティクスが果たしている大きな役割を解明することができた。

上記の研究成果は2分子膜系のみならずソフトマテリアルの空間拘束下での秩序化の物理的機構を理解する上で重要であるばかりか、ナノ秩序構造形成とその制御による多様な物性の発現の基礎として、応用面においても有用な知見を与えている。

以上本研究で得られた成果は、物理工学上非常に重要なものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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