学位論文要旨



No 119036
著者(漢字) 小川,直毅
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ナオキ
標題(和) 電荷密度波のダイナミクスにおける光変調
標題(洋) Optical Modulation of the Dynamics of Charge-Density Waves
報告番号 119036
報告番号 甲19036
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5768号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 前田,京剛
 青山学院大学 教授 松川,宏
内容要旨 要旨を表示する

背景

ランダムなピン止めポテンシャル影響下での周期的弾性体は、非線形散逸多自由度系を形成する。これらの系は外場により駆動される運動の秩序度をパラメータとして分類されるsolid、creep、slideなどの各相間で動的相転移を起こし、そのダイナミクスは広範な分野に跨って興味がもたれている。結晶格子と不整合なCDWを形成する物質の中には、CDWのコヒーレントな並進運動により、大きな非線形伝導を示すものがある。これは結晶中に必在するピン止めポテンシャル(不純物や格子欠陥など)とCDWとの相互作用による、creep-slide動的相転移と考えることが出来る。これまでの動的相転移の研究は外場(駆動力)/温度相図上に限られてきた。

我々はCDWを形成する擬1次元物質K0.3MoO3において、外場として光を用いることにより、CDWの相状態が大きく変化する現象を見出した。光照射時にはcreep相が安定化し、slide相への転移が高電場側に移動する。これは、動的相転移の相図上に、空間、時間分解能、広範なエネルギースケールを併せ持った「光」の軸を加えられることを意味する。

光励起現象が見られる温度域は、低温での準粒子の凍結によって「裸」のCDWが現れ、観測されている物理現象の理解が未だ収束していない領域に一致する。光によるCDWのダイナミクスの変調が、低温でのCDWの物性の解明につながることが期待される。

並進(sliding)を示すCDWの運動は、これまで、位相自由度のみを考慮し、CDWを周期的弾性体として扱うFLRモデルで説明が試みられてきた。しかし現実には、CDWの破れ、位相のdislocationなど、その塑性的な性質が重要な役割を果たすと考えられるようになっている。CDWのslidingの観測から既に20年以上が経過し、これまで様々な研究が行なわれてきたが、観測される多様な現象に対する理解は進んでいない。

光励起

CDWは電荷の凝縮体であり、フェルミ面にギャップの開いた半導体でもある。また不純物との相互作用による対称性の破れから、位相、振幅の集団励起は赤外、ラマン両方に活性を示す。つまりCDWには光による様々な励起パスが考えられる。また動的相転移の臨界性も考慮すると、CDWの運動は光励起によって大きな変化を受けると期待される。しかし、分光的手法を除いて、光を「刺激」として用いた研究例は非常に少ない。

目的

本研究の目的は、光を「刺激」として、低温での電荷密度波の挙動を解明することにある。特に、光照射によってCDWの内部変形を操作(消去)できることから、温度サイクルでのみ可能であったCDWの「初期化」を瞬時に行なうことにより、様々な実験が可能になると考えられる。

実験

実験には典型的なCDW導体であるブルーブロンズ(A0.3MoO3, A= K or Rb)を用いた。バルク試料は電気還元法で、また多結晶薄膜試料はPLD法で作製した。ブルーブロンズはパイエルス転移によってフェルミ面に完全なギャップが開くため、低温では準粒子からのスクリーニングが効かなくなる。20 K以下では、I-V特性にスイッチングやヒステリシスが現れ、様々な異常現象が観測されているが、その起因は明らかになっていない。

光照射による伝導特性の変化

低温で試料表面にCW光(2.33 eV)を照射しながらI-V特性を測定したところ、creep領域での電流の増加、またcreep-slide相転移のしきい電場が増加する様子が見られた。I-V特性の温度依存性などとの比較により、しきい電場の増加は照射した光による加熱とは異なることがわかった。これまで、電極間距離を狭くしていくことにより、しきい電場付近でI-V特性が滑らかになることが知られていたが、電極間距離50 μmの試料において、光照射によりスイッチングが回復することを見出した。これは低温における非線形伝導のスイッチングとサイズ効果、光励起効果が密接に関連していることを示唆している。

電場印加によりsliding状態にある試料にパルス光を照射することにより、sliding伝導は一時的に抑制され、またその回復には時間的な揺らぎを伴うことを見出した。照射した光によるslidingの抑制効率のスペクトルを測定することにより、パイエルスギャップを越えての準粒子励起が引金となっていることが分かった。sliding伝導の回復は励起光のパルス幅に対して非常にゆっくりとしたものであり、後述のdelayed conductionと同様のものと考えられる。これにはCDWの内部変形の自由度が関与していると考えられ、したがって「パイエルスギャップ上に励起された準粒子が再度CDWに凝縮する際に、”エネルギー的により安定な歪みの無い状態”に落ち着くことにより、CDWの内部変形が緩和される」との機構が考えられる。このモデルには、「CDWは外場によって充分歪んだ状態からslidingへの転移を開始する」という仮定が必要である。

creep領域の伝導としきい電場の変化の関係を考察するため、Brazovskiiらのモデルに従い、I-V特性の数値計算を行った。結果は低温で測定されたI-V特性を4桁に渡って再現でき、光照射による効果は、CDWの周期性とピン止め、弾性エネルギーの競合からもたらされるポテンシャル障壁を越える確率の増加として導入できることが分かった。しきい電場の増加はCDWの弾性定数の増加として現れるが、これは、光照射によりCDWの塑性変形(dislocationなど)が緩和されていると考えることが出来る。

光によるCDW内部変形の操作

CDWの運動の特異性は主にCDWの内部変形の自由度、特にピン止めとの相互作用による多重安定性からもたらされる。光による準粒子励起と内部変形の関連を調べるために、放射光を用いた超格子ピークの解析を行なった。ピークプロファイルの半値幅はほぼ位相コヒーレンス長の逆数に比例する。sliding時には超格子ピークの波数の変化、また半値幅が増加することが知られており、CDW波面の傾き(shear strain)、層間、鎖間のコヒーレンスの変化として理解されている。電場印加前、creep時、sliding時とその後の緩和(熱緩和)、光照射後のピークプロファイルを比較することにより、光照射により内部変形が緩和される様子が観測された。差分プロファイルの解析により、光による緩和は熱緩和と分離可能であり、また入射光とX線の侵入長の比較により、光は入射領域(試料表面近傍)の内部変形の大部分に作用していると考えられる。

20 K以下の温度域において、sliding停止後のCDWのしきい電場が、再度電場を印加するまでの待ち時間twに依存して増加する様子を見出した。これはCDW内部変形の緩和によるものと考えられるが、この時間依存性も光照射によって変化する。この現象は、CDWが界面摩擦のモデル系でもあることから、静止摩擦係数の待ち時間依存性と類似の現象とも考えられる。得られた時定数は、誘電率の温度-周波数依存の測定から報告されている、低温での緩和時間に一致する。

パルス電場印加時には、slidingが始まるまでにある確率分布をもった時間遅れ(delayed conduction)が存在することが知られている。電場に先立って光を照射しておくことにより、この時間遅れが増大し、分布も大きく変化することを見出した。時間遅れはCDWの位相の内部変形に大きく依存することから、光照射によるCDW内部変形の変化の指標となると考えられる。

I-V特性にスイッチングの見られる温度域では、しきい電場直上において大きな電流振動が観測される。これは外部回路に依存することから、本質的にCDWの周期性に起因する狭帯域雑音とは区別されているものの、試料の一部で、コヒーレンスを保ったCDWが間欠的に流れているものと考えられる。定電流条件で試料に光を照射するとその発振周波数が減少することから、slidingに寄与する試料体積の増加が示唆された。

以上の実験より、CDWの低温での非線形伝導において、内部変形の有無によってしきい電場が異なること、また内部変形は光によって操作(消去)できること、表面付近の歪みの変化が非常に重要であることが明らかになった。これを用いるとCDW物質と電極のみの構成で、Metal-Ferroelectric-Insulator-Semiconductor FETと同様の動作をすることができる。低温での動作ではあるが、この実証を行った。

薄膜試料の作成

近年、FLR長程度のスケールにおいてCDWの本質を探るために、試料の微細化が進められており、薄膜化も報告されている。バルク試料においては、光の効果がその侵入長に制限されるため、薄膜試料ではより大きな効果が期待される。また薄膜試料の低温での詳細な測定は知られていない。そこでPLD法によりRb0.3MoO3の多結晶薄膜を作製し、光照射を含めた測定を行なった。薄膜試料においてもパイエルス転移がみられ、低温では非線形伝導が見られるものの、スイッチングなどの大きな変化は見られなかった。これはランダムな一次元軸方位と、CDWのコヒーレンス長がグレインサイズ(1 x 0.6 x 0.1 μm程度)に制限されることによると考えられる。光照射によって、creep領域での電流の増加が見られたが、その効率はバルク試料に比べ非常に小さいことが分かった。従って、非線形伝導におけるスイッチングと光照射効果には、CDWの巨視的なコヒーレンスが必須であると考えられる。

まとめ

CDW物質であるブルーブロンズに光を照射することにより、低温での動的相転移が大きく変化する現象を見出した。その機構として、「CDWのダイナミクスを支配する"内部変形"の自由度をパイエルスギャップ上への準粒子励起を介して操作する」というモデルを提案し、その検証を行なった。様々な実験より、光照射時におけるCDWのコヒーレンスの回復が示唆された。また多結晶薄膜試料との比較により、スイッチング、大きな光励起効果などには、多結晶試料のグレインサイズより大きなコヒーレンスが必要であると考えられる。近年、20 K以下の温度域では内部変形の自由度のうち、“弾性的”自由度が凍結し、“塑性的”自由度が支配的になると考えられているが、我々の実験結果はこの提案を支持している。低温での様々な異常現象が、塑性的なCDWの運動とその破れ、不均一性とその相互作用に起因すると共に、従来のFLR長とは異なった大きさのコヒーレンスが系を支配している可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

低次元金属においては、低温で電荷密度と結晶格子に周期的変調が生じ絶縁体化する現象が知られており、これを電荷密度波と呼ぶ。結晶格子が完全である場合には、電荷密度波は並進対称性によって結晶中をエネルギー散逸無く運動する(電気抵抗ゼロ)と期待されるが、現実には結晶中に必ず存在する欠陥などによってその運動はピン止めされている(絶縁体)。電場によって駆動される電荷密度波は、周期的弾性体がピン止めポテンシャルの影響を受けながら運動するという、現実の世界で見られる散逸を伴う多くの現象の一典型であり、特に静摩擦から動摩擦への移り変わりに比較される電流/電圧特性の強い非線形性や履歴現象を示す。本論文は、電荷密度波の電流/電圧特性が光励起によって大きく変化する現象を発見し、この現象を用いて電荷密度波の低温での基底状態の動的振舞いが、電荷密度波の塑性変形によって統一的に理解できる事を示したものである。

本論文は全7章よりなる。

第1章では、研究の背景となる電荷密度波の全般的な概説を行い、特にこれまで提出されているピン止めと電荷密度波の相互作用の様式について述べている。また、実験で用いられた電荷密度波物質ブルーブロンズK0.3MoO3の構造と物性を概観している。

第2章では、本研究で発見された光励起効果について実験事実が詳述されている。まず、電流/電圧特性が従来報告されている通り、非常に強い非線形伝導を示す低電圧領域、高い伝導度を示す高電圧領域、その間を結ぶスイッチング領域からなりスイッチング領域では履歴現象が見られることを示した上で、微弱な連続光照射によって、低電圧領域における光強度に比例した電流増加とスイッチング電圧Vsの高電圧へのシフトが示されている。さらにVsのシフトにはメモリー効果があり、光照射を止めた後でも見られる事、光励起効果はフォトンのエネルギーがパイエルスギャップ以上であるとき、すなわち電荷密度波状態へ凝縮した電子を準粒子へと励起する場合にのみ見られる現象であることを示している。またメモリー効果を使って実際にデータの記憶ができること、光照射が試料の全面ではなく極く一部でも効果があることが示されている。これらの実験事実は、以下の章で展開される解析や発展実験の基礎をなしている。

第3章では、数値積分により電流/電圧特性の解析を行ったことが述べられている。数値解析は低電圧領域においてデータを非常に良く再現した。このことは、低電圧領域が格子欠陥を次々生み出しながら電荷密度波が移動していくという塑性変形モデルを強く支持するものであり、さらにスイッチングが塑性変形の生成速度が電荷密度波の移動速度に追いつかなくなったことによる停止部分からの切断であることを示唆するものである。

第4章は、前章で提案された描像を確かめるためにフォトンファクトリーで行った高精度X線回折実験について述べられている。この実験によって、通電により格子の塑性変形と乱れが誘起される事、その塑性変形の一部が光照射によって回復するが乱れの程度には大きな変化が無いことが明白に示され、光照射効果が塑性変形の回復あるいは電荷密度波格子に生じた格子欠陥の修復にあることが確かめられた。

第5章では、光照射によって欠陥の修復された同一の初期条件から出発した場合の電流/電圧特性のダイナミクスを明らかにしている。特にパルス光照射後にスイッチングが発生するまでの振舞いを、塑性変形の蓄積と静止部分からの切断というモデルで解析し、統一的に説明できる事を示している。

第6章では、塑性変形の領域を確定するために薄膜試料を作製しその特性を測定したが、輸送測定法のスケールが薄膜の結晶粒サイズに及ばなかったために、確定的な結論に到らなかった経緯が述べられている。

第7章は結論である。

本論文には2つの補章が設けられており、 付録AではX線回折実験における衛星反射と電荷密度波の関係が、付録Bには、第5章で示されたデータに対するモデルを示し、その数値計算例が示されている。

以上を要するに本論文では、電荷密度波における光励起効果を詳細に調べてその起源を明らかにするとともに、この現象を利用して、低温において電荷密度波が示す強い非線形・履歴性輸送現象が、電荷密度波の周期構造の塑性変形に由来するということを幅広い実験によって示した。さらに、このような摩擦的履歴現象が記憶素子として有用であることを示した。

これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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