学位論文要旨



No 119037
著者(漢字) 木須,孝幸
著者(英字)
著者(カナ) キス,タカユキ
標題(和) 低次元物質の超伝導及び電荷密度波の研究とレーザー励起超高分解能光電子分光装置の建設
標題(洋)
報告番号 119037
報告番号 甲19037
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5769号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 内田,慎一
内容要旨 要旨を表示する

固体で発現する諸物性はフェルミ準位(EF)近傍の電子構造と非常に深い関わりを持つ。光電子分光は物質に光を入射して、外部光電効果によって真空中に飛び出した電子のエネルギーを測定することにより、物質の占有電子状態を直接的に観測できる手法である。そのエネルギー分解能はここ10年で飛躍的に向上し、現在では10meV以下のエネルギー分解能で実験が行われるようになってきた。特に光電子分光法は運動量に分解した電子状態を測定できる角度分解という他に類を見ない測定法があり、銅酸化物高温超伝導体の研究において、dx2-dy2波超伝導ギャップや異方的な擬ギャップの電子状態を明らかにしてきた。しかし超伝導電子状態の研究を行えるのは温度と分解能の制約から高温超伝導体のみに留まっている。一般的な低次元物質においては、その低次元性から様々な興味深い物性を示す(高温超伝導体も含む)。特に電荷密度波(Charge Density Wave : CDW)と超伝導の関連について電子状態から考察した研究例はなく、光電子分光を用いてこれらの問題を明らかにすることは非常に有意義であり、一般的な解釈に大きく寄与するものである。

本研究では超伝導とCDWが併せて出現する系として遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)2H-NbSe2を研究対象として選び、またこの物質の超伝導状態を測定できる性能(エネルギー分解能、冷却能力)を持つ光電子分光装置の建設を行いこれを用いて測定を行った。また、更に小さな微細電子構造の研究を行うため、より高分解能を目指したレーザーを励起光源としたまったく新しい光電子分光装置の開発、建設を行ったので併せて研究結果として報告する。

装置建設

ごく最近、更にエネルギー分解能の高い光電子分光用の電子エネルギー分析器や半値幅1meVに迫る実験室光源が市販されるようになり、条件さえそろえば、これまでよりも小さなエネルギースケールを持った電子状態の研究が行えるようになってきた。これを固体電子状態の研究に用いる上で重要な要因の一つが試料の低温化ということである。いくら分解能を上げたところで温度が下がらなければ得られる電子状態は温度による熱励起(〜5kBT, 10Kで約4meV)でぼけてしまうし、相転移以下に試料を冷却することができなければ、当然それに伴う電子状態の変化を測定することはできない。これまでもHe循環型冷凍機で試料冷却が行われているものの、光電子分光法では試料に励起光を入射して出てくる光電子を取り込む必要があるため、試料を完全に熱遮蔽することはできなかった。つまり室温となっている試料槽内壁からの輻射熱が実際の最低温度を決めていたといえる。そこでわれわれは電子エネルギー分析器として半径200mmの静電半球型電子エネルギー分析器(GAMMADETA-SCIENTA SES2002)と高強度・高分解能He放電管(GAMMADATA-SCIENTA VUV5000)を用い、試料の電位を安定させるための機構の追加や電源の改良を行うことによって高分解能化を目指し、低温については従来用いられてきたHe循環型のクライオスタットではなく、液体He連続流型のクライオスタットを用いて減圧を行い、適切に設計した三重の熱遮蔽板をHe連続流型クライオスタットの反対側に設置したHe循環型クライオスタットの先端に取り付けることによって輻射熱の遮断を行うことで解決を試みた。その結果光電子分光装置としては前例のないエネルギー分解能1.4meV、到達最低温度4Kを得ることに成功した。この性能は次に述べるレーザーを励起光源とした光電子分光装置が完成するまで世界最高のものであった。この結果、光電子分光では夢のまた夢と思われていた単体金属の超伝導ギャップの直接観測に世界で初めて成功した。さらに単体金属のフォノン誘起微細電子構造、YNi2B2Cの異方的s波超伝導ギャップ、Ba1-xKxBO3の超伝導ギャップと擬ギャップ、Siクラスレートの超伝導ギャップ等以前には光電子分光ではおこなえなかった微細電子構造についても報告を行ってきた。本論文中で述べる2H-NbSe2の研究もこの装置を用いて行ったものである。

更に小さい電子構造の観測とより低温で起こる相転移による電子状態の変化を観測するため更に高い分解能と冷却性能を持つ二台目の光電子分光装置の建設を行った。光電子分光装置のエネルギー分解能は電子エネルギー分析器と励起光源の自然幅の二乗平均で決まる(DE=(DEanalyser2+DElinewidth2)1/2)ため電子エネルギー分析器の分解能が向上してもHe放電管(自然幅1.1meV)を光源として用いている以上はこれ以上のエネルギー分解能は望めない。そこでより狭い半値幅を持つ光源として選んだのがレーザー光源である。レーザー光を用いることによって高分解能のみならず、微小スポットサイズを用いた顕微分光や偏光依存性なども光電子分光で行えるようになり、まったく新しい形の光電子分光法が実現できる。しかし通常のレーザー光はパルス光であるため、ひとつのパルスに多くのフォトンが含まれていた場合一度に大量の光電子が放出され、それらの間で長距離相互作用が働き分解能が悪くなるスペースチャージが発生することがシミュレーションから明らかになった。これを避けるためにはひとつのパルスあたりのフォトン数を減らす必要があり、高繰り返し周波数のquasi CW(擬似連続光)のレーザーを用意する必要である。そこでレーザーの建設を東京大学物性研究所渡部研究室に依頼し、光源としてNd:YVO4レーザーの6次光を用いることとした。3次光から倍波を発生させるための非線形光学結晶として新しく発見されたKBBFを用いた。その結果、レーザー光のエネルギーは6.994eV、フォトン数はHe放電管の100倍、自然幅が0.26meVとなった。この光源とGAMMADATA-SCIENTA社と共同開発した新たな高エネルギー分解能電子エネルギー分析器GAMMADATA-SCIENTA R4000(今年より発売開始)を用いて、前に建設した装置より更に改良を加えた冷却機構やその他のコンポーネントを取り入れた光電子分光装置の建設を行った。その結果、エネルギー分解能0.38meV、到達最低温度2.7K、測定時真空度~1×10-11Torrの諸性能を得ることに成功した。(図1)またレーザー光のエネルギーから非常にバルク敏感な測定を行うことができ、これまで指摘されてきた光電子分光法の欠点を全て解決することに成功している。

2H-NbSe2の物性

2H-NbSe2は2次元の層状物質であり、35Kで非整合電荷密度波転移(incommensurate CDW transition)、Tc=7.2Kで超伝導転移を起こすことが知られている。この物質は30年以上前に発見され、銅酸化物高温超伝導体の発見まで、典型的な2次元物質として盛んに研究がなされてきた。しかし、未だにこの物質におけるCDWがブルリアンゾーン(BZ)のどの部位で起こっているのかは明らかにされておらず、超伝導についても直接的に電子状態を波数で分解して測定したという報告はなされていない。過去数多くの2H-NbSe2の角度分解光電子分光による研究が報告されており、G点周りの一枚の六角形のフェルミ面とK点周りの丸みを帯びた一枚のフェルミ面が報告されている。理論計算によると2H-NbSe2の3種類のキャラクターからなる5枚のフェルミ面(G点周りのパンケーキ状のSe4p hole、G点を中心とした六角形のNb4d holeとNb4d electronの2枚、K点周りのNb4d holeとNb4d electronの2枚)で構成されている。過去の光電子分光研究では分解能の不足から、これらの非常に接近したフェルミ面の分離が行えず、2枚のフェルミ面しか観測されなかったと考えられる。これらの研究ではG点周りの六角形のフェルミ面の辺同士の距離が、中性子散乱から得られたネスティングベクトルと大体一致するため、この辺同士のネスティングがCDWの起源であろうと結論づけられた。しかし、この描像ではいくつかの輸送現象の実験結果を説明することができなかった。そこで2H-NbSe2の角度分解光電子分光を行い、これらの疑問を明らかにするため本研究を行った。

実験は東京大学物性研究所に建設した超高分解能光電子分光装置(He放電管光源)を用いて行った。試料は東京大学大学院新領域科学創成科物質系専攻の野原実助教授、花栗哲郎助教授、高木英典教授によって提供された2H-NbSe2単結晶(RRR=100)を用いた。測定に必要な清浄試料表面は超高真空中で試料を劈開することによって得た。また測定時のエネルギー分解能を8meV、角度分解能を0.18deg(0.0067A-1)に設定した。

フェルミ面のマッピングを行った結果、全てのフェルミ面を分離して観測することに初めて成功した。更にフェルミ面マッピングの温度変化を測定したところ、今まで考えられていなかった場所でCDW転移に伴うフェルミ準位の電子状態の減少が確認された。(図2)これらの点をBZ中にマップアウトしたところK点周りのフェルミ面上に中性子散乱から得られたネスティングベクトルで結ばれる点が存在していることがわかった。また、G点周りのフェルミ面においても同様の強度の減少が観測され、解析によってネスティングベクトルの和で与えられる点に存在していることが明らかになった。2H-NbSe2のCDWはG-K-M平面上ではスポット状に存在しており、これまでの描像とは大きく異なっている。しかし、これらのフェルミ面はG-A方向への分散がほとんどないことが理論・実験から知られており、CDWを起こす部位がG-A方向に広がることによって利得を得ていると解釈することができる。またこれらの点は電子格子相互作用が非常に強くなるG-K対称線上に存在しており、CDWを議論する上で電子格子相互作用のk依存性が重要であることを示している。(図3)

次に超伝導ギャップの測定をエネルギー分解能を2meVに設定して行った。全てのフェルミ面上で全ての方向について測定を行なった結果、超伝導ギャップのマップアウトに成功した。(図4)これにより、超伝導ギャップのフェルミシートキャラクター依存性をはじめて明らかにした。またCDWが観測された点においても測定を行い、CDWと超伝導が同一のk点で共存していることを発見し、この系におけるCDWが通常考えられていたようなギャップが開く形で起こらず、擬ギャップとして発生していること、更に残った状態で超伝導が起こっていることを明らかにした。これは以前観測されたCDWと超伝導の圧力依存性(CDWを潰すとTcが上昇)と矛盾しない。これらの研究結果は超伝導の起源や電荷秩序と超伝導の関連の研究を行うためにきわめて重要な結果である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は序論、第2章は光電子分光、第3章は光電子分光装置の建設、第4章は2H−NbSe2の角度分解光電子分光、第5章はまとめについて述べられている。

本研究は、光電子分光法を用いて低次元物質の電子状態の解明を行うことを目的としている。低次元物質ではその低次元性から様々な興味深い物性を示す。例えば、従来の超伝導体に比べ、非常に高い転移温度を持つ高温超伝導体群、また超伝導の一つの起源とも言える電子格子相互作用によって金属絶縁体転移を伴う電荷密度波(CDW)を起こす物質群など様々な相転移、現象が発生する。このような物質群の中で、特に超伝導と電荷密度波の関連については殆ど研究はなされて来なかった。そこで本研究では低次元物質における超伝導とCDWの関連を電子状態の立場から明らかにすることを目的とし、そのための手法として高分解能光電子分光を用いることとした。

本研究の遂行にあたって、実験を行う光電子分光装置の作成から行った。本研究において光電子分光装置を二台建設した。一台目の建設にあたっては、当時の光電子分光装置のエネルギー分解能と冷却能力の限界(10meVと20K)を上回ることを目的として建設を行った。光源には自然幅の小さな(1.1meV)He放電管を用い、光電子分析器にGAMMADATA-SCIENTA社製SES2002を導入した。冷却装置として、He連続流型クライオスタットを用い、更に熱遮蔽版を設置するなど、光電子分光では従来全く行われなかった低温の対策を行った。更に電源の調整などエネルギー分解能に影響を与えるであろう事項について詳細な改善・改良を重ねることで光電子分光装置としては最高分解能のエネルギー分解能1.4meV、最低到達温度4Kを達成した。これによって光電子では不可能だと思われていた高温超伝導体以外の超伝導電子状態の直接観測に成功し、光電子分光がエネルギースケールの小さな電子構造にも有効であることを示した。二台目は更なる高分解能・低温化を目指して建設を行い、励起光源として個体光電子分光装置としてはじめてレーザー(Nd:YVO4の6次光、6.994eV)を用いた。これにより高分解能化、そのエネルギーによるバルク敏感性、偏光依存性等を得ることが出来るようになった。また低温も前回に比べ新しい機構の追加や改良を行った。完成した装置の性能はエネルギー分解能360meV、到達最低温度2.7Kとなり、大幅な装置性能の向上に成功した。またこの性能とレーザー光源の特徴により、これまで指摘されてきた光電子分光法の欠点の殆どを解決している。

低次元物質の中で超伝導とCDWが共存する系として一台目の装置性能で測定が可能なものとして遷移金属ダイカルコゲナイド2H-NbSe2(Tc=7.2K, TCDW〜35K)を選び測定を行った。まず、この物質のフェルミ面形状を知るためにフェルミ面のマッピングを行い、初めて全てのフェルミ面の分離に成功しその形状を明らかにした。次にCDWはフェルミ面同士のネスティングによって引き起こされるが、本研究で得たフェルミ面では以前報告されていた部位同士のネスティングでは中性子散乱から得られたベクトルと一致しないことが明らかになった。そのためフェルミ面マッピングの温度変化測定を行い、フェルミ面のどの部位でCDWが発生しているかを調べた。その結果、CDW転移点以下でGK対称線上とNb4dエレクトロンのフェルミ面が交差する部位において強度の減少が確認された。このような点状の部位においてCDWが発生していることはこれまで予想されていなかったことである。更にこれらの部位がネスティングベクトルとどう関連しているかを調べると、K点を中心とするNb4dエレクトロンのフェルミ面に存在するこれらの部位が中性子散乱から得られたネスティングベクトルと一致した。またG点を中心とするNb4dエレクトロンのフェルミ面の部位は先のベクトルの和によるものであることが明らかとなった。この結果からこの物質におけるCDWはフェルミ面のz方向の分散の小ささと電子格子相互作用のk依存性が重要であることが明らかになった。ついでフェルミ面上の全ての点で超伝導ギャップサイズの測定を行った。その結果、超伝導ギャップにフェルミシートのキャラクター依存性とGK方向で大きくなる異方性があることを明らかにした。この方向はCDWが発生している方向でもあり、電子格子相互作用がこの方向で大きくなっていることも明らかになった。CDWが起こっている部位における超伝導転移前の光電子スペクトルにおいてCDWは完全なギャップとして開いておらず、擬ギャップ構造となっており、フェルミエッジも存在している。更に、超伝導転移温度以下では、残った電子状態が超伝導転移をすることが明らかになった。これらの結果により、超伝導とCDWが同じkで共存し、これらの現象が独立のものであることが明らかとなった。

以上の結果から、本論文の内容は、博士(工学)の学位を授与できると認める。

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