学位論文要旨



No 119038
著者(漢字) 小嶋,映二
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,エイジ
標題(和) 超高速時間分解分光法によるキャリア媒介強磁性体の研究
標題(洋)
報告番号 119038
報告番号 甲19038
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5770号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 嶽山,正二郎
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 勝本,信吾
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

本論文は磁性体材料を対象として、超高速時間分解分光法を用いて、光励起に伴う、電子状態および磁性の過渡応答を捉えることに着目し、電子状態と磁性の関わりを探る手法を開拓した。これを用いて、応用上も注目を集めている、強磁性半導体Ga1-xMnxAsを詳しくしらべ、その強磁性発現機構について研究を行った。

強磁性体の強磁性発現機構を理解する上では、電子構造と磁性の関係を明らかにする必要がある。そのための手法として、伝導測定、磁化測定など様々な手法が広く利用されている。その中で、分光学的な手法は、系の結合状態密度を反映した光学応答を利用するものであり、DC伝導測定などと比較して電子構造に対する豊富な情報を含んでいると考えられる。しかし、光学スペクトルは、磁性とは無関係な電子構造にも強く依存することから、磁性と相関のある部分を抽出するためには工夫が必要である。

一方、近年の超短パルスレーザー技術の飛躍的進歩に伴い、ポンププローブ分光法をはじめとする超高速時間分解分光法が固体における電子励起カイネティクスの研究に広く利用されるようになった。

その中で、超高速分光法を応用し、磁性体の超高速のスピンダイナミクスを捉える研究が最近始まった。先駆的な研究としてE.Beaurepaireらによる研究が挙げられる。彼らは、ポンププローブ分光法と磁気光学分光法を組み合わせた時間分解磁気光学分光法により強磁性金属Niにおける光照射後の電荷と磁化のダイナミクスを調べた。

本研究の第一の目的は、時間分解分光法を用いて、磁化のダイナミクス及び磁化と光学応答の相関を明らかにする手法を開拓することである。

まず時間分解磁気光学分光法により磁化の過渡応答を抽出する方法を開拓した。次に、独立に光学スペクトル(吸収スペクトル、磁気光学スペクトル)の過渡応答を測定し、磁化の過渡応答と比較することで、自発磁化の変調による光学応答の変化を抽出する方法を開拓する。これは通常の線形な光学測定では分離不可能なものである。この手法によって、どのエネルギーの電子状態が磁化と相関が強いのかを調べることができる。

第二の目的は、あらたに開拓した手法を用いて、III-V族磁性半導体Ga1-xMnxAsにおける強磁性発現機構を解明することである。

III-V族磁性半導体はスピントロニクスの主役を担う材料として注目されている。しかし、現在、Tcが室温以下であり、その強磁性発現機構も未解明である。室温強磁性実現のためには機構を解明し、最適なパラメータを持つ物質を創成することが必要となっている。

強磁性発現機構に関するこれまでの研究で、特に問題となっているのは強磁性を媒介するキャリアの性質である。当初、強磁性機構のモデルとして、ホールは遍歴性が高い価電子帯にドープされたと考えるRuderman-Kittel-Kasuya-Yoshidaモデルが提唱された。続いて、ホールはMnの3d軌道的な性質を持つと考える二重交換モデルが提唱された。しかし、電子状態を直接検出できる、光電子分光、X線吸収などの実験結果はこれらのいずれとも整合しない。

これらのモデルを超えた機構について検討するために、強磁性発現に関わるキャリアとしてアクセプタに束縛されたホールに着目した。また、アクセプタに束縛されたホールは周囲の局在スピンとの相互作用により磁気ポーラロンを形成する可能性がある。

本研究では、パルス光励起に伴う磁化と電子系の過渡応答を時間分解分光法を駆使して検出し、Ga1-xMnxAsにおける強磁性発現機構におけるアクセプタ状態の役割を明らかにする。

試料と光源

本研究に用いた試料と光源について概略を述べる。

試料は、物性研究所家・勝本研究室によって提供されたものを使用した。低温分子線エピタキシーでGaAs[001]基板上に成長し、その後アニールしたGa0.94Mn0.06Asである。磁化測定から求めたTcは、110Kであった。

光源には、フェムト秒チタンサファイア再生増幅システムを用いた。この光源の性能は、繰り返し1kHz、パルス幅150fs、パルスエネルギー1mJ、光子エネルギー1.55eVである。これから得られた光を光パラメトリック増幅器と差周波発生を組み合わせて中赤外光(100-400meV)を発生させた。サファイア結晶を用いて自己位相変調により白色光(1.45-2.5eV)を発生させた。中赤外光、白色光は各測定におけるプローブ光に用いた。ポンプ光には、第二高調波(3.1eV)を用いた。実験は、Tc以下で行った。

実験と考察

以下の3項目の実験を行った。

1. 2色プローブ時間分解磁気カー分光により光照射後の磁化の時間変化を磁気光学信号を解析することで抽出した。2. Mnアクセプタ状態から価電子帯への遷移に対応する中赤外吸収ピークの光照射後の過渡応答を観測し、これと磁化の時間変化を比較した。3. 価電子帯-伝導帯間遷移とアクセプタ-伝導帯間遷移でどちらが磁化に敏感であるかを調べるために、可視領域の磁気カースペクトルの光照射後の過渡応答を観測した。

Ga0.94Mn0.06Asにおける2色プローブ時間分解磁気カー分光

(公表文献1)時間分解磁気カー分光によりGa0.94Mn0.06Asにおける光パルス照射後の電荷とスピンのダイナミクスを観測した。光照射による磁気光学効果の変化は、一般に磁化の変化に比例する変化と磁化と無関係な変化(キャリアの温度上昇、バンドフィリングなどによる非線形効果)の和であらわされる。そのため磁気光学信号から直接、磁化の時間変化を議論することはできない。そこで、独立な測定量である、カー楕円率と回転角の変化信号から磁化の時間変化を抽出する方法を考案した。また、異なる2つのプローブエネルギー(1.55eV,1.77eV)において求めた信号を比較し、この方法で磁化成分の抽出が正しく行われたことを確認した。その結果、反射率変化に見られるホールの温度は光励起後、瞬時に上昇するが、スピンの温度はこれと比較して非常に遅い時間(数百ピコ秒)で上昇することを見出した。この磁化の緩和時間は、通常の半導体のホールのスピン緩和時間(例えばGaAsのホールのスピン緩和時間は100fs程度)と比較して圧倒的に長く、何らかの要因でスピンフリップが妨げられていることを意味している。この様子は、通常の強磁性金属であるNiの場合とは異なり、むしろハーフメタル強磁性金属Sr2FeMoO6の場合に近い結果である。Ga0.94Mn0.06Asにおいてもフェルミ面近傍でハーフメタル的な強いスピン偏極が生じているのではないかと考えられる。

Ga0.94Mn0.06Asにおける中赤外ポンププローブ分光

(公表文献2)アクセプタ状態と強磁性の関係について明らかにするために、光照射後の磁化ダイナミックスと中赤外域の吸収スペクトルの過渡応答を比較した。アクセプタ状態は周囲の局在スピンを揃えて束縛磁気ポーラロンを形成する可能性があるので、ポーラロン効果と強磁性の関係について詳しく検討した。通常、発光測定が用いられるがこの物質では、欠陥の影響により発光しにくいためこの方法は適応困難である。そこで、アクセプタ-価電子帯間遷移に対応する中赤外吸収に着目し、これをアクセプタ束縛磁気ポーラロンを観測するプローブとして考え、光照射後の過渡吸収スペクトルを測定した。その結果、3-1.で測定した磁化の時間変化に追従する吸収の減少が見られた。これは、この遷移と磁化に相関があることを示している。また、吸収の減少はピークよりやや低エネルギー側で最も大きく、磁化の減少に伴って、吸収バンドが高エネルギーシフトしたことを意味する。これは、光照射により磁気ポーラロンの周囲のスピンが乱れ、その結果、磁気ポーラロンの束縛エネルギーが増したことと考えられる。この機構を説明するために、磁化の減少による中赤外吸収バンドの微分スペクトルのモデル計算を行った。その結果、実験結果をよく再現する微分スペクトルが得られた。これは、この物質では強磁性発現を媒介するキャリアは、自由キャリアではなく、アクセプタ状態にいるホールが磁気ポーラロン形成を通じて、強磁性秩序をもたらしていることを示唆する。

Ga0.94Mn0.06Asにおける磁気カースペクトルの過渡応答の測定

3-2.の結果はフェルミエネルギーがアクセプタバンド内に存在することを意味する。この場合、可視域の光学スペクトルには、通常の価電子帯-伝導帯間遷移以外にアクセプタ-伝導帯間遷移に起因する成分が存在するはずである。これらは磁気光学スペクトルに異なった寄与を与える可能性がある。この点を調べるために光照射下での時間分解磁気カー測定を周波数軸上で行った。

すでに述べたように磁気光学信号は磁化とは直接関係のない効果によっても変化するので、磁化の変化によるスペクトルの変化を分離する必要がある。そこで解析により、磁気カースペクトルの過渡応答からある一定の磁化の変化に対する、スペクトル変化率の抽出を行った。その結果、線形カー回転角スペクトルでピークを与えるエネルギーよりも低エネルギー側で大きなスペクトル変化が見出された。このことは通常のバンド間遷移以外にアクセプタ-伝導帯間遷移が低エネルギー域に確かに存在し、またそれが、通常のバンド間遷移に比べ、磁化の変化に対してより敏感であることを示している。

結論

時間分解磁気カー測定により、光照射後の磁化の時間変化を信号から抽出し、これと中赤外吸収スペクトルの過渡応答および磁気カースペクトルの過渡応答を比較した。

このような測定により、アクセプタ-価電子帯間遷移とアクセプタ-伝導帯間遷移のいずれも磁化変化に敏感に応答することが分かった。このことは、アクセプタバンドが強磁性発現に強く関わっていることを示している。これは、Tcを高くする為には、このアクセプタバンドの深さ、バンド幅などの性質を最適化する必要があると考えられる。

1)”Observation of the spin-charge thermal isolation of ferromagnetic Ga0.94Mn0.06As by time-resolved magneto-optical measurement”, E.Kojima et al., Phys.Rev. B ,68,193203(2003)2)仮題” Magnetic polaron formation and ferromagnetism in Ga1-xMnxAs investigated by mid-infrared transient absorption spectroscopy”, E.Kojima et al. in preparation
審査要旨 要旨を表示する

強磁性は我々の日常でもっともなじみ深い物理現象のひとつであるが、その発現機構は電子の遍歴性と局在性が複雑に絡み合うことから、固体物理学の難問として永く議論が続いている。近年半導体材料に磁性元素を均一に導入した希薄磁性半導体材料の開発が進み、基礎応用共に急速な進展が見られる。特に、Ga1-xMnxAs等のIII-V族磁性半導体は既存の半導体技術との整合性も良いことから注目を集めている。しかし、強磁性発現の臨界温度はまだ100ケルビン台にとどまっており、またその強磁性発現機構も未解明である。本研究は最近急速に進歩した超高速レーザー分光法を駆使して、この問題に取り組んだものである。

物質の光学応答は、結合状態密度を反映し物質のミクロな電子状態に対する豊富な情報を与える。しかし、一方で磁性に対する応答は通常弱く間接的であり、比較的弱い。本研究では、磁気光学効果と時間分解過渡分光法を組み合わせ、磁性に関する情報を分光学的に抽出する方法を開拓し、磁性と電子状態の関係を明らかにすることを目的とした。この手法をGa1-xMnxAsに応用し、この物質系における磁化のダイナミックスを捉え、それをもとに、さらに電子状態と磁性との関わりについて新しい知見を得たものである。

本論文は以下の8章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、III-V族磁性半導体の強磁性発現機構に関する研究と時間分解磁気光学など、本研究の背景について紹介し、これらを踏まえた上で本研究の目的を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では、まず強磁性発現機構に関するこれまでの理論的な研究の概略を述べている。次に、III-V族磁性半導体におけるこれまでの実験的研究の概要について述べ、強磁性発現機構の議論の論点を整理している。次に磁気光学効果の機構について、電子系、スピンおよび電磁場との相互作用をもとに解説している。さらに、時間分解分光の強磁性体への適用例として、これまでに行われたパルス光照射による時間分解磁気光学分光の実験例を紹介している。

第3章では、本研究で行った実験についてその基礎事項について述べている。まず、光源および波長変換の方法、ポンププローブ分光法、およびその際のデータ取得法など本研究に共通する事項について述べ、続いて4章から6章に述べる各々の実験に即した実験手法について詳述している。さらに、本研究で用いた試料についてその基礎的事項に関して説明している。

第4章では、2色のプローブ波長を用いた時間分解磁気光学分光法について述べている。二つの異なるプローブ波長で測定した磁気光学効果の過渡応答のデータと反射率の時間変化のデータを組み合わせることで、磁化の応答関数を抽出できることを示している。この手法によりGa1-xMnxAsにおける光パルス照射後の脱磁化過程のダイナミクスを明瞭に観測し、スピン系の温度は正孔の温度上昇と比較してゆっくり立ち上がることを見出している。この結果は、フェルミ面近傍での正孔のが強いスピン偏極をしていることによると結論している。

第5章では、Ga1-xMnxAsで観測されている中赤外吸収帯に着目し、光照射後の過渡吸収スペクトル測定を行った結果について述べている。得られた中赤外吸収スペクトルの過渡応答と4章で測定した磁化の応答特性を比較し、中赤外吸収帯に磁化と呼応して変化する成分があることを見出している。この成分のスペクトルを抽出し、吸収端が光励起による脱磁化に伴い、高エネルギー側に移動することを見出している。この結果から、中赤外吸収帯の起源はMn由来のアクセプタバンドから価電子帯へのホールの遷移によるものであること、変化成分は、自発磁化の減少に伴うアクセプタ束縛磁気ポーラロンの束縛エネルギーの変化によると結論たしている。

第6章では、4章と5章の結果をふまえ、光励起による磁化の減少によって電子状態がどのように変化したかを調べるために、可視領域の磁気カースペクトルの過渡応答スペクトルを測定した結果について述べている。4章で述べられた磁化変化成分の抽出法を多波長に拡張し、過渡磁気カースペクトルから磁化の時間変化に追従する光学スペクトル成分を抽出した。これにより、光励起を通じて与えられた磁化の変化によって、光学遷移で検出する結合状態密度の変化を捉えることができた。その結果、バンド端遷移の低エネルギー側で磁化に依存して磁気カースペクトルが大きな変化を示すことを見出している。これは通常のバンドギャップ内にアクセプタバンドが存在し、そこから伝導帯への遷移がバンド端の低エネルギー域の吸収となり、磁化に敏感であることを示している。これは5章の結論を支持するものである

7章では、これまでに提唱されているIII-V族磁性半導体の強磁性発現機構機構(Runderman-Kittel-Kasuya-Yoshidaモデル、二重交換モデル)と本研究での実験結果の比較、検討を行っている。

8章では、本研究の結果をまとめ、最後に課題と今後の展望を述べている。

以上のように、本研究は、超高速時間分解分光法を磁気光学分光や中赤外過渡吸収分光に適用し、磁性体の電子状態と磁性の相関を調べる手法として開拓した。さらに、この手法を新しい強磁性体として注目されている、III-V族磁性半導体Ga1-xMnxAsに適用し、磁化のダイナミックスを抽出し、さらに遷移金属に由来するアクセプタバンドが強磁性と強く関わっていることを見出した。これらは、磁性研究において新たな分光手法を開拓すると共に、強磁性半導体材料の設計指針を与える新たな知見を与えた点で重要な意義があり、物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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