学位論文要旨



No 119039
著者(漢字) 小村,元憲
著者(英字)
著者(カナ) コムラ,モトノリ
標題(和) ソフトマテリアルのナノ物性
標題(洋)
報告番号 119039
報告番号 甲19039
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5771号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 講師 木村,康之
 東京工業大学 教授 西,敏夫
内容要旨 要旨を表示する

緒言

高分子において特筆すべき特徴の一つとして外部環境を制御することにより多彩な高次構造を生成する自己組織性がある。例えば、高分子結晶、液晶の形態、相分離構造、ミクロ相分離構造、表面構造、界面構造などの高次構造が挙げられるが、重要なこれらの構造はナノメートルオーダーに集中している。高分子に特徴的な自己組織性を利用し、このナノ構造を制御することにより、精密な材料を開発することが現在の高分子ナノテクノロジーの重要な課題となっている。

ナノメートルオーダーの構造をもつ材料を開発する上で、必要不可欠であり、強力な支援となるものがナノメートルオーダーでの材料評価技術である。本論文は2つのテーマで構成されているが、1つ目のテーマ「AFMによるソフトマテリアルのナノ力学物性の研究」は、ナノメートルオーダーでの材料評価技術のなかで、高分子鎖数本単位を対象にした原子間力顕微鏡(AFM)による力学物性評価技術についての研究である。

2つ目のテーマ「パルス法NMRによるエラストマーの伸張結晶化過程の研究」ではエラストマーについて伸張というマクロな外部環境因子により自己組織的に発生する微結晶の生成・成長過程について扱っている。この微結晶はサイズがナノメートルオーダーであり、3次元的に分布している。今回用いたパルス法NMR(核磁気共鳴法)による横緩和時間T2測定では、試料内部の分子運動性の異なる不均一成分を分離して評価することが可能である。また非破壊測定であることから微結晶の生成・成長過程をリアルタイムで測定するのには大変強力な手段であると言える。

AFMによるソフトマテリアルのナノ力学物性の研究

はじめに

高分子はソフトマテリアルと言われるように、柔らかさという性質において金属、半導体、セラミックス等、他の材料と大きく異なる。高分子の粘弾性や弾性、塑性変形という性質が材料の特性に大きく寄与し、また材料形成の際にも力学的性質が重要な因子になってくる。これまでの力学物性の評価技術は殆どがマクロな系における平均化された情報を得るものであった。より小さな領域でのトライボロジー的性質を測定する手法として表面力測定装置(SFA)などがあるが、SFAでも接触領域がマイクロメートルオーダーであった。我々はナノメートルオーダーでの力学物性評価法として、プローブの先端径が数十nmであるAFMを用い高分子材料に対し適用し評価を行った。摩擦は接触する両表面の凝着力、濡れ、粗さ、変形、接触様式などにより影響を受ける。マクロな系ではその表面の粗さの為、我々が目で見る接触面積と実際に分子同士が接触している面積が大きく異なる。AFMを用いることにより接触半径を数十nmにでき、高分子の分子サイズを考慮すると接触様式は単一点接触であると考えられる。マクロな系での摩擦を理解する上でもAFMによる単一接触における摩擦測定は大きな手助けとなり、科学的な意味においてもこのような研究を進めることは大変重要である。

結果

AFMを用いた力学物性計測ではいくつかの測定法があるが、本研究では主にティップとサンプルを接触させるコンタクトモードでのForce curve測定とFriction loop測定を行った。Force curve測定ではティップにサンプルを垂直に近づけ接触させ、押し込み引き離すという測定を行う。その際のカンチレバーの反り撓みをレーザーによる光てこ方式を用いて、四分割ダイオードで検出する。反り撓み量にカンチレバー特有のバネ定数を掛け合わせることにより、力を算出する。Force curve測定では表面に対し垂直方向の表面の変形や凝着力などを評価できる。Friction loop測定ではティップとサンプルを接触させ、ある力で押しつけ、水平方向にサンプルを動かすという測定を行う。その際のカンチレバーの捻れ量をForce curveのときと同様に四分割ダイオードにより検出し、力を算出する。これにより水平方向の表面の変形や凝着力、つまり摩擦力を評価できる。両方法は試料の弾性、塑性、粘弾性等に起因する現象をミクロンスケールから原子スケールで評価することが可能であり、そのようなスケールでの構造を持つ材料の構造レベルでの力学物性評価を行えると共に、マクロな物性への本質的な理解の助けになると考えられる。

我々はこれらの方法を高分子系に適用するために、モデルサンプルとしてpolystyrene/poly(vinyl methyl ether) (PS/PVME)ブレンド系を選択した。高分子は系の弾性率が3桁程度大きく変化するガラス転移温度Tgを持つが、PSのTgは約100℃、PVMEのTgは約-24℃であり、この系は相溶系であるため、ブレンド比によってTgをそれぞれのTgの間で大きく変化させることが出来る。このことからPS/PVMEブレンド系は力学物性測定のモデルサンプルとして適していると考えられる。今回は用いたAFM装置の特性上最も力学物性評価に適したTg = 47℃のPS重量分率60%(PS60)のものについて、上記の両方法を同一速度温度条件で測定した。

ナノレオロジー(Force curve測定)

Force curve測定のける温度依存性ではTgより低温ではティップのサンプルへの入り込みは起こらずサンプルステージの動作がそのままカンチレバーの反り撓みとなるカーブが得られた。しかしTgより高い温度ではティップの試料内部への入り込みが起こり、それに伴い接触面積が増大して、引き離す際のティップとサンプルの接触が切れる最大凝着力が大きくなった。Tgより高温では温度の上昇とともにこの現象が顕著になり、高温、低速領域においてサンプル内部から高分子鎖を引き抜く現象が頻繁にみられるという結果が得られた。また、温度を一定にしたサンプルステージ速度依存性では速度の上昇に伴い、Force curveの形状が柔らかい状態から固い状態の応答に変化することが分かった。このことは速度−温度換算則の一例である。Force curve測定から得られる評価量として最大凝着力を図1にプロットした。速度の低下、温度の上昇と共に最大凝着力が増大することが分かった。

ナノトライボロジー(Friction loop測定)

マイカのような硬い試料に対してFriction loop測定を行うと、Friction loopの形状から静止摩擦力と動摩擦力が明確に区別できる境界が現れる。しかしPS/PVMEブレンド系のようなソフトマテリアルではそのような明確な境界は検出されず、走査と共に摩擦力が徐々に増大した。これは走査する際にティップの走査端側に試料の山が形成されてそれが成長していく過程であると考えられる。

Friction loopの温度依存性ではFriction loopの面積(摩擦の散逸エネルギー)が温度に対し極大を持つことが分かった。また、速度依存性測定からも摩擦エネルギーが速度に対し極大をもつという結果が得られた。系の弾性率が温度の上昇、速度の低下により小さくなるため、Force curve測定からもわかるようにサンプルが変形されやすくなり、ティップとサンプルの接触面積が増大し、凝着力に起因する摩擦力が増大すると考えられる。それに対して弾性率の低下は試料変形の際の剪断応力の減少に繋がる。つまり接触面積の増大と剪断応力の減少の競合によって極大が現れると考えられる。

この競合を検証するためにティップのサンプルへの入り込みを同時に検出した。図2に75℃における速度に対する摩擦エネルギーのピーク曲線に、入り込み曲線を重ねて描いた。ピークより低周波側ではティップがサンプルに大きく入り込んでいることが分かる。この領域で入り込みが速度に対してほぼ一定であることから、低周波側の速度の増大による摩擦エネルギーの上昇は弾性率の増大によるものであると説明できる。摩擦エネルギーのピークより高周波側では速度の上昇と共に入り込みが軽減されているという結果が得られた。つまり高周波側での速度の上昇に伴う摩擦エネルギーの減少は、接触面積の減少によるものだと分かった。

速度に対する摩擦エネルギー曲線と入り込み曲線の温度依存性をそれぞれ図3、図4に示す。温度の上昇と共に両曲線とも高周波側にシフトしているのが分かる。両曲線に対して速度−温度換算則が成り立ち、同じシフトファクターaTを用いて、それぞれマスターカーブを描くことが出来た。このことにより各温度において同様の現象を評価できているということになり、AFMがソフトマテリアルのナノスケールでの力学物性評価において強力な手段であるということの一つの証明になったと言える。また得られたaTをWLF式を用いてフィッティングしたところ、Tg = 15℃という結果が得られた。これはDSC測定におけるバルクのTgよりも低い値であり、表面での分子運動性の増大や表面エネルギーの低いPVMEの表面への偏析などによるものだと考えられる。

結論

AFMは本来表面観察のツールであるが、今回はティップの入り込みと言うサンプル内部の深さ方向の情報を評価することが出来た。このような研究例は現在のところ殆どなく、AFMの可能性を広げる研究結果であると言える。またその入り込みを評価することによりソフトマテリアルの力学物性に大きく寄与する、ソフトマテリアル特有の変形の効果を議論することができた。今回はモデルサンプルについての測定であったが、今後より一般的なソフトマテリアル材料についての応用が期待される。

パルス法NMRによるエラストマーの伸張結晶化過程の研究

はじめに

エラストマーの結晶化は補強効果、高伸張率、応力の緩和、充填剤の排斥など物性に大きく寄与する。その中でも天然ゴムは高い伸張結晶化速度を有することが知られており、その補強効果からジャンボジェットなどのタイヤに使われている。また、天然ゴムは免震ゴムなど長期間荷重が加わった状態で使用されるケースも多い。しかし、その結晶化過程について研究された例は少ない。本論文ではパルス法NMRを用いて天然ゴムの結晶化過程の長時間測定を行い、その伸張率、結晶化温度、架橋密度依存性を調べた。また、十分結晶化したサンプルの融解過程の測定も行い、結晶構造の変化について議論した。

結果

結晶化過程の長時間測定

結晶化過程の測定から天然ゴムの結晶化は3ヶ月以上におよぶ長時間の過程であることが分かった。伸張率が高く温度が低いほど結晶化速度が速いことが分かった。架橋密度の異なる2つの天然ゴムの結晶化過程の比較では、図5に示すように架橋密度の高いNR2の方が結晶化初期の段階では結晶化度が架橋密度の低いNR1より高いのだが、時間がたつとNR1の方が高くなるという結果が得られた。短期間の測定では結晶化度の逆転という現象は発見されず、長時間測定で得られる非常に有意な結果の一つであると言える。

融解過程の測定

図6に示すように融解過程の測定では、未伸張で結晶化した試料は約20℃までに全ての結晶が融解したが高度伸張した試料では約100℃近くまで結晶が残り、融解曲線も約20℃付近で明確な折れ曲がりが見られた。この結果から長時間結晶化した天然ゴム中には2種類の結晶が存在すると考えられる。伸張した天然ゴム中の鎖にはミクロな伸張率分布があると考えられている。我々は伸張下での天然ゴムの結晶化について次のようなモデルをたてた。高度伸張された鎖は即座に配向結晶化し、緩んだ鎖は結晶化速度の遅い結晶化を起こすと考えられる。高度伸張された鎖の結晶は融点が高く、緩んだ鎖からの結晶は融点が未伸張での結晶と同程度であると考えられる。今回得られた全ての結果はこのモデルで説明することができた。

結論

天然ゴムの伸張結晶化過程の長時間測定及び融解過程の測定の結果から、結晶化の新しいモデルを提唱した。そのモデルはミクロな分子鎖の伸張率分布に起因した、高度伸張された鎖からの速い結晶化と緩んだ鎖からの遅い結晶化が混在して結晶化が進むというものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「ソフトマテリアルのナノ物性」と題し、ナノスケールでのソフトマテリアルの力学物性評価及びエラストマーのナノサイズの微結晶の生成・成長過程についての実験結果と考察をまとめたものである。本論文は2部全8章から構成されており、第I部(第1章〜第4章)は「AFMによるソフトマテリアルのナノ力学物性の研究」、第II部(第5章〜第8章)は「パルス法NMRによるエラストマーの伸張結晶化過程の研究」について述べている。

第1章は序論であり、研究背景と主に用いた装置である原子間力顕微鏡(AFM)の説明、及び、これまでに報告されている実験結果や理論について述べた後、本研究の目的を述べている。ナノスケールで精密制御された材料を作るためにはそのスケールでの評価法が必要不可欠となり、その評価法の一つとして、高分子材料に対するナノスケールでの力学物性評価法の確立という大きな目標を立てている。本論文ではその中で力学物性測定のモデルサンプルとしてpolystyrene/poly(vinyl methyl ether) (PS/PVME)を選択し、AFMのコンタクトモードによるForce curve測定、Friction loop測定の様々な物理量の依存性を調べることを通じて、評価法の確立と共に、マクロな系に対する測定と比較することが目的であると述べている。

第2章では実験手法についての説明がなされている。Friction loop測定をソフトマテリアルに適用し、定量的に評価することが可能になる為のブレイクスルーとなる測定手法について述べている。高速走査をすることにより、AFM測定を困難にするティップの試料への入り込みが制限されることを発見し、その現象を利用することにより、条件一定の摩擦力測定を行い、定量評価を実現している。

第3章ではForce curve測定、Friction loop測定の主な結果を示し議論を行っている。Force curve測定では温度の上昇と速度の低下にともない、試料へのティップの入り込み深さ(indentation depth)と凝着力が一様に増加していることを示している。また、単位面積あたりの凝着力が温度に対して一定であるという結果が得られている。Friction loop測定では摩擦の散逸エネルギーが速度・温度に対しそれぞれ極大値を示すという結果が得られ、速度−温度換算則によりマスターカーブを描くことに成功している。本論文で最も重要な結果であるindentation depthの評価を同時に行い、散逸エネルギーのピークより低速度側では大きなindentationがおこり、ピークより高速度側になるとindentationが制限されるという結果が得られ、indentation depth curveについてもマスターカーブを描くことに成功しいている。このことを通じて、速度の増加、温度の低下に伴う系の実効弾性率の増大による摩擦力の増加の効果と、実効弾性率の増大に起因する接触面積の減少による摩擦力の減少の効果の競合により、散逸エネルギーが極大を示すということを述べている。マスターカーブのピーク幅がマクロな系で得られるものよりも数桁狭いという結果になり、マクロな系での測定では多重接触が起きており、今回のナノスケール計測の様々な条件での測定の重ね合わせを検出していると考察している。また、Friction loopの加重依存性や走査範囲依存性を調べることにより、indentationの起こる起源がティップと表面とのスティックスリップに関係するものであると述べている。

第4章は第I部の結論であり、本研究を通してAFMがソフトマテリアルのナノ力学物性測定の強力なツールであること言及している。

第5章は第II部の序論である。エラストマーの一般的特徴、エラストマーの結晶化のこれまでの実験結果や理論を示し、核磁気共鳴法(NMR)の原理を述べた後、本研究の目的を述べている。伸張下でのエラストマーの結晶化機構を明らかにすることを目的としている。

第6章では実験手法について述べている。パルス法NMRによるT2緩和測定に用いたパルス系列を示している。T2緩和測定はnm以下までの情報を検出することができ、エラストマーの結晶化で生成する微結晶を十分評価できるということについて言及している。

第7章は主な結果と議論である。伸張下での天然ゴムの結晶化過程の長時間の測定結果と、融解過程の測定結果を示している。天然ゴムの結晶化は3ヶ月以上に及ぶ長期の過程であることを示している。融解過程の測定では高伸張下で結晶化した試料は20℃付近で明確に融解挙動が変化することを見いだしている。両過程の全ての結果から、天然ゴムの結晶化では、ミクロな分子鎖の伸張率分布に起因して、まず、高度伸張された分子鎖が速い結晶化を起こし、その後緩んだ鎖が徐々に遅い結晶化を起こす、というモデルを提唱している。

第8章では第II部の結論を述べており、この部で明らかにされたことの要約が述べられている。

以上をまとめると、本論文では第I部においてソフトマテリアルに対するナノ力学物性の評価法を確立し、PS/PVMEブレンド系について様々な依存性を明らかにしており、第II部ではナノスケールの構造をもつエラストマーの微結晶の生成・成長過程について、新しいモデルを提唱するに至っている。ソフトマテリアルのナノスケールでの物性の評価及び評価法の確立という点で、物理工学への寄与は非常に大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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