学位論文要旨



No 119042
著者(漢字) 町田,学
著者(英字)
著者(カナ) マチダ,マナブ
標題(和) 時間依存外場に対する少数量子多体系の応答
標題(洋) Response of Quantum Few-Body Systems to Time-Dependent External Fields
報告番号 119042
報告番号 甲19042
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5774号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 助教授 伊藤,伸泰
 東京大学 助教授 初貝,安弘
内容要旨 要旨を表示する

近年の実験技術の進歩により、例えば量子ドットや分子磁石といったナノスケールの量子系が作られている。このような有限の粒子で構成される量子系の非平衡状態の物理は、平衡状態の統計力学の完成度に比べて未知の領域である。本論文では少数量子多体系の時間依存外場に対する応答について研究する。このような量子系は離散準位をもつ。したがって、外場を掃引したときにある状態が別の準位にどのように遷移するかを調べることが重要になる。

まず、よく知られているように微小な振幅の振動外場に対する応答は複素アドミッタンスとして計算することができる。たとえば振動磁場に対する電子スピンの応答は電子スピン共鳴(ESR)と呼ばれ、磁性体の解析に用いられている。このような外場に線形な範囲での応答は久保公式として理論的にはすでに確立されている。しかしながら、実際の計算においてスピン演算子の相関関数を求めるには数値的な困難がある。我々は、その点に関して新しい方法を開発し、最近興味を集めているV15の性質を議論した。

量子効果が顕著な役割をするのは有限の振幅をもつ振動外場がかかった場合である。そのような系では外場の変化に応じて系の波動関数が変化し、その位相の干渉などが重要な役割をする。この場合にはエネルギー準位を外場のパラメターの関数としてみて、エネルギー準位の構造を反映したダイナミクスが起こる。通常、対称性の異なる状態(たとえばsingletとtriplet)間の遷移は起こらないので、対称性によってヒルベルト空間を分割して、ある既約空間に含まれる準位に着目することができる。このような部分空間では2つの準位が近づくときにいわゆる反発擬交差構造(非交差)が現れ、そのような交差を通過するように外場をゆっくり掃引したときには、系の状態は掃引速度に応じて非断熱遷移を起こす。

我々は少数量子多体系の外場に対する応答を統一的に研究するために既約空間を代表してランダム行列のハミルトニアンを考える。ランダム行列に対応する準位構造を持つ系としては、原子核の他にも磁場中の水素原子、二酸化窒素などの分子、マイクロ波キャビティ、量子ドット系などが実現されている。このような離散準位系での量子状態の変化は、一つの準位に沿った断熱変化と、準位間遷移をもたらす非断熱遷移により引き起こされる。一つの擬交差における状態の遷移はそこでのエネルギーギャップや外場の掃引速度の関数としてランダウ・ゼナー公式として与えられている。パラメターを一様に掃引した場合にこの考え方に基づいたウィルキンソンによる考察があるが、ここでは系にある振動数で正弦的に振動する外場がかかっている場合について研究する。このとき一つの擬交差を外場のパラメターが複数回通過するので波動関数の位相の干渉がおこり、一様に掃引した場合とは異なるダイナミクスが起こる。我々は基底状態から外場をかけていったときの系のエネルギー上昇について研究した。ランダム行列の状態密度が半円則にしたがうことに注意すると基底状態周辺では準位間隔が広く、非交差での非断熱遷移のみが起こる。状態がもっと上の準位まで広がると準位間隔が狭まり隣接準位外にも遷移するようになる。我々は、初期においては前者の機構を反映してエネルギー上昇率が振動数の3/2乗に比例すること、また一定の時間後には後者の機構を反映して振動数の2乗に比例することを見出した。

ここで基本的な役割をしている非交差での非断熱遷移は外場の掃引にともない多数出現する。したがって、この遷移に関わる種々の量の分布が大事になる。各々の非交差での遷移の仕方は外場の掃引速度以外に系の準位の構造、すなわち非交差におけるギャップの大きさや準位の傾きにも依存する。非交差点におけるこれらの量についてはすでに調べられ、その分布が知られている。また、遷移の頻度は隣り合う非交差間の距離に依存する。我々は準位の構造を与える新しい分布として、この非交差間の距離の分布について研究し、分布の立ち上がりが系の対称性に依ることをランダム行列を用いて見出した。具体的には、時間反転対称性がある場合には2乗で、ない場合には3乗で立ち上がる。さらに、いくつかの具体例について隣接非交差間隔の分布を求め、それがランダム行列理論から予想される分布に一致することを示し、非交差間の距離において系の対称性が重要であることを明らかにした。

さらに多数回の交差通過による波動関数の位相の干渉の効果として、外場を掃引し続けるとエネルギーの上昇は系の実効的な温度がある有限の値に相当するところで止まることを見出した。このエネルギーの飽和は動的局在とよばれ、一体の量子カオス系である結合回転子系などについては知られている。動的局在はパラメターを周期的に振ったときの状態の量子力学的な干渉の効果で起こる現象であり、我々はエネルギー期待値の表式をフロッケ演算子の固有状態で展開することによって、動的局在がおこってエネルギー期待値が飽和する値の外場の振動数に対する依存性を研究した。その結果、飽和値の振動数依存性は初期状態に含まれるフロッケ状態の数の振動数依存性から理解できることを明らかにした。このことから例えば、小さい振動数に対しては重要なフロッケ状態の数が少なく飽和エネルギーの値も小さいこと、逆に大きな振動数に対しては初期状態の中に多くのフロッケ状態が含まれ状態がエネルギースペクトルの広範囲に広がるために飽和エネルギーの値は大きくなることなどがわかる。さらに系の固有状態とフロッケ演算子の固有状態の関係を調べ、動的局在のミクロな機構を考察した。

このように、複雑なエネルギー構造をもつ量子系が振動外場に対して示す応答をミクロな遷移の機構から解析し、その特徴を明らかにした。特に、振動外場の系の駆動によって、系の実効温度の上昇が有限で止まることとその振動数依存性を明らかにし、この現象の量子散逸現象への効果を考察した。

審査要旨 要旨を表示する

複雑な量子系のエネルギー準位が系の対称性を反映した統計的特徴を持つことは原子核のエネルギー準位などの研究で見つかりその後、ランダム行列のエネルギー準位の問題として詳しく研究されたてきている。エネルギー準位の分布がいわゆるWigner分布をすることが、非可積分系の特徴とされ量子カオスの特徴づけにも用いられている。このような系が時間依存する外場、たとえば外場を掃引したとき、あるいは周期的な外場をかけたとき応答は、量子ドットや分子磁石といったナノスケールの量子系での量子ダイナミックスの問題や、散逸現象のミクロな起源の研究の意味からも、最近興味を集めている。

動的な外場への応答としては、久保公式としてよく知られているように微小な振幅の振動外場に対する応答が複素アドミッタンスとして一般的な表式が得られている。たとえば振動磁場に対する電子スピンの応答は電子スピン共鳴(ESR)として、磁性体の解析に用いられている。ここでは、有限の振幅をもつ外場に対して系がそのエネルギー準位を反映してどのように応答するかについて研究されている。ただし、線形応答の範囲でも実際の計算においてスピン演算子の相関関数を求めるには数値的な困難があり、その点に関して新しい方法を開発し、最近興味を集めているV15の電子スピン共鳴の特徴を明かにしている(Appendix)。

動的な振舞の研究において対象とする系は、エネルギー以外の保存量がない非可積分系であり、その特徴は系が対称性のちがいによるエネルギー縮退がなく、いわゆる反発擬交差構造を持つことにある。複雑な量子系のエネルギー準位の特徴は、エネルギー準位間隔の分布のみならず、反発擬交差の構造を特徴づける交差におけるエネルギーギャップの大きさの分布や交差でのエネルギーレベルの傾きの分布、さらにはパラメター空間での反発擬交差間の距離の分布などがあり、系の動的外場への応答を調べる際にはこれらの分布が重要な役割を果たす。これらの研究背景を、第2章で詳しくレビューしている。

第3.2章では、ランダム行列のエネルギーが周期的な外場のもとで、基底状態からどのように増加していくかについて、ミクロな散乱機構をもとに考察し、初期においては前者の機構を反映してエネルギー上昇率が振動数の3/2乗に比例すること、また一定の時間後には後者の機構を反映して振動数の2乗に比例することを見出している。

第3.3章では、エネルギー準位を特徴づける分布の内、これまで研究のなかった反発擬交差間の距離の分布について研究し、分布の立ち上がりが系の対称性に依ることをランダム行列を用いて見出している。具体的には、時間反転対称性がある場合には2乗で、ない場合には3乗で立ち上がることを解析的に導出している。さらに、いくつかの具体例について隣接非交差間隔の分布を求め、それがランダム行列理論から予想される分布に一致することを示し、非交差間の距離において系の対称性が重要であることを明らかにしている。特に、準位間隔が広い初期では個別のランダウ・ゼナー遷移が主要な役割を果たし、それ以後は、複数レベルへの遷移が同時に起こる線形応答領域にあることを見出している。

第3.4章では、多数回の交差通過による波動関数の位相の干渉の効果として、外場を掃引し続けるとエネルギーの上昇は系の実効的な温度がある有限の値に相当するところで止まることを発見している。この現象はパラメターを周期的に振ったときの状態の量子力学的な干渉の効果で起こる現象であり、我々はエネルギー期待値の表式をフロッケ演算子の固有状態で展開することによって、動的局在がおこってエネルギー期待値が飽和する値の外場の振動数に対する依存性を調べている。その結果、飽和値の振動数依存性は初期状態に含まれるフロッケ状態の数の振動数依存性から理解できることを明らかにしている。

以上述べたように、本研究は、複雑なエネルギー構造をもつ量子系が振動外場に対して示す応答をミクロな遷移の機構から解析し、その特徴を明らかにしており、今後物性物理学、物理工学の分野で重要になってくる動的量子現象の基礎となる研究であると考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク