学位論文要旨



No 119043
著者(漢字) 渡辺,宙志
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヒロシ
標題(和) 非平衡現象とその構造の数値的研究
標題(洋) Simulation Study on Nonequilibrium Phenomena and Structures
報告番号 119043
報告番号 甲19043
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5775号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,伸泰
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 金田,康正
 東京大学 助教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

概要

数値計算により、さまざまな構造の非平衡現象について調べた。また、数値計算手法の開発も行った。

非平衡現象の研究として、二次元剛体円盤系の示す固体−液体相転(Alder移転移)を結晶構造を示すパラメータである隣接配向秩序変数の時間緩和を計算し、動的スケーリング仮説に基づいた解析を行った。さらに確率オートマトンを用いて、生態系の構造形成について研究を行った。また、Lennerd-Jones粒子を用いたミルククラウン現象の解析も行った。

手法の開発として、棄却無しモンテカルロ法の粒子系への応用、及び量子計算機シミュレーションの統合環境の作成を行った。

二次元剛体円盤系の融解現象について

二次元剛体円盤系について、その固体−液体相転移の研究を行った。剛体円盤系は、融解現象を起こすもっとも簡単な粒子モデルであるが、二次元系特有の強い有限サイズ効果を持つために、そのメカニズムは40年以上にわたって明らかにされてこなかった。

本研究では、系を分子動力学法により時間発展させ、その非平衡緩和過程から平衡状態を探るという手法を用いた。この手法は非平衡緩和法と呼ばれ、有限サイズ効果に強く、効率よく臨界現象を調べることができることが知られている。様々な密度における秩序変数の緩和過程を動的スケーリングにより解析し、相転移がKosterlitz-Thouless型であることを確認し、二つの相転移点及び臨界指数を求めた。

さらに、粒度分散が存在する系の相転移について考察し、粒度分散が大きくなると、三角格子は不安定化すること、さらに正方格子が安定となるような領域が存在することなどを予想し、数値計算で確認した。その結果、粒度分散が小さい領域では三角格子状の二次元固体が安定に存在し、隣接配向秩序変数06の時間緩和曲線も、KT型でスケーリングできることがわかった。さらに三角格子固体の相転移線と三角格子が不安定となる線が交わるところで、三角格子状の固体は安定に存在できなくなることも分かった。粒度分散が大きいところでは、正方格子の隣接配向秩序変数04の緩和時間が密度に対して指数関数的に長くなることがわかり、準安定な状態として二次元正方格子固体が存在しうることが分かった。

粒子系における棄却無しモンテカルロ法

計算機の能力の向上に伴い、モンテカルロ法はさまざまな系に適用できる有力な手段となった。モンテカルロ法は二次元粒子系の相転移の研究にも応用され、主に基底状態の性質が調べられてきた。粒子系におけるモンテカルロ法のダイナミクスはブラウン運動によって理解することができるが、サンプリングを効率的に行おうとすると密度によって時間の定義が異なってしまい、逆に時間の定義を統一すると、低温のスピン系と同様に、ほとんどのモンテカルロ試行が棄却され、サンプリングが効率的に行えないという問題を抱えていた。本研究では高密度粒子系のダイナミクスを研究するため、棄却無しモンテカルロ法(Rejection-free Monte Carlo method)を粒子系に応用し、新しい手法を開発した。実際に通常のモンテカルロ法と比較し、高密度領域で棄却無しモンテカルロ法の方が効率的となることを確かめた。この手法により、高密度の二次元固体や、高い粒度分散を持ったガラス様の物質などを効率的に研究できることが期待される。

ミルククラウン現象にみる界面張力の研究

剛体円盤系は斥力相互作用しか持たない系であり、固体−液体相転移を起こす最も単純なモデルであった。ここで、粒子近傍で引力相互作用も持つLennard-Jones粒子を用いると、液体−気体相転移及び界面張力を表現することが可能となる。界面張力が重要な役割を果たす身近な現象として、ミルククラウン現象があげられる。水滴を水の表面に落とすと、その速度や温度によって形状がミルククラウン状からこけし状に変化する。この非平衡かつ非定常な現象を粒子系を用いたシミュレーションで解析した。その結果、連続近似と同様にウェーバー数という無次元量で現象を理解できるばかりでなく、一種の衝撃波も構造形成に重要な役割を果たしていることがわかった。

確率セルオートマトンによる非平衡秩序化現象

熱平衡状態から遠くはなれた非平衡現象は、従来の熱力学、統計力学でそのまま扱うことは難しい。そのような非平衡現象の例としてカオスやフラクタル、自己相似性や自己組織化などがあげられるが、これらには共通して系の強い非線形性の影響が見られる。自然、特に生態系においては、この非線形性が本質的に生命の維持にかかわっていると考えられ、様々な研究が行われてきた。本研究では、その中でも群知能による構造形成について研究を行った。蟻などの一部の社会性昆虫は、フェロモンにより協調し、巣を作ることが知られている。この行動を確率セルオートマトンでモデル化することで、エージェントが作る構造の非平衡定常状態について考察を行った。その結果、巣のような構造を安定な状態として作成するミニマルなモデルを提案し、そのモデルが従来研究されてきたえさ集め行動のアルゴリズムと類似していることを見出した。これはえさ集め行動と巣つくり行動が同様なアルゴリズムによって行われていることを示唆する。

量子計算機シミュレータの開発

量子計算機はDNA計算機とともに次世代計算機として期待されているが、特にShorが素因数分解の量子アルゴリズムを示してから、量子アルゴリズム研究は盛んになっている。手軽に扱える量子計算機の実機が未だ無いので、アルゴリズムの研究はシミュレーションにより行うことになる。そこで、量子計算機研究を補助するため、量子計算研究統合環境、QCADを開発した。

QCADはグラフィカル・インターフェースを持つ回路設計機能と、設計した回路をその場で実行できる計算エンジンを持っている。さらに、量子計算シミュレーションは、量子ビット数が増えると指数関数的に必要なメモリが増えるため、シミュレーションには並列化が必須となる。そこで、動的に通信を行う手法を提案し、並列通信ライブラリとして広く使われているMPIにより実装を行った。それに伴い、QCAD本体に自動並列化コンパイラも実装した。QCADにより、量子計算機がより容易に研究できるようになり、新しい量子アルゴリズムの開発の促進が期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

水は冷やすと凍り、温めると沸騰する。あるものは導電し、磁性をもち、あるいは劇的に伸縮する。この世界には実に多様な物質が存在する。個々の物質がそれぞれの性質を示すのはどうしてかを、原子・分子の集合体の性質として解明・究明することが熱統計力学の目標である。19世紀の中ごろから始まった研究も、今日ではほぼ完成した。多くの疑問・問題が、少なくとも理論的には解決された。熱統計力学のこの偉業が計算機の発展と相補的であることは、今世紀の科学技術を見通す上で注目に値しよう。解析的には得られなかった理論的予測の答えを導く上で、計算機シミュレーションの威力は無視できないものであった。

大きな成功を収めた統計物理学ではあるが、未解決の難問も決して少なくはない。その1つが、2次元剛体粒子系の融解転移である。密度を変化させるとこの系は固体と流体とに相転移することが、1950年代後半に計算機シミュレーションにより発見された。当初は日常よく経験する融解転移と思われていたこの現象が、実は2次元独特の相転移であるコスタリッツ・サウレス転移2回を経てのものである可能性が指摘され、爾来30余年、その当否は決着が付かずに今日に至っている。

本論文で第3章ではこの現象を、主に並列計算機を用いた事象駆動型粒子動力学シミュレーションによる非平衡緩和過程の解析から研究し、確かにコスタリッツ・サウレス転移2回を経てのものであることを強く示唆する結果を得た。この成果は2次元融解転移に関する業績であるとともに、計算機シミュレーションの新しい手法としても注目に値する。過去10余年の研究から、熱平衡状態を非平衡緩和過程から解析する非平衡緩和法は多くの成果を挙げ、計算機シミュレーションの新しい手法として定着している。これまでは専らモンテカルロ時間発展による非平衡緩和過程が解析されてきたが、本研究で初めて正準時間発展の非平衡緩和過程を使った非平衡緩和法が実証されたのである。

本論文ではさらに、粒度分散をもった2次元剛体粒子系の性質を非平衡緩和法他で解析し、相図の概形を提唱している(第4章)。第5章では粒子系に対して、棄却なし法という新しいモンテカルロアルゴリズムを提唱している。

付録 A には熱平衡状態から遠くはなれた現象の例としてミルククラウン現象(液膜破砕現象)の統計物理学的解析を、付録 B には量子情報処理研究のために開発したCADおよびシミュレータを含む。

本論文は、その研究成果の重要性・広がりのみならず、関係する問題の教科書としても優れたものと評価される。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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