学位論文要旨



No 119046
著者(漢字) 畠山,直
著者(英字)
著者(カナ) ハタケヤマ,ナオキ
標題(和) ベイジアンネットワークを用いた運転員の意図推論モデル
標題(洋)
報告番号 119046
報告番号 甲19046
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5778号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 東京大学 助教授 安藤,英幸
 内閣府   近藤,駿介
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

複雑で大規模な機械系が高度に自動化されるにつれて、今までに予期されないような問題が起こるようになった。その要因の一つには、機械系が高度に自動化されることによって人間の情況認識能力を妨げてしまうということがある。そこで、人間に最終決定権を与え、人間と機械系の間で静的なタスク配分をおこなう「人間中心の自動化」が提唱された。しかし一般的に、人間と機械のどちらに最終決定権を与えるかといったタスク配分は情況による。よって、情況を考慮して人間と機械の間で動的にタスクを配分することが可能なシステムが望まれている。このようなシステムでは、人間と機械がお互い補完的に作業を行うことが必要であり、様々な研究がなされてきた。これらの研究において、機械系が人間のもつ意図を推論し、それに応じて作業を行う機能は大変重要な要素である。

これまで、意図推論の研究は主に自然言語理解や教育支援システムの分野で行われてきた。しかし、これらの研究において、状態認識過程を含めた意図推論は十分に扱われているとはいえない。そこで、本研究は人間の認知行動過程全般を扱った意図推論手法の提案を目的とする。推論エンジンとしてベイジアンネットワークを用いることによって、人間の認知特性と、より整合性をもつ推論手法を目指した。

認知行動課程

人間の認知行動過程は次のように表される。人間は、環境から感覚器官を通じて獲得した情報より、対象システムの状態同定に利用する徴候を抽出する。この徴候は定性的な値をとる傾向にあることが知られている。観測により得られた徴候から対象システムの状態を同定した後、目標を設定し、その目標を達成するため、プランを設定する。そしてこのプランを実行することによって行為に至る。このような一連の過程を繰り返し行うことによって人間は認知行動を行う。本研究では、感覚刺激から状態を同定するまでの過程を状態認識過程、目標を設定してから行為をなすまでの過程を行動過程と呼ぶことにする。このような認知行動過程において、人間のもつ意図を推論するとは、その人間が獲得した感覚刺激と実行の結果である行為の二大情報源より、その人間のもつ目標やプランを同定することと定義することができる。

意図推論モデルの提案

認知行動過程全般を考慮した意図推論モデルの提案を行う。意図推論とは、感覚刺激と行為の2つの情報から人間のもつ目標やプランを同定することである。本研究では、意図推論の推論エンジンとしてベイジアンネットワークを用いる。ベイジアンネットワークを、感覚刺激からの証拠としての徴候から対象システムの状態を同定する状態同定と行為から対象者の持つプランや目標の同定の両推論過程へ適用する。ベイジアンネットワークを推論エンジンとして用いた理由は主に次のとおりである。

1.ベイジアンネットワークを用いることによって人間のもつ信念の強さを確率値で表現することができ、不確かな状況下での推論をモデル化できる。2.ベイジアンネットワークは状態認識過程の状態同定と行動過程におけるプラン認識の双方向の推論に同じように使用することができる。3.ベイジアンネットワークを使用することによって、ある仮説の確率値が上がると競合する仮説の確率値は自動的に下がるといった、人間の推論の特徴でもある推論の非単調性をモデル化することができる。

このようにベイジアンネットワークを推論エンジンとして使用することによって、人間のおこなう意図推論の特徴をより整合的にモデル化することができる。

ベイジアンネットワークについて

ベイジアンネットワークはノードとリンクからなる有向非環グラフである。各ノードは確率変数の集合に対応しており、有向リンクはリンク元のノードがリンク先のノードに直接的な影響を及ぼしていることを意味している。各リンクは親ノードが生起したときに子ノードが生起する条件付確率をもつ。ベイジアンネットワークを意図推論のエンジンとして用いる場合、各ノードのもつ確率値は、人間がそのノードの表す事象が生起していると信じている度合いを表していると考えることができる。

モデルの構築手法

モデルの構築手順は、1.状態認識過程側のベイジアンネットワークを作る、2.行動過程側のベイジアンネットワークを作る、3. 双方のベイジアンネットワークを統合し事前確率を求める、4. 証拠をネットワークに入力し事後確率を求める、の4段階からなる。

状態認識過程のベイジアンネットワークの構築においては、まず状態階層の構築から始まる。対象システムの状態を一般・特定関係で分類し階層化したものを状態階層と呼ぶ。状態階層において、特定的な状態から一般的な状態へ有向リンクを張ることによって、ベイジアンネットワークを得ることができる。さらに各状態が生起したときに観測される徴候を付加することによって、状態認識過程側のベイジアンネットワークを構築することができる。このとき、複数の徴候ノードがある物理現象によって、その生起が支持されている場合、その物理現象を表す因果ノードを導入することによって、計算効率の良いネットワークを構築することができる。

一方、行動過程側のベイジアンネットワークは、目標、プラン、行為を表すノードから成る。ある行為を行った原因としてプランを、あるプランを持った原因として目標を挙げられることから、目標がプランへと分解され、プランが行為に分解されるようなベイジアンネットワークとなる。このとき、プランが行為だけではなく、他の詳細なプランへと分解することが許される場合、状態認識過程の場合と同じく計算効率の良いベイジアンネットワークを構築することができる。

状態認識過程、行動過程、双方のベイジアンネットワークの構築が完成したら、状態認識過程の状態ノードから対応する行動過程の目標ノードへ有向リンクを張ることによって、全認知行動過程を表すベイジアンネットワークを構築することができる。

状態認識過程への適用

状態認識過程の検証例題としてPWR原子力プラントの試験運転員がプラントシミュレータの異常を同定する過程を用いた。認知実験によって得られたシステム状態の推論結果と本手法を用いた推論結果を比較することによって、同定された状態を確率値80%以上の状態、想起された状態を20%以上の状態と定義することができた。また、この定義を用いて、認知実験との意図推論結果の比較を行った。

認知行動過程全体を考慮した意図推論モデルの検証

状態認識過程を含めた認知行動過程全体を考慮した意図推論の検証例題として、Duressの運転員が異常状態を同定した後、システムを正常状態に復帰させる過程を用いた。認知実験として、Duressの操作に比較的慣れている被験者3名を用いて実験を行った。実験では、Duressは正常状態からスタートし、数秒後に故障イベントが生起するように設定されている。認知実験において、タンクA漏洩、ヒータA漏洩、ポンプA停止、ポンプA漏洩、バルブ0,1,5漏洩、要求流量変更、要求温度変更の9つの故障イベントを各被験者に行ってもらった。被験者は各故障イベントに適切に対応し、システムを正常な状態に回復させるように操作を行う。また被験者の注目した部分を抽出するため、実験中に観測した事象を発言しながら実験を行った。

Duressにおける検証では、静的な認知知識に基づいて推論するモデルとd-分離を用いた近似手法によって、動的に認知知識を構築するモデルの2つのモデルで比較検証した。

結論

高度に自動化されたシステムにおいて、人間と機械が補完的に作業を行うことは大変重要になってきている。この補完的な作業を効率的に行うために、機械系が人間の意図を推論する技術が重要である。しかし、人間の認知行動過程全体を扱った意図推論技術の研究はあまりなされていなかった。そこで、本研究ではベイジアンネットワークを推論エンジンとして用い、状態認識過程を含めた全認知行動過程上で意図推論過程をモデル化した。これにより、プラン認識のみのモデルでは不完全にしか扱えなかったケースにも対応できるようになった。また、ベイジアンネットワークを用いることによって、非単調な推論や推論の双方向性を数学的な背景をもって整合的にモデル化することができるようになった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、人間の認知行動過程全体に渡る意図推論手法を提案し、PWR原子力プラントの運転員の異常事象同定過程やDuress運転員の異常事象同定および回復操作の過程に本手法を適用して、その有効性を示したものである。推論エンジンとしてベイジアンネットワークを用いることによって、意図推論の不確実性、非単調性、双方向性を表現している。本論文は、6章から構成される。

第1章では研究の背景が述べられている。人間−機械間の高度協調のための基礎技術として意図推論手法に関する研究がいくつかなされており、戦闘機におけるパイロットの支援システムや類似性照合を用いた異常診断への応用が試みたれている。しかしながら従来の研究は、状態認識過程側の意図推論を考慮していないものであったり、考慮していても推論の非単調性を表現できない単純な手法を用いているものであったり、認知行動過程全体を扱った意図推論の研究としては不十分なものであった。そこで、本論文では、ベイジアンネットワークを用いて、人間の認知行動過程全体を扱った意図推論手法を提案し、その手法の開発、有効性の検証を行うことを、研究目的としている。

第2章では本論文で提案する意図推論手法について説明している。推論エンジンとして用いるベイジアンネットワークについて説明した後、認知行動過程全体を扱う意図推論を行うためのベイジアンネットワークの構築手法を提案している。ベイジアンネットワークの構築は、状態階層、徴候の因果関係に基づいて構築される状態認識過程側のネットワークと、プラン階層に基づいて構築される行動過程側のネットワークを統合することによって構築される。

第3章では、認知行動過程全体を扱うために不可欠な状態認識過程における意図推論手法の検証を行っている。検証例題としてPWR原子力プラントの運転員がプラントの異常事象を同定する過程を用いている。認知実験における被験者の出した同定結果と本手法を用いた推論結果を比較することによって、その有効性について論じている。

第4章では、Duress運転員が異常事象を同定し、回復操作を行う過程へ、本論文で提案している認知行動過程全体を扱った意図推論手法を適用し、その有効性の検証を行っている。意図推論に用いられるベイジアンネットワークへの証拠の入力手法の比較、徴候の因果関係やプラン階層を用いないネットワークと本手法との比較が行われ、本手法の有効性が述べられている。

第5章では、動的にベイジアンネットワークを構築しながら意図推論を行う手法を提案し、その有効性について検証を行っている。動的にベイジアンネットワークを構築することによって、実規模のシステムに適用する際にも使用する知識を限定して小規模のネットワークで推論が可能となることや、人間の行う推論との整合性が高いことをその利点としている。d-分離に基づいた動的なネットワーク構築手法が説明され、その手法をDuress運転員が異常事象を同定し、回復操作を行う過程へ適用し、静的なネットワークを用いた推論と同等の結果が得られたこと、動的に構築されたネットワークが知識全体を用いて静的に構築したネットワークよりも小規模に抑えられていることを確認している。

第6章は結論であり、ベイジアンネットワークを推論エンジンとして用い、認知行動過程全体を扱った意図推論手法が提案され、認知実験との比較によりその有効性が確認されたとしている。

以上のように、本研究の成果は人間−機械系における高度協調を支える意図推論技術の基礎技術として期待でき、工学システムの安全性、信頼性に寄与することが少なくない。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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