学位論文要旨



No 119047
著者(漢字) 梅林,励
著者(英字)
著者(カナ) ウメバヤシ,ツトム
標題(和) 可視光応答型光触媒 : 硫黄ドープ二酸化チタンの開発と物性の研究
標題(洋)
報告番号 119047
報告番号 甲19047
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5779号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 長崎,晋也
 東北大学 教授 浅井,圭介
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

近年、太陽光や室内照明の下でも機能する光触媒技術の開発が盛んに行われている。本研究の目的は、この技術の中核を担う可視光応答型光触媒材料を開発することである。筆者は、第一原理バンド計算による材料探索に基づいて、SドープTiO2のプロセス開発と物性研究に取り組んだ。

SドープTiO2の開発と形成過程の検討

TiO2におけるOとSの置換エネルギーは大きく、SドープTiO2の作製は困難であると言われてきた。そこで、TiS2を出発物質とし、これを高温で酸化することによって、当該物質の作製を試みた。おおよそ熱処理温度が500〜600℃の条件で、光触媒活性が高いことが知られているアナターゼTiO2の粉末が作製できた(図1)。300℃以下では、微量のTiS2が残留しており、800℃以上ではルチルTiO2が生じた。X線光電子分光(XPS)測定によると、この方法(500℃、90分、空気中)で作製したTiO2には、S 2p内殻準位に基づく信号が観測され、SドープTiO2の生成が確認できた。

TiS2の高温酸化によるTiO2の形成過程(空気中)は、図3のようにモデル化できる。これに対して、酸素濃度が高くなると(O2:100%)、500℃でもルチルが生成した(図4)。この結果は、反応(1)が、発熱反応「ΔH1 > 0」であることと、酸素濃度によって律速されていることを裏付けている。すなわち、酸素濃度が高くなると、(1)の反応速度が増大し、単位時間当たりの発熱量が増加する。そして、十分な活性エネルギー(E)が得られ、反応(2)または(3)が進行し、ルチルが生成したと考えられる。

以上のように、筆者は、TiS2を高温で酸化することによってSドープTiO2の作製に成功した。また、その形成過程を詳細に解明した。

Sの占有サイト

本稿では、実験(XPS)と理論計算(バンド計算)を用いて、Sの占有サイトについて検討した。XPS測定では、168 eVと161eVにS 2p準位に基づく信号が観測された(図2)。前者(168 eV)は、SOx吸着分子に起因する信号である。熱処理過程でSOx分子が生成し、表面に吸着したと考えられる。Ar+エッチング後は、SOx分子が除去されたため、信号強度が減少した。一方、後者(161eV)は、Ti-S結合の存在を示す。この信号の強度は、エッチングによって増加した。従って、ドープされたSの大部分は、Ti-S結合を形成していると考えられる。このような化学状態は、SがOサイトを置換することによって実現する。

この結果に基づいて、F-LAPW法を用いた第一原理バンド計算によって、Oを置換したSの形成エネルギー(Ef)を計算した。

Ef=Et-8μTi-15μo-μs (1)

(Etはスーパーセルの全エネルギーで、μTi、μO、μSは、それぞれ、Ti、O、S原子の化学ポテンシャルである)ただし、化学ポテンシャルは、SドープTiO2の生成条件に依存し、下記の条件が課せられる。μTi + 2μO = μTiO2 (2),μTi <μTibulk (3),μO <μO2molecule (4),μS <μS8molecule (5)(μTiO2、μTibulk、μO2molecule、μS8moleculeは、それぞれ、TiO2結晶、Ti結晶、O2分子、S8分子中における1原子当たりの化学ポテンシャルである)また、Ti-richな条件では「μTi = μTibulk」、O-richな条件では「μO = μO2molecule」と置くことができる。それぞれの条件で計算した形成エネルギーを図5に示す。これより、O-richと比較して、Ti-richな時の方が、形成エネルギーは小さく、OをSに置換しやすいことが分かった。

前述した通り、TiS2の高温酸化によるSドープTiO2の生成は、O2濃度によって律速されている。上述の条件では、O2濃度は高なく、Ti-richであったため、SドープTiO2が生成したと考えてよい。すなわち、本研究で開発した方法は、SドープTiO2の作製に適した方法であることが明らかになった。

SドープTiO2の電子構造と光学特性

Sドープ TiO2の電子構造と光学特性を、第一原理バンド計算と拡散反射分光(DRS)測定によって調べた。図6は、Sドープと未ドープTiO2の状態密度(DOS)を示す。SがOサイトを占有することによって、S 3p軌道がO 2p軌道と共鳴して価電子帯(VB)を形成する。これによって、VBの幅が拡大し、バンドギャップ幅が減少する(a)。また、S 3p軌道から成る電子占有準位が、VBと分離してその上端付近に形成される(b)。ただし、構造緩和を行わない計算では、分離した準位の形成は見られなかった。現在のところ、Sドープによる構造緩和によって、TiX6八面体(X=O or S)が歪み、孤立した準位が形成すると考えている。

DRS測定では(図7)、Sドープによって、光学吸収帯の低エネルギーシフト(a)、および、可視域の新たな光学吸収帯(b)が観測できた。前者はバンドギャップ幅の減少によって、後者はVB上部の孤立した電子占有準位を介した励起によって、各々説明できる。

以上のように、SドープによってTiO2に可視光応答性が付与できることを実証した。また、可視光応答の機構を、バンド計算によって明らかにした。

SドープTiO2の吸着と光触媒性能

筆者が開発したSドープTiO2光触媒の実用性を検討するために、同触媒の吸着と光触媒反応の特性を評価した。触媒試料をメチレンブルー(MB)水溶液(0.01 mmol/L)に加え、暗室に保管した後(12時間)、溶液の光学吸収スペクトルを測定した(図8(a))。標準試料を加えた場合は、溶液の吸光度は大幅に減少した。一方、Sドープ体添加の溶液の吸光度変化は小さかった。これより、Sドープ体の吸着効率が低いことが分かった。XPSスペクトルには(図9(a))、O-S結合に起因した信号(168 eV付近)が観測されており、試料表面にSox分子が吸着していることが示唆された。非効率な吸着性能は、Sox吸着分子が原因である。

工業的に、無リン洗剤による洗浄によって、金属触媒のSox吸着分子を除去できることが知られている。そこで、無リン洗剤でSドープTiO2を洗浄した。図8(b)は、洗浄した試料を加えた溶液の吸収スペクトルである。当該洗浄の結果、Sドープ体の溶液の吸光度は、標準試料と同等のレベルまで減少した。これは、Sドープ体のMB分子の効率的な吸着を示唆する。洗浄後は、168 eV付近のXPS信号強度の減少が確認された(図9(b))。これらのことから、Sox吸着分子が洗浄によって除去され、吸着性能が改善したと考えられる。

光触媒特性は、2-プロパノールの光分解試験によって評価した。光源には、ハロゲンランプ(350-700 nm)を使用した。この光をそのまま用いた場合(光源1:紫外光を含む)と、フィルターによって420nmから短波長側を除去した場合(光源2:可視光のみ)の2種類の照射を行った。1光子励起による光触媒反応によって、2-プロパノール1分子は、アセトン1分子に変換されることが知られている。そこで、光触媒材料の量子効率(QY)をQY = N/Pと定義した(NとP:単位時間当たりのアセトンの生成量と光子の吸収量)。

図10の通り、可視光を照射した時(光源2)もアセトンの生成が観測され、SドープTiO2が可視光下でも光触媒として機能していることが実証できた。

ここで、光源1と光源2での量子効率の比[QY2/QY1 = (N2/N1)×(P1/P2)]を考える。添え字1と2は、それぞれ、光源1と2の照射を示す。1時間当たりのアセトンの生成量は、約7.808 μmol(光源1)と約0.279 μmol(光源2)であった。よって、N2/N1≒0.036となる。単位時間当たりの光子吸収量の比は、P1/P2≒4.845であった。これらより、「QY2/QY1≒0.17」を得た。すなわち、光源1を照射した時の方が、光源2の時よりも、量子効率が高いことが明らかになった。この結果は、S添加TiO2では、可視光下より、紫外光下の方が、光触媒効率が高いことを示している。

図6のDOSに基づくと、SドープTiO2の光触媒反応は、紫外光下ではVBとCB間(I)での、可視光下では準位(b)とCB間(II)での、各々のキャリア生成過程によって促進すると考えられる。一般的に、孤立した準位を介した励起(過程(II))によるキャリアの生成効率は、バンド間遷移(過程(I))の場合よりも低い。そのため、可視域での反応の効率が、紫外域よりも低くなったと考えられる。しかしながら、光触媒技術の応用が期待されている場面では、太陽光や室内照明など可視光域が支配的な光源が数多く存在する。従って、このような場面では、SドープTiO2光触媒の利用が十分に期待できる。

まとめ

本研究では、新規可視光応答型光触媒SドープTiO2の開発と物性の研究に取り組んだ。TiS2を高温で酸化することによってSドープTiO2の作製に成功した。SをOサイトにドープすることで、S 3p軌道が価電子帯上部を改質し、バンドギャップ幅を減少させることによって、結果として、可視光応答性が付与できることを明らかにした。さらに、SドープTiO2が、可視光照射下で光触媒として機能することを実証した。

TiS2 の300℃、600℃、800℃(処理時間90分)の熱処理て得た試料、および、TiS2、アナターセ型とルチル型TiO2の標準試料のXRDバターン

TiS2の熱処理(500℃)で作製したアナターゼTiO2のS 2p準位に対するXPSスペクトル

TiS2の熱処理によるTiO2の生成過程

TiS2の酸素(100%)中または空気中での熱処理時間90分;温度500℃で得た試料のXRDバターン

F-LAPW法によって計算したS不純物の形成エネルギー

F-LAPW法によるバンド計算によって求めたSドープTiO2と未ドープTiO2のDOS

TiS2の熱処理(500℃)で作製したSドープTiO2と未ドープTiO2のDRSスペクトル

試料に吸着させた後のMB溶液の吸収スペクトル

作製直後と洗浄後のSドープ試料のS2p準位に対するXPSスペクトル

SドープTiO2の光触媒反応によるアセトンの生成量

審査要旨 要旨を表示する

近年、TiO2 光触媒の応用分野は著しい広がりを見せ、様々な方面で、次々と注目すべき新技術が誕生している。一方で、TiO2 光触媒には、克服すべき問題点が、数多く存在する。その一つは、TiO2 が可視光に対して応答しない点である。TiO2 に可視光照射下での光触媒性能を付与できれば、同物質の機能性や実用性が飛躍的に向上することになる。現在、世界中の研究機関において、この可視光応答型光触媒の実現に向けた開発研究が盛んに行われている。この研究背景を踏まえて、梅林氏は、硫黄ドープTiO2 が、可視光応答型光触媒として有効な材料であることを明らかにした。本論文は、当該化合物の作製方法の開発と、得られた光触媒の性能試験、そして可視光応答機構の解明に至る一連の研究の成果をまとめたものである。

まず、梅林氏は、従来の試みを踏まえて、遷移金属ドープTiO2 の電子構造を系統的に解析し、同物質の可視光応答の機構について考察し、これが光触媒材料として十分な機能を持ち得ないとの結論に至っている。これは、ドープされた遷移金属が、TiO2 のバンドギャップ内に不純物準位が形成するためであるとし、この準位が関わる励起キャリアの挙動を詳しく解析している。その結果、可視光下での光触媒反応を促進するには、光応答領域を低エネルギー側にシフトさせ、かつ光励起によって生成した電子・正孔の電荷分離を促進するようなドープ元素でなければならないと主張している。梅林氏は、ドープ元素が満たすべき性質を詳しく考察した上で、硫黄(S)に着目し、S ドープTiO2 の開発に取り組んだ。そして、TiS2 の高温酸化という極めて簡便な手法によって、S ドープTiO2 を作製することに成功した。また、バンド計算によって、本手法が、S ドープTiO2の作製に適した手法であることを、理論的に明らかにした。さらに、S ドープTiO2 が、未ドープ体よりも低エネルギー側に光学吸収帯を持ち、可視光応答性を有することを実験的に示した。この応用性発現の機構には、バンド計算による明解な説明がなされ、これは紫外線光電子分光測定の結果とも符合している。本論文の後半部分では、作製されたS ドープTiO2表面への分子吸着性能と光触媒性能の評価がなされ、その実用性についての考察が記されている。ここでは、S ドープTiO2表面への反応物の吸着効率を大きく向上させる手法が述べられ、有機物の酸化分解実験を通した可視光応答型光触媒性能の実証が行われている。ただし、可視光下での光触媒反応の量子効率は、紫外光下と比較して低いことが記述されており、これは、可視光下の光触媒反応が、孤立バンドとCB 間の電子励起によって進行するという、非効率なキャリア生成過程に起因するからであると考察されている。ただし、光触媒技術の応用が期待されている場面では、この過程が妨げにならない事例も多く、S ドープTiO2 の潜在力は十分に高いものと推察している。

本論文は8章で構成されている。序論では、本研究の背景として、TiO2の光触媒反応の概要および基礎物性についての解説がなされ、可視光応答性光触媒の開発に向けた研究の現状が紹介され、これらを踏まえた、本研究の目的が明示されている。

第2章では、本研究に関わる実験と計算に関する理論と方法についての説明がなされている。

第3章では、遷移金属ドープTiO2 の電子構造解析の結果が示され、同物質の可視光応答機構についての考察がなされている。この結果に基づいて、可視光応答型光触媒の研究開発の指針を検討されている。

第4章では、前章で提示された研究の指針に従って策定された、硫黄(S)ドープTiO2 の開発への取り組みが記され、当該物質の作製方法と基礎物性が詳述されている。

第5章では、硫黄(S)ドープTiO2 の光電子分光測定と第一原理バンド計算の結果が示され、S の占有サイト、Sドープ体の生成条件、可視光応答機構についての議論がなされている。

第6章と第7章には、作製したS ドープ試料の光触媒性能と吸着性能を評価した結果が述べられ、当該物質の実用性についての検討がなされている。

第8章で、本研究の総括がなされ、今後の展望が述べられている。

以上を要約すれば、本研究の成果は、新規可視光応答型光触媒であるSドープTiO2の開発の成功であり、その機能を物性解明を通して実証したことである。当該手法は、非常に簡便かつ経済的であり、その実用化への潜在力の高さは注目に値する。また、さらなる性能の向上も大いに期待されるところであり、真に実用的な可視光応用性光触媒の開発に多大な貢献を成すものである。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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