学位論文要旨



No 119048
著者(漢字) 大野,雅史
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,マサシ
標題(和) Ir-TESピクセルを用いたX線イメージングマイクロカロリメータ
標題(洋)
報告番号 119048
報告番号 甲19048
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5780号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 助教授 石川,顕一
 東京大学 助教授 出町,和之
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 宇宙航空研究開発機構 教授 満田,和久
内容要旨 要旨を表示する

放射線利用は原子炉、核物理、核化学、宇宙線計測等の産業、科学分野から医療に至るまで多岐に渡るが、これを可能にしたのは放射線計測技術の進歩によるところが大きい。計測技術の向上は単にデータの質的向上に留まらず、ライフサイエンス等、急速に進展しつつある領域において新たな分野を切り開く可能性を秘めている。特にX線計測におけるエネルギー分解能とイメージング能力の向上は今後の先端科学技術の発展に必要不可欠である。これまでX線検出にはSiやGe等の半導体検出器やCCD(電荷結合素子)が広く用いられてきたが、これらの中でエネルギー分解能が優れている半導体検出器でも放射線入射で生成する電子正孔対数の統計的な揺らぎにより、理論的なエネルギー分解能は100eV@5.9keV程度が限度である。なお回折格子を通したスリット光を検出する方式はより良い分解能が得られる一方、効率を数桁以上犠牲にしており応用範囲は限られてしまう。近年、Spring-8の完成で線源の高輝度、高性能化は飛躍的に進歩したが、このような放射光利用による蛍光X線化学結合状態分析では、10keV以上のエネルギー領域で1eV以下という超高エネルギー分解能が要求され、従来のX線検出技術では到底太刀打ちできない。

そこで、本論文では放射光を用いた化学分析や生体計測、さらにX線天体観測等、既存の検出器性能では不十分な先端科学領域からの要求に応えるべく超高エネルギー分解能とイメージングを両立させる革新的な検出技術の確立を目指し、超伝導体を用いたマイクロカロリメータの開発研究を行なった。超伝導体の急峻な転移領域を利用した温度計(TES:Transition Edge Sensor)と電熱フィードバック(ETF:Electro Thermal Feedback)を組み合わせたX線マイクロカロリメータは近赤外から20keV程度のX線にいたる広範囲のエネルギー領域で優れたエネルギー分解能と高計数率の両方を実現する検出器である。本論文では温度センサーにイリジウム(Ir)薄膜を用いたマイクロカロリメータを試作し、X線入射応答特性を評価した。イリジウムは112mKに超伝導転移温度を持ち、化学的に安定で、しかも原子番号が大きくX線吸収効率が高いなど優れた特性を有している。検出素子はマグネトロンスパッタリング法、フォトリソグラフィーや反応性イオンエッチング法などの微細加工技術を用いて作製される。なおマイクロカロリメータでは温度センサー内でX線入射によるエネルギーが充分に熱化され検出可能な温度パルスを生じさせるために、センサーと外部の系との間を弱い熱リンクで接続することが必要である。本研究では、Ir薄膜が極薄い窒化シリコンメンブレンに吊り上げられるような構造を用いることで適度な熱コンダクタンスを実現した。作成素子では134mK付近で極めて急峻な転移特性が得られ、転移温度近傍でTESに定電圧バイアスを与えると自己加熱によるフィードバックが作用して、超伝導転移領域内で素子を安定に動作させることができた。X線入射に伴うETF-TESの抵抗変化は微弱な電流変化として低インピーダンスの信号読み出し法により検出されるが、本研究では電流変化を磁束に変換し超伝導量子磁束干渉素子(SQUID)を200個直列に接続した増幅器で読み出す方式を開発した。このような検出システムを用いて500μm角の正方形状Ir-TESの全面に55FeからのX線を照射して応答特性を評価した結果、ほぼ単色のX線を計測しているにもかかわらず検出パルスの波高値や立上り時間等に大きなばらつきが生じ、エネルギー分解能を著しく劣化させていることがわかった。この波形のばらつきをさらに詳しく調べるためにシンクロトロン放射光を3keVに単色化して20μm径にコリメートしたX線マイクロビームを用いてTESを走査し、応答特性を評価したところ、応答信号の波高値や立上り時間はTES内のX線入射位置に強く依存することが明らかになった。特にTES内の電流の向きと平行にスキャンした場合の位置依存性が著しく、しかもバイアス電圧を変化させると高い波高値を示すX線入射位置が移動することが判明した。このような現象はIr薄膜の熱伝導が低いためにTES内部に温度分布が生じ超伝導/常伝導相に相分離していると考えることで説明される。したがって高エネルギー分解能を達成するにはTES内部の温度勾配をなるべく小さくし、単色のX線入射に対しては波形のばらつきを無くすことが必要である。そこでTES内の温度勾配を抑制するための手法を検討した結果、TES薄膜の熱伝導性をあげる方法とTESの電極間隔を狭める手法が有効であることがわかり、それぞれの手法によってTESの熱特性の改善を試みた。

まず、TESの熱伝導性を向上さえるためにIr上にAuを製膜したデバイスを開発した。本デバイスでは近接効果によりIr単体にくらべ超伝導転移温度の低下が予想されるが、IrとAuの膜厚比を調節することで超伝導転移を108mK付近で生じさせられることがわかった。そこでIr/Auからなる200μm角のTESを製作し、素子全面に55FeからのX線を照射して応答特性を調べたところエネルギー分解能は格段に向上して9.4eVを達成することができた。得られたエネルギースペクトルではMnのKα1(5899eV)とKα2(5888eV)のピークを分離できる迄に至っている。

次にTESの電極間隔を狭めたIr-TESの開発も進めた。計算によると厚さ50nmのIr膜では電極間隔を200μm以下にすれば超伝導/常伝導相分離が起きないと予測されている。そこで本研究では1.3mm角の窒化シリコンメンブレン上に厚さ100nmの単一イリジウム薄膜からなる大きさ80×160μmのピクセルを8個あるいは10個を一列に並列接続したデバイスを開発した。本素子では全ピクセルを同時に定電圧バイアスして、1個のSQUIDアレイで信号を読み出す。まず、素子全面に55FeからのX線を照射して応答特性を調べたところ500μm角のデバイスに比べて波形のばらつきは大きく低減したが、測定波形はいくつかのタイプにわかれることがわかった。応答波形を詳細に解析してみるとそれらはピクセル数と同じ数程度に分類することができ、これは波形が入射ピクセル毎に変化していることを強く示唆している。なお入射X線のエネルギーは電流波形を積分することにより高精度に検出できることが確認された。そこで本素子の入射ピクセル位置依存性を調べるために20μm径にコリメートした3keVのX線マイクロビームを用いてTESを走査して応答信号を評価したところ期待どおり波形とピクセル入射には強い相関が認められた。そして応答信号の立上り時間、立下り時間および波高値をもとに信号分布を見ることで明確に入射ピクセルを特定できることが明らかになった(右図参照)。なお、ピクセルごとに波形が異なる原因は各ピクセルの温度(バイアスポイント)が超伝導転移領域内で微妙に異なっていることによると考えられる。また、本素子では3keVのX線入射に対しても応答波形は先がつぶれた形を示すことがわかった。これは1ピクセルあたりの熱容量が小さいため3keV程度のエネルギー入射でも入射ピクセルは飽和し、転移領域を飛び越え完全な常伝導に移行して電流変化に寄与しなくなることによるものである。したがってこのような波形では波高値は入射エネルギーに比例しないことになり、これまでのTES信号検出において飽和波形は敬遠されるのが常識であった。しかし本素子では飽和波形による波高値は逆にそれぞれのピクセルのバイアスポイントのわずかなずれを反映した値を示すことになり、これが入射ピクセルを同定する上で有意な情報となりうることが証明された。ゆえにピクセルIr-TESは応答波形の立上り時間、立下り時間に加えて波高値を利用することで精度の高い入射ピクセルの決定を行なうことが可能である。10ピクセル1次元アレイ素子では全ピクセルの入射位置の特定と同時に各ピクセルで26eV〜29eV(FWHM)のエネルギー分解能を実現した。現在、主に天文応用を目的とした大規模TESアレイの開発が諸外国でも精力的に進められている。しかしSQUIDマルチプレクス技術を用いた信号読み出し系はイメージングピクセル数の点で回路の複雑化が避けられず、いまだに大規模TESアレイはもちろん2個のTESを同時に動作させて位置読み出しと高エネルギー分解能の両立を図ることさえ達成されていない。このような現状で本論文の10ピクセルIr-TESアレイはイメージング性能を有するTESとして世界トップレベルの性能を達成しているといえる。なお本研究ではこの1次元Ir-TESアレイをさらに発展させて、40μm角のピクセル10個を2列に並べた2次元ピクセルイメージングアレイ素子の試作も試みている。現在、15ピクセル以上の入射位置特定が実現できることは明らかになっているが、全ピクセルの特定には至っていない。しかしながらピクセル配置を最適化することでこれも可能になるものと思われる。

ピクセル入射毎の応答信号立上り時間と波高値に対する応答信号分布

審査要旨 要旨を表示する

新しい放射線検出器の素材として、超伝導体を用いる試みが現在、世界各地で進められている。この超伝導体の特長は、放射線のエネルギーを測定する精度を従来の方法に比べて、まさしく桁違いに良くできるからであり、これを用いた特性X線測定による元素分析(例えばPIXE法や蛍光X線分析法)などでは、原子の同定みならず特性X線のケミカルシフトを用いてX線放出原子の化学状態分析も可能と言われている。

超伝導材を用いた放射線検出器には、放射線入射による超伝導体中での準粒子生成による電子励起を用いる方式という超伝導トンネル接合型と、放射線によるフォノン励起を用いるカロリーメータ方式の2つがあり、本論文は後者の方式を用いているものである。

本論文は7章で構成されており、第1章は序論である。ここでは極低温検出器の研究開発の一般的背景といろいろな方式について説明している。NIS方式(絶縁体を常伝導金属と超伝導体で挟んだ構造のもの)とか、磁気マイクロカロリメータ方式も紹介している。本論文ではイリジウム(Ir)を用いたTES(超伝導転移型マイクロカロリメータ)の開発研究を目的としている。

第2章では、TESによる放射線検出器の動作原理について説明している。つまり、超伝導体では急激に抵抗値が零になる超伝導転移体領域というところがあり、微少な温度変化に抵抗変化を示す部分がある。この部分を用い、放射線による微少な温度変化と電気エネルギー(電流)パルスとして取り出す。この仕組みをETF(Elctron-Themel-Feedback)というこのETF方式のTESマイクロカロリメータの電流応答性と固有雑音について、従って期待される固有のエネルギー分解能について示している。

第3章では、超伝導薄膜を用いた単一ピクセルTES開発について国内外の現状をレビューしている。Irを用いたTESについてその素子製作方法および素子の超伝導転移特性についても説明している。

同レビューでは、米国国立標準技術研究所(NIST)のIrwm等による近接二重層(Mo/Cu,A /Ag)による測定例をまず示し、エネルギー分解能が2.0eV@1.5KeVを出したと報告している。その他の欧州のエスロン(SRON, Space Research Organization Natherland)では宇宙用のTES開発を進めておりTi/Auのデバイスが4.5eV@5.9KeVと報告している。国内でも宇宙科学研究所のグループがTi/Auに対し6.8eV@5.9KeVのエネルギー分解能を報告している。

このレビューのように近接二重層を使うことも多いが、本研究ではIrの単一超伝導を使っている点が特徴である。この製作には、東大のVDECや共同研究で作成プロセスを開発している。

第4章では、前章で開発したデバイスについて、その測定動作システムの説明であり、特に3He,4He希釈冷凍器およびSQUID増幅器について説明している。

第5章は4章の方法で作ったデバイスについて、5章で説明した測定システムを用いX線検出応答特性などを試験した結果、つまり、本研究の1つの結論を説明したものである。このときの分解能は194eV(FWHM)@5.9KeVであり、設計時の期待1.5eVに比べ2桁程悪く、この原因を数十ミクロンにクリメートしたX線を検出器各部に入射させて調べてみた。その結果、入射場所によって発熱温度が変化していること、それも印加バイフスにより変化することが分かった。これは検出器内で超伝導相と常伝導相が分離しいてるためであろうと想定された。これを解析的な解と比較することにより、(1)TES内の熱コンダクタンスを大きくすることあるいは(2)Ir-TESを小型ピクセルに分離して利用することの2つの解決策が考えられた。

特に(1)の解決策としてIr-Au薄膜TESを作成し、△E=9.4eV@5.9KeVという結果を得て、この方式の有効性を示した。

第6章は全章の(2)の問題の解決策に関するもので、IrTESを小さいとピクセル型の独立検出器としてアレイ化して、イメージング検出器にしようとするものである。これに伴い、イメージング化する検出器数をN×Nとすると、N2個のアレイ信号処理が必要となる。この点の問題解決が必要となり、本章ではこの問題に対する従来の解決策、SQUIDマルチプレックスとしての時分割方式、周波数分割方式、2×4入力SQUID方式などを紹介している。次いで、本研究で考察されたものとして、Postの発展版の信号解析法を説明している。これは前章で求められた結果、つまり放射線入射位置により信号波形が異なることを用いたものでピクセル型に適した方法と言える。

第7章は結論で、本研究のあらすじをまとめているほか、今後の研究の方向について展望している。Ir型、超伝導検出器を実用的な検出器にするためのいろいろな方策について提案しており、その結果は、工学的研究として高く評価される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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