学位論文要旨



No 119049
著者(漢字) 岡本,剛
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,ツヨシ
標題(和) 一次視覚野における方位選択性と刺激文脈依存性のトポグラフィーに関する研究
標題(洋) A Study on the Topography of Orientation Tuning and Contextual Modulation in Primary Visual Cortex
報告番号 119049
報告番号 甲19049
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5781号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡邉,正峰
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 助教授 岡本,孝司
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 内閣府   近藤,駿介
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

我々の脳は絶えず感覚信号を受け取り、それを知覚し行動の決定を下している。そのため、感覚情報は我々が生きていく上で非常に重要な情報であると言える。中でも視覚は感覚情報処理の中枢を担っており、そのシステムを解明することは脳のシステムを理解することにも繋がるため、多くの研究者が視覚システムの解明に取り組んでいる。

視覚に関する生理学的・形態学的研究はヒューベルとウィーゼルの研究にその礎を置いている。彼らは、大脳皮質一次視覚野 ( V1 ) のニューロンが方位選択性を有し、受容野内に呈示された線分や格子縞図形の傾きに選択的に応答することを発見した。また、類似の選択性をもつニューロン群が規則性を持ってカラム状に配列し、情報処理の機能モジュールになっていることを電気生理学的に示した。

しかしながら、近年になって計測技術が進歩すると、V1の機能と構造はヒューベルとウィーゼルが考えたよりも複雑であることがわかってきた。方位選択性はV1内部回路によってより先鋭化されており、さらにそれが周囲の図形の特徴に依存して活動修飾を受けることが明らかにされた。例えば、受容野内の最適図形刺激と同じ傾きを受容野周辺にも呈示すると反応が抑制され、受容野内と受容野周辺の図形の傾きが直交するように刺激を呈示すると反応は抑制されない。この性質は刺激文脈依存性と呼ばれ、大脳皮質の広域の情報統合メカニズムに関係するものとして近年非常に注目されている。これまで、これらのV1の機能的特徴は特殊な結合を仮定して説明されることが一般的であったが、最近の研究ではV1の内部回路が以前考えられていたよりも特殊な結合をしていないことも報告されている。一方、V1の機能的構造については、方位選択性が整然とならんでいるわけではなく、特異点を含む複雑な配列をしていることが報告されている。

本論文の目的はV1の構造と機能との関係を系統的に説明することである。そのためにまず、解剖学的・生理学的知見に基づく等方的な水平結合を仮定し、方位マップの構造を反映したモデルを構築する。これまでのモデル研究においては方位マップを自己組織的に作ることが主な目的で、方位マップの幾何学構造を抽出してモデル化し、それが機能どういう影響を及ぼすのかを調べたものはなかった。ここに本研究の意義がある。そのモデルを用いて数値シミュレーションを行い、方位選択性の先鋭化と刺激文脈依存性を再現する。さらに方位選択性と刺激文脈依存性が方位マップ上の位置によって異なる属性を持つことを予測する。最後に、大阪大学大学院生命機能研究科の池添貢司氏が計測したサルの光学計測データを解析し、本論文が提案するモデルを検証する。

モデル

本論文で提案するV1のモデルは、4Cβ層からの入力を受け取り2/3層の水平結合を介して相互作用するモデルである。モデルのユニットモジュールは単一ニューロンではなく、ミニコラムに相当するニューロン集団を仮定し、方位モジュールと呼ぶ。2/3層内の水平結合は、キスバルディーらの実験結果に基づき、興奮性結合ボタン数および抑制性結合ボタン数を平均して求めた。結合ボタン数が結合強度に比例するという仮定は自然な仮定であるが、結合ボタン数から抑制/興奮の結合強度比を求めることはできないため、強度比に関しては恣意的に決定した。また、方位マップに関しては、まずヒューベナーらが計測した方位マップについて特異点の構造を解析した。そして、時計回りのピンウィール特異点と半時計回りのピンウィール特異点が交互に蜂の巣状に配列することを発見した。これは筆者が初めて発見した構造で、ハニカム構造と名づけた。この構造に基づいて方位マップの幾何学構造をモデル化した。なお、水平結合と方位マップの空間スケールは生理学的に妥当な値を設定した。

方位選択性と刺激文脈依存性の再現

提案したモデルを用いて数値シミュレーションを行うと、等方的な水平結合のネットワークを仮定しているにも関わらず、方位モジュールの方位選択性が先鋭化され、刺激文脈依存性が発現した。このメカニズムを調べるため、間接的な経路を全て考慮したネットワークの振る舞いを理論的に求めた。その結果、直接結合ではモジュール近傍は興奮性結合でその周囲を抑制性結合が囲む二重構造になっているのに対し、間接結合も含めたネットワークでは、直接結合の抑制性の影響が及ぶ領域の外側にさらに興奮性の影響が及ぶ領域が出現し、その外側にさらに再び抑制性の影響が及ぶ領域が出現した。つまり、入力を受けたモジュールは自分からの距離に応じて興奮、抑制、興奮、抑制と影響を及ぼす四重構造になっていることがわかった。それらの領域を中心に近いものから順にExReg1、InReg1、ExReg2、InReg2と呼ぶことにする。次に、これらの領域に方位選択性がどのように分布しているのかを調べると、ある周期性がみられた。つまり、InReg1では中心のモジュールの方位選択性と30〜60°異なるモジュール(OBLIQUE)が多く分布しておりこれが中心のモジュールの方位選択性を先鋭化させる。また、ExReg2では中心のモジュールの方位選択性と60〜90°異なるモジュール(CROSS)が多く分布し、InReg2では中心のモジュールの方位選択性と0〜30°異なるモジュール(ISO)が多く分布していた。これはとりもなおさず刺激文脈依存性を引き起こす要因となる。

方位選択性と刺激文脈依存性のトポグラフィーに関する予測

次に、方位選択性と刺激文脈依存性が場所によってどのように異なるかを数値シミュレーションで調べた。その結果、方位選択性は特異点近傍が弱く、特異点から離れるについて鋭いチューニングを示す傾向があることがわかった。これは結合強度関数の抑制/興奮比を変えても保たれるため、普遍的な性質であると言える。一方、刺激文脈依存性に関しては、抑制/興奮比が比較的大きい結合を仮定すると方位選択性と同様に特異点近傍では弱く、特異点から離れるにつれて強くなる。しかし、抑制/興奮比が比較的小さい結合を仮定すると逆の結果を示した。抑制性結合は興奮性結合よりも安定で強い生理学的結合強度を持つことが知られているため、抑制性が弱い仮定は意味がないかもしれないが、順応等で結合強度のバランスが変化することはありうる。その場合、刺激文脈依存性は場所によってその効果を変えることが示唆される。

方位マップデータの解析によるモデルの検証

最後に、サルV1の光学計測データを解析し、得られた方位マップから方位選択性の空間分布を求めた。この結果、サルV1の計測データは、本論文で提案した方位マップモデルと非常によく似た空間分布を示すことがわかった。つまり、OBLIQUEの空間分布は中心からの距離に関して線形に増加していくのに対し、ISOとCROSSの差の空間分布は中心の距離に応じて正、負、正と変化する。色の選択性がないネコやフェレットとは異なり、サルのデータはハニカム構造が綺麗に表れるわけではないが、方位選択性の空間分布が同じ傾向を示したことは本モデルの正当性を裏付ける。

結論

本論文では、等方的な水平結合によるネットワークの相互作用と、方位マップの幾何学的な構造をモデル化し、V1の方位選択性が先鋭化されるメカニズムおよび刺激文脈依存性が発現するメカニズムを提案した。さらに、方位選択性は興奮性と抑制性の結合強度バランスが変わっても特異点近傍が弱いチューニングで、特異点より離れるにつれ強いチューニングになることを示した。また、刺激文脈依存性は抑制性の結合が比較的強い場合に方位選択性と同様の違いを示すが、抑制性の結合が比較的弱い場合は逆の傾向を示すことがわかった。これより、方位選択性はV1の安定した性質であり、刺激文脈依存性は結合バランスによって変化する動的な性質であるということができる。最後に、サルのV1で計測した方位マップを解析すると、ハニカム構造が示す方位選択性の空間分布と非常によく似た傾向を示すことがわかった。ハニカム構造は方位マップの幾何学的性質を表す構造として妥当な仮定であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

“A Study on the Topography of Orientation Tuning and Contextual Modulation in Primary Visual Cortex”と題する本論文は、生理学的および解剖学的知見に基づいた大脳皮質一次視覚野の画期的なモデリングと大規模な計算機シミュレーション、さらに光学計測データの解析によって一次視覚野の方位選択性と刺激文脈依存性のメカニズムに新たな説明を与え、それらの詳細な地勢図(トポグラフィー)の予測を試みたものである。本論文は6章から構成されている。

第1章は序論であり、本研究が対象とする一次視覚野の機能と構造について、ヒューベルとウィーゼルの研究から始まる過去の一次視覚野研究を紹介し、近年の計測技術の進歩によって新たにわかった構造と機能に関して詳しく説明している。しかしながらこれらの構造と機能との関係は未だ系統的に説明されたとは言えず、それを行うことが本研究の目的であると述べている。

第2章は、本論文で提案する一次視覚野のモデルを説明している。本論文で提案するモデルは、4Cβ層からの入力を受け取り2/3層の水平結合を介して相互作用するモデルで、解剖学的知見に基づき2/3層内の水平結合は等方的な結合を仮定している。また、方位マップに関しては、まずヒューベナーらが計測した方位マップについてピンウィール特異点の構造を解析し、ピンウィール特異点が蜂の巣状に配列するハニカム構造を発見したとしている。2/3層における方位マップの幾何学構造は、このハニカム構造に基づいてモデル化されている。

第3章は第2章で導入したモデルを用い、一次視覚野の方位選択性が入力に対して先鋭化される現象および刺激文脈依存性の現象を再現している。さらに等方的な水平結合を通した全経路を考慮したネットワークの振る舞いを理論的に求め、モデルから求めた方位コラム分布の周期性と併せてそれらのメカニズムを説明している。これまでの研究は特殊な水平結合を仮定してこれらの現象を再現していたが、等方的な水平結合であっても方位コラム分布に周期性があることによってこれらの現象が再現可能であることを示したことは意義があるとしている。

第4章は、方位選択性の先鋭度と刺激文脈依存性の強さが場所によってどのように異なるかを数値シミュレーションで予測している。その結果、方位選択性は特異点近傍が弱く、特異点から離れるについて鋭いチューニングを示す傾向があり、これは結合強度関数の抑制/興奮比を変えても保たれるため安定な性質であることが示されたとしている。一方、刺激文脈依存性に関しては、抑制/興奮比が比較的大きい結合を仮定すると方位選択性と同様に特異点近傍では弱く特異点から離れるにつれて強くなるが、抑制/興奮比が比較的小さい結合を仮定すると逆の結果を示したと報告している。抑制性結合は興奮性結合よりも安定で強い生理学的結合強度を持つことが知られているため、抑制性が弱い仮定は意味がないかもしれないが、順応等で結合強度のバランスが変化することはありうる。その場合、刺激文脈依存性は場所によってその効果を変えることが示唆されるとしている。

第5章は、サルの一次視覚野に光学計測を行って得られた方位マップデータを解析し、本論文で提案されたモデルが正しく現象を説明・予測しているのかを検証している。解析の結果、サル一次視覚野の光学計測データは、本論文で提案した方位マップモデルと非常によく似た空間分布の傾向を示したことにより、本論文で説明されたメカニズムおよび予測された現象の妥当性が示されたとしている。

第6章は結論で、一次視覚野の等方的な水平結合によるネットワークの相互作用と方位マップの周期的な方位コラム分布によって、方位選択性の先鋭化と刺激文脈依存性メカニズムを説明し、方位選択性と刺激文脈依存性のトポグラフィーを予測したとしている。そしてサルの一次視覚野で光学計測した方位マップを解析することで上述の説明や予測の妥当性を示したと結んでいる。

以上を要すれば、本論文は、大脳皮質への視覚情報の入り口である第一次視覚野に対してモデル化を行い、周辺刺激文脈依存性のメカニズムなど未解決問題を明らかにしている。また、光学計測のデータによってモデルで提案している情報処理メカニズムの存在を検証している。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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