学位論文要旨



No 119051
著者(漢字) 虎石,貴
著者(英字)
著者(カナ) トライシ,タカシ
標題(和) ランタニドおよびアクチニドの有機配位子との錯形成に関する研究
標題(洋) Coordination Chemistry of Lanthanides and Actinides with Organic Ligands
報告番号 119051
報告番号 甲19051
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5783号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 助教授 陳,迎
 東京大学 助教授 長崎,晋也
内容要旨 要旨を表示する

研究の概要および目的

現在わが国で進められている放射性廃棄物処分の安全評価において,問題となっているのがフミン酸やフルボ酸(以下HA/FA)に代表される天然有機物質とランタニドおよびアクチニド(以下Ln/An)の相互作用である.天然有機物質はLn/Anと非常に強い錯形成をすること,および天然有機物質自身が決まった組成を持たないため,画一的に錯形成反応を評価することができないことから,安全評価への影響が懸念されている.このような背景から,既往の錯形成モデリングによる評価に加えて,分子レベルでの相互作用の評価が必要とされている.しかしながら天然有機物を直接用いてミクロな構造評価をすることは不可能であることから,天然有機物質の特徴的な性質をもつモデル物質を使用した研究を行う必要がある.

一方Ln/Anは水溶液中において容易に加水分解されるため,有機配位子との錯形成反応は一般的に加水分解種を含む多元系反応になる.この複雑さが現在までのLn/Anの水溶液化学の研究において,特に中性−アルカリ性領域での研究を困難にしてきた要因の一つである.

このような背景から本研究では,天然有機物質のモデルとなる有機配位子とランタニドおよびアクチニド間における錯形成反応の機構とその構造について,多元系反応が生じる化学的条件下において評価することを目的とした.

一般に天然有機物質と各種金属イオンはカルボキシル基を介して錯形成するといわれているが,少数のOH基の存在によって金属イオンが多座配位をとり,極めて安定な錯体を形成する可能性が示唆されている[1].このような特異的な反応が安全評価の不確定性に大きく寄与すると考えられることから,本研究では特にGlycolate (以下Glyc)および5-sulfo salicylate(以下SSA)をそれぞれ脂肪族系キレート配位子,芳香族系キレート配位子のモデルとして使用した.

金属イオンとしてAn(IV)であるTh4+,Ln(III)であるEu3+,およびSm3+, Dy3+, Er3+, Lu3+を対象とした Ln3+は3価のアクチニドと化学的な挙動が類似しており,3価アクチニドであるAm(III), Cm(III)のモデルとして幅広く用いられている.

実験結果および考察

本研究では以下の手順に沿った実験的,理論化学的手法の組み合わせによって上述の目的を達成した.

Potentiometric Titration:

Th-Glyc系における酸塩基滴定の結果を〓 で表現される3元錯体形成反応に対する最小自乗法フィッティングを用いて解析し,溶存化学種の化学量論および安定化定数を評価した.その結果,カルボキシル基によって配位した2元錯体: Th+nOHCH2COO-‡ Th(OHCH2COO)n4-n; n=1-4と共に,2核の3元錯体,および水酸化物であるTh2(OH)26+が同定された.Eu3+を始めとして,Sm3+, Dy3+, Er3+, Lu3+とGlycolateの系も評価しており,Th4+-Glyc系と同様の4核錯体(p=4)の形成が明らかとなった.

さらにTh-SSA錯体においても同様の滴定を行い、Th-SSA錯体においても,単核,2核および4核の錯体が形成していることを明らかにした.

1H, 13C-NMR:

1) の結果からは、プロトンの解離(= qの変化)が配位子のキレート化由来であるか、加水分解由来のものであるかを区別することができない.NMRはこの問題を明確に解決する.Szaboらの報告[2]によれば,水溶液中で-COO-のみを介して配位している配位子は,液相中でフリーの配位子と異なる共鳴周波数を持つものの,配位している配位子とフリーの配位子との間の速い配位子交換反応のため,常温での測定では平均化されたひとつのシグナルしか検出されない.一方,多座配位のキレートを形成する配位子とフリーの配位子間の交換速度は遅く,2つの分離したシグナルを観測することができる.したがって、1Hや13C-NMRによって観測される分離したシグナルの積分値から、キレートを形成している配位子の量を定量することができる.この手法を本系に適用することによって,滴定によって得られた化学種のキレート生成の有無を評価し,化学種の組成を決定した.例として、Th-Glyc系およびTh-SSA系における結果を表1に示す.

EXAFS (Extended X-ray Adsorption Fine Structure):

Th近傍原子の情報からTh-Glycの4核錯体の構造を明らかにした.この結果,Th-Thの結合としてR=3.97Aの単一の結合のみが観測された.4核錯体が単一の結合距離を持つことから, Ln4(OH)4コア[3]などで知られる”cubane-type”の Th4O4型コア構造を取っていることが明らかとなった.

Fluoride-Probe:

さらに、4核錯体のコア構造の特性を評価するため、錯体の配位水とF-の交換反応を利用してOHの特性,及び水和水の配位数の情報を取得した. Th-Glyc-F系では,Th4(OH)4(OCH2COO)84-が支配的な化学種であるpH=11.5で実験を行った結果、はF-の配位に伴うpHの上昇が観測され、Th4(OH)4(OCH2COO)84-中のOHが単座配位であることが明らかになった.EXAFSの結果と合わせて考えると,Th4(OH)4(OCH2COO)84-はTh4(O-R)4型の“cubane-type”コアを形成しており,OH基が単座配位でコアの外側に配位していることが分かった.

一方Th-SSA-Fの系では,F-の配位に伴うpHの変化は観測されず、Th4(OH)4型の水酸化物がコアとなっていることが明らかとなった.この違いは、配位子が脂肪族である場合と芳香族である場合において,配位子間の立体障害が分子サイズの大きい芳香族配位子の場合のほうが大きいことが原因であると考えられる.1) ? 4) を通じて明らかになった多核錯形成反応の概略図を図1に示す.

TRLIFS (Time-Resolved Laser Induced Fluorescence Spectroscopy):

Eu(III)-SSA系を対象に、SSAの蛍光強度変化による配位子濃度の定量分析を行い、Eu(HSSA)2+およびEu(SSA)+ の安定度定数を評価した.ダイナミッククエンチングの定量評価に対する妨害を蛍光寿命評価によって除去し、化学量論を決定する手法を確立した.この手法は低濃度領域におけるアクチニドと天然有機配位子との相互作用の評価に資するものと考えられる.更にEu(III)の蛍光寿命評価による配位水の配位数評価を行った結果、Eu(HSSA)2+は水和水8分子を持つ[Eu(HSSA)・8H2O]2+であり、カルボキシル基の単座配位を含む9配位を取っていることを明らかにした.

量子化学計算: 反応の素過程解明: UO22+(aq)に対するF-の配位に関して,遷移状態における構造や配位子-配位水間交換反応の過程に着目し,遷移状態における構造と水和水の脱離の機構,さらに熱力学的定数を評価した.その結果、遷移状態の構造計算から、遷移状態においてUO22+は6配位を取っており、HFの解離およびFの進入とH2Oの第二水和圏への放出が同時に生じていることが明らかとなった.

Eu-salicylateに対しても量子化学計算を適用し、TRLIFSによって得られた結果を検証した.溶媒和モデルを用いた計算によって、Eu-Salicylateのカルボキシル基配位錯体は、カルボキシル基が単座配位を取る9配位であることが明らかとなり、TRLIFSの結果の妥当性が証明された.更に、液相中で取りうるさまざまな構造異性体を詳細に検討し、溶存化学種の構造を同定した.

結論

Potentiometric Titration, NMRの組み合わせによって水溶液中におけるランタニド/アクチニドの多元,多核錯体の組成を決定するとともに,EXAFS, Fluoride Probeを適用することでそれらの錯体の配位構造に関する知見を得た. この結果,脂肪族系配位子,芳香族系配位子双方とも複核のキレート錯体を形成するが,配位子間の立体障害が配位子の種類によって異なることから,複核化の機構が配位子の種類によって異なることが明らかになった.TRLIFSによって更に幅広い条件での化学種同定の手法を確立するとともに、錯体の配位構造を明らかとした.この結果は量子化学計算によって確認された.また,量子化学計算によって配位子-配位水間交換反応の遷移状態の構造,配位子の第一水和圏への侵入による配位水の脱離メカニズムを明らかにした.

Potentiometry,NMRにより決定された化学種組成

多核錯体形成反応の概略図

vanLoon and Duffy, Environmental Chemistry ? a global perspective, Oxford University Press Inc.,Szabo et al., Inorg. Chem., (2000), 39, 5036.Wang et al., Inorg. Chem., (2001), 40, 2743.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は,放射性廃棄物地層処分の安全評価において重要となるフミン酸/フルボ酸(HA/FA)などの天然有機物質とランタニド/アクチニド(Ln/An)の相互作用機構を解明するために,天然有機物質のモデルとなる有機配位子とランタニド/アクチニド間における錯形成反応の機構とその構造について,多元系反応が生じる化学的条件下において評価することを目的としたものであり,全五章から構成されている.

第一章では,天然有機物の物理化学挙動に関する既往の研究,ならびに放射性廃棄物地層処分の安全評価における天然有機物質とランタニド/アクチニド(Ln/An)の相互作用機構の解明の重要性について概観しつつ,本論文の背景ならびに目的について述べられている.

第二章では, ランタニド/アクチニドとしてTh4+,ならびにEu3+, Sm3+, Dy3+, Er3+, Lu3+を,またモデル有機配位子としてGlycolateおよび5-sulfosalicylateを取り上げ,錯体形成反応の化学量論性ならびに化学組成,および錯体構造についての解明が行われている.とくにTh- Glycolate系における酸塩基滴定の結果が,3元錯体形成反応に対する最小自乗法フィッティングを用いて解析され,溶存化学種の化学量論および安定化定数の評価が行われている.その結果,カルボキシル基によって配位した2元錯体と共に,2核の3元錯体,および水酸化物などが同定されている.Eu3+を始めとして,Sm3+, Dy3+, Er3+, Lu3+とGlycolateの系も評価され,Th4+- Glycolate系と同様の4核錯体の形成が明らかにされている.さらにTh-5-sulfosalicylate錯体においても同様の成果が挙げられている.さらに,1H, 13C-NMRならびにEXAFSやFluoride-ProbeによるNMR測定を通して,上記の化学種の組成を同定するとともに,Th- GlycolateとTh-5-sulfosalicylateの4核錯体の構造が決定されている.

第三章では,フェムト秒レーザシステムによる時間分解型レーザ誘起蛍光分光法を用いて,Eu(III)- 5-sulfosalicylate系を対象に、5-sulfosalicylateの蛍光強度変化による配位子濃度の定量分析が行われ,安定度定数が評価されている.更にEu(III)の蛍光寿命評価による配位水の配位数評価の結果から、それぞれの錯体に関する水和数と配位数が明らかにされている.

第四章では,量子化学計算により, UO22+(aq)に対するF-の配位に関して,遷移状態における構造や配位子-配位水間交換反応の過程について,遷移状態における構造と水和水の脱離の機構,さらに熱力学的定数の評価が行われた.その結果、遷移状態の構造計算から、遷移状態においてUO22+は6配位を取り、Fの進入とH2Oの第二水和圏への放出が同時に生じていることが明らかにされている。Eu-salicylateに対しても量子化学計算が適用され、レーザ蛍光分光法によって得られた結果が検証されレーザ蛍光による測定結果の妥当性が証明されている。

第五章では、本論文の総括と結論、ならびに今後の課題と展望が述べられている。

以上要するに、本論文では,ランタニドならびにアクチニドに関して有機配位子と錯体形成に関する構造評価や錯体形成反応プロセスに関する研究が実験と第一原理計算の両面から行われ,体系的に明らかにされている。これらはシステム量子工学、特に放射性廃棄物処分の安全評価に寄与するところが少なくない。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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