学位論文要旨



No 119059
著者(漢字) 切通,義弘
著者(英字)
著者(カナ) キリトオシ,ヨシヒロ
標題(和) 架橋点に着目したリン脂質型極性基を有するハイドロゲルの創製と医用材料への応用
標題(洋) Making phospholipid-type hydrogel for biomedical application with attention to cross-linking point
報告番号 119059
報告番号 甲19059
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5791号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 桑原,誠
 東京大学 助教授 吉田,亮
 東京大学 講師 高井,まどか
内容要旨 要旨を表示する

ポリマーが三次元的に架橋され、ポリマー内部に多量の溶媒を保持できるゲル構造は、マテリアルに弾力を持たせたり、溶媒を吸収する性質をそのまま利用したりするなど、様々な分野に応用されている。特に溶媒が水の場合をハイドロゲルと称し、医療用マテリアル分野においても高い注目を集めている。これは生体組織の60% 以上が水で構成されていることから、生体との接触時における界面エネルギー差が小さく、タンパク質吸着や血小板粘着を惹起しないと期待されるからである。さらに生体軟組織がコラーゲンやムコ多糖類によるハイドロゲル構造を取っていることからも、生体との親和性を考慮すると、ハイドロゲルは理想のバイオマテリアルといえる。

このハイドロゲルの特性の一つとして、水を多量に含むことに由来する、優れた透明性が挙げられる。一方、角膜や水晶体、硝子体などの眼組織は、生体内で唯一透明な組織構造を持っている。このため、ハイドロゲルは特に眼科用マテリアルとして大きな期待が寄せられており、既にソフトコンタクトレンズ (SCL) が実用化され、さらに生体軟組織の置換材料、ドラッグデリバリー等の研究分野が広がっている [1-3]。またハイドロゲルは環境に応じた膨潤挙動の変化など興味深い現象を引き起こすため、物理化学的な研究・応用も盛んである [4-6]。

SCLは角膜への酸素供給のために高い酸素透過性が求められる。実際には、SCLに内包された水に酸素が溶けこみ、水中を拡散・透過することで酸素供給しているため、含水率(膨潤度)を高めるかレンズを薄くすることにより酸素透過性を向上させている。通常、含水率に関しては親水性ポリマーを用いることによって解決しているが、高い含水率を有するレンズや薄く作製したレンズは機械的強度に難があり、時に破損することもある。またSCL装用時においては、涙液由来の無機・有機物ならびに外気からの細菌類がレンズ表面に粘着・固着することでレンズ性能が著しく劣化する。このため定期的な洗浄・消毒といった作業が不可欠であるが、SCLの場合、高温加熱や強力な酸化剤などを用いた過酷な条件下で行われるため、レンズ自体への影響も無視できない。これらのことを考慮すると、単に親水性が高いポリマーでは不十分であり、タンパク質吸着や細胞粘着を引き起こさない、いわゆる生体適合性が付与されたマテリアルがSCLに求められることになる。

1960年に、メタクリル酸エステル骨格構造に親水性を付与したpoly(2-Hydroxyethyl methacrylate (HEMA)) がSCL用マテリアルとして開発されて以来 [7] 、親水性あるいは疎水性という観点から様々なマテリアルが研究・開発されてきたが、生体適合性の問題を真に解決するマテリアルはまだ登場していない。

本研究では、ハイドロゲルを利用したバイオマテリアルとして、特に眼科用マテリアルSCLをターゲットとし、バイオマテリアルとして必要とされる条件を模索し、従来ハイドロゲルの改良、機能向上、発展により、真のバイオマテリアルとしてのハイドロゲル創製を目指すことを目的とする。

2-Methacryloyloxyethyl phosphorylcholine (MPC) ポリマーは、優れた生体適合性、血液適合性を示すことが多数報告されている。すなわち、MPCポリマーによるハイドロゲルはバイオマテリアルとしての極めて高い理想を具現化するものと考えられる。そこで、これまでに種々の架橋剤を用いたpoly(MPC)ハイドロゲルを調製し、その種々の特性について報告している [8] 。特にpoly(MPC) ハイドロゲルが種々のアルコール水溶液中において可逆的な回帰的体積相転移現象を示すことを明らかにし、ドラッグデリバリーシステムやバイオセンサーなどへの広範な応用性を見いだした。またpoly(MPC) ハイドロゲルは極めて高い含水率(90 %) を示すことも明らかにした。しかしながら、このことは機械的強度において脆弱性を持つことを意味し、poly(MPC) ハイドロゲルの引っ張り強度試験では高々20kPa程度の破壊強度を示すに留まった。これは現在市販されているSCLと比較しても1/4程度であると考えられ、機械的強度を増加させることを念頭に、架橋剤量などを制御することで含水率の制御を試みた。しかしながら架橋剤の導入に限界があり、また作製したハイドロゲルが固く柔軟性を失うなど、MPCと架橋剤との親和性が問題となった。従来、架橋剤はポリマー分子鎖同士をつなぎとめる役割に主眼が置かれ、架橋剤自体に積極的に機能を付与した例は多くない。しかしながら、poly(MPC) の高い親水性、優れた生体適合性は、ハイドロゲル内架橋点にも是非とも必要な機能である。

以上の経緯から、分子の親水性およびMPCポリマー鎖との親和性を考慮し、分子内にリン脂質極性基を有した架橋剤 2-(Methacryloyloxy)ethyl-[N-(2-methacryloyloxy)ethyl]phosphorylcholine (MMPC) を設計し、合成を試みた。

MMPC によって架橋したpoly(MPC) ゲルの膨潤度は、架橋剤組成を高くすると膨潤度が下がるという一般則に則った結果を示した。またMMPCをゲル系内に5%程度導入することで、膨潤度としては理想的な値を示すことがわかった。しかしながら、ゲル作成時のひずみが問題となり、現在適度な強度のゲルを得ることが難しい状況にある。

そこでMPC水溶液濃度を低くし、架橋剤組成を10%程度まで高くしたゲルを作成したところ、1M 程度の低濃度でもゲルが作製でき、適度の膨潤度を示すことがわかった。すなわちMMPCにより、新たにゲルの架橋剤組成とゲル作製濃度を制御することで、ゲルの膨潤度制御が可能となった。

架橋剤としてMMPCを用いたpoly(HEMA) ハイドロゲルの膨潤度は、MMPC組成を高くすると膨潤度は下がり、組成が1%以上で平衡に達した。このことはMMPCの高い親水性が架橋剤効果を抑えているためと考えられる。

poly(HEMA) ハイドロゲルを2.5Mという高濃度で作成すると、ポリマーの親水性が低いことからミクロ相分離し、通常、ゲルは白濁化する。しかし架橋剤としてMMPC を1% 以上添加すると次第に透明度が上がり、組成が5%以上のものでは、ほぼ poly(MPC) ゲルと変わらない透明性を示すことが分かった。これはゲル内に架橋剤が導入された間接的な結果を示している。

UV/vis 透過測定からもゲル内のMMPC組成が高くなるにつれ、透過率が高くなっていることが分かった。

Poly(HEMA) ハイドロゲルで、仮にMMPCの片末端二重結合が未反応とすると、親水性の高さからポリマー鎖が伸長し、ゲルはpoly(HEMA-co-MPC) ハイドロゲルと同様の膨潤度を示すと考えられる。しかし実際には、膨潤度は低く抑えられているため、これは架橋剤効果によるものと判断できる。

(HEMA-co-MPC) ハイドロゲルの場合、MPCの高い親水性のためポリマー分子内に多量の水分子を導き、ポリマー鎖が伸長して高い膨潤度を示すことになる。これに対してpoly(HEMA) ハイドロゲルの場合、MMPC がMPC同様の高い親水性を示すためポリマー分子内に水分子の導入を促すが、MPC分子末端がポリマー鎖に固定されていると捉えると、ポリマー鎖が伸長できずに低い膨潤度を示すこととなる。すなわち、MPCの高い膨潤度に起因する脆弱性を、ゲルの架橋点において補う分子の合成に成功したといえる。

モノマーとして種々のメタクリル酸誘導体が存在するが、それらからなるポリマーゲルの架橋剤としてMMPCを用いることで、架橋点に親水性・生体適合性を与えつつ、膨潤度を制御した従来存在しないハイドロゲルの創製につながる化合物の合成に成功した。

N.A. Peppas, in: N.A. Peppas (Ed.), Hydrogels in Medicine and Pharmacy Vol. I-III, CRC Press: Boca Raton, FL 1987.A.Yamauchi, in: A. Yamauchi (Ed.), Polymer Gel (Fundamentals and Biomedical Applications), Plenum Press: NY 1991.A.S. Hoffman, Hydrogels for biomedical applications, Adv. Drug Delivery Rev. 2002, 54 3-12.T. Tanaka, Phys. Rev. Lett. 1978, 40 820T. Tanaka and D. J. Fillmore. Kinetics of swelling of gels. J. Chem. Phys. 1979,70 1214-1218T. Amiya, Y. Hirokawa, Y. Hirose, Y. Li, and T. Tanaka. Reentrant phase transition of N-isopropylacrylamide gels in mixed solvents. J. Chem. Phys. 1987, 86 2375-2379O.Wichterle, D.Lim. Hydrophilic gels for biological use. Nature 1960, 185 117-118Y. Kiritoshi and K. Ishihara, “Preparation of cross-linked biocompatible poly(2-methacryloyloxyethyl phosphorylcholine) gel and its strange swelling behavior in water/ethanol mixture.” Journal of Biomaterial Science Polymer Edition, 2002, 13 213-224.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、新しい眼科用マテリアルとしての生体適合性に優れたハイドロゲル創製についてまとめられている。超高齢化社会の到来に伴い、高度医療、低侵襲治療への期待が高まっている。特に、医療デバイスマテリアルの開発は、この社会的要求に答えるべく極めて重要となっている。本研究では新規バイオマテリアルの創製の観点から、細胞膜表面構造と機能に着目したポリマー分子設計と機能評価を行っている。

第一章では、現在用いられているバイオマテリアルの定義、種類、問題点について詳細に述べている。バイオマテリアルに必要とされる諸性質から、ハイドロゲルに着目している。またハイドロゲルの中でも、既に実用化されている眼科用マテリアルについて、その歴史的経緯、問題点を整理している。その結果、改良が試みられていながら、依然として最適なマテリアルが存在しないことを明示している。そこで、新たに高機能ハイドロゲルの創製にかかわる分子設計の重要性と必然性について考察し、基盤マテリアルとして細胞膜構造から着想されたリン脂質ポリマー、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン (MPC) ポリマーを選択するに至った経緯が詳細に述べられている。

第二章では、種々の架橋剤を用いた MPC ポリマーハイドロゲルの合成を行い、膨潤度ならびに水溶液中での環境変化に対する挙動について物性評価を行っている。MPC ポリマーハイドロゲルは、従来の親水性ポリマーハイドロゲルと異なり種々の環境変化(pH、イオン強度、温度)に対して極めて安定であることを明らかにしている。その過程で、マテリアルとしての重要性質である機械的強度として引っ張り試験測定を行っている。従来、ハイドロゲルの機械的強度は、その性質上測定が困難であったが、測定用ジグを改良することで、この問題を解決し、定量性の高い議論ができるようにしている。また酸化剤である過酸化水素の存在下で MPC ポリマーハイドロゲルが徐々に分解、低分子化することを明らかにした。この現象を酵素反応系と組み合わせ、生体内グルコース濃度に応じてグルコース酸化酵素が発生する過酸化水素により MPC ポリマーハイドロゲルに内包したインシュリンを放出する自律応答型高機能ドラッグデリバリーシステムを提案している。

第三章では、ハイドロゲルの機械的強度と膨潤度の相関を明らかにするために、MPC ポリマーハイドロゲルに与える種々のパラメータについて検討している。膨潤度制御法としてモノマー水溶液濃度の調整による方法、親水性の異なるモノマーとの共重合体による方法を用いている。いずれの方法においても、膨潤度の制御が可能であることを認めているが、MPC ユニットの親水性に由来して、得られたポリマーハイドロゲルが従来のポリマーに比較して高い膨潤度を示すことを明らかにし、機械的強度を大きくするためには、これらのパラメータのみでは困難であると結論している。

第四章では、架橋点に親水性を担持することにより、ハイドロゲルの高含水性を維持しつつ、機械的性質の低下を防ぐという新しい作業仮説を立て、MPC ポリマーハイドロゲルの架橋剤としてMPC 類似構造を有する架橋剤 2-(methacryloyloxy)ethyl-N-(2-methacryloyloxy)ethyl] phosphorylcholine (MMPC) の設計を行い、合成に成功している。合成した架橋剤は、従来、一般的に利用されている架橋剤と異なり、MPC ユニットとの親和性が極めて高く、架橋剤組成が高くできることから、目的の膨潤度制御を達成している。また2-ヒドロキシエチルメタクリレートに用いて合成したハイドロゲルは、架橋剤組成の増加に伴い、膨潤度の増加、および光透過性の増加といった物理的な変化を示した。すなわち MMPC は、新規架橋剤として有効に作用し、分子内に存在するホスホリルコリン基の効果により機能向上が達成でき、バイオマテリアル創製の発展につながる可能性を示した。

第五章では、MPC ポリマーハイドロゲルの特異的な回帰的体積相転移現象について述べている。種々アルコール水溶液中において、体積が1/10へと変化する現象を初めて見出している。またMPC ポリマーハイドロゲルの膨潤、収縮の再現性が見られることから、ドラッグデリバリーシステム、各種センサーなどへの応用性を示した。様々な溶媒との相互作用の観点から、ポリマー分子構造、特にホスホリルコリン基近傍の水分子構造がもたらす結果であると結論している。また、このような特異的現象を示すことが、MPC ポリマーが示す優れた生体適合性と深く関わり、ポリマー分子近傍の水分子構造を制御することが重要であることを示した。

第六章は、本論文の総括である。

本研究は、ハイドロゲルマテリアルとしてのポリマー分子の骨格構造に着目し、溶媒との相互作用について詳細な検討を行っている。特にポリマー分子近傍の水の構造がハイドロゲルの特性を決定する重要な要因であることを認識し、考察を進めている。また、ポリマーハイドロゲルの架橋点においても同様のことが考えられることから、架橋点に着目し、親水性、生体適合性という両観点から、従来存在しなかった架橋剤を設計し合成に成功している。この化合物により、従来省みられなかった架橋点においてポリマー分子を制御した画期的なハイドロゲルの創製が可能となり、ハイドロゲルの基盤マテリアル創製としてマテリアル工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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