学位論文要旨



No 119062
著者(漢字) 胡,春平
著者(英字)
著者(カナ) フ,チュンピン
標題(和) 電界下のナノ構造における力の第一原理計算
標題(洋) Ab Initio Study of Forces Acting on Nanostructures in Electric Fields
報告番号 119062
報告番号 甲19062
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5794号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 小田,克郎
 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

近年の微細加工技術の発展により電子素子の小型化が進んでいるが、究極の小型素子として原子・分子素子の可能性が注目されている。この可能性を探索するためには、ナノ構造の性質の解明が不可欠である。単原子接点や多原子鎖における量子化コンダクタンスの観測や金属探針先端に吸着する単原子・単分子の動きによる電界電子放出電流の大きな変化などの興味深い現象が既に報告されているが、これらの現象を解明するためにはナノ構造の強電場中での振舞いを理解することが必要である。このため、最近、強電場中の電子状態を計算するための手法と計算プログラムの開発が盛んになりつつあり、それを用いた理論計算例も増えている。

このような流れの中で、本研究グループにおいても強電場中のナノ構造の電子状態を第一原理計算するための境界マッチング密度汎関数法とそれに基づく計算プログラムとを既に開発しているが、安定原子構造や振動数などの動的性質を求める機能は無かった。また、世界的に見ても強電場下の安定原子構造や動的性質を解析した理論計算例はごく少ない。さらに、従来の計算の多くはバルク結晶中の結合長に基づく構造モデルを用いている。

そこで本研究では、電場中の安定原子構造や動的性質を求めるため、境界マッチング密度汎関数法プログラムに基づきナノ構造の各原子に作用する力を第一原理計算するモジュールを作成した。これを用いて、印加電場によるAl表面上の吸着Al原子の安定位置と振動特性の変化、Na原子鎖の電気抵抗の振動に対する原子緩和の効果、Na原子鎖の安定構造のバイアス電圧依存性を理論解析した。

理論解析手法

境界マッチング密度汎関数法では、全領域を、ジェリウム電極内部、ナノ構造領域、真空領域(あるいは対向ジェリウム電極内部)の三つの領域に分け、領域間の境界での波動関数の接続条件を利用して未知の透過係数と反射係数を消去する事により、ナノ構造領域の波動関数を求める閉じた連立方程式を導く。波動関数とポテンシャルは、密度汎関数法に基づいて自己無撞着に計算する。ナノ構造中の原子に対しては擬ポテンシャル法を用いて価電子のみを考慮する(本計算では局所擬ポテンシャルを用いる)。また、電極表面平行方向に対しては周期境界条件を課し、波動関数を平面波で展開する。

ナノ構造の各原子に作用する力は、Hellmann-Feynmanの定理に基づいて計算する。本研究では、まず境界マッチング密度汎関数法の定式化に合わせて力の表式を導いた。プログラム作成においては、Richardson補外法を用いて計算精度を高めた他、可能な場合には採用した方法以外のアルゴリズムでも力を計算し、プログラムの信頼性をチェックした。

テスト計算

作成した力計算モジュールの妥当性を検証するため、まず20a.u.(a.u.=原子単位)離したジェリウム電極間に1個のNa原子を配置し、この原子に働く力の原子位置およびバイアス電圧による変化を調べた。その結果、いずれの点についても小林らによる同様の系に対する計算結果とよい一致が得られた。

次にジェリウム表面上のNa原子の安定吸着位置について解析したところ、1電極モデルによる計算と十分な電極間距離(50a.u.)を用いた2電極モデルによる計算の結果は、いずれも小林らが報告している値とよく一致した。Langが報告している値とは若干差があるが、この差は用いている擬ポテンシャルのタイプの違いによるものと考えられる。以上2つのテスト計算の結果から、作成した力計算モジュールの妥当性が確認できたといえる。

印加電場によるAl表面上の吸着Al原子の安定位置および振動特性

金属表面の微小突起からの電界電子放出電流に対する構造緩和の影響の解明や、金属表面に分子が吸着している場合に電界電子放出電流が時間的に振動する現象の解明などを念頭に、モデル計算としてAl表面上の吸着Al原子の安定位置と振動特性とを調べた [1]。計算では、ジェリウム表面にAl原子1層を載せた系でAl表面をモデル化した。

計算の結果、印加電場が−5、0、+5V/nmの時の表面-吸着原子間の安定距離はそれぞれ2.23、2.39、2.55a.u.となった。この結果は、電場による誘起電荷とイオン芯とのクーロン相互作用から理解できた。次に表面-吸着原子間距離が1.93a.u.から2.85a.u.の範囲で吸着原子に働く力を調べてみると、−5、0、+5V/nmのいずれの場合にも力は安定位置からの変位に比例していることがわかった。さらに、表面-吸着原子間の伸縮振動の振動数の電場による変化はほとんどないことがわかった。最後に吸着原子位置による電界電子放出電流の変化を調べてみると、上記の範囲では距離と共に電流が増加することがわかった。

電極間Na原子鎖の原子数の偶奇による電気抵抗の振動に対する原子緩和の効果

電極間原子鎖に関して理論予測された興味深い現象の一つに、鎖長による電気抵抗の振動があるが、過去の理論予測では、バルク結晶での結合長をもとに構築されたモデルを用いていた。そこで、ジェリウム電極間Na原子鎖を例に、構造緩和の影響を解析した [2]。

鎖長1〜4原子の原子鎖について、Langが計算に用いたものと同様のモデル(Na-Na原子間距離はバルク結晶中の結合長と等しくしている)から出発して計算した結果、いずれの場合にも対称的な直線構造が安定な構造となったが、Na-Na原子間距離はバルク結晶中より短くなった。次に構造緩和の電気抵抗への影響を調べてみると、鎖長2〜4原子の場合に初期配置では鎖長による電気抵抗の振動が見られたが、構造緩和後には鎖長による変化が非常に小さくなり、その抵抗値は量子化された値(12.9kΩ)に近づいた。この結果は、実験において鎖長による抵抗変化の観察例が少なく、唯一の観測例においてもその変化量が少ない、という事実とよく対応している。また、電流分布を調べてみると、構造緩和後には原子鎖中を電流がスムースに流れており、これは抵抗値が量子化の値に近いこととよく対応している。

Na原子鎖の安定構造のバイアス電圧依存性

上記の計算に引き続いて、バイアス電圧の影響を3原子鎖の場合に対して調べた [3]。バイアス電圧ゼロの場合には対称的な構造が安定であったのに対し、バイアス電圧を加えると中央のNa原子に左右のNa原子とは逆方向の力が働き、非対称な構造が安定になることがわかった。さらに、各原子の変位は約1Vまでは印加電圧に比例したが、これを超える電圧に対しては非線形な振舞いを示すことがわかった。

次にバイアス電圧による誘起電荷の分布を調べた結果、各原子の変位の方向は誘起電荷とイオン芯とのクーロン相互作用から理解できた。また、1V付近を境に変位の振舞いが大きく変化することは誘起電荷の分布が大きく変化することとよく対応することがわかった。

さらに、構造緩和による電流−電圧特性の変化を調べてみると、約1V以上のバイアス電圧では、構造緩和による電流値の低下が見られた。

結論

本研究では、本グループで開発した境界マッチング密度汎関数法に基づき、電界下のナノ構造において原子に働く力を第一原理計算するモジュールを開発した。さらに、このモジュールを用いて、印加電場による原子構造の変化とこの変化が電気特性におよぼす影響とを理論解析した。得られた結果から、多くの場合に原子構造緩和の影響が無視できないことが明らかになった。したがって、電界下のナノ構造特有の様々な現象を理解していく上で、本研究で開発したモジュールを用いた解析の果たす役割は今後さらに大きくなって行くと期待される。

C.P. Hu et al., Jpn. J. Appl. Phys. 42, 4639 (2003).C.P. Hu et al., e-J. Surf. Sci. Nanotech., in press.C.P. Hu et al., Sci. Technol. Adv. Mater., in press.
審査要旨 要旨を表示する

近年様々なナノ構造を作製する技術が発展してきたため、超微細素子の可能性を念頭にナノ構造の電気特性の研究が盛んになってきている。ナノ構造の電気特性計測や将来の応用においては局所領域に強いバイアス電圧や電場が印加されるため、理論研究の面では、強電場中の電子状態を計算するための手法と計算プログラムの開発が盛んになりつつある。このような手法を用いた理論計算例も増えているが、その大部分は原子位置を固定して解析しており、ナノ構造形成や電場印加による構造緩和、あるいは電界場中の原子振動など、原子に働く力の評価が必要な現象はまだあまり調べられていない。本論文では、強電場中ナノ構造の各原子に作用する力を第一原理計算するモジュールを作成し、これを用いて印加電場によるAl表面上の吸着Al原子の安定位置と振動特性の変化、Na原子鎖の電気抵抗の振動に対する原子緩和の効果、Na原子鎖の安定構造のバイアス電圧依存性を理論解析した。本論文は7章からなる。

第1章は緒言であり、ナノ構造での電界・電気伝導関連現象の重要性を述べ、これに関する既存の研究をまとめている。さらに、ナノ構造の電界・電気伝導に対する第一原理計算において原子に働く力の考慮が不十分であることを指摘して本研究の目的を明確にした。

第2章では、本研究の計算手法である境界マッチング密度汎関数法と、この方法において原子に働く力を計算する方法について述べている。Hellmann-Feynmanの定理に基づき、境界マッチング密度汎関数法の定式化に合わせて、ナノ構造の各原子に作用する力の表式を導いた。またプログラム作成においては、Richardson補外法を用いて計算精度を高めた他、複数のアルゴリズムによる力計算を比較してプログラムの信頼性をチェックした。

第3章では、作成した力計算モジュールの妥当性を検証するため、比較しうる計算結果があるモデル系に対して計算を行った。ジェリウム電極間にNa原子1個を配置した系においてNa原子に働く力の原子位置およびバイアス電圧による変化を調べた結果と、ジェリウム表面上のNa原子の安定吸着位置について調べた結果が、いずれも既報の計算結果とよく一致することを確認した。これにより作成した力計算モジュールの妥当性が示された。

第4章では、作成したモジュールを用いてAl表面上の吸着Al原子の安定位置と振動特性とを調べた。±5V/nmの電場を印加することにより表面-吸着原子間の安定距離が±6.7%変化するとの計算結果を得、これが誘起電荷とイオン芯との間のクーロン相互作用から理解できることを示した。次に上記の範囲では力が安定位置からの変位に比例していること、また表面-吸着原子間伸縮振動の振動数が電場にほとんど依存しないことを示した。

第5章では、ジェリウム電極間Na原子鎖の電気抵抗の鎖長依存性に対する原子緩和の効果をバイアス電圧0Vの場合について解析した。鎖長1〜4原子の原子鎖の安定構造がいずれも対称的な直線構造であること、および安定構造におけるNa-Na原子間距離がバルク結晶中より短いことを示した。次に構造緩和の電気抵抗への影響を調べてみると、鎖長2〜4原子の場合に初期配置では鎖長による電気抵抗の振動が見られたが、構造緩和後には鎖長による変化が非常に小さくなり、その抵抗値は量子化された値(12.9kΩ)に近づいた。電気抵抗の振動現象は既存の理論研究で予言されているものであるが、構造緩和によりその程度が大幅に減るということは重要な知見である。

第6章では、前章の計算に引き続いて、バイアス電圧の影響を3原子鎖の場合に対して調べた。ゼロバイアス時には対称的な構造が安定であったのに対し、バイアス電圧印加により中央のNa原子に左右のNa原子とは逆方向の力が働き、非対称な構造が安定になることを示した。また、各原子の変位が約1Vまでは印加電圧に比例し、これを超える電圧では非線形な振舞いを示すことを見出した。次に、各原子の変位の方向は、この系でも誘起電荷とイオン芯とのクーロン相互作用で理解できることを示した。また、1V付近を境に変位の振舞いが大きく変化することは誘起電荷の分布の変化とよく対応していることを示した。さらに、初期配置と構造緩和後の電流−電圧特性を比較したところ、高バイアス電圧印加時には構造緩和により有意な電流現象が見られることを示した。

第7章は総括である。

以上のように、本論文は、表面ナノ構造における電子輸送現象を密度汎関数法に基づいて理論解析するための境界マッチング密度汎関数法に基づき、電界下のナノ構造において原子に働く力を第一原理計算するモジュールを開発した。さらに、このモジュールを用いて、印加電場による原子構造の変化とこの変化が電気特性におよぼす影響とを理論解析し、多くの場合に原子構造緩和が大きな影響を及ぼすことを明らかにした。よって本論文の表面物性工学、電子物性工学への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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