学位論文要旨



No 119067
著者(漢字) 松元,亮
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,アキラ
標題(和) フェニルボロン酸基含有型グルコース応答性高分子ゲルの動力学的解析と分子構造制御による応答条件の最適化
標題(洋) Development of Totally Synthetic Phenylborate-Based, Glucose-Responsive Polymer Gel. Glucose-Responsive Kinetics and Synthetic Methodology to Optimize the Operational Condition
報告番号 119067
報告番号 甲19067
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5799号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 桑原,誠
 東京大学 助教授 霜垣,幸浩
 東京大学 助教授 吉田,亮
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、糖尿病治療へ向けた新規な自律型インスリン投与デバイスへの応用を念頭に置き、フェニルボロン酸基含有型グルコース応答性高分子ゲルにおけるグルコース応答挙動の動力学的解析と、分子構造制御による機能条件の最適化を図る方法論の確立を目的とする。

近年、刺激応答性高分子ゲルの研究が盛んに行われている。熱、pH、電場、光などの様々な刺激種によって、高分子ゲルの物理化学的特性変化を誘発する数多くの分子設計がなされ、“インテリジェントマテリアル”あるいは“スマートマテリアル”と呼ばれるような、種々の自律応答型システムが実現されている。幅広く提案される応用領域の中でも特に、DDS(Drug Delivery Systems)を含めた医療分野への展開は、その潜在的有用性から、最も精力的に検討されている分野である。中でも、ある特定分子の濃度検知といった化学刺激に応答する材料の創出は、バイオフィードバック(生体自己制御)機構を模倣した、パルス型応答システムの構築の観点においても意義深い。そのような濃度検知手法の確立が望まれ、医療分野への応用の観点においても重要な分子の一つはグルコース(血糖値変化)であろう。事実これまでに、糖尿病治療のための自律応答型インスリン投与デバイスの構築を目指した、種々のグルコース応答性ポリマー(ゲル)システムが提案されてきた。その代表的な手法としては、グルコースオキシダーゼ(GOD)とグルコース分子間の酵素反応の利用するもの、また、糖結合性レクチンであるコンカナバリンA(Con A)を用い、糖化インスリンとグルコース間での(Con Aに対する)競争的な結合の置き換わりを利用するものとが良く知られる。これらのシステムについては、in vitro、in vivo(前者)での動作確認、生理活性評価等、多角的に検討され一定の成果を見たものの、共にkey materialとして生体由来の材料(タンパク質)を用いることから、その毒性(特に後者)、また長期使用や保管に際し、タンパク変性による不安定な機能保持性などが重大な懸念となる。

このような文脈において、グルコース認識素子として、(生体由来でない)合成物質を用いる高分子ゲルの設計は、上述のような問題を回避する可能性を秘め、より望ましいシステム構築の観点においても追究するべき課題である。本研究では、グルコース認識部位として、グルコースとの可逆的な共有結合能を有するフェニルボロン酸基に着目した。フェニルボロン酸基は、水中において非荷電、荷電型形態との平衡で存在しており、グルコースなどの多価水酸基の添加によって荷電型形態との間で起こるコンプレックス(荷電型)形成により、結果として、より荷電型形態側へと平衡を移動させる。非荷電型形態とグルコース間のコンプレックスは、容易に加水分化を受け、水中では不安定であることが知られている。このような性質のフェニルボロン酸基を、適当な水溶性高分子ゲル母材に導入することで、グルコース濃度変化に応答した非荷電型-荷電型間の平衡移動に基づく、対イオン圧力変化に同期した可逆的な体積相転移が引き起こされる。例えば、フェニルボロン酸基含有モノマーとして3-acrylamidophenylboronic acid(AAPBA)、母材としてpoly(N-isoprorylacrylamide): PNIPAAmからなる共重合ゲル(NBゲル)は、適当なpH、温度条件下において、そのような挙動を明確に示し、内包されたインスリンのパルス型放出制御も可能である。

本論文の内容を、以下章ごとに要約する。

第一章では、まず一般的な高分子ゲルの分類、物理化学的性質、材料として用いられる形態などについて述べた上で、高分子ゲルを刺激応答性材料として位置付け、DDS分野への応用を念頭になされてきた数々の試みを系統的にまとめた。その中で、本研究の背景となる歴史、基礎技術、また、本研究の目的を達成することで得られる技術的有用性について、詳細に記述した。

第2章では、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルの、グルコースに応答した膨潤収縮挙動の動力学的解析を行った。高分子ゲルの動力学解析に際して問題となるのが、その応答の遅さである。高分子ゲルの応答性は形状やサイズ(二乗根に比例)に大きく依存し、また、著しく異方性を持つ形状の場合、歪みエネルギーによる影響も関与してくる。そこで、本研究では、逆相懸濁重合法により、等方性形状でミクロオーダーサイズの、球状NBゲル(ゲルビーズ)を作成し、種々条件下でのグルコースに対するサイズ変化を追うことで、定量的な動力学評価を行った。まず、グルコース応答挙動の熱力学的理解のため、種々温度、グルコース濃度下での平衡膨潤体積を求め、酸塩基滴定から得られたフェニルボロン酸基の解離挙動と相関付けた。ついで動的な膨潤・収縮挙動を、刺激種(温度、pH、グルコース濃度変化)、グルコース濃度変化の大きさ、ビーズサイズなどの観点で系統的に評価した結果、グルコースに応答した膨潤挙動は、ポリマー鎖の緩和が律則となる、Case-II transportに従う過程であることが明らかとなった。また、収縮過程の初期においては、ゲルが緩やかに収縮した後、ゲル表面の脱水収縮層(スキン層)形成による溶質分子の拡散性低下による停滞(体積一定状態)領域が観測された。一定時間経過後、激しい形状変化を伴いながら再び緩やかに収縮し、最終的にすべての相が収縮相へと転移しするが、グルコース濃度変化による収縮過程では、温度やpH変化に伴う過程に比べて、顕著に長い停滞(体積一定)領域が観測された。これらの観測から、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルを用いることで、長期間に渡り、臨界のグルコース濃度を連続的に検知しながら薬物放出制御を行う、グルコース応答システムとしての有用性が示された。

第3章では、本システムの人体への応用の際必要となる、生理条件下(pH 7.4、37℃)での機能発現を図る種々分子設計を行った。すなわち、より低いモノマーpKaを有することから、生理的pH下でのグルコース応答性が期待される新規なフェニルボロン酸基含有モノマーとして4-(1',6'-dioxo-2',5'-diaza-7'-oxamyl)phenylboronic acid(DDOPBA)を合成し(pH条件の改善)、また、これまで母材として用いたPNIPAAmよりも高い相転移温度を発現するpoly(N-isopropylmethacrylamide (PNIPMAAm)に着目し(温度条件の改善)、これらから得られる一連の共重合体、および更なる温度条件の改善を目的としてカルボキシル基含有ユニットであるメタクリル酸の導入効果について、グルコース応答挙動の評価に加え、フェニルボロン酸基の解離挙動への影響の評価、さらには、蛍光修飾したインスリンを内包させ、そのリリース挙動について従来型の構造と比較しながら、分子構造による機能性制御のための方法論確立を目的とした。その結果、意図した構造要因と相関し、応答条件の顕著な改善が得られ、生理的なpH条件下でのグルコース応答性が確認された。

第4章では、第3章で行ったポリマーでの評価結果を踏まえ、新規な種々構造からなるゲルを調製し、温度、pH、グルコース依存的なゲルの体積変化(平衡状態および動的変化)の評価を行った。ポリマーでの結果と対応し、各構造的要因を反映した応答条件の改善が得られた。また、導入されたカルボキシル基がもたらす主鎖(相転移挙動)への影響を抑制する目的で、カルボキシル基含有ユニットとして2-Carboxyisopropylacrylamide(CIPAAm)を新たに用いた結果、比較的高い含率においてもシャープで、顕著なグルコースに対する体積変化が観測され、生理的pH、温度条件下(pH7.4、37℃)での応答性が確認された。

第5章は総括とした。本研究では、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルの、グルコースに応答した膨潤収縮挙動の動力学を明らかとした。また、一連の分子構造制御を系統的に行うことで、生理条件下において機能するシステムの構築に成功した。

本研究の遂行により、従来型の生体由来材料に立脚したシステムに対して、完全合成系からなる自律型グルコース応答性材料として、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルの有用性を示したものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

1980年代初頭から、刺激応答性高分子ゲルの研究が盛んに行われている。様々な物理・化学刺激種によって、高分子ゲルの物理化学的特性変化を誘発する数多くの分子設計がなされ、“インテリジェントマテリアル”と呼ばれるような、種々の自律応答型システムが実現されている。幅広く提案される応用領域においても特に、医療分野への展開は、その潜在的有用性から、最も精力的に検討されている分野である。中でも、ある特定分子の濃度検知といった化学刺激に応答する材料の創出は、バイオフィードバック(生体自己制御)機構を模倣した、パルス型応答システムの構築の観点においても意義深いものである。そのような濃度検知手法の確立によって、医療工学分野への大きな貢献が見込まれる分子の一つとしてグルコースが挙げられる。

本論文は、糖尿病治療へ向けた新規な自律型インスリン投与デバイスへの応用を念頭に置き、グルコース認識素子として、フェニルボロン酸基を導入した水溶性高分子ゲルの、グルコース応答挙動の動力学的解析、および分子構造の最適化による機能条件制御の方法論について論じている。

第一章は緒論であり、一般的な高分子ゲルの分類、物理化学的諸性質、材料として用いられる形態などについて述べた上で、高分子ゲルを刺激応答性材料として位置付け、ドラッグデリバリーシステム開発への応用を念頭になされてきた数々の試みを系統的にまとめている。その中で、本研究の背景となる基礎研究の歴史、また、本研究の目的を達成することで得られる技術的有用性について詳細に記述している。

第2章では、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルの、グルコースに応答した膨潤収縮挙動の動力学的解析を行っている。高分子ゲルの応答速度は形状やサイズ(二乗根に比例)に大きく依存し、また、著しく異方性を持つ形状の場合、歪みエネルギーによる影響も考慮する必要がある。本章では、逆相懸濁重合法によって、等方性形状でかつミクロオーダーサイズの球状ゲル(ビーズゲル)を作成することで、一次元方向のサイズ変化を追うことのみでの定量的な動力学評価を可能としている。まず、得られたビーズゲルのグルコース応答挙動の熱力学的理解のため、種々温度、グルコース濃度下での平衡膨潤体積を求め、酸塩基滴定から得られたフェニルボロン酸基の解離挙動との定量的な相関を確認している。ついで動的な膨潤・収縮挙動における、各刺激種(温度、pH、グルコース濃度変化)、グルコース濃度変化の大きさ、ビーズサイズなどの効果を系統的に評価し、その結果、グルコースに応答した膨潤過程の初期においては、ポリマー鎖の緩和が律速となる、Case-II transportに従う過程となることを明らかとしている。さらに、膨潤過程の後期においては、これまで報告されていない「同時的な収縮相の崩壊と膨潤層の増大」という、ユニークな加速現象を見いだし、そのメカニズムについて、膨潤過程における収縮相-膨潤層の体積比変化の観測結果に基づき、収縮相-膨潤層間での弾性的およびイオン浸透圧による引力バランスの崩壊に起因するものであると結論付けている。また、収縮過程においては、ゲルが緩やかに収縮した後、ゲル表面の脱水収縮層(スキン層)形成による溶質分子の拡散性低下による停滞(体積一定状態)領域、ついで激しい形状変化を伴う緩やかな収縮、最終的にすべての相が収縮相へと転移するという、一連のプロセスの一般性を確認し、特に、グルコース濃度変化による収縮過程では、温度やpH変化に伴う過程に比べて、顕著に長い停滞(体積一定)領域が観測されたことから、フェニルボロン酸基含有型高分子ゲルを用いることで、長期間にわたり、臨界のグルコース濃度を連続的に検知しながら薬物放出制御を行うという、グルコース応答システムとしての有用性が示されたものと結論している。

第3章では、本システムの人体への応用の際必要となる、生理条件下(pH 7.4、37℃)での機能発現を図る種々分子設計を行っている。すなわち、より低いモノマーpKaを有することから、生理的pH下でのグルコース応答性が期待される新規なフェニルボロン酸基含有モノマーとして4-(1',6'-dioxo-2',5'-diaza-7'-oxamyl)phenylboronic acid(DDOPBA)を合成し(pH条件の改善)、また、これまで母材として用いたpoly(N-isopropylacrylamide)(PNIPAAm)よりも高い相転移温度を発現するpoly(N-isopropylmethacrylamide)に着目した(温度条件の改善)。これらから得られる一連の共重合体、および更なる温度条件の改善を目的としてカルボキシル基を有するメタクリル酸ユニットの導入効果について、グルコース応答挙動の評価に加え、フェニルボロン酸基の解離挙動への影響の評価、さらには、蛍光分子修飾したインスリンを内包させ、そのリリース挙動について、変更以前の構造(PNIPAAmを主鎖とし、比較的高いpKaを有するフェニルボロン酸基ユニットからなる共重合体)のものと比較しながら、分子構造による機能性制御のための方法論について論じている。その結果、意図した構造要因と相関した応答条件の顕著な改善が認められ、生理的pH下でのグルコース応答性が観測されたことから、生理的pH下での機能発現を実現する分子設計の指針が示せたものと結論している。

第4章では、第3章で行ったポリマーでの評価結果を踏まえ、新規な種々化学構造からなるゲルを調製し、温度、pH、グルコース濃度依存的なゲルの体積変化(平衡状態および動的変化)の評価を行っている。ポリマーでの結果と対応し、各構造的要因を反映した応答条件の改善を確認している。また、導入されたカルボキシル基がもたらす主鎖(相転移挙動)への影響を抑制する目的で、カルボキシル基含有ユニットとして2-Carboxyisopropylacrylamideを新たに用いた結果、比較的高い含率においてもシャープで、顕著なグルコースに対する体積変化が観測され、生理的pH、温度条件下(pH7.4、37℃)でのグルコース濃度応答性を獲得するに至っている。さらに、種々グルコース濃度添加に対する体積変化の観測においては、正常血糖値(およそ1g/L)域を境とした、ゲル表面でのスキン層形成を伴う顕著な体積変化が確認されたことから、グルコース濃度変化に的確に追随したインスリン放出制御を可能とするデバイスとしての有用性が示されたものと結論付けている。

第5章では、総括として本論文全体の内容を要約するとともに、本論文で得られた結果に基づき、提案されるデバイスの形態や、さらなる高機能化のための設計指針について述べたうえで、従来型の生体由来材料に立脚したシステムに対して、完全合成系からなる本システムにおいて期待される生体内安定性、低毒性、高機能性などについても言及している。このような知見は、今後、医療工学分野をはじめとする機能材料設計に広く貢献するものであり、マテリアル工学的見地からも高い有用性が期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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