学位論文要旨



No 119070
著者(漢字) 渡辺,忠孝
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,タダタカ
標題(和) 超音波による超伝導ギャップ異方性の研究
標題(洋)
報告番号 119070
報告番号 甲19070
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5802号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 花栗,哲郎
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 助教授 下山,淳一
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 助教授 小形,正男
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[背景]

ここ20年ほどの間に、Ce化合物やU化合物といった重い電子系の超伝導体、あるいは銅酸化物高温超伝導体などのような、従来とは異なる振舞いを示す超伝導体が数多く発見されてきた。これらの超伝導体は、Cooper対がp波やd波といったような対称性をもつ波動関数で記述され、その超伝導ギャップ構造はk空間のある方向にゼロギャップが存在するような異方的なギャップ構造であると考えられている。これは、AlやPbなどのような従来型超伝導体におけるs波対称性の等方的なギャップ構造とは対照的である。

超伝導ギャップの異方性は、超伝導発現のメカニズムと密接な関わりがあると考えられており、これまでに比熱やNMRの緩和時間、あるいは磁場進入長といった様々なバルク物性について研究が行われてきた。異方的なギャップをもつ超伝導体では、物理量の温度依存性が等方的ギャップから期待される指数関数的な振舞いではなく、温度のべき乗に比例するような振る舞いを示すために、バルク物性の測定からギャップの異方性の有無を知ることができる。しかし、バルク物性ではフェルミ面の情報がk空間で平均化されており、ギャップがどこでゼロになっているのか、あるいはどのような対称性をもっているのかといったことを知ることはできない。

ギャップの対称性を知るには、角度に敏感なプローブで測定を行うことが必要である。最近では、角度分解光電子分光(ARPES)と磁場下での熱伝導率の測定が有力な測定手段となっている。特にARPESは、銅酸化物高温超伝導体などの2次元電子系の研究において強力な測定手法であることが実証されている。

超音波吸収は、そのような角度に敏感なプローブの一つであり、ギャップ対称性を決定する測定手法となりうるものである。しかし、これまではその実験結果をうまく説明できるような理論モデルがほとんど提案されていなかったこともあり、実験手法として確立されているとは言い難かった。ここ数年の間に実験の解釈に適用できるような理論モデルがいくつか提案され[1-4]、超音波吸収の実験によってk空間でのギャップ異方性の決定が可能となってきている。

[研究の目的]

本研究の目的は以下の2点である。すなわち、(1)新しい手法を用いた角度分解超音波吸収の測定技術の確立、および(2)その技術のホウ炭化物超伝導体YNi2B2Cへの適用、である。

超伝導ギャップの対称性を決定するためには、吸収係数を高分解能で測定でき、精確な温度制御が可能な測定系が必要である。温度制御に関しては市販のクライオスタットを用いて制御することが可能である。しかし、市販の超音波装置の性能は、本研究の目的を達成するには不充分である。そこで我々は、高周波技術と自作の測定用ソフトウエアを組み合わせることによって、超音波吸収測定装置を開発した。また、角度分解超音波吸収においては、測定試料として良質な大型の単結晶試料が必要となる。今回用いたフローティングゾーン法は、YNi2B2Cの単結晶成長に適した手法である。

本研究の2つめの目的は、開発した超音波測定技術を非磁性ホウ炭化物YNi2B2Cに適用することである。YNi2B2Cは、比熱の温度・磁場依存性、および非磁性不純物効果から非常に異方的な超伝導ギャップをもつs波超伝導体であることが示唆されている[5]。我々は、YNi2B2Cにおけるギャップの大きさを知ることを目的として角度積分光電子分光を行った。その結果、k空間でのギャップの大きさは、最大で2.2 meV、最小で0 meVであることが確認された[6]。最近の、角度回転の磁場下での熱伝導率の測定からは、[100]および[010]方向にポイントノードが存在することが主張されている[7]。本研究においては、YNi2B2C単結晶について角度分解超音波吸収の測定を行い、理論モデルをもとにした考察から本測定手法の有用性について議論する。

[実験]

パルスエコー法による高分解能超音波測定装置を開発した。図1に、本研究において開発した装置の模式図を示す。本測定系においては、40 MHzから120 MHzの周波数の超音波パルスを、研磨した試料表面に接着したLiNbO3トランスデューサによって発生させる。それにより得られるエコー列を試料の反対の面に接着したLiNbO3トランスデューサによって検出する。そのエコーパワーの減衰は、検波器によって検知される。本研究で用いた検波器は、エコー間隔(~500 ns)に対して十分早い立ち上がり時間を有するものである。検波器および増幅器の非線形性の影響は、測定系のパワー補正により除去されている。

温度はPPMS(Physical Property Measurement System、Quantum Design社)によって、2 Kの低温まで精確に制御される。磁場もPPMSによって9 Tまで発生させることができる。

YNi2B2Cの大型単結晶試料はフローティングゾーン法により育成した。X線回折から、本単結晶が良質な単相試料であることが確認された。磁化測定から、超伝導転移温度はTc=15.1 Kで、転移の幅は0.5 K以下であった。超音波測定に用いるために、単結晶棒から試料を切り出し、それぞれの結晶軸方向の面を研磨した。研磨面の方位はラウエ反射法により決定した。

超音波吸収の温度依存性は、2-20 Kの温度範囲で測定した。測定はYNi2B2C(正方晶)の、[100]、[110]、[001]方向の音波を用いて、すべての独立弾性モードについて行った。測定に用いた試料の各方向の長さはそれぞれ3.70mm、4.60 mm、3.06 mmである。各々のモードについて、超伝導状態と、Hc2より大きい磁場をかけた常伝導状態で測定を行った。

[実験結果]

図2は、超伝導状態(H=0 T)および常伝導状態(H=9 T)における、縦波の超音波吸収の温度依存性の測定結果である。L100、L110、L001はそれぞれ[100]、[110]、[001]方向に進む弾性モードを意味している。本結果より、本測定装置が超伝導転移に伴う変化を測定できる十分高い分解能を有していることが確認された。温度制御は0.1 Kの精度で行われ、見積もられる吸収測定の精度は10-3である。測定に際して観測されたエコー列は、40 MHzにおいて、L100が2、L110が30、L001が15であった。これはL100モードが他の2つのモードに比べて大きな吸収を示していることを意味する。L110とL001においては、40 MHzでは十分大きな吸収が得られなかったので、より高い120 MHzで測定を行った。

図3は常伝導状態で規格化した3つのモードの吸収係数の温度依存性である。この図から顕著な異方性が見てとれる。すなわち、L110およびL001はほぼ指数関数的な温度依存性を示しているのに対して、L100はほぼTのべきに比例するような振舞いを示している。このようなL100におけるTのべきの振舞いは、YNi2B2Cにおいてノードが存在することを強く示唆するものである。

本研究では、ここに示した縦波の他に、横波についてもYNi2B2Cについて超音波吸収の測定を行った。本論文においては、理論モデルとの比較考察から、超音波吸収のすべての測定結果から超伝導ギャップ構造の決定ができるか否かについてより詳細な議論を行う。

パルスエコー法を用いた超音波測定装置の模式図

超伝導状態(H=0 T)および常伝導状態(H=9 T)における、YNi2B2Cの縦波の超音波吸収。

図2を常伝導状態で規格化した吸収の温度依存性

J. Moreno and P. Coleman : Phys. Rev. B 53, R2995 (1996).M. J. Graf, S. K. Yip, and J. A. Sauls : Phys. Rev. B 62, 14393 (2000).M. J. Graf and A. V. Balatsky : Phys. Rev. B 62, 9697 (2000).W. C. Wu and R. Joynt : Phys. Rev. B 64, 100507(R) (2001).M. Nohara, M. Isshiki, F. Sakai and H. Takagi : J. Phys. Soc. Jpn. 68, 1078 (1999); M. Nohara, H. Suzuki, N. Mangkorntong and H. Takagi : Physica (Amsterdam) 341C-348C, 2177 (2000).T. Yokoya, T. Kiss, T. Watanabe, S. Shin, M. Nohara, H. Takagi and T. Oguchi : Phys. Rev. Lett. 85, 4952 (2000).K. Izawa, K. Kamata, Y. Nakajima, Y. Matsuda, T. Watanabe, M. Nohara, H. Takagi, P. Thalmeier, and K Maki : Phys. Rev. Lett. 89, 137006 (2002).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「超音波による超伝導ギャップ異方性の研究」と題し、超伝導ギャップ異方性の研究を行うための超音波測定技術の開発と、実際の異方的超伝導体への応用をまとめたものであり、全7章から構成されている。

第1章および第2章では研究の背景が述べられている。第1章ではまず、超伝導ギャップ異方性に伴って現れる特徴的な物性を紹介し、本研究で対象物質としたホウ炭化物超伝導体におけるギャップ異方性を裏付ける実験事実を紹介している。第2章では、超伝導体における超音波吸収の特徴および過去に行われた実験を紹介し、また本研究での実験結果の考察のために第6章で適用される理論モデルが紹介されている。また、第3章では本研究の目的が述べられている。

第4章、第5章、および第6章において、本研究において得られた3つの成果が述べられている。

第4章は、1つめの成果である高分解能超音波測定装置の開発に関する記述である。本研究では、超伝導ギャップ異方性の研究を行うために、パルスエコー法を用いた高分解能の超音波測定装置を設計、製作している。具体的には、高周波技術を駆使した超音波測定系の確立、および測定に用いるソフトウエアの作成を行っている。この測定装置では、パルスエコー法を用いてギャップ異方性の研究に要求される高い分解能での超音波吸収測定が可能となっている。また本研究の主旨とは異なるが、本測定装置では音速、すなわち弾性定数を位相比較法によって非常に高い分解能で測定することも可能となっている。本測定装置の温度および磁場制御は市販のクライオスタットによって精確に制御されている。温度は2Kまで冷却でき、9Tまでの磁場を発生することによって超伝導体を超伝導、常伝導いずれの状態でも測定することが可能である。

第5章では、2つめの成果である単結晶試料の育成、評価について述べられている。超音波吸収測定、とりわけ角度分解の超音波吸収測定では、大型の単結晶試料が必要である。本研究では対象物質であるホウ炭化物超伝導体YNi2B2Cの大型単結晶試料をフローティングゾーン法で育成している。YNi2B2Cは、比熱の温度、磁場依存性および非磁性不純物効果から非常に異方的な超伝導ギャップをもつs波超伝導体であることが示唆されている。本研究で育成した単結晶試料は、超音波吸収以外の実験にも用いられた。東大物性研究所辛研究室との共同研究で行った光電子分光の実験では、比熱の実験結果から指摘されている非常に異方的なs波の超伝導を示唆する実験結果が得られている。さらに、東大物性研究所松田研究室との共同研究で行った磁場下での熱伝導率の測定から、YNi2B2Cにおける超伝導ギャップが[100]および[010]方向にポイントノードもつことを示唆する実験結果が得られている。

第6章では、本研究の3つめの成果、YNi2B2Cにおける角度分解の超音波吸収の実験結果について述べられている。本研究ではYNi2B2Cについて超音波吸収の温度依存性を縦波および横波のすべての弾性モードについて測定している。各々の弾性モードにおける超音波吸収の測定は、超伝導状態および磁場をかけて超伝導を壊した常伝導状態の両状態で行われ、その結果、等方的な超伝導ギャップに期待される指数関数的な温度依存性ではなく、異方的ギャップに期待される温度Tのべき乗に比例する温度依存性が観測された。さらに、測定した弾性モードがそれぞれ異方的なべき乗の温度依存性を示すことも確認され、YNi2B2Cが非常に異方的な超伝導ギャップをもつことが実証された。特に縦波の弾性モードは顕著な異方性を示し、[100]方向の縦波モードにおいて、[110]および[001]方向の縦波モードに比べて顕著な準粒子励起が観測された。縦波および横波のすべての弾性モードについて、第2章で述べられた理論モデルとの比較考察を行った結果、第6章における超音波吸収の実験結果は、YNi2B2C において[100]および[010]方向にゼロギャップ、すなわちノードが存在することを示唆するものであることが確認された。これは熱伝導率から指摘されている[100]および[010]方向のポイントノードという超伝導ギャップ構造を支持するものである。この事実は、本研究で確立した超音波測定技術が超伝導ギャップ異方性の研究に有力な実験手法であることを実証したことを意味する。第5章における成果は、ホウ炭化物がs波対称性をもちながら非常に異方的な超伝導ギャップをもつという新しいタイプの超伝導体であることを示唆しており、ホウ炭化物における超伝導とその周辺物性の理解という面でも大きく貢献するものである。

第7章では、以上の第4章、第5章、および第6章において述べられた研究成果についてのまとめが述べられている。

以上の本論文における研究成果から、超音波吸収が超伝導ギャップ構造の決定に非常に有効な実験手法であることが実証された。今後、本研究で確立された測定手法を適用することによって、多くの強相関電子系における超伝導ギャップ構造が決定され、異方的超伝導における超伝導発現のメカニズム解明に光明をもたらすことが期待できる。本論文は新たな超伝導ギャップ異方性の研究手法を提供するものであり、高く評価される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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