No | 119080 | |
著者(漢字) | 阿部,孝俊 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アベ,アツトシ | |
標題(和) | 電子遷移誘起脱離過程に関する理論的研究 | |
標題(洋) | A theoretical study on the desorption processes induced by electronic transitions | |
報告番号 | 119080 | |
報告番号 | 甲19080 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第5812号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 化学システム工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 固体表面上における原子や分子の動的過程は、現象としての興味深さに加えて、触媒反応や半導体プロセスといった実用面においても非常に重要である。そのような動的過程を特徴付けるものとして、表面と分子との相互作用に起因する、気相とは異なる電子状態と種々の緩和過程が挙げられる。表面に近づいた分子は何らかのポテンシャルを感じ、吸着や散乱が起きる。吸着した分子は表面上で拡散や解離、そして脱離を起こす。そうした過程の最中に吸着分子は格子振動や金属電子と相互作用しエネルギーの授受が行われる。さらに、ここに外場を加わることにより、従来の熱的なプロセスでは起こせない反応を引き起こすことができる。そのような電子励起状態が関与した現象の一つが、吸着子の電子遷移誘起脱離(Desorption Induced by Electronic Transition: DIET)である。 本論文は、「A theoretical study on the desorption processes induced by electronic transitions (電子遷移誘起脱離過程に関する理論的研究)」と題し、波束と密度行列により脱離過程を記述する動的モデルに、電子状態計算により決定した系の化学的性質を取り入れてDIETにおける吸着子と表面との相互作用の影響を評価したものである。以下の7つの章により本論文は構成される。 1章では、固体表面における吸着子の散逸的動力学に関する既往の研究に触れ、DIETの紹介を行った上で本論文の目的を述べている。 2章では、本論文で動的過程の記述に用いた密度行列法と波束法に関する基本的な事項についてまとめている。 3章では、シリコン酸化表面からのキセノンの光誘起脱離に関する理論的研究について述べている。クラスターモデルによりシリコン酸化表面を表し、キセノンと表面との距離を反応座標にした、電子基底状態、励起状態のポテンシャルエネルギー曲線を電子状態計算により求めている。この計算により、キセノンが吸着しているシリコンのダングリングボンドから反対側のダングリングボンドに電子が移り、その電子が不足しているシリコンにキセノンが引き寄せられている状態が脱離に寄与しうることを示している。さらに、この状態への励起によって引き起こされる脱離を波束計算により記述しており、物理的に妥当な電子緩和の寿命で脱離キセノン原子の並進エネルギーの再現に成功している。以上の結果から、観測された脱離はこの状態への励起により引き起こされるという機構を解明している。 4章では、シリコン表面の終端水素の移動反応に対する密度行列による量子力学的解析について述べている。走査トンネル顕微鏡により終端水素を脱離させ、一次元のダングリングボンド鎖を表面上に形成することができる。さらに、電場を加えて水素を反対側のダングリングボンドに移動させる原子スイッチに関する実験が行われているが、この反応は電子励起状態で障壁を越えることにより起こると考えられていた。これに対して、移動確率を密度行列により理論的に求めており、確率が激しく振動するという結果を得ている。そして、この振動の起源を調べ、確率の振動周期が基底状態でのトンネルの周期に対応していることを明らかにしている。つまり、移動反応は電子励起状態ではなく、電子基底状態で起きているのであり、当初考えられていたものとは異なる新たな反応機構を示すことに成功している。また、移動確率は表面振動との相互作用に起因する振動緩和項を含めなければ適切に求められないので、表面振動の影響を含めることの重要性についても示していると言える。 5章では、白金(Pt)表面からの一酸化窒素(NO)分子のDIETにおける振動緩和に関する理論研究について述べている。この研究では脱離反応に要する時間と振動緩和時間が同程度であることに着目し、従来の研究では考慮されていなかったN-O伸縮振動の振動緩和の影響を考慮している。N-O伸縮振動と金属電子の相互作用を記述する運動方程式を、NOの空軌道への部分的な電荷のやり取りという形で全ハミルトニアンから微視的に導出している。具体的なパラメータについては電子状態計算の結果と、類似の系の実験結果との比較から効果的に見積もっている。その結果、脱離後のNO分子の振動状態分布に電子−正孔対との相互作用の影響を確認でき、その重要性を示すことに成功している。また、電子緩和のみを考慮したときの解析解も導出しており、数値的な時間発展を行う必要がないので簡便な光誘起脱離過程の計算方法として非常に有効である。 6章では、5章で考慮しなかった格子振動及び他の振動モードとの相互作用に起因する振動緩和について述べている。N-O伸縮振動が格子フォノンを介してNO-Pt伸縮振動とNO-Pt回転振動の自由度と結合する程度を黄金則により緩和速度を求めて評価している。格子フォノンはPt表面を模した大きなクラスターの基準振動とその周波数として求め、分子系の固有関数と固有エネルギーはフィルター対角化により効果的に得ている。求めた緩和速度から、主だった振動緩和が2フォノン過程で起き、N-O伸縮振動がNO-Pt回転状態へ9nsで緩和することを明らかにしている。また、脱離の時間が1psであることからこの振動緩和は脱離後のNOの振動状態には影響せず、電子-正孔対による振動緩和が支配的であると示すことにも成功している。 7章では本論文で得られた成果をまとめるとともに、問題点を指摘し、今後の展望について述べている。 | |
審査要旨 | 本論文は、「A theoretical study on the desorption processes induced by electronic transitions (電子遷移誘起脱離過程に関する理論的研究)」と題し、波束法と密度行列法により脱離過程を記述する動的理論モデルに、電子状態計算により決定した系の化学的性質を取り入れ、電子遷移誘起脱離(DIET)における吸着子と表面との相互作用の影響について研究したものである。以下の7つの章により本論文は構成される。 第1章では、固体表面における吸着子の散逸的動力学に関する既往の研究に触れ、DIETの概説を行った上で本論文の目的を述べている。 第2章では、本論文において動的過程の記述に用いられている波束法と密度行列法に関する基礎理論についてまとめている。 第3章では、シリコン酸化表面からのキセノンの光誘起脱離に関する理論的研究について述べている。クラスターを用いてシリコン酸化表面をモデル化し、電子状態計算によりポテンシャルエネルギー曲線を求め、キセノンが吸着しているシリコンのダングリングボンドから反対側のダングリングボンドに電子が移った結果、電子が不足しているシリコンにキセノンが引き寄せられた状態が脱離に寄与しうることを示している。さらに、この状態への電子励起によって引き起こされる脱離過程を波束計算により記述し、物理的に妥当な電子緩和の寿命で脱離キセノン原子の並進エネルギー分布を再現することに成功し、観測された脱離過程はこの状態への励起により引き起こされるという機構を提唱している。 第4章では、シリコン表面の終端水素の移動反応に対する密度行列法による量子力学的解析について述べている。走査トンネル顕微鏡により終端水素を脱離させ、一次元のダングリングボンド鎖を表面上に形成することができるが、さらに、電場を加えることにより水素を反対側のダングリングボンドに移動させることができる。従来この反応は電子励起状態でポテンシャル障壁を越えることにより起こると考えられていた。これに対して、密度行列法により理論的に求めた移動反応の確率には振動構造が見られ、その振動周期が基底状態でのトンネル周期に対応していることを明らかにしている。つまり、移動反応は電子励起状態ではなく、電子基底状態で起きており、従来考えられていた機構とは異なる新たな反応機構を提唱することに成功している。 第5章では、白金(Pt)表面からの一酸化窒素(NO)分子のDIETにおける振動緩和に関する理論的研究について述べている。ここでは脱離反応に要する時間と振動緩和時間が同程度であることに着目し、従来の研究では考慮されていなかったN-O伸縮振動の振動緩和の影響を明らかにしている。まずN-O伸縮振動と金属電子の相互作用を記述する運動方程式を、NOの空軌道への部分的な電荷のやり取りという形で全ハミルトニアンから微視的に導出している。運動方程式にあらわれるパラメータを電子状態計算と、類似系の実験結果との比較から有効的に見積もり、脱離後のNO分子の振動状態分布について電子−正孔対との相互作用の重要性を示すことに成功している。また、電子緩和のみを考慮した場合の解析解の導出に成功し、数値的な時間発展を行う必要がない簡便な光誘起脱離過程の計算方法として提出している。 第6章では、第5章で取り扱ったN-O伸縮振動に加え、Pt表面の格子振動及びNO-Pt間の振動モードとの相互作用に起因する振動緩和について述べている。N-O伸縮振動が格子フォノンを介してNO-Pt伸縮振動及びNO-Pt回転振動と結合する強さについて、フェルミの黄金則により緩和速度を求めることにより評価している。格子フォノンはPt表面をモデル化したクラスターの基準振動とその周波数として求め、分子系の固有関数と固有エネルギーはフィルター対角化により効率的に決定されている。求めた緩和速度から、主要な振動緩和が2フォノン過程で起き、N-O伸縮振動がNO-Pt回転状態へ9nsで緩和することを明らかにしている。また、脱離の時間が1psであることから、この振動緩和は脱離後のNOの振動状態には影響せず、第5章で述べられた電子-正孔対による振動緩和が支配的であると示すことに成功している。 第7章では本論文で得られた成果をまとめるとともに、今後の展望について述べている。 以上、本論文は固体表面における吸着子の動的過程を量子動力学理論と電子状態計算によって記述し、種々の緩和過程を有するDIETについての理論モデルを構築することに成功しており、表面反応の解明と制御、新規反応の開拓につながる研究として、理論化学及び化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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