学位論文要旨



No 119082
著者(漢字) 杉本,和子
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,カズコ
標題(和) 超臨界流体中の酸素分子の光化学反応および溶液構造
標題(洋)
報告番号 119082
報告番号 甲19082
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5814号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 岡田,文雄
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 教授 北森,武彦
 上智大学 教授 幸田,清一郎
内容要旨 要旨を表示する

緒論 超臨界流体中の反応速度論および溶液構造の研究の現状と本研究の位置づけ

超臨界流体とは温度、圧力が臨界温度以上または臨界圧力以上の流体である。密度および、輸送係数、溶解度、反応速度等を温度、圧力の制御により大きく変えられるところに特徴があり、新規な溶媒として期待されている。特にCO2, H2Oはその安定性から実用的な溶媒であると言え、超臨界流体の反応溶媒としての特性およびその特性の起源である溶液構造の研究が望まれている。本研究では酸化反応で重要な酸素分子について、超臨界流体(CO2およびH2O)中の溶液構造および超臨界二酸化炭素中の酸素分子の光化学反応を検討した。超臨界水中においてO2など小さな無極性分子は疎水性溶媒和しており、臨界点付近では溶質分子近傍の水密度はバルク密度に比べて小さくなると予想されるが、このような系の溶液構造の密度依存性の詳細な測定は行われていなかった。本研究ではO2近傍の水密度の測定を行い溶液構造の密度依存性を明らかにした。超臨界CO2中のO2の溶液構造についても同様に検討した。O2の光化学反応の研究では、素反応速度測定の基礎となるO2分子の光化学反応の機構について光照射実験および量子化学計算を用いて検討した。同時に光反応生成物であるO3の量子収率の値の波長依存性(255-230 nm)を実験的に明らかにした。

高圧二酸化炭素中のO2の紫外光誘起反応・光解離過程の解明

【目的および方針】O2/CO2超臨界混合流体にO2の光解離限界より低エネルギーの光を照射すると、O2が電子励起状態(A',A,c状態)へ励起して、オゾン(O3)が生成することが知られている。本実験ではO2-O2, O2-CO2の二通りの系に対して、励起光のエネルギーを変化させてオゾンの量子収率を測定し、光反応機構モデルによる予想と比較することで、O3生成反応機構を明らかにした。

【実験方法】所定の温度・圧力に設定した純酸素およびO2-CO2混合流体にNd: YAGレーザー励起の色素レーザー光(パルス幅約10ns, 10Hz, 0〜3mJ pulse-1)を約15分間照射し、生成物であるO3濃度のタイムプロファイルを紫外吸収分光法(光源D2ランプ、測定波長255nm)により測定した。O3濃度のタイムプロファイルの初期の立ち上がりからO2の光励起によるO3の量子収率を算出した。実験条件は、温度35度、試料:純酸素 (20 kgf cm-2=0.78 mol dm-3)、O2-CO2混合流体(O2:0.78 mol dm-3, CO2:9.2 mol dm-3全圧=98 kgf cm-2)、照射光波長:255-230nmであった。混合流体の密度はPeng-Robinson式で推算した。

【結果】O3量子収率は励起光強度に対して比例したため、O3生成機構は1光子過程であることが明らかになった。純酸素中のオゾン量子収率の波長依存性はO2の光解離限界である242nm付近を境に異なり、242から255nmにかけて量子収率が2から0へ単調に変化し、242から230 nmにかけてほぼ一定値(およそ2)であった。この結果から242nm前後でオゾン生成機構が異なることが示唆された。O2-CO2混合流体でも同様の傾向が得られたが、量子収率の絶対値は全体的に酸素の系の約半分であった。

【考察】242nmより長波長領域では、オゾン量子収率の波長依存性と光反応モデルによる予想を比較して光反応機構を検討した。反応物の持つ熱エネルギー+光エネルギーによりO2分子が解離する機構O2+O2(A',A,c)→O+O+O2、CO2+O2(A',A,c)→O+O+CO2を仮定して最大の量子収率を推算すると実験結果を上回ったため、この機構がエネルギー的に可能であることが示された。また既往の研究で提案されていたCO2+O2(A',A,c)→O+CO3という機構については、量子化学計算 (HF/6-31G*, CASSCF(4,6) / 6-31G*)の結果、エネルギー的に起こり難いことが示された。242nmより短波長領域では、CO2添加量が多いほどオゾン量子収率は低下した。得られた量子収率を図1に示す。

【まとめ】高圧下の酸素に波長255 nmより短波長の光を照射するとオゾンが生成することが明らかになった。オゾン量子収率の波長依存性の値が得られた。反応機構がより詳細に示された。O原子の量子収率はオゾン量子収率とその0.5倍の値の間である。

O2 -H2OおよびO2 -CO2超臨界混合流体の溶液構造のラマン分光法を用いた検討

【目的および方針】超臨界流体中のO2など溶質が二原子分子である場合の溶媒和構造を測定する方法を提案し、O2近傍の溶媒濃度の温度・バルク密度依存性を明らかにする。また溶媒から見た溶媒密度がO2の有無でどのように変化するのかも合わせて検討し、溶液構造について考察した。O2近傍の溶媒濃度のプローブにはO2のラマンバンドのシフトを用いた。バンドのシフトはO2の実測したラマンスペクトルと気相におけるスペクトル形の理論計算値の比較から得た。

【実験方法】O2 -H2Oの実験では、濃度を調整した過酸化水素水をシリンジポンプで昇圧送液し、500℃に熱した予熱部で完全に酸素と水に分解したものをラマンセルに導入し、サファイア窓からAr+イオンレーザー光(488 nm)を照射して後方散乱を測定した。圧力はセルの出口側においた背圧弁で調整した。過酸化水素の分解速度および得られたラマンスペクトルから過酸化水素が完全分解していることを確認した。測定は380 -500℃, 2-40 MPa,酸素モル分率xo2=0.1, 0.01で行った。混合流体の密度は経験的推算式から計算した。O2 -CO2の実験方法は光反応と同じであり、35℃, 0.004-0.014 mol cm-3, xo2=0.1, 0.2, 0.5,1.0で行った。

【結果および考察】H2O, CO2中とも高圧気相の理論で実験的に得たスペクトル形を再現できた。この結果からO2の回転緩和速度や構造は気相とほぼ同じであることが示唆された。O2 -H2Oの場合、O2のバンド位置のシフトは、低圧気相領域では密度に比例したが、臨界密度近傍で酸素周辺のシフトは気相の延長線上からより小さい結果が得られ、(図2)O2近傍の水密度の低下が示された。以上を通してラマンスペクトル形の解析からO2の溶媒和構造が分かることが明らかになった。(J.Supercriti. Fluid査読中)純水のラマンスペクトルのピーク位置の密度依存性は、臨界温度より遠い400℃では密度とピーク位置がほぼ線形の関係にあったが、臨界温度に近い380℃では臨界密度より低密度領域でスペクトルが非線形になる傾向が得られた。(図3)水のピーク位置は水近傍の水密度を反映していると考えると、380℃で水近傍の水密度はバルク密度より大きい即ち水密度がゆらいでいると示唆される。超臨界水およびのO2/H2O(xO2 = 10 mol%)混合流体を比較すると、0.01 mol cm-3以下ではスペクトル形・ピーク位置がほぼ一致した。一方、0.013 mol cm-3以上の密度(臨界密度近傍)ではO2が水に置き換わっているとスペクトル形が低密度的になった。また水密度が同じであればO2-H2O混合流体と純水のOH伸縮振動のピーク位置が同じ曲線上に乗っているように見えた。この結果は、低密度領域ではO2-H2O混合流体と純水の水構造が同じであることを、臨界密度近傍では水密度が同じであれば水構造が同じであることを示唆している。

O2 -CO2の場合、温度一定(35℃)ではO2およびCO2のバンド端のシフトは密度に対して同様に変化した。このことから、O2 -CO2混合流体混合流体の密度ゆらぎはないこと、流体はほぼ均一に混合していることが示唆された。

【まとめ】 O2-H2O混合流体に関しては、低密度領域では小さな水クラスターがあり、水がO2に置き換わってもクラスター構造は変化せず、水近傍の水密度はあまり変わらない。中密度領域では大きな水クラスターがあり、水がO2に置き換わるとクラスターサイズが減少するが、水密度一定では水の構造はO2の有無にほぼ影響されず、O2は水の薄い領域に分布しているためO2近傍の水密度は低下するといえる。O2-CO2の場合、密度ゆらぎのない均一混合構造であることが示唆された。

O3生成量子収率(a)純酸素、(b)O2-CO2混合流体

超臨界水中の酸素分子のラマンスペクトル390℃, 40 MPa, xo2= 10 mol% 実線:実験, 破線:計算(Δ=0), 点線:計算(ピーク位置が実験と合うようにΔを変化)

水のラマンスペクトルのピーク位置純水350-400℃, O2(10 mol%)-H2O混合流体390℃

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「超臨界流体中の酸素分子の光化学反応および溶液構造」と題し、超臨界二酸化炭素中における酸素分子の光化学反応の機構の解明、および超臨界二酸化炭素・超臨界水中において酸素分子と二酸化炭素・水が作る流体構造を解明することを目的として、超臨界二酸化炭素・超臨界水中で紫外可視吸収スペクトルおよびラマンスペクトルを測定する装置を開発し、光化学反応機構および流体構造に関する実験結果を得て、解析を行った結果をまとめたものである。

第1章は緒論であり、超臨界流体中において溶質と溶媒が作る溶液構造に関する既往の研究、および溶液構造と溶質の反応速度の関係についてまとめている。既往の反応速度に関する研究を引用して、溶液構造に関する理解と定量的予測が超臨界流体中の反応速度の予測に必要不可欠であることを示している。超臨界流体の溶液構造に関しては、十分希釈された溶質の溶媒和構造が主に測定されてきたが、溶質濃度が濃い条件の測定が少ないことを指摘している。また溶質の溶媒和構造は、溶質近傍の溶媒密度が平均密度よりも濃い “attractive”の構造と、薄い “repulsive”の構造が予想されているが、後者に関しては、実験による溶媒和構造の密度依存性の測定例がないことを指摘している。また超臨界流体中においてO2の光解離過程によりO原子をクリーンに生成できる可能性があるが、高圧下の酸素分子の光化学反応過程は未だに明らかになっていないことを指摘している。以上より、本論文の目的を、1.超臨界流体中の酸素分子の光化学反応過程の解明および、2.酸素分子と水、二酸化炭素の混合流体の構造に関する知見を得ることとしている。

第2章では超臨界二酸化炭素中の酸素分子の光化学反応を、生成物であるオゾンの量子収率と励起光の波長の関係の測定から検討している。得られた量子収率の励起光波長依存性を、想定される反応モデルに基づくシミュレーション結果と比較することで反応機構を明確にした。

第3章では第2章の結果の補足として、CO2+O2(A,A',c)からCO3+Oとなる経路があり得るかどうかを量子化学計算により検討している。また高圧二酸化炭素中と気相中のO2の解離エネルギーの変化を推算するため、O2単独および、CO2−O2錯体中のO2の分子ポテンシャルを計算している。第2、3章を通して、超臨界二酸化炭素中の酸素分子の光反応過程において媒体(CO2, O2)とO2(A,A',c)間のエネルギー移動の結果O2(A,A',c)が解離する可能性を示唆している。

第4章では超臨界水中に溶解した酸素分子のラマンスペクトルの密度依存性を測定し、スペクトル形の解析から酸素分子近傍の水の局所密度に関する情報を得ている。超臨界水と同程度の高圧気相の密度領域において、酸素分子等軽い原子からなる2原子分子のラマンスペクトル形は、回転緩和により幅が広がった回転線がお互いに干渉しあう形で表せ、回転線1本1本のピーク位置は、酸素分子と溶媒の衝突頻度に比例してシフトすることが知られていた。また衝突頻度は溶媒和数にほぼ比例すると言われている。このため超臨界水中において酸素分子のラマンスペクトルを測定し振動回転線のシフトを解析することで、酸素分子近傍の水の配位数を決定できることが期待される。そこで実験的に酸素分子のラマンスペクトルを測定し、高圧気相のラマン分光の理論に基づいて計算したスペクトル形と比較したところ、実験結果と高圧気相の理論によるスペクトル形が一致することが示された。このことから超臨界水中にも高圧気相の理論を用いることができること、ピークシフトから酸素分子近傍の水の局所密度について議論できることが示された。以上より、臨界点を含む広い密度範囲においてラマンスペクトルの測定、解析を行うことで、酸素分子近傍の水密度を調べることができたとしている。得られた結果は既往の分子動力学計算の結果と対応するものであり、解析方法の妥当性が示された。解析の結果、水は臨界点近傍において酸素分子から遠ざかる傾向にあると結論している。

第5章では、第4章の結果の持つ意味を、既往の研究を基に考察している。第4章で水が酸素から遠ざかるように見えたことは、臨界点近傍の水が密度ゆらぎ構造を作っているような温度圧力領域において酸素分子が水の空隙に入ることに対応することを示唆している。

第6章では溶媒側に注目して水のラマンスペクトルの測定を行い、ラマンスペクトルのピーク位置から、水構造の、溶質の有無による変化を検討している。第5章の考察に矛盾せず、酸素は水濃度の薄い領域に分散することを示唆した。

第7章では4,6章と同様に、超臨界二酸化炭素中の酸素分子の構造について、スペクトルの測定を通して検討している。温度一定で酸素の組成を変化させてスペクトルシフトを測定し、酸素分子と二酸化炭素分子は酸素濃度10mol%以上で均一混合することを見出している。またこの結果から、第2章で行った実験においても流体はほぼ均一な構造をとっておりバルクの流体密度と酸素近傍の流体密度は同じであったことを明らかにしている。この系は、反応における超臨界流体の溶媒効果のうち、密度ゆらぎによらない圧力のみによる効果を取り出して観測するのには良好な系であると結論している。

以上要するに、本論文は、高圧下の酸素分子の光反応過程を明らかにした点、超臨界流体中のの小分子の溶媒和構造を測定する1つの手段としてラマン分光が有用であることを示し、その手法を用いて超臨界水、超臨界二酸化炭素と酸素分子が作る流体構造を解析した点、超臨界流体の流体構造に関する新たな方法論と知見を加えた点において、化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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