学位論文要旨



No 119096
著者(漢字) 菅原,彩絵
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,アヤエ
標題(和) バイオミネラリゼーションに倣う炭酸カルシウム/高分子複合材料の開発と機能化
標題(洋) Development and Functionalization of Calcium Carbonate/Polymer Composites Inspired by Biomineralization
報告番号 119096
報告番号 甲19096
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5828号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 大久保,達也
内容要旨 要旨を表示する

生物がつくる貝殻・真珠・骨のようなバイオミネラルは、天然の精緻な無機/有機複合物質である。これらは、我々が容易に模倣することのできないナノ〜マイクロメートルレベルの秩序構造・階層構造を有し、すぐれた性質・機能を示す。たとえば、代表的なバイオミネラルである貝殻の真珠層は、厚さ1μm以下の平板状炭酸カルシウム結晶と生体高分子による積層構造を形成しており、構造に由来する強靱さや光機能を発現している。バイオミネラルの形成プロセス、すなわちバイオミネラリゼーションにならい、無機/有機複合秩序構造を人工的かつ自己組織的に作製できれば、高機能・高性能かつ環境低負荷のマテリアルが得られるはずである。既往の研究では、真珠層の形成をモデルとした手法により自己組織性炭酸カルシウム/高分子複合薄膜の作製がなされ、成功している。しかしながら複合体の構造解析や構造制御、機能化、材料化は十分にできていない。そこで本研究では、この炭酸カルシウム/高分子複合体の構造特性を明らかにし、さらに機能性材料として発展させることを目的とした。まず、種々の分析法を用いて複合体の詳細な構造解析を行った。次に、炭酸カルシウム薄膜の多形の制御を目指し、マグネシウムイオンの効果を利用してアラゴナイト薄膜を得た。また、天然のタンパク質、すなわちアメリカザリガニの外骨格に含まれるペプチドを利用することにより炭酸カルシウム薄膜の配向を制御しうることを明らかにした。さらに、適切にデザインした合成高分子を利用することにより、天然にも人工にも例を見ないサブマイクロメートルレベルの周期構造を有する炭酸カルシウムを作製し、光機能を発現させた。

まず、炭酸カルシウム/高分子複合薄膜の構造解析を行った。真珠のバイオミネラリゼーションにおいては、キチン(多糖)と疎水性タンパク質が形成する層状の仕切りの内部で炭酸カルシウムが平板状に結晶化する。このとき、アスパラギン酸残基を多く含む水溶性の酸性タンパク質が分泌され、結晶化を制御すると考えられている。これを人工的に模倣し、酸性高分子を溶存させた炭酸カルシウム水溶液に多糖薄膜基板(不溶性マトリクス)を浸漬して結晶成長を行うと、1μm以下の均一な厚みを有する炭酸カルシウム薄膜が得られることが報告されている。しかしながら、この薄膜コンポジットの結晶配向や無機/有機複合構造に関する知見は得られていない。これらを明らかにすることは、複合体の特性や形成機構を理解するうえで重要である。構造解析を行う対象として、不溶性マトリクス:キトサン、水溶性添加物:ポリアスパラギン酸(PAsp)の組み合わせにより得られる炭酸カルシウム薄膜を選択した。キトサンはキチンを脱アセチル化して化学的な取り扱いを容易にした化合物である。PAspは真珠層に含まれる酸性タンパク質にもっとも類似するホモポリマーである。PAspを溶存させた炭酸カルシウムの過飽和水溶液(30℃)にキトサンマトリクス(膜厚:約100 nm)を浸して静置し、14時間後に得られた炭酸カルシウム薄膜について構造解析を行った。偏光顕微鏡観察により、直交ニコル条件下、明らかに異なる3種類のディスク状薄膜を確認した。直径100μm前後で十字の消光を示す薄膜 (disk I)、直径500μm以上に広がり十字の消光を示す薄膜 (disk II)、および直径500μm以上で十字および同心円状の消光パターンを示す薄膜 (disk III) である。透過型電子顕微鏡(TEM)観察および電子回折分析によりこれらの多形(炭酸カルシウムは、カルサイト、アラゴナイト、およびバテライトと呼ばれる3種類の多形を示す)および結晶配向の解析を行った。Disk Iはアラゴナイトであり、結晶のc軸をディスクの中心から外側に向けて放射状に配向していることがわかった。Disk IIおよびIIIはバテライトであった。Disk IIはやはりc軸方向への放射状配向を示す。一方、disk IIIは、c軸がディスクの半径に沿って垂直および平行方向への配列を交互に繰り返すという珍しい配向を有していた。走査型電子顕微鏡(SEM)による観察から、多形や配向の違いに関わらず、薄膜は粒径10-20nm程度の微結晶の集合体であることがわかった。断面の観察より、薄膜結晶の膜厚は約500 nmと求められた。また、キトサンマトリクスと炭酸カルシウム薄膜のあいだに明瞭な境界が見られなかったことから、得られた炭酸カルシウム薄膜はマトリクスと密接な複合構造を形成していることがわかった。このように炭酸カルシウム/高分子薄膜コンポジットの結晶配向・複合構造などの微細構造を初めて明らかにした。

次に薄膜コンポジットの多形制御を行った。炭酸カルシウムの3種類の多形は、それぞれ密度・硬度・屈折率などの性質を異にしている。多形の選択的形成は材料特性のチューニングに重要である。既往の研究では、炭酸カルシウム薄膜の作製に用いる有機高分子の組み合わせや濃度を最適化することによりカルサイトやバテライトを主成分とする薄膜結晶が得られている。一方、アラゴナイトの選択的形成は最も困難とされてきた。ここではアラゴナイト薄膜の作製を目指し、アラゴナイト誘起作用が知られているマグネシウムイオンに着目した。海水にはカルシウムイオンの5倍以上のマグネシウムイオンが含まれており、バイオミネラリゼーションとの関連性も指摘されている。結晶成長溶液に海水と同じレベルのマグネシウムイオンを添加すると、ポリアスパラギン酸の存在下、アラゴナイト含有率が95wt% 以上の炭酸カルシウム薄膜がキトサンマトリクス上に成長した。アラゴナイト薄膜を選択的に作製したのは本例が初めてである。

続いて、実際にバイオミネラリゼーションに関与していると考えられる天然のタンパク質を用いて、より精緻な結晶構造制御を目指した。実験に用いたタンパク質は、アメリカザリガニProcambarus clarkiiの外骨格から単離した水溶性ペプチドCAP-1である。アメリカザリガニの外骨格は、炭酸カルシウム/キチン/タンパク質複合体として知られている。CAP-1は78のアミノ酸からなる酸性のペプチドであり、Rebers-Riddifoldコンセンサス配列部分でキチンにバインドできる。結晶化実験の結果、CAP-1は単独で炭酸カルシウム結晶の形態を変化させた。また、キチン膜との協同作用により一軸配向した薄膜状結晶の形成を誘起した。

さらに、不溶性マトリクスとして人工的にデザインした合成高分子を用いることにより、表面レリーフ構造を有する機能性炭酸カルシウムを作製した。ここでは、多糖プルランにコレステロールを導入した化合物(CHP)に着目した。CHPはナノレベルで親水/疎水の相分離構造をとり、溶媒を含んでゲルを形成しうることが知られている。CHPをマトリクスとして用いたところ、ポリアクリル酸の存在下、表面に周期的な凹凸パターン構造を有する炭酸カルシウム薄膜が自己組織的に成長した。周期長は約800nmであり、回折格子として機能することも確認した。さらに、プルランへの疎水基の導入割合、結晶成長温度、添加物などを系統的に変化させることにより、パターン構造を変化させることができた。このパターン形成は、反応と物質拡散が競争的に起こる系における振動現象であると考えている。つまり、CHPマトリクスは結晶成長水溶液中でヒドロゲルを形成するため、炭酸カルシウムの結晶核形成はこのゲルマトリクス内部で起こる。その際、イオンの拡散がゲルマトリクスによって抑制されるために、1)核発生および結晶成長によるイオンの消費−2)過飽和度の低下による結晶成長の停止−3)イオンの拡散による過飽和条件の再生、というサイクルが生じ、結晶のパターン形成が起こると考えられる。このようなサブマイクロメートルレベルの結晶秩序構造を自己組織的に作製した例は他にない。

以上のように、本研究では炭酸カルシウムと有機高分子を基本とする無機/有機複合体をバイオミネラリゼーションに倣った環境低負荷プロセスで作製し、その構造解析、構造制御、および機能化を行った。これらの知見は、バイオミネラルとして天然に豊富に存在しながらも機能材料としての開発は遅れている炭酸カルシウムに新たな可能性を付与するとともに、広範囲にわたる無機/有機複合マテリアルの創製に応用できると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

生物がつくり出す貝殻や真珠、骨や歯のような無機/高分子複合体は、我々が容易に模倣できない精緻な構造を有し、すぐれた性質・機能を示す。このようなバイオミネラルの形成プロセス、すなわちバイオミネラリゼーションに倣い、無機/高分子複合体を人工的に、かつ自己組織的に作製できれば、高機能・高性能かつ環境低負荷性の複合材料が得られるはずである。本論文は、炭酸カルシウムと有機高分子からなる複合材料をバイオミネラリゼーションに倣った自己組織化プロセスにより構築し、その機能化を行うことを目的としたものであり、6章から構成されている。

第1章は序論であり、バイオミネラリゼーションの概要を述べたうえで、貝殻・骨・珪藻のような代表的なバイオミネラルの構造・機能・形成プロセスについて具体的に紹介している。ここでは生体有機高分子が無機結晶化制御に果たす役割について論じている。また、本論文で注目する炭酸カルシウムに関して、人工的に有機分子を用いて結晶化制御を行った既往の研究例について紹介している。これらの現状と問題点を明らかにし、本論文の研究目的を設定している。さらに、目的達成のための具体的な手法を述べている。

第2章では、バイオミネラリゼーションに関与している生体高分子を単純化したモデル化合物の存在下において炭酸カルシウムを結晶化させ、その詳細な構造解析を行った結果について述べている。水溶性高分子ポリアスパラギン酸を含む炭酸カルシウム水溶液に、フィルム状に成型した不溶性高分子キトサンを浸して静置することにより、キトサン上に薄膜状の炭酸カルシウム結晶を得ている。各種顕微鏡およびX線分析により、炭酸カルシウム薄膜の結晶構造、および炭酸カルシウム薄膜と有機高分子との複合構造を明らかにしている。これらの解析結果に基づき、高分子が炭酸カルシウム薄膜の形成に果たす役割について論じている。

第3章では、炭酸カルシウム薄膜の多形制御について述べている。多形の選択的形成は材料特性のチューニングに重要であるが、アラゴナイト型炭酸カルシウムの選択的形成は最も困難とされてきた。本章では、単純なポリマーに加え、アラゴナイト誘起作用が知られているマグネシウムイオンを溶液に共存させることにより、アラゴナイト薄膜の選択的形成を見出した例が報告されている。

第4章では、水溶性高分子添加物として、バイオミネラリゼーションへの関与が報告されている天然のペプチドを用いることにより、炭酸カルシウム薄膜の配向制御を行った結果について述べている。用いられたペプチドは、炭酸カルシウム/キチン/タンパク質複合体として知られるアメリカザリガニの外骨格から単離した水溶性ペプチドであり、このペプチドの存在下、キチン膜上において一軸に配向した炭酸カルシウム薄膜が形成されることが見出されている。

第5章では、炭酸カルシウムの結晶化にソフトなゲルを形成する合成高分子を用いることにより、炭酸カルシウム薄膜の形態制御を行った結果について述べている。ここでは、多糖プルランに疎水基を導入することによってゲル化能を持たせた化合物が合成され、炭酸カルシウムの結晶化基板として用いられている。水溶性高分子ポリアクリル酸の存在下、表面に周期約800nmの凹凸パターン構造を有する炭酸カルシウム薄膜が、ゲル基板上に自己組織的に成長することを見出している。このようなサブマイクロメートルレベルの結晶秩序構造を自己組織化プロセスによって得たのは本例が初めてであると述べている。このパターン形成は、ゲルの効果により結晶形成とイオン拡散が競争的に起こり、振動現象が起きたためであるとして説明されている。この炭酸カルシウム薄膜は回折格子として機能し、本論文の目的である“機能化”が達成されている。プルランへの疎水基の導入割合、結晶成長温度、水溶性高分子添加物などを変化させることにより、パターン構造の制御にも成功している。

第6章は本論文の結論であり、第5章までの研究成果を総括するとともに、将来の展望をまとめている。

以上のように、本論文は、炭酸カルシウム/有機高分子複合体をバイオミネラリゼーションに倣った環境低負荷性プロセスで作製し、その構造解析、構造制御、および機能化を行った結果について述べたものである。これらの結果は、炭酸カルシウムを主体としたマテリアルに新たな可能性を付与するものであるとともに、広範囲にわたる無機/有機複合材料の開発に貢献するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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