学位論文要旨



No 119098
著者(漢字) 籔内,一博
著者(英字)
著者(カナ) ヤブウチ,カズヒロ
標題(和) 低分子ゲル化剤の繊維状自己集合 : 機能性分子複合体開発のための分子設計
標題(洋) Fibrous Self-Assembly of Low Molecular Weight Gelators : Molecular Design for Functioal Molecular Composites
報告番号 119098
報告番号 甲19098
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5830号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 工藤,一秋
 東京大学 講師 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

生体は、水素結合などの分子間相互作用により分子が集まって、複雑な秩序構造を形成し精緻な機能を発現している。このような自己組織化プロセスを人工的な材料の設計に組み込むことは、環境への負荷が低く、外部環境などに動的に応答する、従来の有機高分子材料には見られない新しい材料への展開が期待できる。その一つとして、低分子化合物により有機溶媒や水中で形成される自己組織性ファイバーが近年注目を集めている。この自己組織性ファイバーを形成する化合物は、水素結合をはじめとした分子間相互作用により溶媒中で1次元的に集合する。多くの場合、この自己組織性ファイバーが3次元的に絡み合い、溶媒の巨視的な流動性が失われた「物理ゲル」を形成する。物理ゲルやそれを形成する自己組織性ファイバーは、作製の容易さや系の多様性などから機能性分子材料への展開が期待されている。本研究では、低分子ゲル化剤を利用した新しい機能性分子複合体の構築を目指し、様々な集合構造制御や機能化のアプローチを行った。まず、水素結合部位であり、金属配位部位であるピリジン部位に注目して、ピリジン部位を導入した新規低分子ゲル化剤の開発を行った。水素結合パターンの違いや金属塩の添加による集合構造変化やゲル化剤の性能に与える影響について検討を行った。ゲル化剤分子からなる分子複合体の機能化のアプローチとして、異方的機能性溶媒である液晶とゲル化剤の複合系における組織構造と機能の相関について調べた。また、ゲル化剤分子に、光電子機能部位であるカルバゾリル基の導入を行い、機能性ゲル化剤の開発も行った。さらに、このゲル化剤分子の1次元組織化を利用して機能性部位の1次元集積を行った。

分子内水素結合と分子間水素結合を協調的に活用した新規低分子ウレア型ゲル化剤の開発を行った。水素結合アクセプタとしてはたらくピリジン部位をビスウレア化合物に導入することにより、良好なゲル化能を示すウレア型ゲル化剤が得られた。ゲル化能はピリジン環におけるウレア部位の置換位置によって大きく異なり、ゲル化能が見られたのは2,6-位で置換された化合物のみであった。また、比較のため合成した、ピリジン環をベンゼン環で置き換えた化合物には、有機溶媒に対するゲル化能はほとんど見られなかった。ゲルを形成した系について、光学顕微鏡や電子顕微鏡観察により自己組織性ファイバーのネットワークを確認した。ファイバーの形成する温度は従来報告されている芳香族ビスウレア型ゲル化剤に比べて低く、これは、水素結合パターンの変化に由来すると考えられる。X線結晶構造解析や1H NMR測定により、新しく得られたウレア型ゲル化剤は、従来のウレアゲル化剤には見られない、特徴的な3種類の水素結合によって分子集合体を形成していることがわかった。すなわち、(1) ピリジン環の窒素原子を介した分子内水素結合、(2) 1次元集合の駆動力である二股型の分子間水素結合、および、(3) 1次元分子集合体を連結するアミド類似型の分子間水素結合、である。この特徴的な水素結合パターンにより、繊維状自己集合に適した会合力が得られ、良好なゲル化能が発現したと考えられる。ベンゼン環を有するビスウレア化合物や、ピリジン環を有していても、3,5-位で置換された化合物では、このような水素結合パターンは形成できない。これは、分子内水素結合の形成が、分子間水素結合により形成される自己組織性ファイバー形成に大きな効果を与える初めての例である。

ピリジン環の金属配位子としての性質に注目して、新規低分子ゲル化剤を開発し、金属塩の添加がゲル化剤の組織構造に与える効果を検討した。新たに合成した化合物のうち、3,5-ピリジンジカルボン酸から合成されるアミド化合物は、広範な溶媒に対してゲル化能を示すことがわかった。しかし、溶媒の種類によっては、ゲルの長期安定性に欠けるという問題があった。そこで、このゲル化剤のエタノールやアセトンのゲルに銀トリフラートを添加すると、ゲル状態が長期安定化することを見いだした。ゲルの調製直後は、銀トリフラートを添加したものとしていないもので、外観上の大きな違いは見られなかった。しかし、10日後に同じサンプルを確認すると、銀トリフラートを添加していないものはゲルが崩れ、結晶が析出しているのに対し、銀トリフラートを添加したものでは、依然としてゲル状態を維持していた。電子顕微鏡観察でも、前者では、ファイバーのネットワーク構造が崩れていたのに対し、後者では良好なネットワーク構造が維持されていることを確認した。また、銀トリフラートと複合化したゲル化剤は、ゲル化剤単独の場合に比べ、融点が上昇し、液晶相を発現した。さらに、1H NMR測定では、アミドのN-Hプロトンの大きな低磁場シフトが見られ、複合化により組織構造が変化していることを確認した。

低分子ゲル化剤が形成する分子複合体の機能化のアプローチの一つとして、機能性溶媒である液晶を溶媒として用いて低分子ゲル化剤との複合化を行った。得られた複合構造と機能の相関について検討した。複合体の示す性質は、液晶とゲル化剤のファイバー状分子集合体の形成する相分離構造に大きく左右される。この相分離構造は構成成分の選択に依存する。例えば、室温ネマチック液晶と、水素結合部位が多いグルコンアミド誘導体の複合化では、高温の等方相中でファイバー形成が起こり、ランダムなネットワークしか形成しなかった。これに対し、水素結合より弱いπ-π相互作用により会合するアントラセン誘導体では低温で会合するため、ネマチック相中でファイバー形成が可能であった。この時、配向処理により液晶の配向方向を一様にすると、ファイバーの成長方向が一方向に揃うことがわかった。さらに、前述の芳香族ウレア型ゲル化剤と室温ネマチック液晶を複合化したところ、ピリジン環のものだけでなく、ベンゼン環を有するウレア型化合物も良好なゲル形成能を示した。相転移挙動やファイバーのモルフォロジーについては、芳香環のコアの構造により大きな違いが見られた。これは、水素結合パターンの違いで説明できる。すなわち、安定な水素結合を形成するベンゼン環を有するゲル化剤の系では、凝集力が強く、ゾル−ゲル転移温度も高い。これに対し、分子内水素結合の形成により適度な強さで会合するピリジン環を有するゲル化剤では、ゾル−ゲル転移温度が低下し、均一に分散したファイバーの密なネットワーク構造を形成する。溶媒としてディスコチック液晶を用いた場合、ベンゼン環を有するウレア化合物が良好なネットワーク構造を形成した。これらのネットワーク構造の違いは、ネットワークに取り込まれている液晶の性質にも反映され、例えば、ネマチック液晶中で良好なネットワークを形成したピリジン環を有するゲル化剤を用いたゲルでは、ネマチック液晶に由来する良好な電場応答性を示し、電場に対する液晶分子の応答速度の向上が見られた。

ゲル化剤からなる分子複合体の機能化のもう一つのアプローチとして、機能性部位を導入した低分子ゲル化剤を設計・合成し、ゲル化剤の繊維状自己集合に伴う、機能性部位の1次元集積を行った。ゲル化剤の基本骨格としては、分子構造の修飾が容易で、液晶媒体中で自己組織性ファイバーの異方的構造制御が可能なイソロイシン誘導体を用い、光導電性を示すカルバゾリル基を機能性部位として導入した。カルバゾリル基の導入位置や、カルバゾリル基とアミノ酸骨格の間のスペーサーの長さによって、ゲル化能は異なっていたが、いずれも良好なゲル化能を維持していた。これらのゲル化剤の会合の駆動力はイソロイシン部位の水素結合であるが、紫外可視吸収スペクトルにおいて、ゾル−ゲル転移に伴いカルバゾリル基に由来するピークがシフトしていることを確認し、ファイバー状態でカルバゾリル基のスタッキングが起こっていることが期待できる。また、液晶相中でこれらのゲル化剤を会合させることにより、自己組織性ファイバーが特定の方向に成長することを見いだした。この手法は、自己組織的に電子伝達回路を構築するなど、ナノスケールの構造を有する機能素子の開発に応用が可能であると期待できる。

以上のように、本研究では、低分子ゲル化剤からなる機能性分子複合体の構築を目指して、新規低分子ゲル化剤の開発を行った。また、低分子ゲル化剤からなる複合体の機能化のアプローチとして、分子間相互作用の異なる様々なゲル化剤分子と液晶との複合化により得られる相分離構造や機能について検討した。さらに、これらの知見を元に、自己組織性ファイバー形成を利用した機能性官能基の1次元組織化の手法を提案した。本研究で得られた、低分子ゲル化剤の分子設計や、機能性分子複合体構築の手法に関する知見は、自己組織化プロセスを利用した機能性材料の開発に大きく寄与することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

水素結合などの分子間相互作用を利用した自己組織化プロセスを人工的な材料の設計に効果的に組み込むことにより、新しい動的機能材料への展開が期待できる。本論文では、有機溶媒中で水素結合やπ-π相互作用により自己組織性ファイバーを形成する分子複合材料に注目し、それを形成する新規低分子ゲル化剤の開発とその集合構造の解明、およびそのような低分子ゲル化剤を利用した機能性分子複合体構築の手法の開拓について述べており、5章から構成されている。

第1章は序論であり、自己組織化プロセスを材料設計に組み込む意義、水素結合を効果的に材料設計に取り入れた最初の例である超分子液晶に関する研究例、および、本論文と関わりの深い、低分子ゲル化剤に関する研究のこれまでの流れと報告例について、分子構造と機能化の手法の2点に注目して述べている。さらに、本研究の目的と意義について述べている。

第2章では、ピリジン環を有するビスウレア型ゲル化剤の開発とその物理ゲル形成挙動、および自己組織性ファイバー中における集合構造について調べた結果について述べている。ピリジン環の2,6-位にウレア部位を導入した化合物が、広範な有機溶媒に対する良好なゲル化剤として機能することを示している。従来報告されている水素結合性の低分子ゲル化剤においては、1次元的に分子間水素結合が伸びることのみを考慮して分子設計がなされていたが、ここで開発したゲル化剤においては、1次元的に伸びる分子間水素結合のほかに、ピリジン環の水素結合能が効果的に働くことにより形成される分子内水素結合や一次元分子鎖に対して側方に伸びる分子間水素結合が、繊維状自己集合とゲル形成に重要な役割を果たしているとしている。

第3章では、ピリジン環を有する低分子ゲル化剤に金属塩を添加することによる、ゲル化剤の集合構造や、形成する物理ゲルの安定性の変化について調べた結果について述べている。ピリジン環の金属配位能に注目し、第2章で開発したゲル化剤および新たに開発したアミド型のゲル化剤の中で、ピリジン環の3,5-位にアミド部位を導入したゲル化剤のみが、銀イオンとの良好な複合体形成能を示すことを見出している。複合化により、ゲル化剤分子は単独で液晶性を示すようになり、また、ゲル化剤としては、一部の溶媒に対するゲル化能が向上し、さらに、形成するゲルの長期安定性が大幅に向上することを見出している。この複合系においては、水素結合と配位結合に加えて、アニオンとゲル化剤分子の間の相互作用が自己組織性ファイバーの安定化に寄与していることも示している。

第4章では、低分子ゲル化剤からなる機能性分子複合体構築のアプローチの一つとして、溶媒に異方的機能性溶媒である液晶を利用する系について、その複合体の示す相分離構造や、動的特性を調べた結果について述べている。第2章で開発したピリジン環を有するゲル化剤およびピリジン環に代えてベンゼン環を導入した化合物は、ネマチック液晶に対して良好なゲル形成能を示したが、これらのゲル化剤が液晶中で形成する自己組織性ファイバーの形態や形成温度は大きく異なっていることを見出している。また、ピリジン環を有するゲル化剤を含む系は良好な電場応答特性を示し、過去に報告されているアミノ酸誘導型ゲル化剤の系よりも優れた高速応答性を有していることを見出している。糖誘導型ゲル化剤とネマチック液晶の複合系についても同様に相分離構造と電場応答性について調べ、細かな自己組織性ファイバーが液晶中に均一に分散することが、良好な電場応答特性を得ることに必要であると結論づけている。

第5章では、一様に配向させた液晶相中で、機能性ゲル化剤を会合させることにより得られる機能性分子複合体について、その異方的な秩序構造や、機能性部位の集合状態について調べた結果について述べている。π共役系の集積が繊維状自己集合の駆動力である系と、水素結合による繊維状自己集合にともない光導電性部位が集積する系の2つの系を得ることに成功している。ゲル化剤分子の選択により、液晶中で、ファイバーが同一方向にのみ成長した構造や、格子状の構造が得られており、自己組織性ファイバーの機能化にとどまらず、集積回路のような、さまざまなナノスケールのデバイスへの展開の可能性を示している。

以上のように、本論文は、ゲル化剤分子の集合構造の調節と機能性の付与の二方向からの視点に基づいて、低分子ゲル化剤からなる機能性分子複合体の構築について述べたものである。本論文で得られた、低分子ゲル化剤の分子設計や、機能性分子複合体構築の手法に関する知見は、自己組織化プロセスを利用した機能性材料開発の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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