学位論文要旨



No 119102
著者(漢字) 李,來
著者(英字)
著者(カナ) イ,ネコン
標題(和) DNA解析システムのための圧力駆動式マイクロ流体デバイスの開発
標題(洋) Development of Pressure-Actuated Microfluidic Devices for Total DNA Analysis System
報告番号 119102
報告番号 甲19102
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5834号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 山口,猛夫
 東京大学 講師 新海,政重
 大阪府立大学 教授 関,実
内容要旨 要旨を表示する

ゲノム解析技術の発展に伴い,DNAサンプルの抽出から精製,分離,そして検出に至るまでの一連の操作を迅速かつ正確に行う必要性は非常に高まりつつある。しかしながら現在の一般的な手法では最終的な分析までに要する段階数が多く,個々の操作も煩雑であるため,多くの時間と手間が必要となる。また,必要となるサンプル・試薬の量も多くなる。一方,近年,半導体微細加工技術の応用として,マイクロスケールで少量のサンプルからのより迅速なDNA分析に関する研究が盛んに行なわれて来た。しかし,それらのほとんどはDNAの増幅反応(PCR)や電気泳動を用いた分離に限られていた。従ってマイクロスケールで一連のDNA分析を一度に迅速に行うためには,PCRや電気泳動以外のデバイスの開発も必要となっている。

本研究は,一連のDNA分析に要する操作を一つのマイクロ流体デバイス上で実現する「トータルDNA分析」を行うために必要となるマイクロデバイスの開発に関する研究である。本研究ではまず,圧力によって超微量の液体サンプルを正確かつ簡単に,また再現性高く秤り取る方法についての研究を行った。次に,この方法をDNA分離の主な手段として用いられている電気泳動の際のサンプル導入法として応用した。更に,マイクロスケールでのDNAサンプル前処理システムの構築に関する研究を行った。一般的なDNAの前処理では,必要となる有機溶媒の量が多く,また処理段階が多いため,時間と手間がかかり更に大型の装置も必要とされる。従って本研究ではDNAサンプルの前処理システムをマイクロデバイス上で行う際に必要となる,マイクロミキサーとDNA精製システムの開発を行った。これら一連のマイクロデバイスは,操作を圧力によって安定に行うことにより,トータルDNA分析デバイスのための統合を容易に行うことができると考えられる。本研究ではマイクロデバイスの材料としてPolydimethylsiloxane (PDMS)を用いた。PDMSはその高い透明性により光学的な観察に適しており,また複製も容易であるために,より安価なデバイスの作製が可能であり,シングルユーズの用途にも適している。

本論文は全5章で構成されている。第1章では,本研究の背景と全体的な目的に関して述べた。第2章では,電気泳動によるDNA分離の際の微量サンプルの定量的導入法の開発について述べた。マイクロスケールで電気泳動を行う場合,通常は電気的な手法によるサンプルの導入が一般的であるが,操作が簡便である半面,電圧の複雑な切り替えが必要となり,また,電気によってサンプルが導入されるためにサンプルを構成している成分が均一に導入されない可能性がある等の問題点があった。本研究では,圧力操作でサンプルを再現性高く導入する事を試み,新たな圧力駆動微量液滴サンプル導入システムを開発した(図1)。このシステムでは,一定量の液体サンプルを正確に秤り取るための流路と電気泳動による分離流路を,細長い構造の受動バルブによって繋げ,それらの構造に液体を導入する際に必要となる圧力差を利用することで,任意の量の液体サンプルを導入する仕組みになっている。また受動バルブにエアーベントを付け加える事によって,分離流路が溶液で満たされているときでもスムーズにサンプルを導入することが可能となっている。

実際に,ピコリットルからナノリットル程度の微量なDNAサンプルを簡単な圧力操作によって秤り取り,分離流路に導入した後に電気泳動を行う事に成功した。この方法では,サンプルを秤り取る流路のサイズを変える事によって,導入するサンプルの量を自在に変えられるため,定性的のみならず定量的な分析も可能となる。また,エアーベントの形状を最適化することで,サンプル導入の際の圧力制御を更に単純化する事にも成功した。このサンプル導入方法はその簡便性と再現性の高さから,一連のDNA操作を圧力操作で行うトータルDNA分析システムへの応用において,重要な役割を果たすと考えられる。

第3章では,三次元受動マイクロミキサーの開発について述べた。二つの異なるアスペクト比のマイクロ流路を互いに直角に重ね合わせた構造を繰り返すことで混合を行うミキサーを提案した(図2左)。このマイクロミキサーは,直角に交わる部分において流体の回転が引き起こされ,更に回転した流体をアスペクト比が低く平たいマイクロ流路の中に導入する事で拡散距離を短くし,混合を促進する,という原理に基づくものである。具体的には,マイクロ流路の断面の形やサイズがマイクロミキサー内での流体の回転に及ぼす影響を検討し,更に混合効率を評価した。その結果,組み合わせる流路のアスペクト比の違いが大きくなるほど,流体の回転が引き起こされ,アスペクト比の低いマイクロ流路において混合が促進されることが確認された。

なお,このマイクロミキサーでは,流速が低い場合でも混合効率が高いため,他のマイクロデバイスと組み合わせた場合に圧力損失が比較的少ないという利点がある。このマイクロミキサーは濃度勾配によるDNAの精製に応用することが可能であり,構造がシンプルであるため,トータルDNA分析システムへの統合も容易であると考えられる。

第4章では,DNAの精製を行うためのマイクロデバイスの開発について述べた。有機溶媒を使用し,更に遠心分離することによってDNAの精製を行う方法が一般的であるが,本研究ではシリカビーズを用いてDNAの吸着と溶離を行うSolid Phase Extraction(SPE)法を,マイクロスケールで実現するシステムの構築を行った。微小なスケールで行う事により,無駄なく効率的に,また迅速に必要な量のDNAを精製する事が可能となる。またこの方法には,様々な種類のサンプルから得られたDNAの精製を複雑な装置を用いずに行う事ができるという利点もある。実験としては,微量のDNAサンプルとして毛根から抽出したDNAをモデルサンプルとして用いた。この方法によって精製したDNAを直接PCRのテンプレートとして用いるために,DNAの溶離バッファーとして15 mM MgCl2を用いた。15 mM MgCl2はPCR反応のために必要な成分でもあるため,溶離したDNA溶液を直接PCRに応用できるという利点がある。本研究では,ヒトの染色体DNAの一部分であるD1S80 locusを増幅対象とした。この locusは親子鑑定や犯罪捜査等のために頻繁に用いられている領域でもある。実際に,一本の毛根から抽出したDNAをマイクロデバイス上で精製し,溶離した 5マイクロリットルのDNA溶液を用いてPCRを行った結果,増幅されたD1S80 locusのDNAバンドを電気泳動により確認することができた(図2右)。今回提案した手法は,DNAの量が非常に少ない一本の毛根からDNAを効率的に抽出し,増幅可能な程度に精製する事が可能であるため,病気の診断や犯罪捜査等にも幅広く応用できると考えられる。またこのDNA精製システムを第3章で述べたマイクロミキサーと組み合わせることにより,微量のDNAサンプルを迅速に精製する事ができるDNAサンプル前処理システムの構築についても述べた。

第5章では,本研究の纏めと展望について述べた。本研究は,トータルDNA分析を行うためのマイクロ流体デバイスの開発に関する研究である。異なるマイクロデバイスを同じ材料で作製し,圧力駆動により操作する事で,より迅速で容易に操作可能な一連のマイクロデバイスを開発した事に意味を持つ。このような一連のマイクロデバイスを既存の電気泳動やPCRのためのマイクロデバイスと組み合わせることで,トータルDNA分析システムの構築が可能となり,ハイスループットなDNA分析への新たなツールとして重要な役割を果たすことが期待される。

圧力駆動式サンプル導入法による電気泳動のためのマイクロデバイス

三次元受動マイクロミキサー(左)とDNA精製マイクロデバイス上で精製したDNAのD1S80 locus増幅結果(右)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,細胞からのDNAの抽出・精製・増幅・分離を含めたトータル解析システムのための,圧力駆動によるマイクロ流体デバイスの開発に関する研究を纏めたものである。特に,微量のDNA試料のための,小型でハイスループットなシステムの構築のために必須の要素技術について新規な手法を提案している。具体的には,電気泳動のための新しい原理に基づく圧力駆動式微量液体導入方法の提案,小型で製作の容易な新規受動マイクロミキサー構造の提案と有効性の検証,トータル解析に適したDNAの固相抽出による精製法の有効性の実証などを含んでいる。特に本論文では,DNAの増幅・電気泳動だけでなく,前処理も含めたトータルシステムの集積化を念頭に,これらの技術がすべて簡単な圧力操作によって駆動するところに特徴がある。

本論文は,全5章から構成されている。

第1章では,本論文の意義を明確にするために,本研究の背景およびその目的について述べている。

第2章では,電気泳動によるDNA分離の際の微量サンプルの定量的導入法の開発について述べている。マイクロスケールで電気泳動を行う場合,通常は電気的な手法によるサンプルの導入が一般的であるが,操作が簡便である半面,電圧の複雑な切り替えが必要となり,また,電気によってサンプルが導入されるためにサンプルを構成している成分が均一に導入されない等の問題点があった。そこで,本研究では,圧力操作によって微量サンプルを再現性高く操作するための,新規な原理に基づく,微量液体導入システムを開発した。このシステムでは,液体サンプルを正確に秤り取るための流路と電気泳動による分離流路を,細くて濡れ難いチャネルによって連結し,導入時の圧力差を利用することによって,任意の量の液体サンプルを正確に導入することができる。実際に,ピコリットルからナノリットル程度の微量なDNAサンプルを簡単な圧力操作によって秤り取り,分離流路に導入した後に電気泳動を行う事に成功した。この方法では,サンプルを秤り取る流路のサイズを変える事によって,導入するサンプルの量を自在に変えられるため,定性的のみならず定量的な分析も可能となる。また,エアーベントの形状を最適化することで,サンプル導入の際の圧力制御を更に単純化する事にも成功した。このサンプル導入方法はその簡便性と再現性の高さから,一連のDNA解析に関わる操作を圧力駆動で行うトータルDNA分析システムへの応用において,重要な役割を果たすと考えられる。

第3章では,三次元受動マイクロミキサーの開発について述べている。二つの異なるアスペクト比のマイクロ流路を互いに直角に重ね合わせた構造を繰り返すことで混合を行う新規なミキサー構造を提案した。このマイクロミキサーは,直角に交わる部分において流体の回転が引き起こされ,更に回転した流体をアスペクト比が低いマイクロ流路の中に導入する事で拡散距離を短くし,混合を促進する,という原理に基づくものである。具体的には,マイクロ流路の断面の形やサイズがマイクロミキサー内での流体の回転に及ぼす影響を検討し,更に混合効率を評価した。その結果,組み合わせる流路のアスペクト比の違いが大きくなるほど,流体の回転が引き起こされ,アスペクト比の低いマイクロ流路において混合が促進されることが確認された。このマイクロミキサーは濃度勾配によるDNAの精製に応用することが可能であり,構造がシンプルで作製も容易であるため,トータルDNA分析システムへの統合が容易であると考えられる。

第4章では,DNAの精製を行うためのマイクロデバイスの開発について述べた。マクロスケールでは有機溶媒を使用し,更に遠心分離することによってDNAの精製を行う方法が一般的であるが,本研究ではシリカビーズを用いてDNAの吸着と溶離を行うSolid Phase Extraction(SPE)法を,マイクロスケールで実現するためのシステムの構築を行った。微小なスケールで行う事により,無駄なく効率的に,また迅速に必要な量のDNAを精製する事が可能となる。またこの方法には,様々な種類のサンプルから得られたDNAの精製を複雑な装置を用いずに行う事ができるという利点もある。溶離液として15mM MgCl2を用いることで,精製後のDNAの直接PCRが可能であることを明らかにした。本研究では,ヒトの染色体DNAの一部分で,親子鑑定や犯罪捜査等のために頻繁に用いられている領域でもあるD1S80 locusを増幅対象とし,実際に,一本の毛根から抽出したDNAをマイクロデバイス上で精製し,溶離した5マイクロリットルのDNA溶液を用いてPCRを行った結果,増幅されたD1S80 locusのDNAバンドを電気泳動により確認することができた。今回提案した手法は,DNAの量が非常に少ない一本の毛根からDNAを効率的に抽出し,増幅可能な程度に精製する事が可能であるため,病気の診断や犯罪捜査等にも幅広く応用できると考えられる。また,このDNA精製システムを第3章で述べたマイクロミキサーと組み合わせることにより,微量のDNAサンプルを迅速に精製する事が可能なDNAサンプル前処理システムの構築についても述べている。

第5章では,本研究の纏めと展望について述べている。

以上述べてきたように,本論文は,バイオテクノロジーや医科学の研究だけでなく,今後,医療や診断,環境や食品分析,犯罪捜査など広範な分野での利用が期待されているハイスループットなDNA簡易解析システム,特に,DNAの抽出・精製を含めた「トータルDNA解析システム」の構築を念頭に,オンチップキャピラリー電気泳動法のための圧力駆動サンプル導入システム,簡単な構造を有する3次元受動マイクロミキサー,固相抽出法によるオンチップDNA精製システムの開発を行い,それらの有用性を実証したものである。これらの要素技術は,トータルDNA解析システムの構築に取って重要なものであるのみならず,クロマトグラフィーをはじめとする種々のマイクロスケールの流体システムの構築にとって,極めて有用な要素技術を提供している。これらの結果は,マイクロ流体工学,化学反応工学の分野で重要な意味を持つとともに,マイクロスケールにおける分析化学の分野にも意義深いものと考えられる。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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