学位論文要旨



No 119105
著者(漢字) 網谷,重紀
著者(英字)
著者(カナ) アミタニ,シゲキ
標題(和) 知識創造過程を支援するための方法とシステムの研究
標題(洋) A Method and a System for Supporting the Process of Knowledge Creation
報告番号 119105
報告番号 甲19105
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5837号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 中小路,久美代
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 助教授 杉本,雅則
内容要旨 要旨を表示する

本研究では知識創造過程を支援するための方法「知識の液状化と結晶化(knowledge liquidization & crystallization)」およびシステム「Knowledge Nebula Crystallizer」を提案・構築することを目的とする。

1980年代半ば以降に「社会と組織にとって知識が重要になる」という指摘がなされ始め、新たな経営理論が生まれてきたが、そうした理論の関心の中心はいかにして既成の知識を獲得・蓄積・利用するかというところにあった。これは「知識」というものの捉え方が西洋の伝統的認識論に強く影響を受けて「科学的・客観的知識の存在」を前提として成立してきたという背景によるものである。

「知識とは何か」という議論は長年認識論の分野においてなされており、また経営などの実務分野での知識管理に関する研究において実用的上の定義がいくつかなされているが、完全に合意を得た定義は存在していない。「知識というものは形式的に記述することができ、万人が共有することができる」という暗黙的な前提があったため、知識管理に関する研究や実践においては「客観的な知識」を捉えて蓄えておくということを試み続けられてきた。そうしたアプローチで知識管理を成功させてきた例も存在するのは事実であるが、同時に行き詰まりを見せているのも事実である。

1990年代に「従来の知識管理へのアプローチは新しい知識を創造するという視点を欠いている」ということが指摘された。数多くのケーススタディを通して、知識というものが人間の実践的行為の中に埋め込まれているものであり、その文脈に合わせて動的に構成されるものであり、その構成のためには多視点から現象を分析する能力が必要であるということが主張され、知識管理における関心が「知識獲得・蓄積」ではなく、「知識創造」へと移っていった。そこで野中らのSECIモデルやFischerらのDesign Perspectiveといった知識創造過程に関する理論が生まれたのである。

本研究は「知識は文脈に依存して動的に再構築されるものであり、静的に蓄積しておけるものではない」という立場をとる。「形式的に記述して保存しておける知識」というものは知識の一形態に過ぎない。知識とはむしろそうした「固体」のようなものではなく「液体」のようなものであって、文脈によって形を変えることや、部分的に抽出して融合することで新たな文脈に適用可能な性質を持つものに変化させることができるものであると捉える。

そして知識の文脈依存性とDesign Perspectiveに基づき、本研究では知識創造過程を以下の段階が繰り返される循環的過程であると捉える。「人間の実践的行為の文脈」を伴う情報を獲得する 獲得された情報の内容や情報間の関係を多様な視点から観察・分析して理解する 自分が現在おかれている文脈に適合するように情報間の関係を再構成する 実践に適用する

従来の知識創造に関する理論は多くの企業の知識管理に対する考え方に影響を与え、その重要性が理解されるに至ったが、現実にはその理論を具体的に実務に適用する方法が提示されておらず、実際に知識創造のためには何をすればよいのかがわからないという問題が生じている。理論を実践に落とし込むための方法が必要とされているのである。

そこで本研究では従来の知識創造理論を実践に落とし込むため、知識創造過程を支援するための方法「知識の液状化と結晶化(knowledge liquidization & crystallization)を提案し、支援システム「Knowledge Nebula Crystallizer」を構築した。

「知識の液状化と結晶化」は大まかに言って「情報を分解して保存しておき、それを必要に応じて適切な形で再構成する」というものである。分解の際、人間が情報の意味内容を理解するためにはその情報が実世界に接地されていなくてはならない。それを踏まえて、本研究では「知識の液状化と結晶化」を以下のように定義する。

[知識の液状化] 人間の行為の文脈を伴った情報を、実世界に記号接地できる概念を核とし、そのローカルな意味的関係を保存して核を単位とする粒度に分解すること。

[知識の結晶化] 液状化で保存したローカルな意味的関係を文脈に応じて結合してグローバルに新構造を生成すること。

Knowledge Nebula Crystallizer(KNC)は知識の液状化と結晶化を実現するためのシステムである。KNCは、獲得された「人間の行為の文脈を伴った情報」を上記の液状化の定義に従って分解し、蓄積するためのレポジトリであり、また蓄積された情報の断片とその情報間の関係をユーザの現在の文脈に添った形で結合して提示するシステムである。ユーザは提示された情報および情報間の関係を観察・分析して、提示された情報空間を理解する。さらにKNCはユーザに提示した情報間の関係性を再構築させるというインタラクションを提供し、内省的思考を促進させて新たな知識を生み出すことを支援するものである。

本研究では提案する方法とシステムの有効性を検討するために広告会社との共同研究を通して東京モーターショーなどの「イベント設計」を具体的な課題として選び、構築した方法とシステムを適用した。イベント設計は、現状ではプロの企画者の暗黙的な知識に頼る部分が大きい創造活動であり、知識創造のための知識管理の方法が強く求められている分野の代表例のひとつである。

従来のイベント設計においては、設計のための材料としてアンケートの統計分析結果およびインタビューが使われていたが、企画する側からは「実際の効果の中身が見えてこない」という声が挙がっている。これはSuchmanが主張するように、インタビューやアンケートだけでは人間の行為の文脈(situated action)を把握しきれないことが理由であると考えられる。人間の行為の文脈を損なっている情報は知識として活用するのが困難なのである。したがって企画者は来場者の行為の文脈を明らかにし、企画者側の意図と来場者の印象の乖離を把握した上で次の設計に臨む必要がある。この企画者側の意図と来場者の印象の比較は、米陸軍で用いられているAfter-Action Review (AAR)と呼ばれる手法である。事前に計画していたことと実際に起こったこととを比較することで自分の行動への内省を促進し、自分の行動に対する説明力を与えるものであり、設計においては自分の設計に対してreflective thinkingを促し、design rationaleを明確化するものである。人間の実践的行為の文脈および設計意図との差がよりよい設計のための知識の元となると考えられる。

具体的には、来場者が受ける印象を実際のイベント会場でプロトコルデータを採取することによって行った。プロトコルデータは「人間の実践的行為を伴う情報」と見なすことができる。実際のイベント会場の指定のブースを記録装置をつけて周ってもらい、見た後に記録した映像を見ながら「何を見て」「何を考えたか」ということを報告してもらった。これはプロトコル分析で用いられるRetrospective Report Methodという手法であり、記録した映像を見せながら報告してもらうことで、記憶の変容や忘却を防ぎ、可能な限りイベント会場で生起する文脈を捉えようとするものである。

企画者の意図は、企画書から「どういう概念を伝えるためにどのようにどのイベントオブジェクト(ステージや説明員、床、他の来場者など、イベント会場内に存在し、来場者が見ることができるもの全てを指す)をどのように配置して会場を設計したか」ということを抽出した。企画書だけからでは拾いきれない部分は直接質問を行うことで補った。

KNCは得られたプロトコルデータを液状化の定義に従って取り込み、結晶化の定義に従いユーザに提示することでイベント設計における知識創造過程を支援する。ユーザスタディの分析結果およびプロのイベントプランナーとの議論を通して、筆者が構築した知識創造過程を支援するための方法とシステムの有効性の検討を行った。本研究の成果は以下の通りである。

従来の知識創造過程に関する研究は理論で止まっていたが、本研究では実際に知識創造過程を支援するための方法およびシステムを構築した。

実世界で通用する手法を構築するべく、提案・構築した方法およびシステムを実設計問題へ適用を行い、ユーザスタディを行った。システムとのインタラクションを通して知識創造過程が促進されたことを確認した。

プロフェッショナルとの議論を通して、実務上の有効性を確認した。本研究成果は実際のイベント設計過程を支援するものであるに留まらず、今後の他の分野への応用が期待されるものであった。

本研究は知識創造過程を支援するための方法およびシステムのあり方についてのひとつの方向性を与えたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「A Method and a System for Supporting the Process of Knowledge Creation(知識創造過程を支援するための方法とシステムの研究)」と題し、7章からなる。

現代社会が、大量生産工業社会から知識社会あるいは知価社会と呼ばれる社会に変化しつつあることに伴い、組織の持つ知識を有効に活用し新しい知識を創造していくことの重要性が指摘され、知識創造の枠組みに関する議論が盛んに行われるようになってきている。しかし、従来の研究の多くは、現状の分析や思弁的な全体像の提案にとどまっており、知識創造を実際に促進するための方法やシステムに関する研究は不十分であった。本論文は、組織において知識を創造していくための新しい方法の枠組みをひとつ提案し、支援システムの構築と利用実験により、その有効性を実証したものである。

本論文で提案する知識創造支援の方法の枠組みは、知識の液状化および結晶化と呼ぶ二つのプロセスを中心として構成されている。知識の液状化とは、プロフェッショナルが使う知識をいったん本論文で提案する基本単位の大きさに分解し、新しい知識を生成するための源となる情報を集積するプロセスである。知識の結晶化とは、知識の源となる情報から新しい文脈に適合した知識を動的に生成するプロセスである。従来暗黙的な経験知に基づいて仕事が行われてきた代表的な領域としてイベントデザインの領域をとりあげ、本論文で提案する知識の液状化と結晶化のプロセスを適用することにより、新しい知識を動的に生成することが可能になることを、広告会社の協力を得た現場での実験を行うことにより実証している。

第1章は序論であり、本研究の背景、位置付け、および目的を述べている。

第2章では、知識創造に関わる従来の研究を紹介し、本研究の位置付けを明らかにし、本論文で提案する方法の概略を述べている。

第3章では、知識創造の方法と支援システムが求められている代表的領域としてイベントデザインの領域をとりあげることを述べ、その理由を詳述し、従来のイベントデザインにおける知識の問題を明らかにし、本論文で提案する方法により何を解決しようとしているかを説明している。特に、文脈を伴う情報の収集と利用の問題に焦点をあてて、新しい方法の必要性を述べている。

第4章では、KNC4ED(Knowledge Nebula Crystallizer for Exhibition Design) と称するシステムを提案している。固まっている知識をいったんばらばらに分解する知識の液状化と呼ぶプロセスと、液状化された知識から新たな知識を生成する知識の結晶化と呼ぶプロセスを提案し、それらを実現するシステムの構成が述べられている。

第5章では、広告会社の協力を得て行った、作成したシステムの有効性を検証するための実験について述べられている。筆者が提案したシステムを用いることにより、従来は得られなかった情報を収集することが可能となり、また、従来は不可能であった形でそれらの情報を再構成することが可能となり、それによって、新しい知識の生成が促進されることを、実証している。

第6章では、関連する他の研究との比較を述べている。

第7章は、結論であり、本研究の成果をまとめ今後の課題を示している。

以上を要するに、本論文は、知識創造を支援するための新しい方法を提案し、システムの実装と実験によりその有効性を確認したものであり、工学上寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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