学位論文要旨



No 119112
著者(漢字) 長岡,修一
著者(英字)
著者(カナ) ナガオカ,シュウイチ
標題(和) シロイヌナズナSTO遺伝子と耐塩性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 119112
報告番号 甲19112
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2663号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高野,哲夫
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

地球上ではナトリウムイオンを代表とする塩類を含んだ塩類集積土壌の面積が増加し続けている。そのような土壌では作物も牧草も生育できないため、被覆する植物がない大地は乾燥し風食や雨期の降雨による水食といった土壌浸食を受け豊かな土壌を失ってしまう。一方、世界の総人口は増え続けており食糧の増産が急務となりつつある。このような状況の中で土壌自体を変えていくことももちろん必要であるが植物にストレス耐性を付与することも重要であると考えられている。 本研究では植物の耐塩性機構を明らかにすることを目的としてシロイヌナズナのSTO遺伝子に注目して研究を行った。

酵母においてカルシニューリンは細胞内のナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度を調節する役割を担っており、これが欠失すると酵母の耐塩性が著しく低下する。カルシニューリンを欠失したミュータント酵母に対してシロイヌナズナのSTO遺伝子を導入すると耐塩性の低下という表現型が相補されるため、シロイヌナズナにおいてSTO遺伝子は細胞内のナトリウムイオン、カリウムイオンの濃度を調節する役割を持っているのではないかと考え以下の実験を行った。

STO遺伝子過剰発現シロイヌナズナの作出

カルシニューリンを欠失した酵母の耐塩性の低下という表現型を相補する STO 遺伝子をシロイヌナズナで過剰に発現させると細胞内のナトリウムイオン、カリウムイオンのバランスをよりよく調節するのではないかと考え、シロイヌナズナにおいてSTO遺伝子を過剰に発現する形質転換体を作製した。その結果、ナトリウムストレス条件下で生育するとワイルドタイプよりも生育が良く高い耐塩性をもつ形質転換体が得られた。ノーザンブロットにより形質転換体におけるSTO遺伝子の高発現が確認されたがナトリウムストレスによる発現誘導はワイルドタイプ、形質転換体共に見られなかった。またGFPタンパク質とSTOタンパク質との融合タンパク質を作製しタマネギ表皮細胞における細胞内局在性を観察したところ核に局在が見られた。これらのことからSTOは細胞膜上にありナトリウムイオンを細胞外に排出するNa+/H+アンチポーターやストレスに応答して合成され細胞内の浸透圧を一定に保つ働きをする適合溶質のグリシンベタイン、プロリンが直接的に耐塩性に関与するのと異なり、ストレスシグナル経路の一部として間接的に耐塩性に関与しストレスに応答するための遺伝子の発現を調節しているのではないかと考えられた。

STOタンパク質と相互作用するタンパク質の探索

ストレスシグナル経路の一部として間接的に耐塩性に関与するシロイヌナズナのSOS3というタンパク質はSOS2というプロテインカイネースと相互作用することによりストレスシグナルを下流へと伝えていく。STOタンパク質もストレスシグナルを伝達する過程の中で他のタンパク質と相互作用しているのではないかと考え酵母のtwo-hybrid screening systemを用いてSTOと相互作用するタンパク質の探索を行った。その結果、Myb DNA binding domainを一つ持つタンパク質であるHPPBFが相互作用していることが明らかとなった。HPPBFタンパク質とGFPタンパク質との融合タンパク質を作製しタマネギ表皮細胞における細胞内局在性を観察したところ核に局在が見られたことや、HPPBFの発現量はナトリウムストレスにより増加していることから、HPPBFタンパク質はSTOタンパク質と複合体を形成し、植物がナトリウムストレスを受けた際にストレスへの応答に必要な遺伝子の発現調節に関与していると考えられた。しかし、ストレスを受けた際のHPPBF遺伝子発現量のピークは2時間後に見られたためストレスの初期に働いている可能性も示唆された。また、HPPBFと高い相同性を示し同じように一つのMyb DNA binding domainしか持たないCrBPF-1は病原菌抵抗性に関わっていることが知られている。このことからSTOの関与する耐塩性機構と病原菌抵抗性の機構とは似たメカニズムを持つ可能性も示唆された。

STO遺伝子によって発現が制御される遺伝子の探索

直接的に耐塩性に関与する遺伝子を過剰発現する形質転換植物での耐塩性の向上は数多く報告されているが、ストレスシグナル伝達など間接的に耐塩性に関与する遺伝子の導入による耐塩性の向上はそれほど多くはない。シグナル伝達には数多くの因子が関与しておりプロテインカイネースなどの遺伝子発現がストレスにより制御されていることや、シグナル伝達系路の中でMAPカイネースカスケード等が複雑に絡み合っていることが明らかとなってきている。STO遺伝子を過剰発現している形質転換植物において耐塩性の上昇が見られたのは、STOにより転写制御を受けているナトリウムストレスに応答するための遺伝子の発現量が変化したためではないかと考えられた。そのためシグナル伝達系路の中で働く因子の一つであるととらえられているSTO遺伝子は、どのような遺伝子の発現を制御しているのかを、かずさDNA研究所の作製したシロイヌナズナESTをもとに作製された約13000の遺伝子が載ったマクロアレイを用いてSTO形質転換体とワイルドタイプの発現パターンを比較することにより調べた。

その結果いくつかの遺伝子においてSTO形質転換体で発現量が変化していることが観察された。さらに発現量の違いをノーザンブロットを行うことにより確認した。顕著な違いが見られたのはdisease resistance RPP5 like proteinであった。disease resistance RPP5 like protein遺伝子は通常の条件下でワイルドタイプよりもSTO形質転換体における発現量の方が多く、ナトリウムストレスを受けた際はワイルドタイプで発現量の増加が見られると同時にSTO形質転換体ではワイルドタイプよりもより大きな発現量の増加が観察された。このことからdisease resistance RPP5 like proteinはナトリウムストレスに対する防御機構に関わっていると考えられた。また、RPP5は病原菌抵抗性に関わるシグナル伝達系に含まれる遺伝子であり、STOタンパク質と相互作用するHPPBFタンパク質が病原菌抵抗性に関わる遺伝子と高い相同性を持つことからも、STOが含まれるシグナル伝達系は病原菌抵抗性と何かしらの共通する機構を利用して耐塩性に関与している可能性が示唆された。

sto遺伝子変異シロイヌナズナの検索とその耐塩性の評価

STO遺伝子の細胞内局在性の観察や、STO遺伝子過剰発現形質転換シロイヌナズナの観察によりSTO遺伝子およびSTOタンパク質はシロイヌナズナにおいて耐塩性に関与していると考えられたので、かずさDNA研究所が提供するシロイヌナズナタグラインス共同利用システムを利用してSTO遺伝子を欠失した変異シロイヌナズナを検索し、STOの機能について解析した。

得られたsto遺伝子変異シロイヌナズナはナトリウムストレスに対する耐性が低下していた。さらにナトリウムストレス後の植物体内のナトリウムイオン、カリウムイオン含量を測定したところナトリウムイオン含量はSTO遺伝子過剰発現形質転換体において最も低く、sto遺伝子変異シロイヌナズナで最も高い値を示し、ストレス後のカリウムイオン含量については逆にSTO遺伝子過剰発現形質転換体において最も高く、sto遺伝子変異シロイヌナズナで最も低い値を示した。このことはSTO遺伝子が酵母内での働きと同様のことをシロイヌナズナ内でも行っていることを示唆している。つまり、ナトリウムストレスを受けている間にナトリウムイオンの流入経路と考えられているカリウムトランスポーターに対してカリウムに対する親和性を高めナトリウムイオンの流入量を低く抑えた結果、形質転換体ではカリウムイオン含量が高くナトリウムイオン含量が低くなり、sto遺伝子変異シロイヌナズナではそのような働きかけが失われたためカリウムイオン含量が低くナトリウムイオン含量が高くなったのではないかと考えられた。酵母においてSTO遺伝子はナトリウムイオンを細胞外へ排出するNa+-ATPaseの発現量を増加させることにも関与している。植物においてはそのようなナトリウムポンプを用いた排出機構は見つかっていないが、ナトリウムの排出に関わっているのではないかと考えられているAtHKT1や細胞膜上のNa+/H+アンチポーターであるSOS1などを介して細胞からナトリイオンを取り除くことに関わっている可能性も考えられた。

以上のように、本研究ではシロイヌナズナSTO遺伝子は植物体におけるナトリウムイオン、カリウムイオンのバランスを調節することにより耐塩性の機構に関与していることを明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

世界ではナトリウムイオンを含んだ植物の生育できない塩類集積土壌の面積が増加し続けている。同時に世界の総人口も増え続けており食糧の増産が急務となりつつある。そのような状況の中で土壌自体を変えていくことももちろん必要であるが植物にストレス耐性を付与することも重要である。本研究では植物の耐塩性機構の一端を明らかとするために、酵母の耐塩性に関与することが知られているシロイヌナズナのSTO遺伝子に注目して研究を行った。酵母においてカルシニューリンは細胞内のナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度を調節する役割を担っており、これが欠失すると耐塩性が低下する。カルシニューリンを欠失したミュータント酵母に対してシロイヌナズナのSTO遺伝子を導入すると耐塩性の低下という表現型が相補されるため、シロイヌナズナにおいてもSTO遺伝子は細胞内のナトリウムイオン、カリウムイオンの濃度を調節する役割を持っているのではないかと考え以下の実験を行った。

1章の緒論では、研究の背景、意義と目的について述べている。

2章ではカルシニューリンを欠失した酵母の耐塩性の低下という表現型を相補するSTO遺伝子をシロイヌナズナで過剰に発現させると細胞内のナトリウムイオン、カリウムイオンのバランスをよりよく調節するのではないかと考え、シロイヌナズナにおいてSTO遺伝子を過剰に発現する形質転換体を作製した。その結果、ワイルドタイプよりも高い耐塩性をもつ形質転換体が得られた。ノーザンブロットにより形質転換体におけるSTO遺伝子の高発現が確認されたがナトリウムストレスによる発現誘導は見られなかった。またGFPタンパク質との融合タンパク質を作製しタマネギ表皮細胞における細胞内局在性を観察したところ核に局在が見られた。これらのことからSTOはNa+/H+アンチポーターやグリシンベタイン、プロリンと異なりストレスシグナル経路の一部として間接的に耐塩性に関与していると考えられた。

3章では、STOタンパク質と相互作用するタンパク質を Two-hybrid screening system により探索した。その結果、HPPBFという一つの Myb DNA binding domain をもつタンパク質が相互作用していることが明らかとなった。HPPBFタンパク質とGFPタンパク質との融合タンパク質を作製しタマネギ表皮細胞における細胞内局在性を観察したところ核に局在が見られたことや、HPPBFの発現量はナトリウムストレスにより増加していることから、HPPBFはSTOと複合体を形成しながらナトリウムストレスを受けた際にストレスに応答するための遺伝子の発現調節に関与していると考えられた。しかし、ストレスを受けた際の発現量のピークは2時間後に見られたため、ストレスの初期に働いている可能性も示唆された。また、同じように一つの Myb DNA binding domain しか持たないCrBPF-1は病原菌抵抗性に関わっていることが知られている。このことからSTOの関与する耐塩性機構と病原菌抵抗性の機構とは似たメカニズムを持つ可能性も示唆された。

4章では、STO遺伝子によって発現が制御される遺伝子をマクロアレイを用いて探索した。STO遺伝子を過剰発現している形質転換植物において耐塩性の上昇が見られたのは、STOにより転写制御を受けているナトリウムストレスに応答するための遺伝子の発現量が変化したためではないかと考えられた。そのためシグナル伝達系路の中で働く因子の一つであるととらえられているSTO遺伝子は、どのような遺伝子の発現を制御しているのかをかずさDNA研究所の作製したシロイヌナズナESTをもとに作製された約13000の遺伝子が載ったマクロアレイを用いてSTO遺伝子導入形質転換体とワイルドタイプの発現パターンを比較することにより調べた。その結果いくつかの遺伝子においてSTO形質転換体において発現量が変化していることが観察された。さらに発現量の違いをノーザンブロットを行うことにより確認した。顕著な違いが見られたのは disease resistance RPP5 like protein、Dem-like protein、protease、diphenol oxidase であった。disease resistance RPP5 like proteinに関してはSTOタンパク質と相互作用するHPPBFタンパク質が病原菌抵抗性に関わる遺伝子と高い相同性を持つことからも病原菌抵抗性と何かしらの共通する機構を利用して耐塩性に関与していることが示唆された。

5章では、STO遺伝子を欠失したsto遺伝子変異シロイヌナズナの検索とその耐塩性の評価を行った。かずさDNA研究所が提供するシロイヌナズナタグラインス共同利用システムを利用して、STO遺伝子を欠失した変異シロイヌナズナを検索した。得られたsto遺伝子変異シロイヌナズナはナトリウムストレスに対する耐性が低下していた。さらにナトリウムストレス後の体内のナトリウムイオン、カリウムイオン含量を測定したところナトリウムイオン含量はSTO遺伝子過剰発現形質転換体において最も低く、sto遺伝子変異シロイヌナズナで最も高い価を示し、カリウムイオン含量については逆にSTO遺伝子過剰発現形質転換体において最も高く、sto遺伝子変異シロイヌナズナで最も低い価を示した。このことはSTO遺伝子が酵母内での働きと同様のことをシロイヌナズナ内でも行っていることを示唆している。つまり、ナトリウムストレスを受けている間にナトリウムイオンの流入経路と考えられているカリウムトランスポーターに対してカリウムに対する親和性を高めた結果、形質転換体ではカリウムイオン含量が高くナトリウムイオン含量が低くなり、sto遺伝子変異シロイヌナズナではそのような働きかけが失われたためカリウムイオン含量が低くナトリウムイオン含量が高くなったのではないかと考えられた。酵母においてSTO遺伝子はナトリウムイオンを排出するNa+-ATPaseの発現量を増加することも関与している。植物においてはそのような排出機構が見つかっていないがAtHKT1やSOS1などのトランスポーターを介して細胞からナトリウムイオンを取り除くことに関わっている可能性も考えられた。

以上本論文は、シロイヌナズナのSTO遺伝子の機能について、耐塩生機構との関連から詳細な解析を行ったものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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