学位論文要旨



No 119113
著者(漢字) 山口,貴大
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,タカヒロ
標題(和) イネの花器官の決定と葉の中肋分化に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 119113
報告番号 甲19113
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2664号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 経塚,淳子
 東京大学 教授 米田,好文
内容要旨 要旨を表示する

花は生殖を司る重要な器官であり,花の基本的構造を決定する最も重要なイベントが花の器官決定である.シロイヌナズナなどの双子葉植物においては,花の器官決定はABCモデルにより説明されることが明らかにされているが,単子葉植物においては完全には解明されていない.高等植物において花器官決定機構がどの程度保存されているかという問題は,重要かつ興味深い.また,葉はその形態が高等植物の間で大きく多様化している.本研究においては,単子葉植物のイネにおける花器官決定機構および葉の形態形成を支配する遺伝子の機能を解明すること,さらには植物の形態の進化や多様性をもたらした遺伝的メカニズムを明らかにすることを目的に,以下の研究を行った.

心皮のアイデンティティー決定を制御するDROOPING LEAF遺伝子の単離と解析

イネの drooping leaf (dl) 変異体では,花の雌ずいが雄ずいへと転換する.このような表現型を示すような変異体は,シロイヌナズナなど解析が進んでいる双子葉植物においても報告されておらず,イネの花器官決定には双子葉植物とは異なる機構が存在する可能性が示唆されている.そこでまずこのdl変異体に着目し,遺伝子の単離を試みた.map-based cloning 法とタギング法によりDL遺伝子を単離した結果,DLはジンクフィンガードメインとヘリックス・ターン・ヘリックスモチーフを持つYABBYドメインを持つ,植物特有の転写因子をコードするYABBY遺伝子であることが明らかになった.次に in situ ハイブリダイゼーション法により花発生過程におけるその時間的・空間的発現パターンを解析したところ,DLは心皮原基が分化する予定領域および発生中の心皮原基で特異的に発現することが明らかとなった.変異体の表現型と総合し,DLはイネの花発生過程において心皮決定を制御すると結論した.また,dl変異体においては whorl4 に雄ずいが無限生長的に発生する.このdl変異体の花分裂組織においては,分裂組織で特異的に発現するOSH1遺伝子が whorl4 に雄ずい原基が分化した後も発現し続けることを明らかにし,DLは花分裂組織の有限性を制御する機能も持つことを示した.DLはシロイヌナズナの CRABS CLAW (CRC) 遺伝子と高い相同性を示した.crc変異体においては,雌ずいの形態に異常がみられる.したがってDL/CRC遺伝子の機能はある程度高等植物の間で保存されていると考えられる.しかしながら,CRCは心皮決定に部分的にしか関与しておらず,イネの進化過程で,DLが心皮決定遺伝子としてより重要な役割を果たすよう進化してきたと推定される.

クラスC遺伝子,OsMADS3および OM55, の解析

双子葉植物において心皮決定はクラスCのMADSボックス遺伝子により支配されている.DLがイネの心皮決定に必要不可欠な機能を果たしているとすると,イネにおけるクラスC遺伝子がどのような機能を持つかという問題は興味深い.そこでイネにおけるクラスC遺伝子の機能を明らかにしょうと試みた.はじめに,イネにおいてはこれまで知られていたOsMADS3 (RAG)遺伝子に加え,もう一つクラスCの MADS ボックス遺伝子が存在することを明らかにした(OM55と仮称).野生型の花の発生過程において,両遺伝子は,ともに whorl3 および whorl4 に特異的に発現している点では共通していたが,OM55が雄ずい原基および雌ずい原基で一様に発現するのに対し,OsMADS3は器官原基が発生する直前の予定領域でのみ強く発現することが明らかになった.次にTos17やT-DNAタグラインのスクリーニングによるこれら遺伝子の挿入変異体の単離や,RNAiの手法による遺伝子抑制系統の作製を行った.osmads3のノックアウト変異体では,whorl3においてほぼ全ての雄ずいがりんぴへと転換し,whorl4 においては,心皮のアイデンティティーは正常であるが,その数が増加していた.一方 OM55 遺伝子が特異的に強く抑制されたRNAi系統では,whorl3 においては1-2本のみの雄ずいがりんぴへと転換した.whorl4 においては異常な形態を示す心皮様器官が形成され,そのさらに内側に,りんぴ,雄ずい,心皮様器官のセットが繰り返し無限に発生を続け,数十個の器官が形成されるという表現型を示した.また,両変異体においてりんぴ数の増加が観察された.これらの表現型から,OsMADS3遺伝子とOM55遺伝子は,りんぴ数の制御,雄ずいの決定,花の有限性の制御という点において,共通した機能を持つことが明らかになった.しかしながら,whorl3 では osmads3 変異体において,より強い異常が観察され,whorl4 においてはom55 RNAi系統において,より強い異常が観察されたことから,これら2つの遺伝子は,whorl 依存的にその機能の重要性が異なっていると考えられる.データベース検索を行ったところ,他のイネ科植物もクラスC遺伝子を2つ持ち,それぞれOsMADS3サブグループとOM55サブグループに分類される事が明らかになった.イネにおける2つのクラスC遺伝子のような whorl 依存的な機能分化が,他のイネ科植物における2つのクラスC遺伝子においても共通しているかという問題は興味深い.

花器官決定遺伝子間の遺伝的相互作用

次に花器官決定遺伝子間における遺伝的相互作用を解析した.まずdl変異体における,イネのPISTILLATA (Pl) 様クラスB遺伝子であるOsMADS4遺伝子の発現,逆にイネのAPETALA3 (AP3) 様クラスB遺伝子であるSUPERWOMAN1 (SPW1) 遺伝子の変異体およびSPW1遺伝子を過剰に発現させた系統におけるDL遺伝子の発現を観察し,DLとクラスB遺伝子は互いに負に制御し合っていることを明らかにした.またspw1変異体およびSPW1過剰発現系統におけるOsMADS4遺伝子の発現を解析した結果,OsMADS4遺伝子の発現はSPW1遺伝子により維持されることが明らかになり,イネにおいてもAP3/Pl間のようなヘテロダイマー化による自己制御系が機能している可能性が示唆された.またdl変異体におけるOsMADS3およびOM55遺伝子の発現,そしてosmads3変異体およびom55RNAi系統におけるDL遺伝子の発現を解析した結果,DLとクラスCは独立に機能していることが示唆された.om55RNAi系統では異常な心皮様器官がつくられる.したがってOM55遺伝子は正常な心皮形成にある程度必要であると考えられるが,この器官は依然心皮特有のキャラクターを持ち,DL遺伝子の発現が観察された.またosmads3変異体では正常なアイデンティティーを持つ心皮が作られる.したがってイネにおいてはクラスC遺伝子の機能が無くても,DLによって心皮がある程度決定される可能性が示唆された.

中肋形成におけるDROOPING LEAF遺伝子の機能解析

dl変異体においては,葉の中肋が形成されないという表現型も示す.このような変異体はこれまで高等植物において知られておらず,DL遺伝子の機能を理解することは,葉の形態形成を理解する上でも重要であると考えられた.まず野生型およびdl変異体における中肋の発生様式を観察したところ,野生型においてはP2からP3ステージの葉原基において,中央部の細胞が盛んに増殖し,葉の中央部が太く発達するのに対し,dl変異体ではこの葉原基中央部における盛んな細胞増殖が観察されないことが明らかになった.次に野生型の葉原基における DL遺伝子の発現を観察したところ,P1からP4ステージの葉原基の中央部に特異的な発現が観察された.さらにDL遺伝子を植物体全体で過剰に発現する形質転換体を作出したところ,この系統においては,葉の中央部のみならず周縁部も厚く発達し,中肋状の構造を示すことが明らかになった.また,このDL過剰発現個体における葉の発生様式を観察したところ,葉原基中央部に加え,周縁部においても盛んな細胞増殖を示す様子が観察された.以上の結果を総合すると,DL遺伝子は葉原基中央部で特異的な細胞増殖を促進することにより中肋形成を制御するということが明らかになった.

DLは単子葉植物において唯一解析されたYABBY遺伝子である.シロイヌナズナのYABBY遺伝子は,器官の背側の運命決定をするという共通の機能を持つと考えられている.しかしながらDLの発現パターンや過剰発現体の解析結果は,DLは背側の運命決定には関与しないことを示唆している.また,DLの相同遺伝子であるCRCなどのYABBY遺伝子群は,DLのように中肋形成には関与していない.したがってイネ科植物の葉の中肋は,双子葉植物の葉の中央脈とは相同ではないと考えられる.このようなYABBY遺伝子の機能分化は,高等植物における葉の形態の多様性に深く関わっていると考えられる.

以上の研究を総合して,イネの花器官決定は以下のようなモデルにより説明されることを明らかにした.イネの花器官決定を説明するにはABC遺伝子だけでは十分でなく,心皮の決定遺伝子としてDLを加える必要がある.このDLは,クラスB遺伝子と互いに負に制御し合う.また,2つのクラスC遺伝子は機能する領域がある程度分化しており,whorl3 においてはOsMADS3遺伝子が,whorl4 においてはOM55遺伝子がより重要な機能を持つ.また葉の中肋形成というユニークなイベントを制御するDL遺伝子の機能を解明した.これらの研究により,植物発生遺伝学に新規の知見を提供することができたと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

花は植物の生殖を司る重要な器官であり,生殖器官である雌ずい(心皮)や雄ずいの発生を制御する分子機構を解明することは,花の発生を理解するうえで最も重要な課題である.シロイヌナズナなどの双子葉植物においては,花器官のアイデンティティーの決定は ABC モデルにより説明されることが明らかにされているが,単子葉植物においては未だに十分な知見は得られていない.また,葉はその形態が高等植物の間で大きく多様化している.本研究においては,単子葉植物のイネを研究材料として,花器官の決定機構や葉の形態形成を支配する遺伝子の機能を解明すること,植物の形態の進化や多様性をもたらす遺伝的メカニズムを明らかにすること,さらには,イネの形態改変による育種的応用のための基礎的知見を得ることを目的として研究を行った.

本論文は,研究の背景を詳述した序論,研究成果とその考察に関する4つの章および総合考察から構成されている.第1章では,イネの心皮アイデンティティーを制御するDROOPING LEAF 遺伝子の単離と解析,第2章では,2つのクラスC遺伝子 (OsMADS3 , OsMADS58)の機能解析,第3章では DL 遺伝子をはじめとする花器官決定遺伝子間の遺伝的相互作用,第4章では,DL 遺伝子のもう一つの機能である中肋形成の制御機構に関して,分子遺伝学的研究手法により明らかにされた研究成果とその考察を詳細に記述している.最後に,これらの成果を総合してイネの花の器官決定を制御する遺伝学的分子機構を総合的に考察するとともに,これを制御する遺伝子機能の進化と多様化に関する考察を加えている.

心皮のアイデンティティー決定を制御する DROOPING LEAF 遺伝子の単離と解析

イネの dl 変異体では,花の雌ずいが雄ずいへとホメオティックに転換する.この変異の原因となる遺伝子をポジショナルクローニング法により単離した結果,DL 遺伝子は植物特有の転写因子をコードする YABBY 遺伝子であることが明らかとなった.時間的・空間的発現パターンを解析したところ,DL 遺伝子は心皮原基が分化する予定領域および発生中の心皮原基で特異的に発現していた.dl 変異体の表現型と総合し,DL 遺伝子はイネの花の発生において心皮の決定を制御していると結論した.また,DL 遺伝子が花分裂組織の有限性も制御していることを明らかにした.シロイヌナズナのDLオーソログであるCRABS CLAW (CRC) 遺伝子の機能喪失変異体では部分的に心皮が異常になるが,ホメオティックな転換は起こらない.したがって,イネの進化過程で,DL遺伝子が心皮の決定に関してより重要な機能を担うようになってきたと推定される.

クラス C 遺伝子,OsMADS3 および OsMADS58,の解析

イネにおけるクラス C の MADS ボックス遺伝子の機能を明らかにすることを目的として研究を進め,これまで知られていた OsMADS3 遺伝子に加え,もう一つのクラス C 遺伝子であるOsMADS58 遺伝子を単離した.ノックアウト変異体や RNAi による遺伝子抑制形質転換体などを用いて解析を進めた結果,OsMADS3遺伝子と OsMADS58 遺伝子は,whorl3 およびwhorl4 で特異的に発現し,りんぴ数の制御,雄ずいの決定,花分裂組織の有限性の制御という共通した機能を持つことが明らかとなった.しかし,これら 2 つの遺伝子は,whorl 依存的にその機能の重要性が異なっていることが示され,whorl3 における雄ずいの決定には OsMADS3 遺伝子が,whorl4 における花分裂組織の有限性の制御にはOsMADS58 が,より主要な機能を担っていることが明らかとなった.また,いずれの変異体や2重変異体でも,心皮様器官が形成されることから,DL 遺伝子が心皮決定に重要であることがさらに強く示された.

花器官決定遺伝子間の遺伝的相互作用

次に,種々の変異体や形質転換体を用いて,これらの花器官決定遺伝子間における遺伝的相互作用を解析した.その結果, DL 遺伝子と SPW1 や OsMADS4 などのクラス B 遺伝子は互いに負に制御し合っていること,DL 遺伝子と2つのクラス C 遺伝子は互いに独立に機能していることを明らかにした.また,OsMADS4 遺伝子の発現がSPW1 遺伝子により維持されることが示され,クラスB 遺伝子は,シロイヌナズナ同様,自己制御系によりその発現が維持されていることが示唆された.

中肋形成における DL 遺伝子の機能解析

dl 変異体においては,葉の中肋が形成されない.野生型および dl 変異体における中肋の発生様式を観察したところ,野生型の葉原基においては中央部の細胞が向背軸方向に増殖し,厚みを増した中央領域に中肋が形成されるのに対し,dl 変異体ではこの中央部における細胞増殖が起こらないことが示された.野生型におけるDL 遺伝子の発現パターンは,細胞増殖が盛んに起こる葉原基中央に局在していた.また,DL 遺伝子の構成的に発現する形質転換体を作出したところ,葉原基中央部のみならず周縁部においても盛んな細胞増殖を示すことが観察され,この領域に中肋様構造が異所的に形成された.これらの結果を総合して,DL 遺伝子は,野生型において葉原基中央部で特異的な細胞増殖を促進することにより,中肋形成を制御していると結論した.

以上,本研究により,イネにおいてはYABBY遺伝子ファミリーに属する DL 遺伝子が心皮決定を制御しているという極めて独創性の高い発見を含め,イネの花の器官決定と分裂組織の維持機構に関する多くの新しい分子遺伝学的知見を得ることができた.また,単子葉植物に特有な中肋形成に関しても,分子レベルでの理解が深まった.本研究により得られたイネの花と葉の発生分化に関する知見は,単にイネのみならず高等植物の発生分化とその多様化に関する研究分野に多大な貢献をするものであり,学術上,応用上極めて高い価値をもつものである.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文に値するとの結論に至った.

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