学位論文要旨



No 119115
著者(漢字) 池田,恭子
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,キョウコ
標題(和) 分裂組織に着目したイネの穂および花の構築に関する発生遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 119115
報告番号 甲19115
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2666号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 経塚,淳子
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

花序(穂)は、花の配列状態であり、作物においては収穫器官である種子の配列となるため、収量性と密接に結びつく重要な農業形質である。その人為的制御のためには、穂や花の構築の遺伝的制御機構の解明が不可欠である。イネの穂の形や花のオーガニゼーションは、頂端分裂組織から形成される側生器官のアイデンティティーと分化パターンにより決定される。それ故、生殖成長期において複雑に転換する分裂組織のアイデンティティーやオーガニゼーションの制御機構の理解が重要となる。本研究では、イネの穂及び花器官形成の制御機構を解明するため、野生型の生殖成長過程を詳細に観察するとともに、穂および花の構築に異常を示す多くの変異体を用いて分裂組織に着目した遺伝学的、分子生物学的解析を行った。

野生型イネにおける穂および小穂の発生過程の解析と staging

変異体を解析しその原因遺伝子の機能を解明するためには、野生型の発生過程についての十分な理解が前提となる。幼穂の分化は多くの葉原基に包まれた中で起こり、その時期を特定するのも困難であることから、特に初期発生過程についての知見が乏しい。そこでまず、品種台中65号の穂および小穂の発生過程を詳細に観察した。生殖成長への転換直後の分裂組織の動態を観察し、側生器官の相対的な大きさから転換直後の分裂組織(穂軸分裂組織)を栄養成長分裂組織から区別できること、転換直後から分裂組織は急速に大きくなるが、一次枝梗分化中期に最大になり、その後は小さくなることを明らかにした。さらに生殖成長全体における発生イベントを詳細に記述するとともに、野生型、変異体の発生過程の記述の標準化のために、発生イベントおよびマーカー遺伝子の発現などに基づき、穂の発生過程を9つのステージIn1〜In9に、小穂の発生過程を8つのステージSp1〜Sp8に分類した。

aberrant panicle organization 1変異体の発生学的解析

aberrant panicle organization 1 (apol)変異体の穂は短く、一次枝梗および着生穎花も少なかった。発生過程の観察により、穂軸分裂組織が退化する前に小穂分裂組織へ転換したため、一次枝梗が減少していることが明らかとなった。一次枝梗も、頂端花の分化が早まり、短くなった。このように、apo1 では、穂軸分裂組織や枝梗分裂組織から小穂分裂組織への転換が早まっていた。また野生型では2/5らせんで一次枝梗原基が分化するのに対し、apo1 では1/2互生に近い枝序に変化していた。生殖成長転換時点の分裂組織は野生型に比べ幅が狭く高いものであり、これが分裂組織アイデンティティーの早熟な転換や、枝序の変更に関与していると考えられた。

apo1 変異体は、花器官の異常も示し、鱗被の増加、雄蕊(特に内穎側の雄蕊)の減少、無限成長的な雌蕊の分化がみられた。しばしばモザイク状の器官がつくられ、器官の境界とアイデンティティーの境界が一致していなかった。しかし、鱗被、鱗被と雄蕊の中間体、雄蕊の合計の数は野生型とほとんど変わらす、class B 遺伝子の SUPERWOMAN (SPW)の発現パターンも変わらなかったので、whor12および3の領域の大きさは変わらず、class A遺伝子の発現領域の拡大により、雄蕊から鱗被への部分的なホメオティックな転換が生じたと考えられる。また、花分裂組織の有限性が低下したことから、apo1 変異体においては class C 遺伝子の機能が低下していると予想された。

apo1 変異体は栄養成長期での出葉速度が大きく、野生型より多くの葉を分化したので、葉原基分化の時間的制御にも関与していると考えられた。また花成は一週間程度遅れた。発芽後約70日まで栄養成長分裂組織に大きな違いはなかったが、その後野生型で見られるサイズの拡大がなく、栄養成長後期では野生型より小さい分裂組織となった。

以上の結果から、APO1遺伝子は、葉原基分化の抑制、栄養成長から生殖成長への転換促進、花序分裂組織から小穂分裂組織への転換抑制、花器官ホメオティック遺伝子の発現制御、花分裂組織の有限性獲得に働いており、その機能は多岐にわたると考えられた。

APO1遺伝子の単離およびAPO1と花器官形成遺伝子との相互作用の解析

APO1遺伝子の機能を明らかにするために、遺伝子の単離を試みた。apo1-3ホモ個体とインド型品種 Kasalath のF2集団からapo1ホモの表現型を示す22個体を選抜し、STSマーカー及びCAPSマーカーによる連鎖解析を行った。その結果、APO1遺伝子は、第6染色体長腕の、キンギョソウの FIMBRIATA (FIM)遺伝子及びシロイヌナズナの UNUSUAL FLORAL ORGAN (UFO)遺伝子のイネ相同遺伝子の近傍に座乗していることが明らかとなった。apo1の4つのアリルにおけるこの相同遺伝子の塩基配列を野生型と比較したところ、いずれも塩基置換が見いだされたので、APO1遺伝子はルFIM、UFOとオーソロガスな遺伝子であると考えられる。

APO1はユビキチン経路による蛋白質分解において、アダプター的役割を担うタンパク質に共通の F-box モチーフを含んでいた。特に解析の進んでいるUFOは、class B遺伝子の発現調節に関与していると報告されているが、apo1では鱗被が増加し、class B 遺伝子の発現は変化していないことから判断すると、APO1はUFO/FIMとは異なる機能を持っていると考えられた。

花におけるAPO1遺伝子の機能をさらに明らかにするために、花器官の異常を示す変異体との二重変異体を作出した。雄蕊が雌蕊に転換するdl-sup1変異体との二重変異体では、雌蕊が分化する領域に鱗被が無限成長的に分化した。この結果は、apo1において class C 遺伝子の機能が低下しているという解釈を支持した。また鱗被が頴に、雄蕊が雌蕊に転換するspw1変異体との二重変異体では、花器官のアイデンティティーに関してはほぼ相加的であったものの、小穂の中に二次的な花が形成されるという相乗的な表現型を示した。この結果から、APO1がSPW1と共同して異所的な花分裂組織の分化を抑制する働きをもっと考えられた。花分裂組織が拡大し花器官数が増加するfloral oragan number 1 (fon1), fon2との二重変異体では、雄蕊の減少傾向が強まり、心皮が著しく増加するという表現型を示した。花分裂組織は帯化しており、分裂組織の有限性獲得に関してはAPO1, FON遺伝子が冗長的に働いていると考えられた。一方で雄蕊の減少傾向の強まりは、両遺伝子が相互作用して class C 遺伝子の発現制御に関わっていることを示唆していた。

穂の形態に異常を示す変異体の発生遺伝学的解析

穂や花の形作りの機構を更に知るには、穂軸、枝梗分裂組織および花分裂組織に関する知見を多く得る必要性が示唆されたため、主に一次枝梗数に着目し、異常な表現型を示す様々な変異体を同定、解析した。

fm143、fm144、fm145ではapo1よりも花序分裂組織から小穂分裂組織への転換が早まるとともに、枝序の変更や分裂組織の異常などapo1と類似した表現型を示した。一方、花は、鱗被が穎化したり、雄蕊の分化位置が外穎側に偏らないなどapo1と異なった表現型を示した。これらの野生型遺伝子もまた、分裂組織のアイデンティティー転換を抑制する方向に働いていると考えられた。

fm67は、一次枝梗の枝序の変化、枝梗における頂端花の分化の早まりなどapo1と多くの共通性をもつ穂を分化した。一方で穂軸分裂組織はapo1と異なり扁平であった。また、一次枝梗数は穂によって大きく変異した。穂軸分裂組織の高さ/形は一次枝梗数に影響すると考えられる。

fm126は、一次枝梗、着生穎花ともに少ない穂を分化した。分裂組織は扁平で、発育のさまざまなステージで分裂組織の退化が起こっていた。この原因遺伝子は分裂組織の維持に関わっていると考えられる。

fm178は発芽後約35日で生殖成長へ転換し、一次枝梗の少ない穂を分化した。fm178の生殖成長転換時での分裂組織のサイズは、野生型の転換時での分裂組織より小さく、野生型の発芽後35日目の分裂組織と同じであった。従って、生殖成長転換時の分裂組織のサイズが一次枝梗数に影響を与えると考えられた。

fm72は野生型よりも少ない一次枝を持つが、生殖成長転換1週間前での分裂組織の形、サイズは野生型とあまり変わらなかった。しかし、その後分裂組織が大きくなる程度が野生型に比べ小さく、結果として一次枝梗の少ない穂ができた。この結果から、生殖成長転換後の穂軸分裂組織のサイズの増加の程度も、一次枝梗数を決める重要な因子であることが明らかとなった。

一次枝梗が野生型の2倍近くに増加するfm174では、生殖成長転換時の分裂組織の幅が野生型よりも僅かに大きく、その後の穂軸分裂組織のサイズの増加も著しかった。このことから、一次枝梗の増加は、分裂組織のサイズの増加が原因であると考えられる。fm174では、枝梗分裂組織から小穂分裂組織への転換も遅れ、結果として非常に多くの小穂が分化していたので、その原因遺伝子は、分裂組織のアイデンティティー転換を促進する方向に働くと考えられた。

以上、本研究は、イネの生殖成長期における発生イベントを詳細に記述するとともに、穂および花の構築に関わる重要な遺伝子を同定、解析し、分裂組織の重要性を指摘したものである。

審査要旨 要旨を表示する

花序(穂)は、収量性と密接に結びつく重要な農業形質であり、その人為的改変のためには、穂や花の構築の遺伝的制御機構の解明が不可欠であるが、イネにおける制御機構については、ほとんど明らかになっていない。本研究は、野生型イネの生殖成長過程を詳細に解析するとともに、穂および花の構築に異常を示す多くの変異体を用いて分裂組織に着目した遺伝学的、分子生物学的解析を行ったものである。本論文の内容は、4つの章から構成されている。

野生型イネにおける穂および小穂の発生過程の解析と staging

変異体を解析しその原因遺伝子の機能を解明するためには、野生型の発生過程についての十分な理解が前提となる。品種台中65号の生殖成長期を詳細に観察した。生殖成長への転換直後の分裂組織の動態を観察し、側生器官の相対的な大きさから転換直後の分裂組織(穂軸分裂組織)を栄養成長分裂組織から区別できること、転換直後から分裂組織は急速に大きくなるが、一次枝梗分化初期に最大になり、その後は小さくなることを明らかにした。さらに生殖成長全体における発生イベントを詳細に調査し、穂、花の発生段階の分類を行った。

aberrant panicle organization 1 (apo1) 変異体の発生学的解析

apo1変異体は栄養成長期で葉を早く分化し、生殖成長期では一次枝梗および着生穎花の少ない穂を分化した。発生過程の観察により、穂軸分裂組織が退化する前に小穂分裂組織へ転換したため、一次枝梗が減少していることが明らかとなった。一次枝梗でも頂端花の分化が早まり、分裂組織アイデンティティーの早熟な転換が起きていた。生殖成長転換時点の分裂組織は野生型に比べ幅が狭く高いものであり、これが分裂組織アイデンティティーの早熟な転換に関与していると考えられた。

apo1変異体の花では、鱗皮の増加、雄蕊の減少、無限成長的な雌蕊の分化がみられた。しばしばモザイク状の器官がつくられ、器官の境界とアイデンティティーの境界が一致していなかった。class B 遺伝子のSPW1の発現パターンの解析などから、whor12および3の領域の大きさは変わらず、class A遺伝子の発現領域の拡大により、雄蕊から鱗被への部分的なホメオティックな転換が生じたと考えられた。

以上、肥APO1遺伝子は、葉原基分化の抑制、栄養成長から生殖成長への転換促進、花序分裂組織から小穂分裂組織への転換抑制、花器官ホメオティック遺伝子の発現制御、花分裂組織の有限性獲得など多面的な機能を持つ、重要な遺伝子であることを明らかにした。

APO1遺伝子の単離およびAPO1と花器官形成遺伝子との相互作用の解析

ポジショナルクローニング法により、APO1遺伝子は、第6染色体長腕に座乗し、キンギョソウの FIMBRIATA 遺伝子及びシロイヌナズナの UNUSUAL FLORAL ORGAN 遺伝子の相同遺伝子であると考えられた。

花におけるAPO1遺伝子の機能をさらに明らかにするために、花器官の異常を示す変異体との二重変異体を解析した。雄蕊が雌蕊に転換するdl-sup1変異体との二重変異体では、雌蕊が分化する領域に鱗被が無限成長的に分化した。また鱗被が頴に、雄蕊が雌蕊に転換するspw1変異体との二重変異体では、花器官の表現型はほぼ相加的であったが、二次的な花が形成されるという相乗的な表現型を示した。花器官数が増加する floral oragan number との二重変異体では、雄蕊の減少傾向が強まり、心皮が著しく増加した。花分裂組織は帯化しており、分裂組織の有限性獲得に関してはAPO1, FON遺伝子が冗長的に働いていると考えられた。

穂の形態に異常を示す変異体の発生遺伝学的解析

一次枝梗数に着目し、様々な変異体を同定、解析した。fm143、fm144、fm145ではapo1よりも花序分裂組織から小穂分裂組織への転換が早まるとともに、枝序の変更や分裂組織の異常などapo1と類似した表現型を示した。花では、鱗被の穎化などapo1と異なった表現型を示した。これらの野生型遺伝子も、分裂組織のアイデンティティー転換を抑制する方向に働いていると考えられた。その他、一次枝梗数の異常を示すfm67、fm126, fm178, fm72, fm174変異体を解析し、一次枝梗分化前の生殖成長ごく初期での穂軸分裂組織のサイズ/形が一次枝梗数を決定する重要な要因であることを明らかにした。

以上、本研究は、イネの生殖成長期における発生イベントを詳細に記述するともに、穂および花の構築に関わる重要な遺伝子を同定、解析し、分裂組織の重要性を指摘したものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク