学位論文要旨



No 119116
著者(漢字) 石丸,努
著者(英字)
著者(カナ) イシマル,ツトム
標題(和) イネ穎果の登熟期における形態発達と炭水化物代謝の推移 : 強勢穎果と弱勢穎果の比較
標題(洋)
報告番号 119116
報告番号 甲19116
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2667号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山岸,徹
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

イネの穂は多数の穎果から成るが、穎果の着生位置によって乾物蓄積パターンが異なる。穂の上位の1次枝梗に着生する穎果は乾物蓄積の経過が早く、デンプンの充実した子実になる。これに対し、穂の下位の2次枝梗基部に着生する穎果では開花後伸長が起こらない、あるいは伸長が緩慢な、いわゆるラグフェイズが存在し、登熟が遅れ、収穫時のデンプン含量が少ない。そのため、収量やコメの品質を低下させる。前者を強勢穎果、後者を弱勢穎果という。近年の、収量向上を目指した穂重型品種の育種、登熟期間の高温化に伴う、特に弱勢穎果の品質低下など、弱勢穎果の登熟向上は重要な課題であると考えられる。しかし、穎果の発達過程、また穎果の主成分である炭水化物代謝に関わる遺伝子発現に関しては、強勢穎果を対象として研究が行われており、弱勢穎果に関する知見は乏しい。そこで本研究では、水稲品種「どんとこい」を用い、強勢穎果と弱勢穎果の発達の違いを、形態発達や炭水化物代謝関連遺伝子群の発現の面から解析した。

穎果のサイズとデンプン蓄積能力との関係

弱勢穎果は強勢穎果に比べデンプン含量が少ないが、これが穎果のサイズの違いによるのか、デンプン濃度の違いによるのものか、明らかにしようとした。

強勢穎果は弱勢穎果よりも穎果の体積が大きく、これは胚乳細胞層数の違いによっていた。強勢穎果は弱勢穎果よりもデンプン含量も多かったが、この大きな要因は体積の違いにあった。そしてその体積の違いは、個々の胚乳細胞の大きさではなく、胚乳細胞層数の違いによっていた。しかし、弱勢穎果の開花前日に穂の一部切除を行うと、切除していない場合の弱勢穎果よりも体積が大きくなり、デンプン含量も増加した。この場合も体積の違いは、胚乳細胞層数の違いによっていた。また、ラグフェイズ終了前日の開花後5日に穂の一部切除を行っても、対照区の弱勢穎果に比べて、穎果の体積とデンプン含量が有意に増加し、両者の間には密接な正の相関関係が見られた。したがって5日間のラグフェイズでは、炭水化物供給量が多ければ、穎果の体積、及びデンプン含量が増加することが示された。これらの結果から、弱勢穎果におけるデンプン含量と体積は、胚乳細胞数によって大きく規定されていることが示唆された。また弱勢穎果では、炭水化物の供給が少ないため、ポテンシャルを発揮できていないことが明らかとなった。

親組織と子組織の形態発達

穎果の形態発達過程の研究は、強勢穎果を観察対象に行われており、強勢穎果と弱勢穎果の発達過程の違いに関する知見は乏しい。そこで強勢穎果と弱勢穎果の形態発達過程を比較検討した。

弱勢穎果のラグフェイズにおいて、次のようなことが観察された。重複受精は完了しているが、親組織である内珠皮内層の細胞分裂は起こっておらず、珠心の退化も見られなかった。胚乳組織に関しては、遊離核は見られたが、胚乳細胞は観察されなかった。細胞分裂に関わるHistone H3の発現も、ラグフェイズでは強勢穎果に比べて非常に低いレベルにあり、穎果全体の発達遅延を示していた。このHistone H3の発現は、開花日にも低かった。また、強勢穎果では開花日にすでに果皮にデンプン蓄積が見られたのに対し、弱勢穎果ではラグフェイズの期間中デンプン蓄積が見られなかった。以上の結果より、弱勢穎果のラグフェイズでは、穎果全体のシンクとしての機能が低いこと、強勢穎果とのこのような差異は、開花前から存在することが示唆された。

穎果の伸長開始後は強勢穎果と弱勢穎果に関わらず、親組織と子組織は以下のように協調しながら発達していた。(1)親組織である内珠皮内層の細胞分裂は、胚乳細胞分裂に先行して起こっており、胚乳細胞分裂開始期には分裂を完了していた。(2)胚乳組織の形成は、珠心の退化とともに起こっていた。珠心が胚乳組織と空間的に隣接していること、胚乳細胞の分裂終了は、珠心の完全な退化と時期的にほぼ一致していることから、珠心は胚乳の発達に対して何らかの役割を果たしていると考えられた。(3)弱勢穎果において、果皮デンプンの蓄積は伸長の開始後に認められた。両穎果とも伸長とともに果皮デンプン蓄積量が増加したが、胚嚢腔が胚乳細胞によって満たされると、その後は減少した。反対に胚乳は盛んにデンプンを蓄積し始めた。(4)胚における始原生長点の分化は、両穎果とも胚乳におけるデンプン蓄積と同時期に認められた。(5)胚乳における活発なデンプン蓄積の開始とともに、糊粉層が分化し始めた。同時に珠心表皮の外側の細胞壁は顕著に肥厚化し、完熟時に種皮となる珠心表皮と内珠皮内層以外の親組織(外珠皮や果皮)では著しい退化が起こっていた。

以上のように、子組織である胚乳組織の発達、胚の初期発達は、親組織の発達と時間的に平行して進んでいた。また、強勢穎果と弱勢穎果の比較から、次のことが明らかとなった。横断切片において、弱勢穎果の内珠皮内層細胞数は強勢穎果よりも少なく、両穎果における内珠皮内層細胞数の比と胚乳細胞層数の比の違いはほぼ同じであったことから、内珠皮内層細胞数が胚乳細胞層数を規定している可能性が示唆された。

炭水化物代謝関連遺伝子群の発現パターン

ソースから転流されてきたショ糖は、細胞壁結合型インベルターゼ(CWI)やショ糖合成酵素(SUS)により分解される。デンプン合成はADP-グルコースピロホスホリラーゼ(AGPase)の酵素活性によって、強く律速されている。またショ糖のアポプラスティックな輸送には、ショ糖トランスポーター(SUT)が関与している。これら炭水化物代謝関連遺伝子群は、それぞれがいくつかのisoformからなる遺伝子ファミリーを構成している。これらの時間的・空間的な発現パターンと、糖やデンプンなどの炭水化物の推移との関連から、穎果の発達、及び強勢穎果と弱勢穎果の発達の違い、との関係を検討した。

いくつかの植物種では、シンク器官の発達初期において、単糖/ショ糖比(hex/suc)が高いことが細胞分裂を促し、この高いhex/sucには、CWIが関連することが知られている。本研究では、強勢穎果、弱勢穎果とも、親組織の発達と胚乳細胞分裂の活発な時期には、hex/sucが高かった。さらに、弱勢穎果で認められたラグフェイズの期間には、hex/sucが低いことが明らかとなった。CWI isoform(OsCIN1、OsCIN2、INV1)の3遺伝子とも、親組織で強く発現していた。時間的な推移を見ると、強勢穎果では3遺伝子とも開花後3-4日までの胚乳細胞分裂が盛んな時期まで発現が強く、この時期のhex/sucの上昇と関係していることが示された。しかし、胚乳細胞分裂に重要であると考えられているOsCIN1の発現は、弱勢穎果では開花後すぐに低下していた。OsCIN2とINV1の発現量は、OsCIN1に比べ比較的低かったが、開花日以降、胚乳細胞分裂が盛んな時期まで同じレベルで維持されており、これら2つのisoformも一定の機能を果たしていると考えられた。弱勢穎果では、CWI isoformの中で発現量の多いOsCIN1が、開花後すぐに低下したことが、ラグフェイズにおける低いhex/suc、ひいてはラグフェイズの発生と関係する可能性が考えられた。

SUSのisoform3つ(RSus1, RSus2, RSus3)は、子組織で発現が強かったが、特にRSus3の発現は子組織特異的であった。RSus1の発現パターンは、親組織と子組織の細胞分裂の盛んな時期と比較的よく一致していた。RSus3は胚乳デンプン蓄積の開始時期に強く発現していた。RSus2はRSus1とRSus3の中間的なパターンを示していた。

OsSUT1(ショ糖トランスポーターの遺伝子)の発現パターンは、RSus3の発現パターンとよく一致していた。

AGPaseの大小サブユニットをコードする遺伝子(AGP-L1, AGP-L2, AGP-S1, AGP-S2:Lは大サブユニットを、Sは小サブユニットをコードすることを示す)のうち、AGP-L2とAGP-S1は、親組織と子組織の両方で発現が見られたのに対し、AGP-L1とAGP-S2は、子組織でのみ発現が見られた。両組織で発現が見られたAGP-L2とAGP-S1の発現は、胚乳デンプン蓄積期前から、比較的高かった。これに対し、子組織で特異的に発現が見られたAGP-L1とAGP-S2は胚乳デンプン蓄積の開始とともに発現が強くなった。これらの結果から、AGP-L1とAGP-S2は胚乳デンプンの蓄積において機能していると考えられた。またAGP-L2とAGP-S1は、果皮デンプンと胚乳のデンプン蓄積の両方で機能していると考えられた。

以上より、強勢穎果、弱勢穎果に関わらず、親組織、子組織の細胞分裂の盛んな時期に、親組織で発現しているCWI isoformの発現がhex/sucの上昇、それに伴う組織の細胞分裂に重要であることが示された。しかしながら、CWI isoformの中で発現量が多いOsCIN1の弱勢穎果における発現は、hex/sucの推移とは一致せず、他のisoformがhex/sucの上昇に関与している可能性が考えられた。その後、穎果の伸長開始とともにRSus1の発現が増加しており、その発現はHistone H3の発現とほぼ一致していた。このことから、活発な細胞分裂を行いながら生長している組織に対する炭水化物供給に、RSus1の発現が関係していることが考えられた。そして、胚乳デンプン蓄積期にはOsSUT1とRsus3の発現が強くなり、CWI isoformの発現はすでに低いため、ショ糖の形態での子組織への養分供給が主体となっていた。

以上本研究では、強勢穎果と弱勢穎果における登熟時のデンプン含量の違いは、胚乳の大きさと密接な関係があり、それには胚乳細胞層数だけでなく、親組織である内珠皮内層の細胞数が関係している可能性が示された。また炭水化物代謝の面から、胚乳細胞数の決定時期において、CWI isoformおよびRSus1の発現が重要であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、米の品質や収量に大きく影響する弱勢穎果の発達過程について、形態発達や炭水化物代謝関連遺伝子群の発現の面から、強勢穎果との比較を通じ明らかにしようとしたものである。

穎果のサイズとデンプン蓄積能力との関係

弱勢穎果は強勢穎果に比ベデンプン含量が少ないが、これはデンプン濃度でなく穎果のサイズによっていた。このサイズの違いは、個々の胚乳細胞の大きさではなく、胚乳細胞層数の違いによっていた。穂の一部切除によって弱勢穎果のデンプン含量が増加したが、この場合も同じ要因によっていた。

親組織と子組織の形態発達

強勢穎果と弱勢穎果の発達過程の違いに関する知見は乏しいことから、両者を比較検討した。

弱勢穎果のラグフェイズでは、内珠皮内層の細胞分裂は起こっておらず、胚乳細胞も観察されなかった。Histone H3の発現も非常に低いレベルにあり、穎果全体の発達遅延を示していた。開花日において、弱勢穎果ではこの Histone H3の発現が低いこと、強勢穎果で認められた果皮におけるデンプン蓄積が見られなかったことから、弱勢穎果と強勢穎果の違いは開花前から存在することが示唆された。

穎果の伸長開始後は強勢穎果と弱勢穎果に関わらず、親組織と子組織は同調しながら発達した。特に珠心の胚乳の発達に対する何らかの機能、胚嚢腔が胚乳細胞によって満たされ時期を境に起こる果皮デンプン蓄積量の減少、胚乳におけるデンプン蓄積、胚における茎頂分裂組織の分化、糊粉層の分化、が認められた。

また、強勢穎果と弱勢穎果の比較から、胚乳細胞より早く細胞分裂する、内珠皮内層細胞数が胚乳細胞層数を規定している可能性が示唆された。

炭水化物代謝関連遺伝子群の発現パターン

ソースから転流されてきたショ糖がデンプンに至る炭水化物代謝の関連遺伝子群の各 isoform の時間的・空間的な発現パターンと、糖やデンプンなどの炭水化物の推移を検討した。

強勢穎果、弱勢穎果とも、親組織の発達と胚乳細胞分裂の活発な時期には、単糖/ショ糖比(hex/suc)が高かった。さらに、弱勢穎果で認められたラグフェイズの期間には、hex/sucが低いことが明らかとなった。CWI isoform(OsCIN1、OsCIN2、INV1)の3遺伝子のうち弱勢穎果におけるOsCIN1を除き胚乳細胞分裂が盛んな時期まで発現が強かったが。しかし、強勢穎果では胚乳細胞分裂に重要であると考えられているOsCIN1の発現は、弱勢穎果では開花後すぐに低下しており、その機能について疑問が投げかけられた。

ショ糖合成酵素(SUS)の isoform3つ(RSus1, RSus2, RSus3)は、子組織で発現が強かったが、特にRSus3の発現は子組織特異的であった。RSus1の発現パターンは、親組織と子組織の細胞分裂の盛んな時期あるいは Histone H3の発現とほぼ一致していた。RSus3は胚乳デンプン蓄積の開始時期に強く発現していた。RSus2はRSus1とRSus3の中間的なパターンを示していた。

ショ糖トランスポーター(SUT)の isoformであるOsSUT1(ショ糖トランスポーターの遺伝子)の発現パターンは、RSus3の発現パターンとよく一致していた。発現が強くなる時期は、胚乳デンプン蓄積期にあたるが、すでに、CWI isoform の発現は低いため、この時の子組織への養分供給はショ糖の形態であると考えられた。

ADP-グルコースピロホスホリラーゼ(AGPase)の大小サブユニットをコードする遺伝子(AGP-L1, AGP-L2, AGP-S1, AGP-S2 : Lは大サブユニットを、Sは小サブユニットをコードすることを示す)に関し、その局在性や発現時期から、AGP-L1とAGP-S2は胚乳デンプンの蓄積において機能し、AGP-L2とAGP-S1は、果皮デンプンと胚乳のデンプン蓄積の両方で機能していると考えられた。

以上本研究では、強勢穎果と弱勢穎果における登熟時のデンプン含量の違いは、胚乳の大きさと密接な関係があり、それには胚乳細胞層数だけでなく、親組織である内珠皮内層の細胞数が関係している可能性が示された。また炭水化物代謝の面から、胚乳細胞数の決定時期において、CWI isoformおよびRSus1の発現が重要であることが示された。

以上、本研究はイネ穎果の成長過程を、形態発達や炭水化物代謝関連遺伝子群の発現の面から解析したものであり、特に収量や品質に大きく影響する弱勢穎果に関し、強勢穎果との比較を通じて解析したものである。これらの知見は、栽培法や育種の面からの収量・品質向上に有益な情報を与えるものであり、学術上・応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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