学位論文要旨



No 119118
著者(漢字) 大手,学
著者(英字)
著者(カナ) オオテ,マナブ
標題(和) 変態期におけるカイコ翅原基発達の分子機構の解明
標題(洋) The molecular mechanism of wing disc development in Bombyx mori
報告番号 119118
報告番号 甲19118
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2669号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

双翅目や鱗翅目などの完全変態昆虫は、幼虫から蛹を経て成虫へと成長する。翅は幼虫体内において成虫原基として発達し、蛹化に際して急激な細胞分裂の増加、体外への外転、クチクラの分泌などの過程を経る。この過程には、エクダイソンレセプター、E75を始めとするエクダイソンカスケードに属する転写因子、そしてそれら転写因子の標的となるクチクラタンパク質などの遺伝子が関与する。これらの遺伝子は発現量を変動させることで機能を発現しているものが多い。そこで、変態期における翅発達のメカニズムの解明を目指し、完全変態昆虫であるカイコの蛹脱皮期の翅原基において発現量の変動する遺伝子を探索し機能の解析を試みた。

cDNAマイクロアレイを用いたカイコ蛹脱皮期の翅原基における遺伝子発現プロフィールの解析

実験には比較的容易かつ定量的に発現量が測定できるcDNAマイクロアレイを用いた。マイクアレイはカイコESTデータベース上の独立な4992のcDNAクローンからPCRで増幅したDNA断片をスライドガラス上にスポットして作製した。翅原基の遺伝子発現パターンの観察は幼虫最終齢の5齢4日から蛹化0日にかけての13時点で行った。それぞれのESTの発現パターンについて解析を行った結果、マイクロアレイ上の4992個のESTのうち半数以上の実験で有意な蛍光シグナルが検出されたものが1069個あり、それらをデータ解析に用いた。その内、発現量の変動しているものが687個得られた。特に蛹化直前の翅原基の外転後に発現量が変動するものが687個の半数以上を占めており、この時期にはまた、発現量の変動の幅が大きいものが多かった。蛹化直前の翅原基の外転後に発現量が増加するESTは、pupal cuticle proteinやtyrosine 3-monooxygenaseなどクチクラの形成に関わるタンパク質の他、GTP結合タンパク質SAR1Bなど細胞内の物質の輸送に関わるタンパク質をコードすると推定された。一方、変態の比較的早い時期(5齢6日目〜吐糸1日目)に発現量が増加するESTは34個同定され、そこにはnidogenなどの細胞外マトリックスの構築やacyl-CoA-binding proteinなど脂質の輸送に関わるタンパク質をコードするものが含まれていた。それより少し遅い時期(吐糸3日前後)に発現量のピークをむかえるものは24個同定され、アスパラギン合成酵素などのアミノ酸代謝酵素や、アミノ酸トランスポーターなどをコードしていた。吐糸開始後に発現量の減少するものも多数同定され、細胞外マトリックスの構築、転写、核酸の代謝、細胞周期などに関与するタンパク質に相同性の高いアミノ酸配列をコードしていた。また、mitochondrial carnitine/acylcarnitine carrier proteinなど、ミトコンドリアに存在しエネルギー生産に関わるタンパク質に相同性の高いものの発現量の増加が見られた。

エクジステロイドの体内濃度が上昇し始める吐糸0日前後では細胞外マトリックスの要素やプロテアーゼやプロテアーゼインヒビターなどをコードする遺伝子の発現量の変動が多く見られ、この時期の翅原基は細胞外の構造を再構築し、外転などのダイナミックな形態の変化に備えていることが推測された。体液中のエクジステロイド濃度のピークとほぼ同じ吐糸3日前後にアスパラギンやグルタミン酸などのアミノ酸の代謝に関連する遺伝子が活発に転写されており、これはこの時期より後の時期のエネルギー生産やクチクラの構築への準備であると思われる。蛹化直前には細胞内の物質輸送やエネルギー生産に関わると推測される遺伝子の発現量の増加も見られることから、この時期に翅原基は活発にエネルギ−を生産し、細胞外へクチクラタンパク質などの物質を輸送してクチクラを構築しているものと思われる。それ以外にもイオンや脂質の輸送に関わるα-tocopherol transfer proteinやtransferrinなど、現在までの理解では翅原基での役割を推測することが困難なEST、他のタンパク質と相同性を示さないEST、およびタンパク質をコードしない可能性があるESTの中にも発現量の変動するものが多数見いだされた。

マイクロアレイを用いたカイコ翅原基におけるエクジステロイド応答遺伝子群の探索

5齢5日目の幼虫より取り出した前翅の原基を4時間グレース培地で培養した後、エクジステロイドの一種である20-hydroxyecdysone(20E)(濃度5μg/ml)を含む培地で、または20Eを含まない培地で6時間培養し、それぞれの遺伝子発現プロフィールをマイクロアレイを用いて比較した。その結果、全3回の実験の少なくとも2回で20Eの添加により3倍以上に発現が誘導されていた遺伝子を62個、逆に1/3以下に抑制されていた遺伝子を31個、それぞれ同定した。20Eによる発現誘導がすでに知られているUrbain, BmAcer遺伝子以外に、未報告の多数の遺伝子で発現が20Eに制御されることが明らかになった。また、生体内の翅原基において、蛹脱皮期のエクジステロイドの濃度上昇と共に発現量が増加することが観察された24個のESTの内(第一章)、20Eへの反応を見た全3回の実験の少なくとも1回で2倍以上誘導されたものが21個、すべての実験で2倍以上誘導されたものが14個であった。このことは蛹脱皮期に翅原基で発現量が上昇する遺伝子のほとんどがエクジステロイドが直接翅原基に働くことにより発現制御されていることを示している。

蛹脱皮期に翅原基において発現が誘導される3つのプロテアーゼの解析

マイクロアレイを用いて変態期に発現量の変動する遺伝子を686個同定したが、それらの内、エクジステロイドの体内濃度が上昇し始める吐糸0日目前後で発現量が増加し、20Eにより発現が誘導された3つのプロテアーゼ遺伝子に注目して実験を進めた。変態期には細胞外マトリックスの構成、分解が活発に行われることが示されており、また、上記のマイクロアレイを用いた実験でも細胞外マトリックスの構成要素の発現量が変動することが観察されている。また、この時期には幼虫組織の分解も盛んで、不要となったタンパク質は再び成虫組織の構成成分として使われるためにアミノ酸へと分解される必要がある。今回同定されたプロテアーゼ遺伝子のうち2つは、ラットADAMTS(A disintegrin and metalloproteinase with thrombospondin motifs)-4およびヒトADAMTS-3とそれぞれ高い相同性を示すタンパク質をコードしていた。ADAMTSはヒト、ショウジョウバエ、線虫などで見つかっているプロテアーゼファミリーであり、細胞外マトリックスの構成員であるアグリカン、ブレビカン、プロコラーゲンの分解に関わっていることがわかっている。そのため、カイコから発見されたADAMTS様遺伝子の産物は細胞外の構造を再構築し外転などのダイナミックな形態の変化に関わっていることが推測された。もう一つのプロテアーゼはヒトのカルボキシペプチダーゼA4と高い相同性を示した。カルボキシペプチダーゼA4は、まだその機能は解明されていないが、カルボキシペプチダーゼファミリーの中では膵臓から分泌され食物の消化に働く酵素と同じサブグループに属する。今回同定されたカルボキシペプチダーゼAと相同性が高い遺伝子は、分解された幼虫組織由来のタンパク質の消化が起こっていると思われる時期に誘導されていることから、組織の崩壊への関与が考えられた。

ADAMTSファミリーと相同性の高い2つの遺伝子のコードするタンパク質はいずれもメタロプロテアーゼとしての活性に必要な亜鉛結合ドメインや、ADAMTSファミリーの多くのメンバーと同様にfurinにより切断される配列を持っていた。そこでこれらの遺伝子のコードするタンパク質をBmADAMTS-1(ESTクローンheS30795がコードする)、BmADAMTS-2(ESTクローンwdS20127がコードする)とそれぞれ名づけた。BmADAMTS-1はAcNPVをベクターとして昆虫細胞HighFiveに発現させると分泌され、細胞外マトリックスに留まっていた。ウェスタン解析の結果2つのバンドが観察されたが、これはfurinにより取り除かれるprodomainを持つものと持たないものであると、その大きさから推測された。BmADAMTS-2は他の多くのADAMTSファミリーとは異なり、thrombospondin type 1 (TSP-1)モチーフを持っていなかった。TSP-1モチーフはグリコサミノグリカンに結合する働きをもつ部位で、そのためこれを持つADAMTSは細胞外に分泌されるが細胞外マトリックスに留まる。一方、TSP-1モチーフを持たないBmADAMTS-2は、昆虫細胞で発現させた場合、BmADAMTS-1とは異なり細胞外マトリックスには留まらずに培地中へ分泌された。抗体を作製してウェスタン解析を行った結果、furinにより取り除かれると考えられるprodomainを持つものは細胞内で、持たないものは培地中で観察された。培地中では予想される大きさよりもやや多きいスメア状のバンドが見られたが、これは糖鎖の付加を受けたタイプであると思われた。

ヒトカルボキシペプチダーゼA4に相同性の高い遺伝子(wdS20048)がコードするタンパク質は、保存された活性部位、基質結合部位を持っていた。昆虫細胞で発現させたタンパク質は培地中へ分泌されたが、これはカルボキシペプチダーゼA活性を持っていることが分かった。そのため、以後このタンパク質をカイコカルボキシペプチダーゼA(BMCPA)と呼ぶことにした。BMCPAにはトリプシン活性を持つプロテアーゼによってプロセシングを受けると思われる部位があるが、この部位よりN末側のprodomainを持つタイプと持たないタイプの両方が培地中に見られた。一般的にprodomainを持たないものが活性を持つといわれているが、上記の活性を見た実験ではprodomainを持つタイプと持たないタイプのどちらが活性を持っているのかは判別することはできなかった。BMCPAの幼虫と蛹での発現を観察したところ、幼虫脱皮、蛹脱皮および成虫脱皮期の脱皮液で発現が見られた。脱皮液は脱皮期に古いクチクラと新しいクチクラの間を満たす液体で、キチナーゼなど古いクチクラを分解する酵素が含まれていることが知られている。すなわち、キチンを分解するためのキチナーゼおよびN-アセチルグルコサミダーゼ以外にいくつかのプロテアーゼが含まれていることが想像され、実際クチクラのタンパク質を分解する活性を持つ酵素が現在までに2つ単離されているが、そのアミノ酸配列はわかっていない。BMCPAは、脱皮液中に存在するプロテアーゼとしてはアミノ酸配列まで同定された初めてのタンパク質である。その働きは、脱皮期に古いクチクラに含まれるタンパク質をアミノ酸まで分解することだと推測されるが、当然カルボキシペプチダーゼのみではなく、キモトリプシンなどのタンパク質分解酵素と共に働いていると思われる。脱皮液中のタンパク質の消化は、哺乳類の膵臓から分泌されるプロテアーゼによる食物の消化の仕組みと似ており、膵臓のトリプシン、キモトリプシン、アミノペプチダーゼ、カルボキシペプチダーゼに相当する酵素があると想像される、今回同定されたBMCPA以外に、トリプシン活性、アミノペプチダーゼ活性を持つプロテアーゼが脱皮液中に存在することがわかっており、BMCPAはそれらと共にクチクラの分解を実行しているのであろう。

以上、本研究は変態期に翅原基において発現量が変動する遺伝子をマイクロアレイを用いて同定し、そのうち誘導される3つのプロテアーゼの性質、機能を組換えタンパク質等の技術を用いて解析、推定したものである。

審査要旨 要旨を表示する

完全変態昆虫の翅は、幼虫体内において成虫原基として発達し、蛹化に際して急激に細胞分裂を行い、体外への外転、クチクラの分泌などの過程を経て成長する。この過程には、エクダイソンレセプター、エクダイソンカスケードに属する転写因子、および転写因子の標的となるクチクラタンパク質などの遺伝子群が関与する。本論文は、変態期における翅発達のメカニズムの解明を目指し、完全変態昆虫であるカイコの蛹脱皮期の翅原基において発現量の変動する遺伝子群を探索し機能を解析した結果を纏めたもので、3章からなる。

カイコ蛹脱皮期の翅原基における遺伝子発現プロフィールの解析

カイコESTデータベース上の独立な4992のcDNAクローンから作製したcDNAマイクアレイを用いて、5齢4日から蛹化0日の翅原基の遺伝子発現パターンを反復観察した。その結果、有意な蛍光シグナルが検出されたEST 1069個の内、発現量が変動したものが687個得られ、その半数以上が蛹化直前の翅原基の外転期以降に発現量が大きく変動していた。

5齢6日目〜吐糸1日目に発現量が増加するESTは34個同定され、細胞外マトリックスの構築や脂質の輸送に関わるものが含まれていたことから、この時期の翅原基は細胞外の構造を再構築し、外転などのダイナミックな形態の変化に備えていることが推測された。

吐糸3日前後の体液中エクジステロイド濃度のピーク時に発現量のピークをむかえるESTは24個同定され、アミノ酸代謝酵素などをコードしていたことから、この時期以降のエネルギー生産やクチクラの構築への準備がなされていると考えられた。

翅原基の外転期以降に発現量が増加するESTの分析から、この時期の翅原基は活発にエネルギ−を生産し、細胞外へクチクラタンパク質などの物質を輸送してクチクラを構築していることが伺われた。

カイコ翅原基におけるエクジステロイド応答遺伝子群の探索

5齢5日目の幼虫より取り出した前翅の原基をグレース培地で4時間培養した後、20-hydroxyecdysone(20E)(濃度5μg/ml)を含む培地と、含まない培地で6時間培養し、それぞれの遺伝子発現プロフィールをcDNAマイクロアレイを用いて比較した。その結果、全3回の実験の2回以上で20Eの添加により3倍以上に発現が誘導されていた遺伝子を62個、逆に1/3以下に抑制されていた遺伝子を31個同定した。その解析により20Eで発現が制御される未報告の多数の遺伝子の存在を明らかにした。また、生体内の翅原基で、蛹脱皮期のエクジステロイドの濃度上昇と共に発現量が増加していた24個のESTのほとんどが、エクジステロイドの直接作用により発現制御されていることを明らかにした。

蛹脱皮期に翅原基において発現が誘導される3つのプロテアーゼの解析

変態期には細胞外マトリックスの構成と分解、および幼虫組織の分解と再利用が活発に行われる。そこで、変態期に20Eにより発現が誘導された3つのプロテアーゼ遺伝子の解析を行ったところ、2つは、ラットADAMTS(A disintegrin and metalloproteinase with thrombospondin motifs)-4およびヒトADAMTS-3とそれぞれ高い相同性を示し、もう1つはヒトのカルボキシペプチダーゼA4(CPA4)と高い相同性を示していた。これらの遺伝子のコードするタンパク質をBMADAMTS-1 、BMADAMTS-2、BMCPAと名づけ、解析を進めた。

ADAMTSはヒト、ショウジョウバエ、線虫などで見つかっているプロテアーゼファミリーで、アグリカン、ブレビカン、プロコラーゲンの分解に関わっていることから、BMADAMTSは細胞外の構造を再構築し外転などのダイナミックな形態変化に関わっていることが推測された。また、BMADAMTS-1 とBMADAMTS-2は、いずれもメタロプロテアーゼとしての活性に必要な亜鉛結合ドメインや、furinにより切断される配列を持っていた。BMADAMTS-1は、グリコサミノグリカンに結合するthrombospondin type 1 (TSP-1)モチーフを持ち、AcNPVをベクターとして昆虫細胞High Fiveに発現させると細胞外マトリックスに分泌・貯留されていた。BMADAMTS-2は他の多くのADAMTSファミリーとは異なり、TSP-1モチーフを持っていなかったため、昆虫細胞で発現させた場合、細胞外マトリックスには留まらずに培地中へ分泌された。抗体を作製してウェスタン解析を行った結果、furinにより取り除かれると考えられるprodomainを持つものは細胞内で、持たないものは培地中で観察された。

CPA4は、未だ機能が解明されていないが、食物の消化に働く酵素と同じサブグループに属していることから、BMCPAは、分解された幼虫組織由来のタンパク質の消化に関与することが考えられた。昆虫細胞で発現させたBMCPAタンパク質は培養液に分泌され、CPA活性を持っていた。生体内ではBMCPAは、幼虫脱皮、蛹脱皮および成虫脱皮期の脱皮液中に発現が見られた。BMCPAは、脱皮液中に存在するプロテアーゼとしてはアミノ酸配列まで同定された初めての例である。

以上要するに本論文は、変態期に翅原基において発現量が変動する遺伝子群を自分で作製したcDNAマイクロアレイを用いて同定し、エクジステロイドにより発現が誘導される3つのプロテアーゼの性質と機能を組換えタンパク質等の技術を用いて解析したもので、昆虫の脱皮変態期の遺伝子発現の全体像の解明と新規のプロテアーゼの発見など、学術上、応用上、有意義な知見を得ている。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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