学位論文要旨



No 119119
著者(漢字) 小原,真理
著者(英字)
著者(カナ) オバラ,マリ
標題(和) イネの葉のパターン形成機構に関する発生遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 119119
報告番号 甲19119
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2670号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

高等植物のシュートの形は,葉および枝の数,形と空間的配置により決定される.枝(側枝)は葉の腋に形成されるため,その数と配置は,葉の数と配置により規定される.従って,葉の分化パターンがシュートの形作りの重要な要因である.また,イネのように栄養成長期に節間がほとんど伸長しない草本性の植物では,葉のサイズと形によって,シュートの形態は決まってしまう.さらに,葉は発達した同化組織により光合成を営む重要な器官であるため,植物の生育にとって極めて重要な役割を果たしている.このように葉の形作りの解明は,生物学的にも農学的にも重要な課題である.

本研究では,イネの葉における中央−葉縁軸および向軸−背軸に沿ったパターン形成について解析し,さらに,葉のパターン形成の異常を示す変異体の同定,解析を行った.

野生型イネの葉のパターン形成

3次元構造を持つ葉は,基部−先端軸,中央−葉縁軸,向軸−背軸に沿ったパターン形成を行う.一般的に葉は左右相称な構造をもっており,左右性について調べられたことは少ない.葉身は中央部にある中肋を軸に左右相称に見えるが,イネ品種台中65号の葉身の左右の幅を計測した結果,広狭のあることが確認された.葉身の左右の幅の広狭は,葉位により規則的に変化し,重なり合った葉縁の内側にある方の幅が常に広くなる.このことは,茎頂分裂組織(SAM)の片側に沿って伸長した葉片が内側になり,幅が広くなることを示している.そこで,葉原基の発生様式を調べたところ,SAM上で1つの葉原基の左右の分化位置は異なっており,相対的に高い位置から分化した方が内側になっていた.次に,SAMの未分化な細胞で発現するOSH1遺伝子の発現を調べた結果,SAM上での葉の始原細胞の高さにも左右で違いが見られた.従って,イネの葉は規則的な左右非相称性を示し,それはSAMの左右非相称性に由来するものと考えられる.

次に,イネの葉の向背軸に沿ったパターン形成について解析を行った.イネは,多くの植物と同様に,葉の向背軸(背腹)の極性を示す.葉鞘の背軸側表皮には多くの毛が形成されるのに対し,向軸側表皮は滑らかで毛がない.葉身の表面構造は向背軸面で区別できないが,横断切片にすると向軸側表皮に特異的に大型の機動細胞が分化しており,背軸側表皮と区別される.しかし,内部の葉肉組織の向背軸に沿った形態的な分化は明らかでなかった.葉肉組織における向背軸性を明らかにするため,葉色を指標にスクリーニングを行い,葉身の向軸側は薄緑になり,背軸側は正常な緑色となる変異体adaxial snowy leaf(ads)を同定した.ADS遺伝子は第7染色体にマップされた.ads変異体は,葉色の他には異常を示さなかったことから,ADSは葉色にのみ働く遺伝子である考えられる.ads変異体の葉肉組織には緑色細胞とともに多くのアルビノ細胞が混在していた.アルビノ細胞は,葉肉組織が3層からなる部分では向軸側の1層に,5〜6層からなる部分では向軸側の3層に限定して分布しており,それより背軸側の葉肉組織にアルビノ細胞は認められなかった.ads変異体におけるアルビノ細胞の向軸側に特異的な分布は,イネの葉肉組織にも向背軸の極性が存在すること,それぞれが独自の遺伝的制御を受けていること,さらに向背軸の境界は厳密に決められていることを示している.興味深いことに,ads変異体の葉の中央−葉縁方向の両端の維管束より外側の葉肉組織には,アルビノ細胞が分布していなかった.この領域は向背軸の極性を持たないと考えられる.葉は中央−葉縁軸に沿って中央部・側方部・葉縁部の3つの領域から成り立っていると考えられているが,側方部と葉縁部の境界は曖昧にされてきた.ads変異体の表現型から,中央−葉縁方向の両端にある葉肉組織は他と異なるアイデンティティーを持ち,この領域を葉縁と呼ぶのが適当であると思われる.

葉の向軸−背軸パターン形成を制御するADAXIALIZED LEAF遺伝子の解析

イネ品種台中65号の受精卵にMNUを処理したM2集団を展開した.向軸側に特異的に分化する機動細胞が関わるとされている葉身の巻き方を指標にスクリーニングを行い,2遺伝子座に由来する劣性変異体を3系統,adaxialized leaf 1-1 (adl1-1),adl1-2,adl2,を同定した.なお,ADL1遺伝子は第2染色体にマップされた.これら3系統はほぼ同じ表現型を示した.変異体の葉は,野生型とは反対に背軸側を内側にして巻いており,向軸側表皮に特異的に形成される機動細胞が背軸側表皮にも分化していた.従って,これらのadl変異体では背軸側の表皮組織が向軸側化していることがわかった.次に,葉肉組織における向背軸パターンを明らかにするために,葉身の向軸側葉肉組織だけにアルビノ細胞が分化するads変異体との二重変異体を作成した.二重変異体の葉肉組織には,向軸側だけでなく背軸側にもアルビノ細胞が見られ,背軸側に向軸側の葉肉組織が分布したと考えられる.従って,adl変異体は,葉の背軸側領域にまで向軸側領域が広がったものと考えられる.

葉のパターン形成は,SAMからの強い影響を受けて進行すると考えられているため,adl変異体の葉原基分化位置を調べた.adl1,adl2変異体いずれも,葉原基の分化位置が野生型よりSAMの先端側にあった.また,葉の始原細胞の位置を,OSH1遺伝子の発現抑制をマーカーに調べたところ,やはりSAMの先端側であった.以上の結果は,SAM上の葉原基分化位置が葉の向背軸パターンの形成に重要であることを示唆している.

adl1 adl2二重変異体は,adl1変異体あるいはadl2変異体と区別のつかない表現型を示した.従って,ADL1遺伝子とADL2遺伝子は同じ経路で機能していると考えられる.

葉の中央−葉縁パターン形成を制御するLEAF LATERAL SYMMETRY 1遺伝子の解析

葉は,3次元軸に沿って遺伝的に制御されたパターン形成を行うが,中央−葉縁軸に関してはほとんど明らかにされていない.その理由の1つとして,同定された中央−葉縁軸に関わる変異体の数の少なさが挙げられる.そこで,イネ品種日本晴にγ線を処理したM2集団の中から,左右非対称な葉を分化する変異体をスクリーニングしたところ,1系統同定でき,その表現型から,leaf lateral symmetry 1 (lsy1)と名付けた.lsy1変異体の分化する葉は主に2つのタイプに分けられた.第1タイプは最も多く出現するもので,葉の幅が野生型の半分程度まで狭くなっていた.その原因は中肋に区切られた左右のうち片側半分が欠損しているためであった.第2タイプの葉は,幅が野生型よりやや広く,葉身の先端が2又に分かれていた.また,野生型では水平に形成される葉身−葉鞘境界が斜めにずれて,葉身−葉鞘境界が高い位置にある葉片の方がもう一方よりも長く伸長していた.また,それぞれの葉片の先端に通じる中央の葉脈は太く,中肋の形態を持っていた.第2タイプの葉は,それぞれ一枚の葉としてのアイデンティティーを持つ2つの葉片から成り立っているように思われた.

葉原基の発生過程を観察したところ,左右どちらかの領域が欠損し,半分の幅しか持たない葉原基が見られた.これは第1タイプの葉になると考えられる.また,将来中肋となる頂点を1つではなく,2つ持つ葉原基が観察された.1つは本来の中肋の位置にあり,もう1つは片側の葉片に異所的に形成されていた.この葉原基の片側領域は1つの葉としてのアイデンティティーを獲得したと解釈できる.この葉原基の発生が進むと,将来第2タイプのような,中肋を2つ持つ葉に成長すると予想される.lsy1変異体はこれら2つのタイプに分類できないような葉も低頻度で分化した.葉身の片側だけが波打っている葉は,葉身の左右で成長速度が異なったためと考えられる.また,片側だけえぐれている葉,背軸側同士が癒着している葉なども見られた.このように,lsy1変異体が分化する異常な葉の形態は様々であったが,全ての表現型には葉の左右相称性の異常という共通性があり,形態的な異常は葉の片側に限定されるという点で,非常に興味深い.葉序に関しては,ほぼ正常であったが,片側を欠失した幅の狭い葉原基の次に分化する葉原基は,180度より狭い開度で分化していた.lsy1変異体のSAMは野生型に比べ,大きいものや細長いものなどが観察され,SAMの大きさや形の多様性が葉の表現型の変異に関連していると思われる.

花器官は葉が変形したものであると考えられている.lsy1変異体の穎花は野生型と大きく異なる外観を呈していた.内穎は非常に細く,片側半分しかないものや左右2つに分かれ,またそれぞれが細くなっているものなどが見られた.また雌蕊の異常は著しく,未発達な心皮から肥大した胚嚢形成の途中で発生を停止した胚珠が突出していた.

このように,野生型では,葉に左右相称性を与える遺伝的制御機構が存在し,LSY1遺伝子は左右の成長を同調させる重要な機能を果たしていると考えられる.

以上,本研究は,野生型イネの葉の中央−葉縁軸および向背軸に沿ったパターン形成の実態を明らかにするとともに,それぞれのパターン形成の鍵となる遺伝子を同定し,その機能を明らかにしたものである.

審査要旨 要旨を表示する

高等植物のシュートの形は,葉およびその腋に形成される枝の空間的配置により決定される.従って,葉の分化パターンがシュートの形作りの重要な要因である.本研究は,イネの葉における中央-葉縁軸および向軸-背軸に沿ったパターン形成について解析し,さらに,葉のパターン形成の異常を示す変異体の同定、解析を行ったものである.本論文は3章から構成される.

野生型イネの葉のパターン形成

3次元構造を持つ葉は,基部-先端軸,中央-葉縁軸,向軸-背軸に沿ったパターン形成を行う.葉身は中央部にある中肋を軸に左右相称に見えるが,イネの葉身の左右の幅は規則的に変化し,重なり合った葉縁の内側にある方の幅が常に広かった.葉原基の発生様式を調べたところ,茎頂分裂組織 (SAM) 上で1つの葉原基の左右の分化位置は異なっており,相対的に高い位置から分化した方が内側になっていた.SAM の未分化な細胞で発現する OSH1 遺伝子の発現を調べ,SAM 上での葉の始原細胞の高さも左右で違うことを示し,葉の左右非相称性は SAM の左右非相称性に由来するものであることを明らかにした.

次に,向背軸に沿ったパターン形成について解析した.葉身の向軸側表皮は特異的な機動細胞の分化により,背軸側表皮と区別される.しかし,葉肉組織の向背軸性は明らかでなかった.そこで,葉身の向軸側は薄緑になり,背軸側は緑色となる変異体 adaxial snowy leaf (ads) を同定した.ads 変異体の向軸側の葉肉組織には多くのアルどノ細胞が混在していたが,背軸側の葉肉組織にはアルビノ細胞は認められなかった.ads 変異体におけるアルビノ細胞の向軸側に特異的な分布は,イネの葉肉組織にも向背軸の極性が存在することを示している.

葉の向軸-背軸パターン形成を制御する ADAXIALIZED LEAF 遺伝子の解析

イネ品種台中65号の受精卵に MNU 処理した M2 集団から,葉身の巻き方を指標にスクリーニングを行い,2遺伝子座に由来する adaxialized leaf 1-1 (adl1-1), adl1-2, adl2 変異体を同定した.これら3系統はほぼ同じ表現型を示した.変異体の葉では向軸側表皮に特異的に形成される機動細胞が背軸側表皮にも分化していた.従って,これらの adl 変異体では背軸側の表皮組織が向軸側化していることがわかった.次に,葉肉組織における向背軸パターンを明らかにするために,向軸側葉肉組織だけにアルビノ細胞が分化する ads 変異体との二重変異体を作成した.二重変異体の葉肉組織には,向軸側だけでなく背軸側にもアルビノ細胞が見られた.従って,adl 変異体は,葉の向軸側領域が背軸側領域にまで広がったものと考えられる.

adl 変異体の葉原基分化位置を調べたところ,adl1, adl2 変異体いずれも,葉原基の分化位置が野生型より SAM の先端側にあった.また,葉始原細胞で発現が抑制される OSH1 遺伝子の発現を調べたところ,やはり SAM の先端側で発現が抑制されていた.以上の結果は,SAM 上の葉原基分化位置が葉の向背軸パターンの形成に重要であることを示唆している.

葉の中央-葉縁パターン形成を制御する LEAF LATERAL SYMMETRY 1遺伝子の解析

次に、これまでほとんど明らかにされていない中央-葉縁軸のパターン形成を解析するために,品種日本晴にγ線を処理した M2 集団の中から,左右非相称な葉を分化する変異体 leaf lateral symmetry 1 (lsy1) を同定した.lsy1 変異体の葉は主に2つのタイプに分けられた.第1タイプは左右の葉片のうち片側半分が欠損し,幅の狭い葉である.このタイプの葉原基は P2, 3 の段階で片側領域を欠損していた.第2タイプの葉は,幅が野生型よりやや広く,葉身の先端が2又に分かれ,それぞれの葉片には中肋が存在していた.このタイプの葉の P2 葉原基では将来中肋となる頂点が,本来の位置だけでなく,片側の葉片にも異所的に形成され,この葉原基の片側領域は1つの葉としてのアイデンティティーを獲得したと考えられた.これら2つのタイプに分類できないような葉も低頻度で分化したが,いずれも葉の左右相称性の異常という共通性を示した.

このように,野生型では,葉に左右相称性を与える遺伝的制御機構が存在し,LSY1遺伝子は左右の発生を同調させる重要な機能を果たしていると考えられる.

以上、本研究は,野生型イネの葉の中央-葉縁軸および向背軸に沿ったパターン形成の実態を明らかにするとともに,それぞれのパターン形成の鍵となる遺伝子を同定し、その機能を明らかにしたものであり,学術上、応用上価値が高い.よって,審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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