学位論文要旨



No 119124
著者(漢字) 岡,努
著者(英字)
著者(カナ) オカ,ツトム
標題(和) イノシトールリン脂質結合タンパク質 Def-6 によるアクチン細胞骨格の制御
標題(洋)
報告番号 119124
報告番号 甲19124
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2675号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 小西,博昭
内容要旨 要旨を表示する

序論

生命活動を営む上で、生物は周りの環境変化に適応しなくてはならない。このとき、1つ1つの細胞が周囲の環境に合った適切な細胞応答をする必要があり、この役割を果たす役者として多くのシグナル伝達因子が研究されている。イノシトールリン脂質は重要な二次メッセンジャーであり、細胞膜に普遍的に存在するリン脂質で、イノシトール環のリン酸基がリン酸化、脱リン酸化を受けて標的タンパク質と結合し、シグナルを伝えている。イノシトール環は3、4、5位がリン酸化されることが知られており、そのすべての組み合わせ (23=8通り) の化合物が生体内で見られている。これらの中で3つともリン酸化されたものが phosphatidylinositol trisphosphate (PIP3)である。PIP3は phosphatidylinositol-3 kinase (PI3K)によって、phosphatidylinositol 4,5-P2 (PI-4,5-P2)から産生される。細胞内のPIP3の存在量はごくわずかであるが、増殖因子 (EGF、NGF、Insulin など) で刺激すると、 一過的にそのレベルが上昇し、多岐に渡るシグナル伝達に関与していることが示されてきた。

我々の研究室では、PIP3結合タンパク質を網羅的に同定し、その機能の解析を進めてきた。PIP3結合タンパク質の1つDef-6は血球系細胞の分化に伴い down-regulation を受ける遺伝子として取られ、N末にカルシウムと結合するモチーフとされるEF-hand motif を、中央部に pleckstrin homology (PH) domain を有する全長632アミノ酸からなるタンパク質である。Def-6の PH domain に変異を入れた mutant はPIP3アナログビーズと結合できなかったため、PH domain を介してPIP3と結合することが示唆された。またDef-6の発現部位は血球系で特に高いものの、多くの組織において普遍的に発現している。Def-6の機能については未知の部分が多かったが、Def-6とアミノ酸配列で45.3%のホモロジーを示すSWAP-70は当研究室でよく解析されており、PIP3と結合すること、増殖因子刺激に伴いPIP3依存的にラッフリング膜に移行すること、低分子量Gタンパク質 Rho family のメンバーである Rac1 の下流因子 (effector) であることなどが示されていた。Def-6とSWAP-70はN末の相同性は高いものの、中央部〜C末 (315〜632a.a.) の相同性は34.2%と低く、Def-6とSWAP-70が違う働きをしているのではないかと考えた。

本研究はDef-6の機能を解析し、多細胞生物の外界からの刺激に応答するメカニズムの一端を明らかにすることを目的とした。

Def-6は低分子量Gタンパク質 Rac1 の effector protein である

Gタンパク質はGTPまたはGDPと結合して存在し、GTP型(活性型)とGDP型(不活性型)を行き来することによって活性が調節され、その下流因子はGTP型と結合することによって活性化されシグナルを伝えている。Gタンパク質はいくつかのファミリーに分類され、よく研究されているものの1つに Rho family がある。この family はアクチン細胞骨格系、遺伝子発現、細胞周期、細胞の生存と死など広範囲の細胞応答を制御していることが知られている。

これまでに他の研究室から、Def-6は低分子量Gタンパク質であるRac1及びCdc42の guanine nucleotide exchange factor (GEF)であるという報告がなされた。しかし、私の実験ではそのようなことを支持する結果は得られなかった。またRac1の dominant active 変異体とGFP- Def-6を共発現させたところ、COS-7細胞の形態が大きく変化した。もしDef-6がRac1の上流に位置するのならば、Rac1 dominant active 変異体の効果以上の表現型を呈するのは不自然なので、Def-6はRac1の上流因子ではなく、下流因子として働いているのではないかと考えられた。そこでGFP-Def-6の生化学的性質を解析したところ、Def-6はRac1のGTP型と特異的に結合し、GDP型や nucleotide free 型とは結合せず、同じ Rho family のメンバーであるCdc42、RhoAとも結合しなかった。また、Def-6がRac1の下流因子であることを確かめるために、Rac1の標的因子が結合する effector region (amino acids 26〜45)に点変異を導入したものとDef-6との結合能力を解析した。いくつかのRac1変異体はDef-6と結合できず、これと同時に細胞を変形させる活性も失っていた。さらにDef-6の様々な deletion とRac1との結合能の関係を調べたところ、1〜40a.a.と400a.a.付近の両方が必要であることが分かり、Rac1と結合できないDef-6も細胞を変形させる活性を失っていた。これらの結果から、Def-6はRac1の下流因子であることが強く示唆された。

Def-6の in vivo における役割の解析

Rac1の関与するシグナルは、膜ラッフリング(ラメリポディア)を形成することと、c-jun N-terminal kinase (JNK)を活性化してアポトーシスを誘導するという2つの特徴がよく研究されている。Def-6の誘導する細胞の形態変化は、極端な膜ラッフリングの結果であること、またはアポトーシスで細胞が死んでいく過程であることの2つの可能性が考えられた。これを検証するために Time lapse による観察を行ったところ、Rac1 dominant active 変異体とGFP- Def-6を共発現させたときのCOS-7細胞の形態変化は可逆的で、速やかに移行することがわかり、Def-6はアクチン細胞骨格を制御することが示唆された。またSWAP-70もRac1の下流因子であるが、Def-6のように細胞を変形させる活性は認められないので、Def-6はRac1の下流でSWAP-70とは違ったシグナル伝達に関与している可能性が高いと考え、実際に in vivo でどのような表現型を示すのか検討した。COS-7細胞をEGFで刺激したところ、GFPを過剰発現した control は50%程度の細胞がラッフリングをしていたのに対して、GFP-Def-6を過剰発現させた細胞の90%以上にラッフリング形成が観察され、細かい突起状の膜の形態が目立ち、ラメリポディアというよりむしろフィロポディアに近いという特徴があった。一方、SWAP-70が誘導するラッフリングは細胞膜が大きくめくれ上がるという典型的なラメリポディア様形態を示し、SWAP-70はラッフリング膜のアクチンと共局在するという違いがあった。

Rac1やCdc42の下流因子でアクチンと結合するものとして、WASP family がよく知られている。この family 内でよく保存されたアクチン結合領域とDef-6の配列を比較したところ、相同性の高い部位がDef-6にも存在することが分かった。in vivo においてDef-6とアクチンの共局在が観察されたので、in vitro でもDef-6とアクチンの結合が検出できるか検討した。His-Def-6 (314〜407a.a.)を精製し、F-アクチンとの共沈実験を行ったところ、Def-6は直接アクチンと結合できることが示された。SWAP-70もDef-6と対応する部位でアクチンと結合し、さらにC末にも明確なアクチン結合配列を持っている。Def-6は、これに対応するC末のアクチン結合配列を持たず、この差がDef-6とSWAP-70の機能の違いを生み出している可能性が高い。

まとめ

本研究において、Def-6は活性型Rac1とアクチンの両者に結合可能であることが示され、増殖因子からの刺激を橋渡しするシグナル伝達因子であると考えられる。SWAP-70も同様にRac1とアクチン両方に結合できる。しかし、Rac1の dominant active 変異体と共発現させたときの細胞の形の変化、EGFで刺激したときの局在やラッフリングの様子など、Def-6とSWAP-70が異なる表現型を示すことも観察された。つまり、Rac1のシグナルを受け取るという入力シグナルは同じであるが、出力は似て非なるものであり、Def-6とSWAP-70がアクチン細胞骨格を協調して制御している可能性が高いと思われる。

本研究が生体内における細胞の方向性を持った移動機構を解明する一端を担うことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

Phosphatidylinositol 3-kinase (PI3K) は細胞外からの増殖因子や分化因子により活性化されるリン脂質キナーゼで、細胞内情報伝達因子の一つである。このPI3Kは、細胞内においてphosphatidylinositol 4,5-bisphosphate (PI 4,5-P2) を基質とし、そのD-3位をリン酸化することによりPI 3,4,5-P3 (PIP3)を産生する。生成したPIP3は更にセカンドメッセンジャーとして働き、下流因子へと細胞外からのシグナルを伝えるものと考えられている。また、Rhoファミリーは低分子量Gタンパク質の一種であり、GEFによって活性化されたGTP型は標的タンパク質と結合し、下流にシグナルを伝え、アクチン細胞骨格系、細胞の生存と死、遺伝子発現など広範囲の細胞応答を制御していることが知られている。PIP3結合タンパク質Def-6がRhoファミリーのメンバーであるRac1、Cdc42の上流に位置しGEF 活性を持つという報告がなされていたが、本論文はこれに反論している。さらにDef-6の機能を解析し、多細胞生物の外界からの刺激に応答するメカニズムの一端を明らかにすることを目的としている。

まず、Rac1およびCdc42のGTP型と特異的に結合すると言われるPAK1-CRIB domainのGST融合タンパク質によるpull down assayを行なったが、Def-6がRac1-GTPとCdc42-GTPの量を増加させることはなかった。そこで、Def-6がどのような状態のRac1と結合するのかをin vitroの系で解析したところ、Def-6はGTP型と特異的に結合し、GDP型やnucleotide free型との結合は検出されなかった。この結合はGTP型Rac1特異的であり、RhoAやCdc42とは結合しなかった。また、Def-6をRac1の活性型変異体と共発現させるとCOS-7細胞の形態が大きくくびれることが観察され、この活性はRac1との結合能とよく相関していることを明らかにした。続いて、Rac1の標的因子が結合するとされる部位に点変異を導入した変異Rac1とDef-6との結合を解析した結果、ある変異体はDef-6との結合能を失っていることが示された。これらの結果より、Def-6はRac1の下流因子として、シグナル伝達に関与していることが強く示唆された。

次にDef-6と45.3%の相同性を示すタンパク質SWAP-70との比較を中心に、Def-6のin vivoにおける役割をCOS-7細胞において解析している。SWAP-70はEGF刺激の前後でその局在を大きく変え、ラッフリング膜へと速やかに移行し、ラッフリング膜上のアクチンと共局在するが、Def-6は細胞膜のやや内側のアクチンと共に存在し、EGF刺激後もDef-6の局在に大きな変化はないことが示された。また、Def-6を発現した細胞には細かい突起状の膜の形態が目立ち、細胞表面に細かい隆起が観察され、Def-6はその隆起した場所に局在するというSWAP-70にはない特徴が観察された。続いて、EGF刺激によってラッフリングを形成するCOS-7細胞をカウントしたところ、コントロールと比較してGFP-Def6を発現した細胞はラッフリングを形成する割合が高いことを明らかにした。このDef-6のラッフリング形成促進能はGTP型Rac1結合能と非常に高い相関関係にあり、活性化したRac1からDef-6、そしてラッフリングという順序でシグナルが伝わっていくことが示唆された。

最後にDef-6とF-アクチンとの結合を解析した。In vitroにおいてDef-6とF-アクチンの結合が検出され、さらにin vivo においても活性型Rac1存在下では、非存在下と比べてDef-6とF-アクチンの共局在が顕著になることが観察された。このことから、Def-6の上流には活性化したRac1、下流にはF-アクチンが存在する可能性が高いと考えられ、Def-6はRac1とF-アクチンをつなぐシグナル伝達因子であることが示唆された。

以上、本論文は細胞の運動性形態に関与すると思われるDef-6の構造と機能を解析し、細胞運動形態の研究に一つの新しい視野を開いている。細胞運動は癌の転位などとも深い関係があることが示されているので本研究は臨床の応用にもつながると考えられる。以上のことから、本論文は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク