学位論文要旨



No 119125
著者(漢字) 川畑,順子
著者(英字)
著者(カナ) カワバタ,ユキコ
標題(和) 骨格筋特異的カルパインp94及びスプライスバリアントの機能解析
標題(洋)
報告番号 119125
報告番号 甲19125
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2676号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

カルパインは、ある種の細菌から哺乳類の広い生物種に存在する、Ca2+によって活性化されるシステインプロテアーゼである。外界からの刺激に対応して細胞内のタンパク質を限定分解し、その機能を調節する「モジュレータープロテアーゼ」であると考えられている。カルパイン分子の活性異常によって引き起こされる疾病として筋ジストロフィー、神経変成、腫瘍形成が報告されているが、生物学的な生理機能や具体的な基質分子に関しては未解明の点が多い。

代表的なカルパイン、m-、μ-カルパインは、組織普遍的に存在し、固有の大サブユニットと共通の小サブユニット30Kのヘテロダイマーからなる。大サブユニットは四つのドメインから構成され、自己活性制御を担う第一ドメイン、触媒部位である第二ドメイン、Ca2+による活性の調節を担うドメインとして、C2ドメイン様構造の第三ドメイン、及びEFハンドモチーフを有する第四ドメインと、それぞれの機能が予測されている。

ヒトには14種のカルパイン様プロテアーゼをコードする遺伝子が存在する。それらの主要遺伝子産物は、全長に渡りm-、μ-カルパインと相同性の高い分子種 (typical calpain) と、活性ドメインはよく保存されているものの、それ以外のドメインには様々なモチーフを有する分子種 (atypical calpain) に大別される(図)。 また、各分子が異なる発現様式を示すことから、それぞれの発現場所において特異的な機能と役割を発揮することで生体機能を制御していることが予想される。個々の分子種の生理的役割を解明することは、生体を維持するのに必須である「カルパインシステム」の全貌を理解することに大きく寄与する。さらに、組織特異的に発現するカルパインの解析は、組織の特徴に特化した解析を可能にし、機能や性質をより明確に記述できる利点がある。以上を鑑み、本研究は哺乳類の骨格筋特異的に発現するカルパインp94について、その生理機能の解明に主眼を置いて行った。

p94(カルパイン3)は、骨格筋に特異的に発現する分子量約94kDaのカルパインである。組織普遍的カルパイン、m-、μ-カルパインの大サブユニットと相同性が高い4つのドメインからなるが、独自の3つの挿入配列、NS、IS1、IS2を有しており、小サブユニット30Kを必要とせずに活性を示す。挿入配列部分の切断から始まる非常に強い自己消化活性能を有し、その活性は一見Ca2+非依存的で、in vitroでは半減期10分以下で消失してしまうため生化学的解析は困難である。骨格筋内では、IS2領域を介して巨大弾性タンパク質コネクチン(タイチン)と結合することで安定に存在し、機能すると考えられている。具体的な生理機能は他のカルパイン同様不明な点が多いが、p94は肢帯型筋ジストロフィー2A型(LGMD2A)の責任遺伝子産物であることが明らかになっている。患者に見られる遺伝子変異は多岐に渡り、遺伝子全長において100種類以上の変異箇所が見つかっているが、いくつかの変異型p94で共通して失われている性質は基質切断活性であった。さらに、プロテアーゼ活性のみを失ったp94不活性型変異体を発現させたトランスジェニックマウスも、myopathy症状を呈した(文献1)ことから、p94のプロテアーゼ活性が骨格筋の正常な機能維持に必須であることが示された。

p94遺伝子は、いくつかのスプライスバリアントを生成することが知られている。骨格筋の発達段階で数種類のバリアントが発現する他、齧歯類などでは異なるプロモーターを使用するバリアントLp82が存在する。Lp82はレンズ特異的に発現するカルパインで、p94の挿入配列がほぼスプライスアウトされた構造、すなわちm-、μ-カルパインの大サブユニットとより相同性の高い構造を有している。レンズの発生段階、白内障の進行に関わる機能を持つと考えられているが、ヒトでは発現していない。

本研究では、このように興味深い性質を示すp94の生理機能を明確にするために、極めて有用なツールとなる遺伝子改変マウスの作成、及びp94遺伝子の特徴ともいえる多岐のスプライスバリアントに関してさらなる解析を行った。その結果、目的の遺伝子改変マウスの作出に成功し、その過程で使用した遺伝子改変ES細胞を用いることで、筋初期発生におけるp94の機能を解析した。また、ヒトとマウスで共通のプロモーター領域から発現する新たなp94スプライスバリアントの構造を決定し、その性質について検討した(文献2)。

遺伝子改変マウスの作出

p94の基質切断活性に特化した解析を行うことを目指し、活性中心CysをSerに置換した、プロテアーゼ不活性型変異体のみを発現するノックインマウスの作出を行った。このマウスを用いることで、p94活性の欠失による他タンパク質の挙動の変化(基質の蓄積や、影響を受ける分子の網羅的解析など)、p94の存在様式、さらにはLGMD2Aの発症機序の分子レベルの解明といった解析が可能となる。

マウスES細胞に、CysをSerに置換させた活性中心部の配列を含むターゲティングベクターを導入し、相同組換え体を単離した。組換えES細胞をマウスの胚へ導入して得たキメラ体を経て、目的とした遺伝子改変マウスの系を作出した。現在、ヘテロ間交配、バッククロス、及び導入時の挿入配列(ネオマイシン耐性遺伝子)を除去するためのCre発現マウスとの掛け合わせを同時に行い、実際の解析の試料となるマウスを揃えている。既にヘテロ間交配からはホモマウスも得られており、外見上は野生型と同等に生育している。

組換えES細胞を用いた解析

マウスの作出と並行して、in vitro でES細胞を各種筋細胞に分化誘導する系を利用し、筋細胞発生の初期段階におけるp94の機能の解析を行った。まず、マウス作成に用いた組換えES細胞を、ジェネティシンの濃度を徐々に上げる条件下で培養し、両アリルとも不活性型p94をコードするホモ接合体ES細胞を単離した。in vitro にて筋細胞へ分化させたところ、野生型、ホモ体どちらの細胞も心筋、平滑筋、骨格筋を形成し、分化の時期や筋細胞種の割合において差は見られなかった。この結果は、p94の活性が骨格筋の初期発生には必ずしも必要ではなく、成熟骨格筋において機能していることを示すもので、LGMD2Aが骨格筋の発達がある程度完了してから発症することと一致すると考えられる。次いで、分化過程でのp94転写産物量をリアルタイムPCRで測定したところ、ホモ変異体では細胞が融合を開始するころに野生型に比してp94転写産物量が優位に増加しており、p94が自身の活性を負に制御するフィードバック機構が存在することが示唆された。

新規スプライスバリアントの同定

p94のスプライスバリアントは、幼若骨格筋やレンズなどで存在が知られている。最近、C/EBPα欠失マウスにおいて顆粒球分化が阻害され、その際 cyclinA の切断が抑制されているという興味深い現象が報告された。この切断に関与し得るプロテアーゼを探索した結果、血球幹細胞で発現するp94スプライスバリアントの存在が強く示唆された。そこで、マウスの血球系培養細胞であるMEL (murine erythroleukemia) 細胞のRNAを用いて RT-PCR を行ったところ、p94遺伝子由来の増幅産物が検出されたため、さらに 5'RACE を行い上流の配列を決定した。得られた配列はp94ともLp82とも異なる新規の第一エクソンから開始されており、骨格筋・レンズでの発現と異なる転写調節を受けるプロモーターからの転写産物であることが明らかとなった。

さらに興味深いことに、新規の上流部分は、ゲノム上でp94遺伝子の上流に位置する neutral α-glucosidase C の最後の4エクソンとオーバーラップしており、エクソン-イントロン構造も同一であった。しかし、コドンの読み枠は異なり翻訳産物での相同部分は存在しない。ESTデータベース検索、及びcDNAのクローニングにより、ヒトにおいても同様の転写産物が存在することが判明し、この構造が生物種間で保存されていることが明らかになった。新たに同定した一次構造を有する遺伝子産物の発現様式を、マウス、ヒトの各組織から得た cDNA を鋳型とした RT-PCR を行い検討したところ、用いた全ての組織から増幅産物が検出され、新規のスプライスバリアントが普遍的に発現することが示された。新規の上流部位から翻訳されるドメインIには、他のカルパインとの相同性や、モチーフは見出されなかった。

ヒト、マウス双方のスプライスバリアントの全長の構造を調べた結果、ヒトではエクソン15(IS2の一部)が、マウスはエクソン6、15、16(IS1及びIS2)がそれぞれスプライスアウトされていた。予想される翻訳産物の大きさはそれぞれ84kDa、76kDaであることから、hUp84、mUp76と名付けた。両遺伝子をCOS7細胞に発現させたところ、野生型とプロテーゼ不活性型変異体は同程度の発現量を示し、新規のドメインIはp94のNSとは異なり自己消化を抑制する機能を持つことが示唆された。

前述のように、齧歯類のレンズ特異的なバリアント Lp82 は、ヒトでは相同の配列部分に終始コドンが入っており発現しない。ヒトレンズ上皮細胞由来の培養細胞株 SRA01/04 から抽出した RNA を鋳型として RT-PCR を行ったところ、hUp84由来の増幅産物が検出された。一方、マウス眼の RNA からは Lp82 の増幅は顕著に見られたが、mUp76の増幅は起こらなかった。このことから、ヒトではLp82に代わってhUp84がレンズの発生や白内障の進行に関与している可能性が示唆された。

以上の結果から、p94遺伝子が骨格筋のみならず血球系などの他の器官で機能していることが明らかとなり、他の組織普遍的カルパインと協同して生理機能に関わっている可能性が示された。今回作出した遺伝子改変マウスの系は、p94の生理機能の解析と筋ジストロフィーの治療法開発に有用であり、さらにカルパイン分子種の機能の統合的な理解にも大きく貢献できると考えられる。今後はノックインマウスを用いて、今回見出した新規スプライスバリアントの生理機能も含め、p94の生体での役割を明確にし、カルパインシステム全貌の理解に近づきたい。

哺乳類カルパインファミリーメンバーの構造模式図

Tagawa K et al. Hum Mol Genet. 9(9): 1393-402. (2000)Kawabata Y, et al. FEBS lett. 555(3): 623-30. (2003)
審査要旨 要旨を表示する

カルパインは、ある種の細菌から哺乳類の広い生物種に存在する、Ca2+によって活性化されるシステインプロテアーゼである。外界からの刺激に対応して細胞内のタンパク質を限定分解し、その機能を調節する「モジュレータープロテアーゼ」であると考えられ、カルパイン分子の活性異常によって引き起こされる疾病として筋ジストロフィー、神経変成、腫瘍形成が報告されているが、生物学的な生理機能や具体的な基質分子に関しては未解明の点が多い。

本論文では、疾患との関連性が明らかなカルパイン分子、すなわち肢帯型筋ジストロフィー2A型 (LGMD2A) の責任遺伝子産物である骨格筋特異的カルパインp94(カルパイン3)に着目し、その性質と機能の解析を行った。

序論では、これまでに解明されたp94の生化学的性質、及び LGMD2A との関連について概説した。

第一章では、p94の解析に最適なモデル動物の系、p94:C129S ノックインマウスの作成を行った。LGMD2A 患者で見られるp94遺伝子変異は100種類以上に及ぶが、いくつかの変異体に共通した性質は基質切断活性であり、p94のプロテアーゼ活性の欠失が LGMD2A 発症の要因となると考えられている。骨格筋の機能維持に必須なp94の機能を分子レベルで明らかにし、LGMD2A の発症機序を解析することを目的とし、p94不活性型変異体 p94:C129S のみを発現するノックインマウスの設計、作成を行った。その結果、目的のマウスの系を確立することに成功した。

第二章では、ES細胞の in vitro 分化系を用いて筋細胞発生の初期段階におけるp94の機能を解析した。不活性型変異体 p94:C129S のみを発現するホモ接合体ES細胞を作成し、ハンギングドロップ法で各種筋細胞へ分化させ、その過程を野生型ES細胞と比較した。両者とも心筋、平滑筋、骨格筋細胞を形成し、分化の時期や筋細胞種の割合などに相違は認められず、p94の活性が骨格筋の初期発生には必ずしも必要ではなく、成熟骨格筋において重要な働きを持つことが示された。このことは、分化過程のES細胞におけるp94遺伝子転写産物量を定量した結果、細胞同士が融合し、骨格筋特有の多核の筋管細胞が形成される時期からp94遺伝子の転写量が増加することからも支持された。また、この時期に p94:C129S のみを発現する細胞では野生型よりもp94遺伝子転写産物量が多く、p94の活性が自身の転写を負に制御するフィードバック機構の存在が示された。

第三章では、p94新規スプライスバリアントの同定を行った。骨格筋特異的分子種として発見されたp94であるが、その後いくつかのスプライスバリアントが骨格筋以外の組織で発現することが明らかにされ、また造血器官でp94遺伝子産物が機能することが示唆されていたことから、p94遺伝子の発現様式を詳細に解明することが必要とされていた。そこで、フレンド白血病細胞で発現するp94転写産物を探索した結果、新規の5' UTR を持つスプライスバリアントの同定に成功した。新規バリアントは、ゲノム上流に位置するαグルコシダーゼ遺伝子の下流エクソンを使用した非常にユニークな構造をとることが判明した。この構造をもつ遺伝子は、組織普遍的に発現することが明らかとなったが、特に造血、免疫組織で発現量が多く、これらの器官で重要な機能を持つ可能性が示された。

以上、本論文は、骨格筋の生理機能に必須の役割を持つカルパインp94について、有用な実験系となるモデル動物の確立に成功し、その解析を行うにあたり重要な知見となるスプライスバリアントの同定とその発現機構について解明したものであり、学術上、また、LGMD2A の治療法開発等の応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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