学位論文要旨



No 119126
著者(漢字) 加地,留美
著者(英字)
著者(カナ) カジ,ルミ
標題(和) T細胞受容体を介した抗原刺激の変化が免疫応答に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 119126
報告番号 甲19126
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2677号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 八村,敏志
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

免疫系は、外界に存在するおびただしい量の細菌やウイルスといった微生物を排除する生体防御に極めて重要な役割を果たしている。免疫システムは非常に精密であり、無数にもある外来抗原のそれぞれにまさにオーダーメイドと表現するにふさわしい柔軟な対応を示す。また抗原の質だけでなく、抗原の量に応じても異なる質の免疫応答を示している。抗原構造や抗原量の変化は抗原に特異的な免疫応答の制御に深く関与しており、これを解明することは複雑で巧妙な免疫システムの調節機構を探る上で非常に重要である。

免疫応答は免疫担当細胞であるリンパ球によってひきおこされるが、中でもT細胞が抗原を認識し、活性化されるところから始まる。生体内に抗原が侵入すると、抗原未感作T細胞はT細胞レセプター (TCR) を介して抗原提示細胞の表面に発現した主要組織適合遺伝子複合体 (MHC) 分子と結合した抗原を認識して活性化され、異なる機能を有する二種類の細胞、炎症性細胞 (Th1細胞) とヘルパー細胞 (Th2細胞) に分化する。Th1細胞は主にインターロイキン (IL)-2やインターフェロン (IFN)-γを産生し、細胞性免疫応答を司る。一方、Th2細胞はIL-4やIL-5を放出し、B細胞による抗体産生の補助に重要な役割を果たしている。抗原未感作CD4+ T細胞がTh1あるいはTh2のどちらに分化するかは最初に遭遇する抗原の量や構造により巧みに制御されていることが示唆されているがその機構についてはいまだ不明な点が多く残されている

本研究では抗原量と抗原構造の変化により抗原未感作なCD4+ T細胞において異なるサイトカイン産生応答が誘導される機構について解析を行うため、卵アレルゲンである卵白アルブミン (OVA) の323-339残基をMHCクラスII分子であるI-Ad拘束的に認識するTCRを発現するトランスジェニックマウス (OVA23-3マウス) を利用した。このマウスはOVA特異的な単一のTCRを発現するT細胞の割合が非常に高いため、抗原に感作されていないT細胞の、抗原刺激に対する一次応答を in vitro で解析できる優れた実験系である。さらに、TCRシグナルを変化させ、抗原特異的なT細胞応答を抑制する作用を持つアミノ酸残基置換アナログペプチドを用いて、上記の抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン産生応答に対する影響、およびOVA23-3マウスを用いた食品アレルギーの動物モデルに対する抑制効果についての検討を行った。

抗原刺激により誘導される抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン発現を制御するTCRシグナル伝達の解析

これまで当研究室においてOVA23-3マウスを用いた実験より、抗原未感作CD4+ T細胞は抗原濃度や抗原構造に応じて一次応答時に異なるTh1/Th2型サイトカイン産生パターンを示すことを明らかにしている。すなわち、高濃度のOVA323-339で刺激することによりTh1優位な応答が誘導され、低濃度のOVA323-339、また、一アミノ酸残基置換アナログペプチドであるA326Q (326Ala→Gln) で刺激することでTh2優位な応答が誘導される。本章では抗原未感作CD4+ T細胞においてこれらの異なる抗原刺激に対してサイトカイン産生応答が変化する機構について検討した。

抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン産生制御に関与するTCRシグナル経路について調べるため、CD4+ T細胞を抗原刺激する際に各シグナル経路に特異的な阻害剤を添加し、サイトカイン産生応答を解析した。高濃度のOVA323-339刺激により誘導されるIFN-γ産生 (Th1型応答) はサイクロスポリンA (CsA, Ca2+経路阻害剤)、カフェイン酸フェネチルエステル (CAPE, NF-κB阻害剤)、PD98059 (ERK阻害剤) の添加により抑制された。一方阻害剤非添加条件ではIL-4産生はほとんど認められないのに対し、PD98059の添加でIL-4産生は劇的に増加した。またCsA、CAPEの添加によってもわずかにIL-4産生は増強された。また、アナログペプチド刺激で誘導される強いIL-4産生応答 (Th2型応答) はCAPEおよびPD98059の添加で増強されたが、CsAの添加により抑制された。このことから、IFN-γの産生にはCa2+、ERK、NF-κBいずれの経路も正に働くが、IL-4産生応答に対しては、ERK経路は強い抑制機能を有し、NF-κB経路も抑制的に働くことが明らかとなった。

次に、Th1型応答、Th2型応答を誘導する抗原刺激によって実際にTCRを介して誘導されるシグナル伝達について解析した。Th2型サイトカイン産生応答はアナログペプチド刺激だけでなく低濃度のOVA323-339刺激によっても誘導される。このため、高濃度のOVA323-339、低濃度のOVA323-339、アナログペプチドによる刺激に対して誘導されるシグナル伝達について、NFAT (NFAT1, NFAT2)、NF-κB (p65, p50, c-Rel)、AP-1 (c-fos, c-Jun) の核内発現量、ならびにERKのリン酸化の比較を行った。ERKのリン酸化の程度およびNFAT、AP-1、NF-κBのいずれの転写因子の核内発現量も低濃度のOVA323-339刺激およびA236Q刺激では高濃度のOVA323-339刺激に比べて弱いものであり、質的な違いは観察されなかった。

TCRシグナルを介して活性化されるNF-κBに対するCAPEの作用点については未だ不明である。IL-4産生を制御するのはNF-κBファミリーのどの分子なのかについて検討するため、CAPEの添加が抗原刺激により誘導されるNF-κB各分子の核内発現に及ぼす影響について解析した。その結果、CAPEはc-Rel分子の核内発現を顕著に抑制した。このことより、c-RelはIL-4産生に対し抑制的に働くことが示唆された。

以上より、高濃度のOVA323-339により誘導されるTCRシグナルの強い活性化によりIFN-γ産生を正に制御するシグナル経路の活性が増強されると共にERKやc-RelといったIL-4産生応答を負に制御するシグナル経路の活性も増強され、これによりTh1型優位な応答が誘導されることが明らかとなった。一方、低濃度のOVA323-339およびアナログペプチドで刺激を行うと、IFN-γ産生を正に制御しかつIL-4産生応答を負に制御するシグナル経路の活性化が弱いためにTh2型応答が優位に誘導される可能性が示唆された。

TCRアンタゴニストが抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン産生応答に及ぼす影響

TCRアンタゴニストとは、抗原の一アミノ酸残基置換アナログペプチドのうち、TCRシグナル伝達に影響を与え、抗原特異的にT細胞応答を抑制する性質を持つもののことである。これまでに、TCRアンタゴニストの抗原未感作CD4+ T細胞に対する影響は明らかにされていない。そこで本章では、第1章で解析した抗原濃度によるサイトカイン産生バランスの変化に対して、TCRアンタゴニストがどのように影響するかについて検討を行った。

OVA323-339の一アミノ酸残基置換アナログペプチドの中からTCRアンタゴニストを探索した結果、A326V (326Ala→Val) が抗原特異的な増殖応答を効果的に抑制するTCRアンタゴニストの性質を有することが明らかとなった。次に、OVA23-3マウス由来抗原未感作CD4+ T細胞を抗原提示細胞存在下、様々な濃度のOVA323-339とA326Vと共に培養し、一次応答におけるサイトカイン産生とTh1/Th2細胞への機能分化について検討した。TCRアンタゴニストによりOVA323-339の濃度依存的に誘導される増殖応答およびIFN-γ産生応答は抑制された。一方、IL-4産生応答はOVA323-339 0.05μM前後で産生のピークを迎え、それ以上の濃度では産生量が低下する山型の応答を示すが、TCRアンタゴニストの存在はIL-4産生を抑制せず、むしろIL-4の最大産生量が増大し、また産生量のピークを迎えるためにはより高い抗原濃度が必要となった。また、抗原未感作CD4+ T細胞のTh1/Th2分化においても同様の現象が観察された。TCRアンタゴニストは免疫応答に対する抑制機能の他に、抗原未感作CD4+ T細胞のTh1/Th2サイトカイン産生応答および機能分化に対する制御機能を有することが明らかとなった。また、第1章の結果とあわせて考察すると、TCRアンタゴニストはTCRシグナルを全般的に抑制することによりIL-4産生応答やTh2分化を亢進させることが示唆された。

TCRアンタゴニストによる in vivo 免疫応答制御についての解析

Th1型応答Th2型応答は互いを制御しながらバランスを保つことで免疫系の恒常性維持に寄与しており、そのバランスの崩壊はアレルギーなどの免疫疾患の原因となる。アレルギー疾患はいまだ根本的な治療法及び効果的な予防法がなく、それらの早急な確立が望まれている。アレルギーの原因となる抗原に特異的な応答を抑制できれば他の免疫系に悪影響を及ぼすことなくアレルギー応答を抑制できると考えられる。

これまでに当研究室において、OVA23-3マウスに卵白タンパク質を含む飼料を自由摂取させることによって強いIgE産生応答や小腸組織の形態変化、体重減少といった食品アレルギー反応に特徴的な現象を示すことが明らかとなっている。また、第2章で述べたTCRアンタゴニストは、自己免疫疾患の動物モデルにおいて発症抑制などの効果を示すことが報告されている。そこで本研究ではこの食品アレルギーの動物モデルにおけるTCRアンタゴニストの抑制効果について解析を行った。すなわち、卵白含有飼料摂取に伴いOVA23-3マウスに誘導される免疫応答に対するA326V投与の抑制効果について検討した。OVA23-3マウスに卵白食を6週間摂取させた後、4週間普通食を与え、再び卵白食を摂取させることで誘導される血中OVA特異抗体価および体重の経時的変化について解析を行った。A326V投与は卵白食摂取開始前と再摂取開始前の二回行った。対照群としては卵白食を摂取させるのみの群とPBS投与群を設けた。対照群では卵白食再摂取開始後に強い抗OVA IgE産生応答が誘導され、また卵白食摂取期間中に体重減少あるいは体重変化の停滞が観察された。一方A326V投与群においては、対照群で誘導された抗OVA IgE抗体産生の強い応答が誘導されず、また卵白食摂取期間中の体重増加が認められた。このことから、TCRアンタゴニスト活性を持つ抗原アナログの投与は抗原の経口摂取によって誘導される抗原特異的IgE産生応答及び体重変化に対して抑制効果を持ちうること、すなわち食品アレルギー疾患の予防や治療に対するTCRアンタゴニストの有用性が示唆された。

以上、第1章では抗原未感作なT細胞のサイトカイン発現におけるTCRシグナル伝達経路の役割を明らかにした。第2章ではTCRアンタゴニストはT細胞応答を抑制するだけなく、抗原未感作T細胞に作用した場合にはTh2応答を亢進させるサイトカイン産生制御能を有することを初めて見いだした。第3章では、TCRアンタゴニストの投与が抗原の経口摂取により誘導される抗原特異的なIgE産生応答および体重減少に対し抑制効果を有することを示した。本研究から得られた知見は、免疫系の破綻により引き起こされる疾患の誘導機構の解明や免疫疾患の予防法および治療法の確立に光明をもたらすものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

免疫応答はT細胞による抗原の認識に伴って誘導される。抗原未感作CD4+ T細胞はT細胞受容体 (TCR) を介して抗原を認識して活性化され、主にIFN-gを産生するTh1細胞と主にIL-4を産生するTh2細胞に分化する。抗原未感作CD4+ T細胞が最初に遭遇する抗原の量や構造がTh1/Th2分化の方向性の決定に重要であるが、その機構についてはいまだ不明な点が多い。本論文はOVA323-339を特異的に認識するTCRを発現するトランスジェニックマウス(OVA23-3マウス)を利用し、TCRを介した抗原刺激の変化がT細胞による免疫応答に及ぼす影響を解析したものである。

緒言においてまず本研究の背景と意義について概説してある。続く第1章では抗原刺激により誘導される抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン発現を制御するTCRシグナル伝達を明らかにすることを目的とした。抗原未感作CD4+ T細胞が抗原刺激の違いで示す異なるサイトカイン産生応答に対するCa2+経路阻害剤、c-Rel阻害剤、ERK阻害剤の添加の影響について解析を行った。IFN-g産生はいずれの薬剤の添加によっても抑制された。一方IL-4産生はERK阻害剤の添加で劇的に増加し、c-Rel阻害剤の添加によっても増強された。このことから、IFN-gの産生にはCa2+経路、ERK、c-Relのいずれの活性化も正に働くが、IL-4産生応答に対しては、ERKの活性化は強い抑制機能を有し、c-Relの活性化も抑制的に働くことが判明した。次に、Th1型応答を誘導する高濃度のOVA323-339刺激及びTh2型応答を誘導する低濃度のOVA323-339またはアナログペプチド刺激に対して誘導されるERKのリン酸化及び転写因子の核内発現量の比較を行った。Th1型応答を誘導する抗原刺激ではTh2型応答を誘導する抗原刺激の場合よりもERKのリン酸化が強く、転写因子の核内発現がより早く強く誘導されることが示された。これらの結果より、ERKの活性化がTh1/Th2型応答の方向性の決定に重要であること、さらに、Th1型応答またはTh2型応答を誘導する抗原刺激では転写因子の核移行において量及びカイネティクスが異なることが明らかとなった。

第2章では、抗原特異的にT細胞応答を抑制する性質を持つアナログペプチドであるTCRアンタゴニストが抗原未感作CD4+ T細胞の一次応答及び機能分化に与える影響について解析している。様々な濃度のOVA323-339とTCRアンタゴニストでの刺激に対する抗原未感作 CD4+ T細胞の一次応答におけるサイトカイン産生とTh1/Th2細胞への機能分化について検討した。TCRアンタゴニストにより、OVA323-339で誘導される増殖応答及びIFN-g産生応答は抑制されたが、IL-4産生応答については最大産生量が増大し、さらに産生量のピークを迎えるためにはより高い抗原濃度が必要となった。抗原未感作CD4+ T細胞のTh1/Th2分化においても同様の現象が観察された。これらの結果からTCRアンタゴニストは抗原未感作CD4+ T細胞のサイトカイン産生応答に対する制御作用及び増強作用を有することが明らかとなった。さらに第3章ではTCRアンタゴニストによるin vivo免疫応答制御について解析を行っている。これまでに卵白含有飼料摂取によりOVA23-3マウスにIgE抗体産生応答や体重減少などの食品アレルギー応答が誘導されることが示されており、この動物モデルにおけるTCRアンタゴニストの抑制効果について検討した。TCRアンタゴニストを投与した後、卵白含有飼料を摂取させたところ、血中OVA特異的IgE抗体の強い産生が見られず順調な体重増加が認められた。このことから食品アレルギー疾患の予防や治療に対するTCRアンタゴニストの有用性が示唆された。

以上、本論文では抗原未感作なT細胞のサイトカイン発現におけるTCRシグナル伝達経路の役割を明らかにした。また、TCRアンタゴニストが抗原未感作T細胞のサイトカイン産生応答に対する制御作用及び増強作用をもたらすことが明らかとなった。さらに、TCRアンタゴニストの投与が食品アレルギーモデル応答に対し抑制効果を有することを示した。本研究から得られた知見は、免疫系の破綻により引き起こされる疾患の発症機構の解明やその抑制法の確立に有用であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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