学位論文要旨



No 119131
著者(漢字) 井前,正人
著者(英字)
著者(カナ) イマエ,マサト
標題(和) アミノ酸およびホルモンによる遺伝子発現制御に関与する転写因子の研究
標題(洋)
報告番号 119131
報告番号 甲19131
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2682号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

IGFBP-1は主に肝臓で産生されるタンパク質で、IGF-1を介した動物の成長を制御する重要な因子である。IGFBP-1はアミノ酸欠乏やホルモンに対して、主にその遺伝子の転写を変化させることにより活性を調節している。本研究ではアミノ酸欠乏、インスリン、グルココルチコイドによるIGFBP-1遺伝子転写制御機構の解明を目的とした。当研究室で行われたIGFBP-1遺伝子プロモーターの解析により5'上流領域-77〜-112の領域がアミノ酸欠乏への応答に必須なことが明らかとなり、この領域はアミノ酸欠乏応答ユニット(AARU: Amino acid deficiency response unit)と命名された。AARU内部にインスリン応答領域(IRE)とグルココルチコイド応答領域(GRE)が2つずつ存在し、これらが相互作用していることが示唆されている。IREには転写因子FoxOが結合し、GREにはglucocorticoid receptor(GR)が結合する。また2つのIREを覆うように転写因子HNF-3が結合する。FoxOおよびHNF-3はforkhead domainと呼ばれるDNA結合領域を有し、forkheadファミリーに分類されている。FoxOにはFoxO1、FoxO3およびFoxO4の3種類のisoformが存在し、HNF-3にもHNF-3α、HNF-3βおよびHNF-3γの3種類が存在する。AARUの構造およびそこに作用する転写因子群の概要図を下に記載した。以前の研究において、私はタンパク質栄養条件やホルモンに応答して各HNF-3のmRNA量や核内存在量、IGFBP-1プロモーターへの結合量が変化することを明らかにしている。

FoxOはProtein kinase B (PKB)やSerum- and glucocorticoid-induced kinase(SGK)、Dual-specificity tyrosine-phosphorylated and regulated kinase 1A (DYRK1A) などが活性化されると、それらによって核内でリン酸化され、核外へ排出される。またHNF-3やFoxOはグルココルチコイドにより活性化されたGRの活性を調節することがわかっている。現在これら転写因子がアミノ酸欠乏のシグナルを受けているという報告は無く、またインスリンやグルココルチコイドに対する応答に関しても充分な知見は得られていない。そこで第1章ではアミノ酸欠乏、第2章ではインスリン、第3章ではデキサメタゾン(以下DEXと略す)に対する上記転写因子の応答を検討した。またFoxOリン酸化酵素であるPKBやSGK、DYRK1Aも核移行を介したFoxOの活性を制御する重要な因子であるので各章で同様に検討した。第4章では第1章で得られた結果を元に、アミノ酸による遺伝子発現制御機構をシグナル伝達経路など様々な視点から検討した。第5章では第1章で得られた結果を元に、インスリンによる遺伝子発現制御機構を検討した。

アミノ酸欠乏によるIGFBP-1遺伝子およびその発現制御に関与する因子の解析

始めにin vivoでのアミノ酸欠乏によるIGFBP-1遺伝子の転写促進機構を解析するため、当研究室で以前から行われている方法で血中アミノ酸濃度を変化させた。すなわち5週齢のWistar系雄ラットを予備飼育後、3群に分けカゼイン食、グルテン食または無タンパク質食を7日間制限給餌し、8日目の給餌開始後1.5時間目に解剖、肝臓を摘出した。まず肝臓より核タンパク質を抽出し、各転写因子の核内存在量を測定したところ、3種のHNF-3およびFoxO4が無タンパク質食給餌により増加していた。また肝臓全抽出液(homogenate)中の存在量も測定したところ、HNF-3γおよびFoxO4が無タンパク質食給餌により増加していた。HNF-3αおよび-3βに関しては全抽出液に対して核内に存在する比率がタンパク質栄養条件の悪化により増加していることから核移行段階での制御が起こっていると考えられる。またHNF-3γに関しても核タンパク質抽出液を用いた場合の増加率のほうが肝臓全抽出液を用いた場合より大きい事から、翻訳以前の段階および核移行段階の制御を受けることにより核内存在量が増加していると考えられる。次にFoxOリン酸化酵素についても検討したところ、phospho-PKBの核内存在量が無タンパク質食給餌により減少していた。SGKおよびDYRK1Aに関してはウエスタンブロットでは検出出来なかったがmRNA量を測定したところ、SGK-1のmRNA量がタンパク質栄養条件の悪化により減少することが明らかとなった。これによりFoxOリン酸化酵素の活性が低下することによりFoxO4が核内に貯蔵されていくことが示唆された。一方、各転写因子のmRNA量の変化も調べたところ、HNF-3γおよびFoxO4のmRNA量が無タンパク質摂食により増加していた。これによりHNF-3γおよびFoxO4が全抽出液で増加していた要因はmRNA量の増加によることがわかった。

これらin vivoで得られた現象をより詳細に解析するため、培地中アミノ酸を除去する(以後AA-と略す)ことによりin vivoの条件を細胞培養系で再現することを試みた。AA-培地において肝ガン細胞であるH4IIEおよびHepG2両方でIGFBP-1mRNA量の増加を再現することが出来た。しかしアミノ酸1種類を単欠乏させた培地においてはHepG2細胞において必須アミノ酸単欠乏時にmRNA量が増加したのに対し、H4IIE細胞ではグルタミン欠乏時に顕著に増加し、必須アミノ酸単欠乏時には微増に留まったことから、両細胞において各アミノ酸欠乏に対する応答が異なることが示された。またin vivoでmRNA量を測定したIGFBP-1以外の遺伝子に関して両細胞で同様に測定したところ、H4IIE細胞においてFoxO1およびSGK-1のmRNA量が減少し、HepG2細胞においてFoxO1、SGK-1mRNA量が増加し、SGK-2αが減少することが明らかになった。FoxO1およびSGK-1遺伝子に関して両細胞でAA-に対する応答が逆転していることからも両細胞のAA-に対する応答が異なることが示された。

インスリンによるIGFBP-1遺伝子およびその発現制御に関与する因子の解析

in vivoでのインスリンによる効果を解析するために本章ではストレプトゾトシン(以下STZと略す)投与による糖尿病発症あるいは48時間の絶食によってインスリン低下状態を作り出し、第1章と同様の解析を行った。STZ投与によりHNF-3β、HNF-3γ、FoxO1、FoxO4の核内存在量が増加し、phospho-PKBが減少した。しかしFoxO1およびFoxO4に関しては実験期間中無タンパク質食を摂取させた場合には核内存在量が減少していた。mRNA量に関してはHNF-3β、HNF-3γ、FoxO4およびSGK-2が増加し、FoxO1、FoxO3およびDYRK1Aが減少した。一方絶食によってHNF-3α、HNF-3β、HNF-3γおよびphospho-PKBの核内存在量が減少し、FoxO1およびFoxO4が増加した。絶食後の3時間の再給餌によりHNF-3γ、FoxO1、FoxO4およびphospho-PKBがコントロール群と同レベルまで回復した。HNF-3αおよびβに関しては再給餌時間を増やせば回復する可能性がある。またmRNA量はHNF-3α、SGK-1およびSGK-2が減少し、HNF-3β、HNF-3γ、FoxO1、FoxO3、FoxO4、DYRK1Aが増加した。続いてin vitroでの応答も調べたところ、インスリン添加によりH4IIE細胞ではIGFBP-1、FoxO4およびSGK-1のmRNA量が減少し、HepG2細胞ではIGFBP-1、SGK-1のmRNA量が減少した。これまでFoxOによる遺伝子発現制御機構は核移行による制御にのみ焦点が当てられていたが、H4IIE細胞ではmRNA量の変化による制御も存在することが明らかとなった。

グルココルチコイドによるIGFBP-1およびその発現制御に関与する因子の解析

カゼイン食あるいは無タンパク質食を給餌したラットに毎日DEXを投与し、第1章および第2章と同様の解析を行った。DEX投与によりHNF-3α、-3βの核内存在量が増加し、FoxO1およびphospho-PKBが減少した。またmRNA量に関してはDEX投与によりHNF-3α、-3β、FoxO1、FoxO3が増加し、SGK-1、SGK-2およびDYRK1Aが減少した。また無タンパク質食を給餌した際のHNF-3γのmRNA量およびタンパク質量の増加はDEX投与により打ち消され、コントロール群のレベルまで回復した。細胞系に関しては、H4IIE細胞ではIGFBP-1とFoxO1、SGK-1のmRNA量がDEX添加により増加しDYRK1AのmRNA量が減少した。HepG2細胞ではIGFBP-1、HNF-3β、SGK-1のmRNA量が増加した。SGKは細胞系においてDEX添加によりmRNA量が激増するキナーゼとして同定されたものだが、in vivoではDEX投与により減少することが明らかとなった。

肝細胞におけるアミノ酸による遺伝子発現制御機構の解析

第1章でH4IIE細胞においてIGFBP-1、FoxO1およびSGK-1のmRNA量、およびHepG2細胞においてIGFBP-1、FoxO1、SGK-1およびSGK-2αのmRNA量がアミノ酸欠乏に応答して変化することを明らかにした。そこで両細胞において数種のインスリンシグナル伝達物質(PI3K、mTOR、ERK、JNK、p38MAPK)、Protein kinase A(PKA)およびProtein kinase C(PKC)の阻害剤、cAMP-dependent protein kinase (AMPK)の活性化剤を用いて、アミノ酸欠乏の効果が消失するかを検討した。H4IIE細胞においてIGFBP-1のmRNA量の増加はPI3K、JNK、ERKおよびPKA阻害剤、FoxO1のmRNA量の減少はPI3K、JNK、ERKおよびPKA阻害剤、そしてSGK-1のmRNA量の減少はPI3K、JNK、p38MAPK、ERKおよびPKA阻害剤によって消失した。またHepG2細胞におけるIGFBP-1mRNA量の増加はJNK、p38MAPK、ERKおよびPKA阻害剤、FoxO1の増加はPI3K、JNKおよびPKA阻害剤、SGK-1の増加はPI3K、p38MAPK、ERKおよびPKA阻害剤、そしてSGK-2aの減少はPI3K、p38MAPK、ERKおよびPKA阻害剤によって消失した。そこで両細胞で阻害剤の効果が認められたp38MAPK、JNK、ERKおよびCREB(PKAの活性を反映していると思われる)のリン酸化量を細胞および第1章で摘出した肝臓を用いて測定した。無タンパク質食摂取群においてphospho-JNKおよびphospho-CREBは減少し、phoshpho-p38MAPKおよびphospho-ERKは増加した。また細胞系では両細胞共にphospho-JNK、phospho-ERKおよびphospho-CREBは減少していた。しかし動物とは異なり細胞系ではphospho-p38MAPKに変化は見られなかった。

肝細胞におけるインスリンによる遺伝子発現制御機構の解析

第2章でH4IIE細胞においてIGFBP-1およびFoxO4のmRNA量、およびHepG2細胞においてIGFBP-1およびSGK-1のmRNA量がインスリン添加に応答して変化することを明らかにした。そこで第4章と同じ阻害剤を用いてインスリンの効果が消失するかを検討した。H4IIE細胞におけるIGFBP-1mRNA量の減少はmTORの阻害剤およびAMPK活性化剤、またFoxO4のmRNA量の減少はPI3KおよびmTORの阻害剤により消失した。HepG2細胞におけるIGFBP-1およびSGK-1mRNA量の減少はPI3Kの阻害剤の添加により消失した。

総括

ラット肝臓においてアミノ酸欠乏やホルモン刺激に対して、AARU内に結合する因子のmRNA量やFoxOキナーゼの活性が変化し、その結果核内存在量が変化することによりIGFBP-1遺伝子の転写を制御していることが示唆された。一方細胞系ではラット肝臓と全く異なるmRNA量の変化を示し、IGFBP-1遺伝子発現制御機構がin vivoおよびin vitroで異なっていることがわかった。In vivoでの結果をin vitroで完全に再現できなかったが、細胞種によりアミノ酸欠乏やホルモンに対する応答機構が異なることが示され、細胞のコンテクストに依存した制御が関与していると考えられた。しかしアミノ酸欠乏による遺伝子発現制御にJNK、ERKおよびPKAが関与していることがin vitroで明らかとなり、実際ラット肝臓においてもこれらシグナル因子の活性が変化していることから、in vivoにおいてもこの経路を介した制御を受けていることが示唆された。またIGFBP-1遺伝子のインスリンによる制御に関しても、以前より報告のあるFoxOのリン酸化による核移行制御に加え、FoxO4のmRNA量が減少することを今回初めて明らかにした。今後はこれら転写因子がIGFBP-1の遺伝子発現制御機構にどのように関与するかを遺伝子抑制等の手法で解明されることが望まれる。また今回遺伝子発現に変化のあった遺伝子に関してもそれらのプロモーター構造を解析することにより、アミノ酸やホルモンに対する、初期段階の応答因子が解明されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

近年、栄養素による遺伝子発現制御機構が存在することが明らかになってきたが、アミノ酸欠乏による遺伝子発現制御機構は脂質や炭水化物など他の栄養素に比べて研究が進んでいない。これまで少数ながらアミノ酸欠乏による遺伝子発現制御に関与する転写因子が示されてきたが、充分な知見は得られていない。そこで筆者はアミノ酸欠乏により遺伝子発現が顕著に増加するIGFBP-1遺伝子に注目した。当研究室で行われたIGFBP-1遺伝子プロモーターの解析により5'上流領域-77〜-112の領域がアミノ酸欠乏への応答に必須なことが明らかとなり、この領域はアミノ酸欠乏応答ユニット(AARU: Amino acid deficiency response unit)と命名された。IGFBP-1の遺伝子発現はアミノ酸欠乏以外にもインスリンやグルココルチコイドによっても制御されており、AARU内部にインスリン応答領域(IRE)とグルココルチコイド応答領域(GRE)が2つずつ同定されている。このことからアミノ酸欠乏のシグナルはAARU内部に存在するIREおよびGREを介していることが考えられる。IREには転写因子FoxO1、FoxO3およびFoxO4が結合し、GREにはglucocorticoid receptor(GR)が結合する。FoxOはリン酸化酵素であるSGKおよびDYRK1Aによりリン酸化されると、その転写活性化能および細胞内局在が変化する。また2つのIREを覆うように転写因子HNF-3α、-3βおよび-3γが結合する。これら因子がIGFBP-1遺伝子発現制御に関与していることが以前から示唆されているが、詳しい機構は明らかになっていない。こうした背景から本研究では上記因子のアミノ酸欠乏およびホルモンへの応答を検討した。

まず序論で研究の背景について概説したのち、第1章ではアミノ酸欠乏、第2章ではインスリンおよび絶食、第3章ではグルココルチコイドによって各HNF-3、FoxO、SGKおよびDYRK1AのmRNA量、総タンパク質量および核内存在量が変化することをin vivoおよびin vitroにおいて明らかにした。

第4章ではIGFBP-1および第1章でアミノ酸欠乏により発現が変化することが明らかになった遺伝子に関して、その応答機構を検討するため、数種の阻害剤を用いたところ、本研究で検討した遺伝子への阻害剤の応答は遺伝子毎に異なっていた。このことからアミノ酸欠乏による各遺伝子の発現制御機構が異なっていることが示唆された。その中でもERK、JNK、P38MAPK、PKAの阻害剤を用いた時に、多くの遺伝子のアミノ酸欠乏に対する応答が消失した。また一部の遺伝子の発現変化が、アミノ酸欠乏により引き起こされる酸化ストレスや細胞容量の変化によることも示された。

第5章ではIGFBP-1および第2章でインスリンにより発現が変化することが明らかになった遺伝子に関して、第4章と同様の阻害剤を用いて解析を行った。その結果アミノ酸欠乏時とは異なり、本研究において検討した遺伝子はPI3KあるいはmTOR経路により制御されていることが明らかになった。

本研究では、ラット肝臓においてアミノ酸欠乏やホルモン刺激に対して、AARU内に結合する因子のmRNA量やFoxOキナーゼの活性が変化し、その結果、各転写因子の核内存在量が変化することによりIGFBP-1遺伝子の転写を制御していることが強く示唆された。一方細胞系ではラット肝臓とは異なる応答を示し、IGFBP-1遺伝子発現制御機構がin vivoおよびin vitroで異なっていることが示された。またアミノ酸欠乏およびインスリンによる遺伝子発現のシグナル系の解析により、制御に関与しているシグナル因子が示された。また酸化状態や細胞容量が重要であることも示された。

今後はこれら転写因子がIGFBP-1の遺伝子発現制御機構にどのように関与するかを遺伝子抑制等の手法で解明されることが望まれる。また今回遺伝子発現に変化のあった遺伝子に関してもそれらのプロモーター構造を解析することにより、アミノ酸やホルモンに対する初期段階の応答因子が解明されることが期待される。本研究で得られた知見は、多くの遺伝子の発現制御機構を解明するための基礎情報を提供するものである。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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