学位論文要旨



No 119132
著者(漢字) 岡田,晋治
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,シンジ
標題(和) 小腸に発現するアクアポリンの生理機能に関する分子細胞生物学的研究
標題(洋)
報告番号 119132
報告番号 甲19132
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2683号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

アクアポリン (AQP) は水を選択的に透過する水チャネルであり、大腸菌から高等動植物まで生物界に広く存在する。哺乳類では現在までにAQP0からAQP10の11種が同定されており、その内のいくつかは、水以外にもグリセロールや尿素といった小分子のほか塩化物イオンなども透過することが明らかになり、水・小分子を輸送するチャネル分子として注目されている。これまで様々な組織においてAQPの発現が報告されているものの、腎臓における水の再吸収機構 (AQP2) や胃における酸分泌機構 (AQP4) のほかは、AQPの生理機能のほとんどが不明なままである。

我々が解析対象とした小腸は、生体の内部と外部の境界をなす消化系器官のうち最大の器官であり、栄養源の取り込みと異物の排除を上皮組織と腸管免疫系で総合的に行っている非常に重要な器官である。上皮組織では、水・栄養素の吸収や粘液の分泌など各種の細胞機能や、細胞内外の環境の変化に対する恒常性の維持に、AQPが重要な働きを担っていると推測されるが、詳細は不明である。

本研究では、小腸におけるAQPの役割を包括的に理解することを目的として、細胞種と発現するAQP分子種との対応を明らかにし、AQPが担う細胞機能を考察した。

小腸に発現するAQP分子種の同定

まず、マウス小腸に発現するAQP分子種を解析した。偽遺伝子であるAQP10を除いて、AQP0からAQP9の各分子種に特異的なプライマーを作製し、total RNAを鋳型としてRT-PCRを行ったところ、AQP1, 3, 4, 5, 7, 8, 9の7種のcDNA断片が増幅された。AQP9を除く分子種中、AQP1, 3, 4, 5, 7, 8が発現しており、AQP0, 2, 6は発現していないという結果は、これまで断片的に報告されてきた結果と一致した。AQP9についてはノーザン分析では小腸において発現が確認されていなかったが、RT-PCRおよび以下の in situ ハイブリダイゼーション (ISH) でその発現が初めて明らかとなった1)。

小腸各細胞種が発現するAQP分子種の特定

小腸の細胞機能におけるAQPの役割を考察するために、各細胞種に発現するAQP分子種を調べた。第1章で発現が確認されたAQPのISH解析の結果、十二指腸にはAQP1, 3, 4, 5, 7, 9が、空腸・回腸にはAQP1, 3, 4, 9が発現していた。AQP8のシグナルは観察されなかったが、RT-PCRによってcDNAは増幅されたことから、AQP8の細胞当たりの発現量が低いことが示唆された。十二指腸にのみ発現が観察されたAQP5, 7は、十二指腸に特有の十二指腸腺を構成する細胞に特異的に発現していた。十二指腸腺にはAQP1, 3の発現も観察された。十二指腸・空腸・回腸で共通に存在する粘膜層は陰窩と絨毛に分けられ、陰窩にはパネート細胞および上皮の幹細胞が存在し、絨毛上皮にはそのほとんどを占める吸収上皮細胞と少数の杯細胞が存在する。このほか陰窩および絨毛部には内分泌細胞が極めて少数存在する。陰窩上皮では、AQP3, 4が全体的に発現し、最底部の細胞ではAQP1も発現していた。絨毛上皮では、AQP3がほとんど全ての細胞で、AQP1が基部側の約半数の細胞で、AQP9が散在的に少数の細胞で発現しており、3種のAQP分子の発現頻度は大きく異なっていた。上皮以外でも絨毛の中心部に存在する中心乳び腔周辺の細胞がAQP1を発現していた。

以上のことから、小腸において、十二指腸腺にはAQP1, 3, 5, 7が、パネート細胞にはAQP1, 3, 4が、吸収上皮細胞にはAQP1, 3が発現していると推測された。杯細胞および内分泌細胞に発現するAQPの詳細は単一分子種の発現分布からは同定できなかった。そこで、次に、マーカー分子を用いてそれぞれの細胞で発現している分子種を解析した。その結果、杯細胞にはAQP9を発現している細胞と発現していない(もしくは発現量が非常に少ない)細胞が存在することが明らかとなった1)。現在のところ、内分泌細胞に関しては発現分子種の同定には到っていないが、小腸上皮においてはいずれの細胞種も複数種のAQPが発現していることが明らかとなった。

消化管におけるAQP9の発現解析

発現する分子種が少なく、本研究で小腸での発現が初めて明らかになったAQP9を発現している杯細胞に注目し、AQPの消化管における機能を解析した。

杯細胞は粘液分泌細胞であることから、まず、消化管の他の部位(胃および大腸)の粘液分泌細胞における発現を解析し、AQP9が粘液分泌に共通の機能を担うかについてしらべた。その結果、大腸の杯細胞では強いAQP9の発現が観察されたが、胃における粘液分泌細胞である表層粘液細胞ではAQP9の発現は観察されなかった。このことから、AQP9は小腸および大腸の粘液分泌細胞種である杯細胞に特異的な機能を担っていると推定された1)。

ISHおよび免疫染色の結果から、AQP9は杯細胞の一部に発現していると考えられたため、杯細胞での発現が知られている10種のマーカー分子の発現様式を解析し、AQP9がどのような杯細胞に発現しているのかを解析した。絨毛上皮細胞は、絨毛基部から頂部にかけて分化が進行するが、AQP9のシグナル分布からは、AQP9の発現と分化との相関性は低いと推測された。一方、10種のマーカー分子は、杯細胞の分化段階に依存的な発現を示し、それぞれの分化段階ではほとんど全ての細胞に発現していた。また、分化に依存せず、一部の杯細胞を識別できるアルシアンブルーと抗AQP9抗体による二重染色を行った。その結果、AQP9はアルシアンブルーで染色される酸性粘液分泌杯細胞の一部および他の杯細胞で発現していることが明らかになった。これらのことから、AQP9の発現は分化段階には依存しないこと、および杯細胞によっても明らかに強弱もしくは有無があることが示された。AQP9が水以外の様々な小分子を透過させる分子種であることを考えると、AQP9は粘液組成を多様させることに関与していると推察される。

最後に、粘液の分泌を促進する刺激および粘液組成の差を生じさせる外部環境変化が及ぼすAQPへの影響をISH、免疫組織染色およびウエスタン分析によって解析した。しかしながら、刺激や外部環境の違いによるAQP3, 9の発現挙動の差は検出されず、杯細胞の粘液分泌機能とAQPの関連を示唆するデータは得られなかった。

本研究により、小腸には多くのAQP分子種が発現しており、細胞種ごとに異なる組み合わせでAQPを発現していることが示された。具体的には、杯細胞はAQP3, 9を、吸収上皮細胞はAQP1, 3を、パネート細胞はAQP1, 3, 4を、十二指腸腺の細胞はAQP1, 3, 5, 7を発現していた(図1)。

各細胞種がそれぞれ複数種のAQPを発現することから、小腸においてAQPが非常に重要な役割を担っていることが示唆された。細胞種ごとにAQPが果たす役割についてはいくつか考えられ、それらを検証していくことが今後の課題である。これには、各細胞種のモデル系である培養細胞を用いることが有効であろう。また、AQPの機能破壊により小腸上皮細胞におけるAQPの役割を解析することも重要である。AQPは単量体で機能的なチャネルを形成するため、現在のところ機能破壊はジーンターゲッティングによってのみ可能である。小腸上皮細胞は複数種のAQPを発現しているので、各細胞種が発現するAQPの性質が補完できない場合、例えば、杯細胞におけるAQP3とAQP9や吸収上皮におけるAQP1とAQP3などにおいて有効であろう。

Okada S. et al. (2003) Aquaporin-9 is expressed in a mucus-secreting goblet cell subset in the small intestine. FEBS Letters, 540, 157-162.
審査要旨 要旨を表示する

水は生命にとって不可欠なものであり、生体内の水の恒常性は巧妙に維持されている。哺乳類体内では、2つの器官、腎臓と小腸によって水の出納のほとんどが制御されているが、腎臓が担う水再吸収については、細胞内外の水分子の移動を制御する水チャネル、アクアポリン (AQP) が不可欠であることが知られている。一方、小腸の水吸収機構については、未だその詳細は不明である。吸収経路の候補として幾つかが提唱されているが、それらでは説明できない現象も観察されており、別の経路の存在が提唱されている。

本論文は、新しい水吸収経路の候補としてアクアポリンを介したtranscelluler pathwayを想定し、この経路の存在を実証する第一段階として、組織化学的解析によって小腸におけるアクアポリンの発現様式を明らかにしたものである。また、明らかとなった発現様式から小腸各細胞種の細胞機能の発現にアクアポリンが関与する可能性を見出し、その関与について組織化学的および生化学的に解析を行ったものである。

序論では、水の輸送機構、小腸の水吸収経路、小腸の構造、アクアポリンに関する既知の知見及び本論文の研究目的について概説した。

第1章では、マウス及びヒト小腸に発現するアクアポリン分子種をRT-PCRによって調べ、マウス小腸にはAQP1, 3, 4, 5, 7, 8, 9の7種、ヒト小腸にはAQP1, 3, 4, 5, 7, 8, 9, 10の9種のアクアポリンが発現することを明らかにした。

第2章では、マウス小腸におけるアクアポリンの発現様式を細胞レベルで解析し、既知のアクアポリン分子種について、そのmRNAの発現様式を網羅的に示した。さらに、形態学的観察および各種マーカー遺伝子を利用した解析によって、小腸の各細胞種が発現するアクアポリン分子種の組み合わせを明らかにした。具体的には、小腸上皮の各細胞種について、吸収上皮細胞にはAQP1, 3が、杯細胞には、AQP3, 9が、パネート細胞には、AQP1, 3, 4が、それらの幹細胞にはAQP1, 3, 4が発現していることを示し、さらに、十二指腸の粘膜下組織に存在する十二指腸腺にはAQP1, 3, 5, 7が発現していることを示した。また、吸収上皮細胞の頂部膜にAQP1が発現すること、その細胞におけるAQP1の発現様式が水吸収の既知の知見に合致することを見出した。以上の結果から考察を行い、小腸における水吸収機構に吸収上皮細胞に発現する2つのアクアポリン、AQP1、AQP3が総合的に関与する可能性を示した。また、小腸各細胞種の細胞機能の発現にアクアポリンが関与する可能性を見出した。

第3章では、小腸上皮細胞を構成する細胞種の1つ、杯細胞におけるAQP9の生理機能について組織学的、生化学的に解析を行った。AQP9が胃では発現せず、小腸及び大腸の杯細胞に発現することを示し、小腸および大腸の粘液分泌細胞種である杯細胞に特異的な機能を担っている可能性を示した。そして、小腸杯細胞におけるAQP9の発現は、既知の杯細胞発現遺伝子の発現および杯細胞中の粘液酸性度と相関しないことを示した。また、ホルモンによって杯細胞からの粘液分泌を促進した際に、AQP9タンパク質の発現量が増大することから、粘液の生成もしくは分泌へのAQP9の関与する可能性を示した。

以上、本論文は、小腸におけるアクアポリンの発現様式の全容を詳細に明らかにし、小腸の水吸収機構として新たなモデルを提示するとともに、小腸各細胞種の細胞機能の発現においてアクアポリンが重要であることを示唆したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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