学位論文要旨



No 119133
著者(漢字) 片山,秀和
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ヒデカズ
標題(和) クルマエビの血糖上昇ホルモン族ペプチドの立体構造と構造機能相関
標題(洋)
報告番号 119133
報告番号 甲19133
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2684号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

甲殻類の眼柄中に存在するX器官/サイナス腺系は、脊椎動物における視床下部/下垂体系に相当する重要な内分泌器官である。ここから分泌されるホルモンとして、甲殻類血糖上昇ホルモン(CHH)や脱皮抑制ホルモン(MIH)などが知られるが、この2つのホルモンはアミノ酸配列の類似性からCHH族と呼ばれるペプチドファミリーを形成している。CHH族ペプチドは、これまでに数多くの甲殻類動物のサイナス腺抽出物から単離され、その構造が明らかにされてきた。これらのペプチドはいずれもおよそ70〜80アミノ酸残基からなり、その配列中で完全に保存されている6個のシステイン残基は分子内で3対のジスルフィド結合を形成している。

CHHはすべて、そのC末端がアミド基で修飾されているという特徴を有しており、一方MIHの多くはC末端が遊離のカルボン酸のままである。また、MIHは12残基目にグリシンが1残基挿入されること、およびC末端が若干伸長されることによって、総じてCHHよりも長いアミノ酸配列となっている。しかしながら、構造と活性の関係においてMIHとCHHは必ずしも明確に分離しているわけではなく、CHHの中には弱いながらも脱皮抑制活性を有するものも報告されている。現在のところ、アミノ酸配列の情報のみから機能の相違を説明することは不可能である。そこで本研究では、MIHとCHHの機能の相違を立体構造レベルでの相違によって説明することを目指し、クルマエビ Marsupenaeus japonicus のCHH族ペプチドを対象として、その立体構造と機能との相関に関して詳細に調べることを目的とした。

クルマエビ脱皮抑制ホルモンの組換え体と天然物の比較

クルマエビのMIHは77アミノ酸からなるペプチドであり、その組換えタンパク質の発現系はすでに当研究室の Ohira らによって確立されていた。組換えMIHは、天然物と同等の生物活性を有することが実験的に確認されていたが、そのN末端には天然物には存在しないアラニンが1残基付加した構造であった。この1残基の付加がコンホメーションの変化を引き起こしていないことを確認するために、その円二色性(CD)スペクトルの測定とジスルフィド結合架橋様式の解析を行った。

組換えMIHのCDスペクールは、天然物のスペクトルと非常によく類似しており、ともにαヘリックスに富むタンパク質に特徴的なスペクトルパターンを示した。これまでにいくつかのCHH族ペプチドにおいてCDスペクトルが測定されているが、それらのスペクトルからもCHH族ペプチドがαヘリックスに富むタンパク質であることが示唆されており、本研究の結果はそれらの知見と矛盾しなかった。

次に組換えMIHと天然MIHを各種プロテアーゼによって切断し、そのフラグメントの構造を解析することによってジスルフィド結合架橋様式の解析を行った。その結果、両者は同じ架橋様式 (Cys7-Cys44、Cys24-Cys40、Cys27-Cys53) を有していることが明らかとなった。本研究はMIHのジスルフィド結合架橋様式の決定としてはじめての報告となったが、それはこれまでに報告されているCHHの架橋様式と一致した。

CDスペクトルとジスルフィド結合架橋様式の結果が一致したことは、組換え体と天然物が同様のコンホメーションを有していることを強く示唆するものである。そこで、この組換えMIHの立体構造を核磁気共鳴(NMR)法によって解析した。

組換え脱皮抑制ホルモンの立体構造解析および機能部位の推定

組換えMIHのNMRを測定するにあたって、測定用溶媒を検討した。組換えMIHは中性付近では非常に溶解性が悪く、酸性条件では溶解性に優れているものの、その立体構造は大きく変化してしまうことがCDスペクトルから明らかとなった。そこで有機溶媒を添加することを検討した結果、アセトニトリルを30%添加するとNMR測定に充分な濃度で溶解し、そのコンホメーションも変化しないことがわかった。以上の検討をふまえて、NMR測定用溶媒として30%アセトニトリルを用いることにした。

安定同位体(15N、あるいは13C/15N)ラベルした組換えMIHを調製し、その多核多次元NMRスペクトルを測定した。まず、その主鎖の帰属を行い、CSIを用いて二次構造の予測を行った結果、CDスペクトルから予測された通り、αヘリックスに富む構造であることが明らかになった。続いて側鎖の帰属を行い、立体構造計算を行う際の原子間距離情報を得るために3D NOESYスペクトルの帰属を行った。NOESYスペクトル中のNOE強度から距離制限情報を、HNHAスペクトルと二次構造予測の結果から二面角情報を得た後に、ジスルフィド結合の距離情報を加えて、MIHの立体構造をDYANAを用いて計算した。

計算の結果、MIHは5つのαヘリックスを含みβ構造を持たない構造であると決定された。この立体構造は、これまでに立体構造が明らかになっているどのタンパク質とも類似性が無く、まったく新規の折りたたみ様式であった。

クルマエビのCHHの一つであるPej-SGP-IIIの立体構造を、MIHの立体構造を基にコンピューターでモデリングし、その両者を詳細に比較した。その結果、MIHに特徴的である12残基目のグリシンを含むヘリックス(α1)がCHHには存在せず、CHHは4つのαヘリックスしか有していないことが示唆された。CHHとMIHのアミノ酸配列を詳細に比較すると、C末端付近において顕著に配列類似性が低くなるが、α1はC末端領域と立体構造上近傍に存在していたことから、この付近が機能を左右する部位であることが示唆された。

次にCHHとMIHの分子の表面電荷の分布や疎水性面の分布を比較した。その結果、やはりC末端部位を含む領域でそれらが顕著に異なっていることが示唆され、この解析からもC末端と12残基目のグリシンの近傍が機能部位であることが示唆された。

甲殻類血糖上昇ホルモンにおけるカルボキシル末端アミド基の重要性

CHHのC末端アミド基が、構造と活性にどのような影響があるのかを検討するために、大腸菌を宿主とした組換えタンパク質発現系を用いて、クルマエビのCHHの一つである Pej-SGP-Iの組換え体を作製した。C末端にグリシンが1残基付加したもの(Pej-SGP-I-Gly)と付加していないもの(Pej-SGP-I-OH)の2種類を作製し、C末端がアミド化した組換え体(Pej-SGP-I-amide)はPej-SGP-I-Glyをアミド化酵素を処理することによって調製した。

これら3種類の組換え体のCDスペクトルを測定した結果、Pej-SGP-I-amide と他の2つとの間にヘリックス含量の差が見られた。次にこれらの生物活性を比較した結果、Pej-SGP-I-amide は他の2つと比較しておよそ10倍活性が強かった。以上の結果から、C末端アミド基は高次構造の保持と生物活性に重要であることが示された。この結果は、先に述べたC末端付近に機能部位が存在しているという仮説を支持するものである。

甲殻類血糖上昇ホルモン族ペプチドの機能部位

上記の仮説の真偽を確かめるために、MIHの機能部位と推測された部位に変異を導入した数種の変異ペプチドを作製した。作製した変異ペプチドのCDスペクトルを測定した結果、天然型と同様のスペクトルを示したことから、これらが天然型と同様の立体構造を保持していると考えられた。そこでこれらの脱皮抑制活性をアメリカザリガニを用いた in vitro の生物検定系によって測定した。その結果、機能部位と予測された残基に変異が導入されたペプチドにおいて、脱皮抑制活性が有意に低下した。特にN13A、S71Y、I72Gの各変異ペプチドにおいて、その傾向が著しかった。しかしながら、12残基目のグリシン残基を欠損した変異体は、天然型と同程度の活性を有していた。

総括

本研究において、クルマエビ由来CHH族ペプチドの一つであるMIHの立体構造を決定し、その構造を基にホルモンの機能部位を推測した。その結果、CHH族ペプチドの機能部位はC末端近傍およびα1ヘリックスのC末端側(13-14残基目付近)に位置している可能性が示唆された。今後は、より詳細な機能部位の解析が課題となる。これらのペプチドの活性と構造との関係を詳細に解析することは、甲殻類の分子内分泌学の基盤を築くだけでなく、この成果が水産増養殖などの応用面に活用されることが期待される。本研究の結果は、その端緒になったと考えている。

(A) MIHの立体構造のリボンモデル。(B) モデリングされたCHHの立体構造のリボンモデル。NはN末端を、CはC末端を、α1-5はαヘリックスをそれぞれあらわしている。

Katayama, H., Ohira, T., Nagata, K. and Nagasawa, H., (2001) Biosci. Biotechnol. Biochem. 65(8), 1832-1839.Katayama, H., Ohira, T., Aida, K. and Nagasawa, H., (2002) Peptides 23(9), 1537-1546.Katayama, H., Nagata, K., Ohira, T., Yumoto, F., Tanokura, M. and Nagasawa, H., (2003) J. Biol. Chem. 278(11), 9620-9623.
審査要旨 要旨を表示する

甲殻類の眼柄中に存在するX器官/サイナス腺系は内分泌統御の中心であり、ここで多数の神経ペプチドホルモンが生産されている。そのうち、血糖上昇ホルモン(CHH)や脱皮抑制ホルモン(MIH)はアミノ酸配列の類似性から血糖上昇ホルモン族(CHH族)と呼ばれるペプチドファミリーを形成している。CHH族ペプチドは70-80アミノ酸残基からなり、完全に保存された6残基のシステインは分子内で3対のジスルフィド結合を形成している。これまでに多数のCHH族ペプチドが同定されてきた結果、さらに2つのタイプに分類されることがわかった。CHHはタイプIに、MIHはタイプIIに分類される。タイプIペプチドはほとんどが72アミノ酸からなり、C末端はアミド化されている。一方、タイプIIペプチドはペプチド鎖が多少長く、12残基目にグリシンが挿入されている。配列の比較からタイプ分けはできるが、どの残基が活性に重要なのかを推定することは困難であることから、立体構造レベルでの解析が必須と考えられた。本論文はCHH族ペプチドの立体構造解析と構造機能相関を調べたもので、序論と4章からなる。

序論では、CHH族ペプチドに関する過去の知見について概説した後、本論文の目的を述べている。

第1章では、MIHの大腸菌を利用した組換え体の発現および発現したMIHと天然MIHの構造の比較について述べている。両者のCDスペクトルは非常によい一致を示したことから、同一のコンフォメーションをもつことが示唆された。このスペクトルからMIHはαヘリックスに富む構造であることが示された。また、プロテアーゼ消化断片の解析結果から両者の3対のジスルフィド結合は同じ様式で架橋されていること、およびその架橋様式はCHHと同様であることが示された。組み換え体の収量は培養1リットル当たり約3 mgであった。

第2章では、組換えMIHを用いて、各種のNMRスペクトルによりMIHの立体構造を解析したことを述べている。まず、NMR測定溶媒を検討した結果、CDスペクトルが変化せず、高濃度に溶かせる溶媒として30%アセトニトリルを選んだ。安定同位体(15Nあるいは13C/15N)標識した組換え体を調製し、多核多次元NMRスペクトルを測定した。まず、主鎖の帰属を、次に側鎖の帰属を、さらにNOESYスペクトルで帰属を行なった。これらに二次構造予測から得られた二面角情報、およびジスルフィド結合の距離情報を加えることによってMIHの立体構造を描き出した。その結果、MIHは5つのαヘリックスを含み、β構造をもたない特異な構造であることがわかった。この折りたたみの様式はこれまでに例のない新しいものであった。この構造を基にして、類似の一次配列を有するCHHの構造を計算によって推測した。それらを比較することによって、活性に重要な部位が空間的には近接した12残基目のGlyおよびC末端部を含む部分である可能性が示された。

第3章では、CHHのC末端部で保存されているアミド基が血糖上昇活性に必須であるかどうかを調べている。C末端にGlyを付加した組換え体を調製し、アミド化酵素によってアミド体を調製した。一方、C末端が遊離のCHHも別に調製した。これら3つのペプチドのCHH活性を測定したところ、アミド体は他の2つに比べて約10倍活性が強いことがわかった。以上の結果から、C末端アミド基は活性に重要であることが示された。

第4章では、第2、3章で推定されたCHH族ペプチドの機能部位が正しいかどうかを、MIHのいくつかの残基に変異を導入することによって、調べたことを述べている。その結果、機能部位と予測された残基に変異が導入されたペプチドにおいて、脱皮抑制活性が有意に低下することがわかった。特に、N13A、S71Y、I72Gにおいて特に顕著であった。しかし、12残基目のGlyを欠失したペプチドは活性が低下すると予想されたが、実際は天然と同等の活性を示した。このことはMIH活性に必ずしもGlyが必要ではないことを示した。

以上、本論文はクルマエビの眼柄ペプチドのうちの主要なペプチドであるCHH族ペプチドのNMRを用いた立体構造解析とそれに基づいた機能部位の推定を行なったもので、これまでに誰もなし得なかった成果であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。

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