学位論文要旨



No 119140
著者(漢字) 原,武史
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,タケシ
標題(和) 表皮過形成および腫瘍形成におけるPKCαの役割
標題(洋)
報告番号 119140
報告番号 甲19140
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2691号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 小西,博昭
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

癌は脳卒中、心不全と並び我が国の三大死亡原因の一つである。癌の治癒向上には癌化に関与する分子を標的とした薬剤開発が挙げられる。しかし未だ発癌の分子機構については不明な点が多く、より詳細な解析が重要である。癌の多くは上皮組織由来である。上皮細胞の増殖や分化の制御機構および上皮組織と間葉との相互作用の分子機構を個体レベルで明らかにすることは、発癌のメカニズムを解明する上で重要である。とくに上皮細胞の過増殖による肥厚、過形成は、創傷治癒や炎症、発癌プロモーターなどの化学物質の暴露等や一般的な癌の好発部位で認められることから、発癌の一機構と考えられる。上皮過形成の機構の解明は発癌のメカニズムを理解する一端になると考えられる。そのためには上皮過形成を誘導する物質の標的分子の機能解析が必要である。本研究では、強力な過形成誘導能を有するホルボールエステル、発癌プロモーターの主要標的分子であるプロテインキナーゼC (PKC) に注目した。

PKCは脂質によって活性化されるセリン・スレオニンキナーゼで細胞増殖、分化や運動など、細胞の様々な機能に関与することが知られている。PKCは10種の分子種からなり、その分子構造と活性化機構から、Ca2+とジアシルグリセロール (DG) によって活性化されるcPKC(α、β1、βII、γ)、Ca2+に依存しないnPKC(δ, ε, η, θ)、Ca2+にもDGにも依存しないaPKC(ζ, λ/ι)の3グループに大別される。中でもPKCαは上皮基底層で高発現し、上皮細胞の増殖、分化や癌化に関与する可能性がこれまでの培養細胞を用いた研究から示されてきた。しかし確定的な証拠はなく、詳細は不明である。本研究は、上皮過形成の誘導および発癌実験が比較的容易な皮膚に着目し、まずPKCαのノックアウトマウスを作製した。このマウスを用いて過形成および腫瘍形成におけるPKCαの役割を主に個体レベルで解析することを目的とした。

マウスPKCα遣伝子 (Prkca) のゲノム構造と遺伝子座の解析

マウスPKCαのcDNAをプローブとして、129SvJゲノムライブラリーからスクリーニングを行い、9クローンを得た。制限酵素地図を作製し、部分的な塩基配列を決定した。Prkca は17のエクソンから成り、少なくとも116kbの遺伝子であった。次に Prkca の遺伝子座を Radiation Hybrid Mapping 法を用いて解析したところ、第11番染色体のセントロメアから65.0cM近傍にマップされ、偽遺伝子は認められなかった。11番染色体には他のPKC遺伝子が存在せず、PKCのダブルノックアウトマウスの作製が容易と考えられる。

PKCαのノックアウトマウスの作製

PKCαは発生初期にも発現するため、ノックアウトマウスの作製は Cre-loxP 系を用いたコンディショナル法が適切と考えられた。ジーンターゲティングは、PKCαの酵素活性に不可欠なATP結合部位をコードするエクソン10を標的として行った。両脇にloxP配列をもつneorをイントロン9に挿入し、イントロン10にloxP配列を挿入したターゲティングベクターを構築した。このベクターをES細胞に導入し、G418耐性細胞120クローンをスクリーニングした。サザンブロットによって相同組み換え体をスクリーニングしたところ、30クローンが相同組み換え体であった。そのES細胞からキメラマウスを作製後、C57BL/6Jマウスとの交配により Prkca+/flax マウスを得た。全身で Cre が発現する CAG-Cre マウスと交配し、 Prkca+/〜 マウスを得た。さらにPrkca+/-マウス同士を交配し、PCRおよびウエスタンブロットによって Prkca-/-マウス (KO) の作製は確認した。

予想に反してKOは見かけ上正常に発生し、外見、行動や繁殖能に異常は認められなかった。主な組織構造も正常であった。KOはメンデルの法則による期待値とほぼ同数誕生し、PKCαは発生に必須の分子ではないことが分った。皮膚で発現する他のPKCの発現を調べたところ、野生型マウス (WT) とKOでの差は認められなかった。この結果は、PKCαが上皮組織構築には必須ではなく、また他のPKC分子種によって、少なくとも発現レベルでの代償は生じないことを示している。

表皮過形成におけるPKCαの機能解析

表皮におけるPKCαの増殖や分化への影響を、8週齢および生後2日目のマウスを用いて検討した。細胞増殖の指標には抗 proliferating cell nuclear antigen (PCNA) 抗体、分化の指標には抗 keratin 5、抗 keratin 1 および抗 loricrin 抗体を用いて免疫染色を行った。KOの表皮におけるPCNA陽性細胞率や分化マーカーの発現にWTとの差は認められなかった。また増殖との関連性が高い Erk の活性化も差はなかった。通常状態において、PKCαは表皮細胞の増殖や分化に必須でないことが明らかとなった。

次に、表皮過形成におけるPKCαの役割を検討した。強力な発癌プロモーターである 12-O-tetradecanoylphorbol-13-acetate (TPA) 10μgをマウス背部皮膚に投与し、組織標本を作製して表皮過形成誘導を調べた。正常な表皮層は2細胞層であるが、TPA投与後48時間で4から6層になる。しかしKOでは2から3層で、顕著に過形成が低下した。TPA投与後7日では、KOおよびWT共に2細胞層に戻った。KOにおける表皮過形成の低下は肥厚の促進や遅延でなかった。さらに、パンチを用いた皮膚全層切除によって創傷治癒を起こし、表皮過形成を誘導した。創の治癒日数に差は認められないが、切除72時間後のKOでは顕著に表皮過形成が低下していた。以上の結果から、PKCαは表皮過形成誘導に対して促進的に働くことが明らかとなった。

KOでは増殖能の低下によって表皮過形成が低下したと考えられた。そこで増殖している細胞を抗PCNA抗体、DNA合成をBrdU取り込みによって調べた。TPA投与後48時間では基底層におけるPCNA陽性細胞率に差は認められなかった。TPA投与後16、20、24時間でのDNA合成の差も認められなかった。しかし36時間後のKOではDNA合成が低下していた。TUNEL法によりDNAの断片化を調べたが有意な差は認められなかった。KOでの表皮過形成の低下は24時間以降の増殖能が低下したためであることが分った。このことは、一度増殖した細胞が上層に移動しにくいため基底層での細胞が密となり接触阻害によって増殖が抑制された可能性や、分化誘導因子も増殖能に影響を及ぼすため、その因子の増加し角化の亢進が誘起された可能性もある。

腫瘍形成におけるPKCαの機能解析

KOの表皮過形成が顕著に低下していたので、PKCαは腫瘍形成において促進的に働くことが予想された。その可能性を皮膚二段階発癌実験を行って検討した。イニシエーションとして7, 12-dimethylbenz〔a〕anthracene (DMBA) 100μgを背部皮膚に一度投与した後、プロモーションとしてTPA (10μg) を週に2回、20週間投与した。腫瘍を発生したWTは50%で、マウスあたりの腫瘍は1.3個であった。しかし、KOでは78%、マウスあたりの腫瘍は6.7個であり、高頻度に腫瘍を発生した。イニシエーターやプロモーターのみの投与ではWT、KO共に腫瘍は発生しなかった。この結果は、PKCαが腫瘍形成に抑制的に働くことを示している。

次に、DMBAを連続投与する発癌実験を行った。100μgのDMBAを週に1度、20週間投与した。WTではマウスあたりの腫瘍は6.6個に対して、KOでは18個と高頻度で腫瘍が発生した。この結果は、KOでは突然変異が高頻度に生じることを示唆している。

胎児由来の繊維芽細胞 (MEF) を用いて突然変異率を調べた。MEFを methyl methanesulfonate で処理した後、ウアバインを含む培地で培養した。KOのMEFではWTに比べて高頻度にウアバイン耐性細胞が出現した。KOのMEFの増殖速度と細胞周期パターンはWTと同じであることから、細胞周期チェックポイントにおける異常は考えにくい。以上の結果はPKCαがDNA修復系に関与することを示唆している。

本研究のまとめ

PKCαは表皮過形成に促進的に働き、腫瘍形成には抑制的に働くことを明らかにした。DMBAを連続投与する発癌実験やMEFを用いた実験からPKCαはDNA修復系に関与する可能性もあるため、KOではDNA修復系の異常によって高頻度に腫瘍発生したと考えられる。一方、KOでは増殖した細胞が上層に移動しにくいため突然変異を生じた細胞が基底層に留まり、高頻度に腫瘍形成した可能性もある。

PKCが癌化に関与する報告は数多い。特にPKCαは、腫瘍形成に関与し、悪性度を促進させると考えられてきた。実際、非肺小細胞癌を標的とした治療薬が開発されつつある。しかし、本研究の成果はPKCαを治療の標的にすることは癌化の促進につながる可能性を示しており、ヒトへの応用に副作用が危惧される。そのため、十分な実験と注意が必要と考えられる。さらに詳細な分子機構を解析することによって、新しいPKCαの機能が解明され、発癌のメカニズムの理解と安全な薬剤開発への応用を期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、発癌機構を脂質によって活性化されるプロテインキナーゼ C (PKC) の機能と関連づけて論じている。PKCは10種の分子種からなり、その分子構造と活性化機構から、Ca2+とジアシルグリセロール(DG)によって活性化されるcPKC (α、βI、βII、γ)、Ca2+に依存しないnPKC (δ, ε, η, θ)、Ca2+にもDGにも依存しないaPKC (ζ, λ/ι) の3グループに大別される。中でもPKCαは上皮基底層で高発現し、上皮細胞の増殖、分化や癌化に関与する可能性がこれまでの培養細胞を用いた研究から示されてきた。上皮細胞の過増殖による過形成は、創傷治癒や炎症、発癌プロモーターなどの化学物質の暴露や癌好発部位にみられることから、発癌の一機構と考えられている。しかし、動物個体における確定的な証拠はないままであった。本論文は、強力な過形成誘導能を有するホルボールエステル発癌プロモーターの主要標的分子であるPKCαに注目し、動物個体レベルで過形成と癌化について研究した成果をまとめたもので、2章からなっている。

序論ではPKCの細胞内での役割について概説し、発癌における問題点、とりわけ上皮組織の再構築系としての過形成が癌の下地になる可能性を論じ、本研究の目的を明確にしている。

第1章では、マウスPKCα遺伝子 (Prkca) のゲノム構造と遺伝子座の解析、さらに遺伝子破壊マウス作出について論じている。Prkcaは17のエクソンから成り、その遺伝子座を第11番染色体のセントロメアから65.0cM近傍と決定した。遺伝子破壊マウスの作出は、PKCαが発生初期にも発現するため、Cre-loxP系を用いたコンディショナル法を採用した。酵素活性に不可欠なATP結合部位をコードするエクソン10を標的とし、発生工学的手法により遺伝子破壊マウスを作出した。ホモ接合型マウスは正常に発生し、行動や繁殖能に異常は認められず、PKCαは発生に必須ではないことを明らかにした。

第2章では、遺伝子破壊マウスを用いて、表皮過形成と腫瘍形成におけるPKCαの役割について論じている。12-0-tetradecanoylphorbol-13-acetate(TPA)を背部皮膚に投与したところ、野生型に比べ、ホモ型では表皮過形成が顕著に低下した。これは肥厚の促進や遅延でなかった。また、皮膚全層切除による創傷治癒時の過形成も低下していた。表皮過形成の低下は基底細胞の増殖能が低下していることを見出し、PKCαが基底細胞の増殖を制御し、結果として過形成に関与することを初めて明らかにした。また、発癌物質7, 12-dimethylbenz[a]anthracene (DMBA)を背部皮膚に一度投与した後、TPAを週に2回、20週間投与する皮膚二段階発癌実験を行ったところ、ホモ型では高頻度に腫瘍が発生した。しかしDMBAの連続投与でも、ホモ型では高頻度に腫瘍が発生したことから、PKCαがDNA修復系に関与する可能性を示した。実際に胎児由来繊維芽細胞を用いて突然変異率を調べ、野生型に比べてホモ型マウス由来の細胞は、高頻度に突然変異を起こすことを明らかにした。PKCαがDNA修復系に関与する可能性を初めて示した。

総合討論として、PKCαが過形成に促進的に働く機構と腫瘍形成に抑制的に働く機構を統合し、さらにDNA修復系について論じている。これまで、PKCαは腫瘍形成に促進的に働くものと考えられてきたが、このことを覆す成果である。さらに、PKCαを癌治療の分子標的とすることへの問題点を提起している。

以上、本論文はPKCαが過形成に促進的に、腫瘍発生に抑制的に働くことを明らかにした。また、細胞内の脂質シグナルとDNA修復系との関連性を示し、学術上の貢献は少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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