学位論文要旨



No 119141
著者(漢字) 藤井,紳一郎
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,シンイチロウ
標題(和) マイクロチップ技術を用いた高感度蛍光分析システムの開発
標題(洋)
報告番号 119141
報告番号 甲19141
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2692号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 講師 安保,充
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緒言

新しい分析手法の開発は、化学、生化学、生命科学など様々な分野で新たな研究の進展をもたらすことが多い。近年、分析化学分野では、マイクロチップ技術が注目を集め、装置の省スペース化、試薬使用量の低減や微小空間での反応効率化が期待され、機能集積型化学システムとして研究されている。既にDNAマイクロアレイ、プロテインチップなどが製品化され、生物が持つ多量の情報を高速に分析できるツールとして用いられている。また、微小空間内で細胞などの機能解析を試みる検討も始まっており、生命科学分野への応用が注目されている。しかし、マイクロチップ技術は超微細加工などの機械工学的要素を多く含み、利用者側が自由な発想を持って使用できる環境は整っていない。これらの技術的障壁を取り除き容易に使用できれば、生命科学分野へのチップ技術導入が一層現実的となり、新たなバイオテクノロジーの展開が期待される。

本研究では、マイクロチップ技術の生命科学分野での普及を促進するため、マイクロチップに関する要素技術の簡易化を検討し、通常の化学系実験室で設計から使用までを完結できるマイクロチップ技術を開発する。併せて、マイクロチップ内部の微小空間において高感度な検出を実現するため、チップ分析に適した蛍光分析装置を開発し、これによりマイクロチップを用いた高感度蛍光分析システムを構築して、その性能を評価することを目的とした。

ガラスの微細加工技術の開発(1)

マイクロチップはガラスやポリマーの基板上に微細加工を施して作製する。従来、微細加工には専用施設や特殊装置を必要としていた。ここでは、一般的な化学系実験室で実施可能なガラス微細加工技術の開発を検討した。具体的には、ガラスを素材としたフォトリソグラフィーの改良を行った。従来のガラスを用いたフォトリソグラフィーでは、ガラス基板上にフォトレジストの接着剤として金とクロムの薄膜を必要としていた。本研究では、通常用いられるフォトレジストの粘性(34 cP)よりも高粘性である800 cPのフォトレジストを利用することで、ガラスに直接フォトレジストを塗布し、金属薄膜なしで微細加工を施すことを可能とした。本方法の導入で、2種類の金属膜形成にかかる蒸着工程とそれを除去する工程が省略され、作業時間の大幅短縮に成功した。また、フォトマスクにはOHPシート、フォトレジストの回転塗布機には卓上遠心機、露光装置には白熱電球を用いるなどして、周辺機材の簡素化を実現した。

提案したガラス微細加工技術において自作のフォトマスクを用いた結果、線幅約80 μm(ロット間相対標準偏差=31.9%)程度の造形を作製することができた。造形線幅約220 μmでは、ロット間相対標準偏差=5.7%と比較的均一な造形ができ、十分にマイクロチップとして利用できると結論した。

マイクロチップ作製技術の開発

本研究では、蛍光分析に適したマイクロチップを作製することを目的に、その素材、加工方法および周辺技術の開発、検討を行った。マイクロチップの素材として、励起光による自家蛍光が発生しにくく、耐薬品性の高いガラスと、透明で光学特性に優れ、加工が容易なシリコーン樹脂のポリジメチルシロキサン(PDMS)について検討した。

ガラスをチップ素材とする場合、前述したガラスの簡易微細加工技術を適用できる。フォトリソグラフィーで微細加工を施すことで、ガラス基板に任意のパターンで溝を作製でき、これに蓋をして流路とする。PDMSをチップ素材とする場合、キャピラリーやプラスチック板といった突起物を鋳型に用いたり、あるいはフォトリソグラフィーで微細加工を施したガラス基板を鋳型とし、射出成形で流路を作製することができる。

PDMSは近紫外領域において吸光度が小さく、通常のガラスよりも光学特性に優れている。また、耐薬品性については、濃硫酸やある種の有機溶媒に対して溶解性や膨潤性を示すが、比較的多くの試薬に耐性を示すことから、マイクロチップ素材に適している。加えて、鋳型を用いた微細加工では、繰返し精度良く造形することが可能であり、ガラスの微細加工のようなロット間の造形誤差は発生しない。さらにPDMSは、熱硬化樹脂であるために導入用コネクタなどの埋め込みが容易で、硬化した物は平面への貼り合わせが容易であるため、マイクロチップに必要な機能を容易に付加することができる。本研究ではPDMSを素材としたマイクロチップを作製し(図1)、蛍光分析に使用することとした。

マイクロチップ用蛍光検出装置の開発(2)

マイクロチップ内の微量試料を検出する高感度分析手法として、蛍光分析法を選択した。マイクロチップ分析に適用する分析装置の開発にあたり、一般的な実験室で使用できるように汎用の蛍光光度計を利用するという発想から、アタッチメント式の新しい検出装置である落射型蛍光ユニットを設計した。本装置は、ステージ上のマイクロチップ底面に光ファイバー経由で励起光を照射し、試料から発する蛍光をレンズで集光し検出する(図2)。本装置の特徴は、(1)光ファイバー経由の試料近傍からの励起光照射、(2)光学フィルターを用いず、分光器での波長選択、(3)レンズを用いた蛍光の集光、(4)汎用装置に装着して使用できるなどである。これらの特徴から、高感度な蛍光分析だけでなく、スペクトル測定や複数波長の同時利用といった機能的な分析について、汎用装置の簡便な操作性と解析ソフトを利用できる。本装置をさらにチップ分析に適したものとするため、3次元可動ステージと、送液チューブなどを挿入可能な遮光蓋を付与した。

落射型蛍光ユニットを評価するため、亜硫酸イオンを蛍光誘導体化し、マイクロチップ上で蛍光検出を行ったところ、良好な検量線を作成することができた。また、従来の蛍光光度計と比較して、本装置は絶対量で2桁程度の高感度化を実現した。可動ステージや遮光蓋も十分に機能しており、本装置がマイクロチップ分析に適した高感度蛍光検出装置であることが示された。

マイクロチップ技術を用いた蛍光分析(3)

本研究では、環境試料中に存在し、食品添加物に用いられる亜硫酸および亜硝酸イオンを対象として蛍光分析を行った。亜硫酸イオンにはN-(9-acridinyl)mareimide(NAM)を用い、亜硝酸イオンには2,3-diaminonaphthalene(DAN)を用いて蛍光誘導体化し、作製したマイクロチップ上で落射型蛍光ユニットを用いて分析を行った。両物質について良好な検量線を得ることができ、実試料中濃度を検出することができる感度が得られた。

本研究で開発した落射型蛍光ユニットは、複数の波長を同時に利用することができるため、2種の蛍光物質を同時に検出する系の検討を行った。亜硫酸イオンと亜硝酸イオンを含む試料をNAMおよびDANを用いて蛍光誘導体化する条件の検討を行い、360 nmで励起し、蛍光波長474 nm(亜硫酸イオン)と388 nm(亜硝酸イオン)を検出することで高感度かつ選択的に両物質を検出することができた。この検出をマイクロチップ上で行ったところ、良好な検量線が同時に得られ、高い再現性が示された。

前述の分析手法を利用し、環境試料水と飲料中の亜硫酸および亜硝酸イオンの同時蛍光分析を行った。両物質は実試料中から検出でき、環境試料水を用いた標準添加回収実験では100〜108%の回収率が示されたことから、良好な結果が得られたと考えられる。

自作したPDMSマイクロチップと落射型蛍光ユニットを用いた蛍光分析を行った結果、極微量の測定試料でも高感度に検出でき、2種類の物質を同時かつ選択的に検出することができた。本分析法は汎用装置を利用して行うため、操作やデータ解析も容易である。また、マイクロチップを用いることで、使用する試薬、試料量を大幅に低減し、工程を集積化できたことから、操作時間の短縮ができ、省エネルギー的な分析手法と言える。

結言

これまでマイクロチップ技術は、微細加工や高感度検出などにおいて機械工学的分野に強く依存してきたため、生命科学分野への技術導入が遅れている。本研究では特別な装置、技術を必要としない微細造形技術、マイクロチップ作製技術および高感度検出技術を開発した。この技術は、今までマイクロチップ技術を導入できなかった分野において、技術導入を容易にすることができると考える。マイクロチップは外部からも入手できるが、高価で、設計や製作に長時間を要するなどの問題を含み、基礎研究や試行的な実験に用いることは容易でなかった。本研究で開発したマイクロチップ作製技術は、利用者の発想を自在に具現化でき、必要なときに必要なだけチップを作製することが可能となる。また、本研究では分析工程の集積化を行ったが、チップ上の造形を変えることで、分析装置としてだけでなく、リアクター、培養器、分離・抽出器などに利用でき、分析装置との組み合わせで、生体試料分析、細胞アッセイなどへの展開も考えられる。マイクロチップ技術の応用性拡大に、ここで開発した技術が寄与すると考える。

Fujii, S., Tokuyama, T., Abo, M., Okubo, A., Analyst, submitted.Fujii, S., Tokuyama, T., Abo, M., Okubo, A. (2003), μTAS 2003, 7(1), 391-394.Fujii, S., Tokuyama, T., Abo, M., Okubo, A. (2004), Anal. Sci., 20(1), in press.
審査要旨 要旨を表示する

マイクロチップ技術は分析化学分野において、装置の省スペース化、試薬使用量の低減や微小空間での反応効率化などが期待され、機能集積型化学システムとして近年注目されている。しかし、機械工学的要素を多く含み、生命科学分野など利用者側が容易に利用できる環境は整っていない。本論文は、マイクロチップ技術の生命科学分野への普及を目指して、マイクロチップ作製に関する要素技術の簡易化と、マイクロチップに適した高感度蛍光分析装置の開発に関する研究をまとめたもので、6章からなっている。

第1章の緒言では、マイクロ空間の特性や微小空間における光学分析など、マイクロチップ技術に関する、研究開始時までの知見、問題点について述べられている。マイクロチップ技術を利用するには、微細加工技術や、微少量の試料を対象とした高感度分析技術などが必要とされ、機械工学的分野を中心に、マイクロチップに関する要素技術が開発されている。

第2章では、ガラスを素材としたフォトリソグラフィー法を改良し、微細簡易加工技術を開発した。ここでは、高粘性のフォトレジストを使用することで、通常の工程で用いられる金属薄膜を必要としない系を開発し、作業時間が大幅に短縮された。また、その他の作業に必要な装置、材料についても比較的安価で容易に入手できるものを選択し、簡素化を実現した。この簡易方法を利用して、造形線幅約220 μmにおいて、ロット間相対標準偏差=5.7%とマイクロメートルオーダーの造形をガラス上に比較的均一に作製することができた。

第3章では、蛍光分析に適したマイクロチップを作製するため、素材や加工方法および周辺技術を開発した。ここでは、PDMSを用いて、マイクロチップの作製を行った。PDMSはガラスよりも光学特性に優れ、光学分析に適した素材である。また、熱硬化時にコネクタなどの構造物を埋め込むことが容易にでき、硬化したPDMSは接着剤などを必要とせずに平面への貼り合わせが可能である。さらに、ガラス鋳型を用いたPDMSへの微細造形では、造形誤差が生じず、同じ形の複数のチップを作製でき、マイクロチップ素材としては極めて有効である。加えて、マイクロチップへ送液するための周辺技術の検討を行い、簡易に作製のできる、ポンプ駆動方法のマイクロチップシステムを作製した。

第4章では、微少量試料を検出するための高感度分析手法として、蛍光分析法を選択し、マイクロチップ分析に適した蛍光分析装置の開発を行った。新規に開発した落射型蛍光ユニットは、マイクロチップの底面に光ファイバー経由で励起光を照射し、試料から発する蛍光をレンズで集光し、検出する装置である。この装置に位置の微調整が可能なホルダーと、開閉式の遮光蓋を付加した。また、蛍光光度計付属の分光器で励起、蛍光を波長分光でき、汎用装置の簡便な操作性を利用できる蛍光検出装置として設計した。本装置の評価を行うため、亜硫酸イオンを蛍光誘導体化し、マイクロチップ上で蛍光検出を行った。本装置を用いて良好に蛍光検出でき、また、波長分光測定もマイクロチップ上で容易に行うことができた。感度比較をしたところ、微少量の試料を対象とするため、同条件の測定を行った蛍光光度計での結果よりも濃度感度ではやや劣る結果となったが、絶対量では2桁良い結果を示した。

第5章では、作製したPDMSマイクロチップおよび落射型蛍光ユニットを用い、亜硫酸および亜硝酸イオンの蛍光分析を行った。また、各蛍光誘導体化反応の諸条件について検討を行い、同時蛍光測定ができる条件を探索した。検討の結果、蛍光誘導体化反応後のpH調整により、両者の蛍光ピークを分離することができ、かつ蛍光強度を増感する反応条件が得られた。蛍光試薬で蛍光誘導体化し、pH調整を行った反応溶液について、落射型蛍光ユニットの波長分光機能を利用し、360 nmの1波長で励起し、388 nm(亜硝酸イオン)、474 nm(亜硫酸イオン)の2蛍光波長を同時に検出する測定系を設計した。この蛍光測定系を用いることで、互いの蛍光による干渉を受けずにマイクロチップ上において両イオンを高感度かつ同時に分析することが可能となった。また、実試料分析においても良好な結果を得ることができ、分析系および分析装置が良好に機能した。

第6章では、本研究のまとめと今後の展望が述べられている。

以上、本論文は、機械工学的分野を中心として発展してきたマイクロチップ技術について、他の分野への普及を目指し、微細簡易加工技術を含むマイクロチップの簡易作製技術と、新規の高感度蛍光分析装置の開発を行ったものであり、学術上、および実用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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