学位論文要旨



No 119143
著者(漢字) 頼,泰樹
著者(英字)
著者(カナ) ライ,ヒロキ
標題(和) 土壌微生物の群集構造解析法に関する研究
標題(洋)
報告番号 119143
報告番号 甲19143
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2694号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 石井,正治
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

土壌は多種多様な鉱物、土壌有機物で構成され、地域の気候や地形、母材、植生などから影響を受けて生成したものである。その結果、いろいろな場所において一つとして同じ土壌はなく、土壌の多様性は無限であるといえるだろう。ひとにぎりの土壌においてもその中には極めて多様な微視的環境が存在しており、土壌は性質が異なる様々な生物にそれぞれの生活の場を与えている。土壌圏の生物は、生命活動の基盤となる土壌により大きな影響を受けていると考えられ、限りなく多様な土壌の種類、微視的環境を考えれば、微生物という生物群の多様性には土壌という複雑な環境が大きく寄与していると思われる。

土壌には極めて多くの種類の微生物が生息し、植物遺体の分解、植物との相互作用、土壌病害の低減、難分解性有機物の分解などを行っており、土壌微生物群集は土壌生態系における安定な作物生産や物質循環、環境保全などの極めて重要な役割を果たしている。そのため土壌微生物の群集構造を明らかにする試みが古くから行われてきている。しかし、現在のところ土壌微生物の99%以上が培養できないとされており、培養法に依存した土壌微生物の群集構造解析は実際の微生物群集構造を正確に反映しているかどうか疑わしい。この問題を克服するため、微生物の培養を経ない群集構造解析法が開発されてきた。すなわち各微生物を特徴付けるバイオマーカーを土壌から直接抽出して解析する、あるいは土壌の基質代謝能を解析することによりその土壌に存在する微生物の群集構造を明らかにしようとするものである。代表的なものとして

・土壌から微生物DNAを直接抽出しPCRで標的配列を増幅し、DGGEなどで解析する方法・土壌から抽出したリン脂質の脂肪酸組成を解析する方法・土壌から抽出したキノンの組成を解析する方法・Biologなどを用いて基質代謝能を解析する方法 などがあげられる。

筆者はこれまでに土壌中での難分解性腐植の生成機構、とりわけ火山灰土壌においてなぜ難分解性の腐植が集積するのかを明らかにするために、各種土壌における有機物分解過程の解析を試み、有機物分解に関与する微生物の群集構造解析を試みてきた。しかしその過程で、従来の群集構造解析法では日本の代表的な土壌の一つである火山灰土壌を対象とした場合、バイオマーカーの抽出量が極めて少ないことなど、現状ではその解析結果の信頼性に大きな問題があることが判明した。

そこで本博士論文では、土壌微生物の群集構造解析法として土壌抽出DNAを用いたPCR-DGGE解析、リン脂質脂肪酸組成解析、キノン組成解析という主要な3種類の方法を取り上げ、それらの改良と相互比較を行った。

土壌からのDNA抽出

土壌や汚泥などの環境サンプルからDNAを直接抽出し、そのDNAよりPCR反応を用いて解析対象の塩基配列を増幅し、クローニングやPCR-DGGEなどを経た解析が現在盛んに行われている。土壌から直接抽出したDNAの塩基配列を解読することにより、培養できない微生物についても系統学的な群集構造や新規の遺伝子に関する情報の入手が可能になるからである。土壌からのDNA抽出法としては、Zhouら(1996)やCullenとHirsch(1998)、TsaiとOlson(1991)らの方法が代表的である。しかし、これらの方法では日本の主要な土壌の一つである火山灰土壌からはDNA抽出効率が極めて悪く、また腐植の混入が問題となり、精製操作に時間を要した。

そこで火山灰土壌からも抽出可能でかつ簡便な土壌DNA抽出法の開発を試みた。従来法でも非火山灰土壌からはDNA抽出が可能であったので、火山灰土壌からDNAが抽出できない原因は土壌自体の性質にあると推定した。火山灰土壌はアロフェンなどの非晶質成分により有機物を集積する能力が極めて高いことが知られている。このことから火山灰土壌からDNAが抽出できない原因は土壌によるDNAの吸着であるという作業仮説を設け、実験を進めた。抽出条件を詳細に検討した結果、EDTAとリン酸緩衝液の高濃度混合溶液を用いると火山灰土壌からも十分な量のDNA抽出が可能になった。EDTAやリン酸緩衝液の高濃度での使用は腐植物質の抽出量を増加させるため、従来これらを低濃度で使用する方法が主であった。しかし、火山灰土壌からのDNA抽出においては、火山灰土壌のDNA吸着部位すなわちアロフェンに含まれる活性Alをキレートあるいはマスキングすることが不可欠であるため、EDTAおよびリン酸緩衝液を極めて高濃度で使う必要があったと考えられる。

またDNAとともに土壌から抽出される腐植物質は極微量でもPCR反応を阻害するため、DNA抽出後に腐植の除去を目的とした精製操作が必要である。従来法ではこの精製操作は極めて煩雑で時間もコストもかかることが問題であった。極めて高濃度のEDTAやリン酸を使用する新方法では、DNAとともにアロフェンに吸着している腐植物質も多量に抽出される。そこで比較的腐植物質の混入を低減する抽出条件を明らかにするとともに、CTAB処理とPEG沈殿という原理の異なる簡便な精製を組み合わせることにより、PCR可能な高純度DNAを得ることができる精製方法を開発した。今回開発した抽出、精製方法は非常に簡便であり、しかもPCR可能なDNAを極めて多量にかつ再現性よく土壌から得られる方法である。

PCR-DGGE解析

土壌抽出DNAを鋳型としたPCRはmultitemplate PCRであり、反応前の鋳型比を正確に反映しないPCRバイアス、heteroduplex(相補鎖同士が正しくない組み合わせの二本鎖DNA)やキメラ鎖の生成など微生物群集のDGGE解析結果に誤りをもたらす可能性がある。

DGGE解析の際、特に問題となると思われたのがheteroduplexの生成である。塩基配列が既知の細菌株について16S rRNA遺伝子のV3領域を増幅しDGGE解析したところ、複数のリボタイプを持つ菌株の中にはheteroduplexに由来する泳動パターンを示すものが存在し、このheteroduplexのバンドが群集構造解析の際にも出現する可能性があった。そこでheteroduplexが生成する条件ならびにその解消方法について、既知の細菌株を用いて検討した。その結果PCRの反応サイクル数が多い場合にheteroduplex生成率が高くなること、PCR産物の最大収量(plateau phase)の約1/3量が得られた時点で反応のサイクルを止めることで、DGGE解析のバンドパターンに影響を与えない程度にheteroduplexの生成をとどめることが可能であることを明らかにした。これまでもplateauに達したPCRの問題点は指摘されてきたが、今回の結果から、DGGEなどを用いた多様性解析を行う場合は必要最小限のサイクル数で増幅を行う必要があることが示された。なお現在までのところ土壌DNAのDGGE解析についてはバンドパターンに変化を与えるようなheteroduplexの生成は認められなかった。

土壌リン脂質およびキノンの分析

土壌からリン脂質およびキノンを抽出する際、従来、リン脂質はBligh & Dyer法、キノンはFolch法と異なる2つの方法で抽出していた。しかしリン脂質もキノンも脂質分子であるので、Bligh & Dyer法で両者を全脂質として抽出し、それぞれの画分に分画する方法を検討した。

また、リン脂質は脂質分子であるが親水基であるリン酸基を持つことから、DNAと同様にアロフェンに吸着され抽出量が少なくなっている可能性を考えた。そこで抽出の際、高濃度EDTA-リン酸緩衝液を用いる抽出方法も検討した。

その結果、リン脂質およびキノンを同時に抽出し、その後分画する新方法を確立した。さらにこの新方法では従来法と比較してキノンの抽出量はほとんど変化しないものの、火山灰土壌からのリン脂質の抽出においては最大約2倍の収量が得られた。

バイオマーカーとバイオマスとの相関

土壌バイオマス量は土壌微生物量にほぼ相当し、土壌の生物性や化学性における重要な指標の一つである。リン脂質やキノンなどのバイオマーカー量も微生物量に比例しているはずであり、これまでもこれらのバイオマーカー量と土壌微生物バイオマス量に相関が得られたという報告がある。新方法により土壌DNAやリン脂質の抽出効率が改善されたことから、得られた土壌DNAやリン脂質、キノン量が土壌バイオマス量と相関が得られるか、またこれらのバイオマーカー量により土壌のバイオマス量を推定することが可能であるかを検討した。

おわりに

火山灰土壌は日本の主要な土壌である。火山灰土壌は他の土壌と比較してきわめて特異な理化学的性質を有している。その特異な性質がDNAやリン脂質といった微生物生体成分の抽出に及ぼす影響についてこれまでは充分な検討がなされてこなかった。

本博士論文では火山灰土壌を土壌化学的な側面から再検討した結果、従来は非常に困難とされていた火山灰土壌からのDNA抽出を、短時間、低コストで行う方法の開発に成功した。この新しい方法により様々な土壌から大量のDNAを抽出することが可能となり、加えてPCRに伴う問題を解決することにより、土壌微生物の群集構造解析の信頼性向上を実現した。さらに主要なバイオマーカーの抽出効率の改善により、土壌微生物の群集構造解析はより定量的なものへと前進した。現在、土壌微生物の研究は、従来の培養法に基づいた研究からDNAなどの生体構成成分を利用した培養を経ない研究に大きく転換しようとしている。本博士論文で新たに確立ならびに改良された手法を用いることにより、今後日本の火山灰土壌に関する信頼性の高い土壌微生物学的知見が得られるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

土壌微生物群集は土壌生態系における安定な作物生産や物質循環、環境保全などの極めて重要な役割を果たしている。そのため土壌微生物の群集構造を明らかにする試みが古くから行われてきており、特に近年は微生物の培養を経ない群集構造解析法が開発されてきた。すなわち各微生物を特徴付けるバイオマーカーを土壌から直接抽出して解析することによりその土壌に存在する微生物の群集構造を明らかにしようとするものである。

筆者は土壌中での有機物分解に関与する微生物の群集構造解析を試みてきた過程で、従来の群集構造解析法では日本の代表的な土壌の一つである火山灰土壌を対象とした場合、バイオマーカーの抽出量が極めて少ないことなど、現状ではその解析結果の信頼性に大きな問題があることを見出していた。本論文ではその問題を解決すべく、土壌微生物の群集構造解析法として土壌抽出DNAを用いたPCR-DGGE解析、リン脂質脂肪酸組成解析、キノン組成解析という主要な3種類の方法を取り上げ、それらの改良と相互比較を行った結果について述べたもので、6章からなっている。

序論である第1章に引き続き、第2章では土壌からのDNA抽出法の開発について述べられている。土壌からDNAを直接抽出し、PCR反応を用いて解析対象の塩基配列を増幅し、クローニングやPCR-DGGEなどを経た土壌微生物群集構造解析が現在行われている。いくつかの土壌DNA抽出法が海外の研究者により報告されているが、それらの方法では日本の主要な土壌の一つである火山灰土壌からはDNA抽出効率が極めて悪く、また腐植の混入が問題となり、精製操作に時間を要した。そこで火山灰土壌からも抽出可能でかつ簡便な土壌DNA抽出法の開発を試みた。抽出条件を詳細に検討した結果、EDTAとリン酸緩衝液の高濃度混合溶液を用いると火山灰土壌からも十分な量のDNA抽出が可能になった。火山灰土壌からのDNA抽出においては、火山灰土壌のDNA吸着部位すなわちアロフェンに含まれる活性Alをキレートあるいはマスキングすることが不可欠であるため、EDTAおよびリン酸緩衝液を極めて高濃度で使う必要があったと考えられる。またDNAとともに土壌から抽出される腐植物質は極微量でもPCR反応を阻害するため、DNA抽出後に腐植の除去を目的とした精製操作が必要である。そこで腐植物質の混入を低減する抽出条件を明らかにするとともに、CTAB処理とPEG沈殿という原理の異なる簡便な精製を組み合わせることにより、PCR可能な高純度DNAを得ることができる精製方法を開発した。今回開発した抽出、精製方法は非常に簡便であり、しかもPCR可能なDNAを極めて多量にかつ再現性よく土壌から得られる方法である。

第3章ではPCR-DGGE解析において問題となるheteroduplex(相補鎖同士が正しくない組み合わせの二本鎖DNA)の解消法を検討した結果について述べられている。塩基配列が既知の細菌株について16S rRNA遺伝子のV3領域を増幅しDGGE解析したところ、複数のリボタイプを持つ菌株の中にはheteroduplexに由来する泳動パターンを示すものが存在し、このheteroduplexのバンドが群集構造解析の際にも出現する可能性があった。そこでheteroduplexが生成する条件ならびにその解消方法について、既知の細菌株を用いて検討した。その結果PCRの反応サイクル数が多い場合にheteroduplex生成率が高くなること、PCR産物の最大収量(plateau phase)の約1/3量が得られた時点で反応のサイクルを止めることで、DGGE解析のバンドパターンに影響を与えない程度にheteroduplexの生成をとどめることが可能であることを明らかにした。

第4章では、土壌リン脂質およびキノンの分析法の改良について述べられている。土壌からリン脂質およびキノンを抽出する際、従来、リン脂質はBligh & Dyer法、キノンはFolch法と異なる2つの方法で抽出していた。しかしリン脂質もキノンも脂質分子であるので、Bligh & Dyer法で両者を全脂質として抽出し、それぞれの画分に分画する方法を検討した。また、リン脂質は親水基であるリン酸基を持つことから、DNAと同様にアロフェンに吸着され抽出量が少なくなっている可能性を考えた。そこで抽出の際、高濃度EDTA-リン酸緩衝液を用いる抽出方法も検討した。その結果、リン脂質およびキノンを同時に抽出し、その後分画する新方法を確立した。さらにこの新方法では従来法と比較してキノンの抽出量はほとんど変化しないものの、火山灰土壌からのリン脂質の抽出においては最大約2倍の収量が得られた。

第5章ではバイオマーカーとバイオマスとの相関について述べられている。新方法により土壌DNAやリン脂質の抽出効率が改善されたことから、得られた土壌DNAやリン脂質、キノン量が土壌バイオマス量と相関が得られるか、またこれらのバイオマーカー量により土壌のバイオマス量を推定することが可能であるかを検討した。

第6章では研究の総括と今後の展望が述べられている。

以上、本論文は、様々な土壌から大量のDNAを抽出する手法を開発し、加えてPCRに伴う問題を解決することにより、土壌微生物の群集構造解析の信頼性向上を実現した。さらに主要なバイオマーカーの抽出効率の改善により、土壌微生物の群集構造解析をより定量的なものへと前進させたものであり、学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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