学位論文要旨



No 119148
著者(漢字) 西上,愛
著者(英字)
著者(カナ) ニシカミ,アイ
標題(和) 広葉樹再生林の林分動態解析と成長予測 : 栃木県唐沢山における実証的研究
標題(洋)
報告番号 119148
報告番号 甲19148
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2699号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京農工大学 教授 上野,洋二郎
 東京大学 助教授 石橋,整司
内容要旨 要旨を表示する

かつて薪炭林・農用林として利用されていた里山林では,昭和30年代から化学肥料や化石燃料の普及にともなって人間の利用が減少していった。放置された里山林は物質的な利用価値と経済価値を失い,住宅・工場・ゴルフ場などの開発が進められたが,近年,身近な自然の減少に対する危機感や里山林特有の種多様性に対する関心が高まると同時に,里山林をレクリエーションや市民活動,環境教育の場として利用されるケースが増えてきた。このように放置された里山林に代表される広葉樹再生林に対しての関心の高まりやそこでの活動が拡大している現状をふまえると,広葉樹再生林を管理するための指針が必要になると考えられる。

あらゆる森林の管理においてもっとも基本的なことは,将来の林の姿を描いた上で計画を立てること,すなわち,成長予測に基づいて計画を立てることである。成長予測を適切に行うためには,(1)現在の林分構造の的確な把握と分類(林型区分),(2)林型区分に基づく成長解析,(3)成長モデルの作成と予測,という3つの段階が必要である。異齢混交複層林である広葉樹再生林では,同齢一斉単純林と異なり,林床の後継樹や下層の林木が将来の林相に関わってくるので,後継樹や下層の林木の動態を明らかにする必要がある。また,複層林の変化にもっとも影響する上層の林木の動態解析はもちろん,上層の林木と下層の林木や後継樹との相互関係を明らかにする必要がある。広葉樹再生林や二次林の研究は数多くあるが,計画・管理の視点に立ち上記3点を明らかにしようとする研究はみられない。

そこで,本研究では広葉樹再生林の林分構造と林分成長について林床から上層までを対象として分析を行い,その結果を成長モデルに応用し,広葉樹再生林の成長を予測可能とすることを目的とした。調査対象地は(1)落葉広葉樹と常緑広葉樹の両方が生育可能な範囲にある,(2)人手が加わらなくなってから数十年という時間が経過している,という日本の多くの広葉樹再生林共通の特徴を有した栃木県南部に位置する唐沢山の広葉樹再生林とした。唐沢山で得られた知見は,多くの日本の広葉樹再生林に応用できるものと考えられる。

唐沢山の広葉樹再生林に13カ所のプロットを設け,林分構造,林分成長に関する調査を行った。まず,上木(樹高1.2m以上の林木)の構造について分析を行った結果,胸高直径10cm以上を上層木,10cm未満を下層木として広葉樹再生林を扱うことができることがわかった。また樹種構成をみてみると,どのプロットも上層木は主にコナラやサクラ類などの高木性落葉広葉樹で占められているが,下層木は高木性常緑広葉樹(アラカシなど)と小高木性常緑広葉樹(ヒサカキ,ヤブツバキなど)がみられる林分とほぼ落葉広葉樹で占められる林分があることがわかった。林床空間(地表から1.2mまでの空間)の後継稚樹(木本のうち上木にも存在する種)も下層木と同様に高木性・小高木性常緑広葉樹の存在する林分とほとんど存在しない林分があった。以上,林床から上層木までの樹種構成を中心に検討したところ,上層木には高木性落葉広葉樹が多いこと,下層木および林床空間の後継稚樹においては,特に,高木性・小高木性常緑広葉樹のBA合計および絶乾重量に違いがみられることが明らかとなった。

唐沢山は,年降水量や年平均気温から判断すると,暖帯性常緑広葉樹林が存在する範囲である。また,唐沢山周辺の潜在自然植生は常緑広葉樹であるとされている。これらのことと,上層木に高木性落葉広葉樹が多く,下層木や後継稚樹に高木性常緑広葉樹がみられることから,唐沢山の広葉樹再生林は基本的に落葉広葉樹林から常緑広葉樹林への遷移の途中相であると推測される。しかし,上層木から後継稚樹まで高木性・小高木性常緑広葉樹がほとんどみられない林分も存在しており,唐沢山のすべての広葉樹再生林が常緑広葉樹林へ推移していくとは考えにくい。高木性常緑広葉樹がほとんどみられないプロットとその他のプロットの地況について比較したところ,斜面方位のみが異なっており,前者は北向き斜面に,後者は南もしくは西向き斜面に位置していた。そこで,斜面方位に起因する環境要因の違いについて,温度条件を中心に検討した。その結果,唐沢山は平均気温や温かさの示数,寒さの示数では常緑広葉樹の分布する範囲であるが,最寒月(1月)の平均気温(1.8〜3.3℃)で考えると常緑広葉樹林の主要構成種であるスダジイやカシ類の分布北限と同程度の温度環境であることが明らかとなった。そのような温度環境の中で,唐沢山では冬期の北西季節風が強く,冬期の北向き斜面の林分では他の林分に比べて地温が低く乾燥害を受けやすい条件が整っていることから,常緑広葉樹林が生育するには厳しい環境であると推察された。したがって,今後も高木性常緑広葉樹が生育する可能性は低いと考えられた。

次に,第1回目定期測定調査(1997〜1998年)と第2回目定期測定調査(2003年)の測定結果を用いて林分成長について解析した結果,(1)上木全体では,上木の多いプロットの方が枯損量が多く,粗成長量については上限と下限が存在する可能性があること,(2)下層木の落葉樹は,上層木の多いプロットの方が成長が悪いが,枯損に対しては上層木の影響は低いこと,(3)下層木の常緑樹の成長や枯損については,上層木の量の影響はあまりみられないこと,(4)落葉樹よりも常緑樹の方が枯損量,枯損率が低く,枯損しにくいことなどが,明らかになった。

最後に,本研究で得られた知見をもとに既存の天然林成長予測モデル(FSD)を広葉樹再生林に応用した。その際,以下の点を変更および改良した。(1)一般に林分の現存量を表すのに蓄積を用い,FSDでも直径分布から一変数材積式を用いて算出した蓄積を基本にして粗成長量などを求めている。しかし,関東地方の森林は傾斜地が多く広葉樹は直立して成立していない場合が多いので,材積式を用いても精度のよい値が得られるとは考えにくい。そこで,蓄積ではなくBA合計をベースにしたモデルに変更した。(2)FSDではある直径階以上の林木(主木)を対象に三つの径級に分類して成長予測を行っているが,本研究で胸高以上の林木(上木)を対象に分析を行った結果,唐沢山の広葉樹再生林は上下二層に分けて扱うことが適切であると考えられた。したがって,上木を胸高直径10cmで二つの径級に分類して予測を行った。(3)FSDでは期末に主木に参入してくる個体数(進界量)は中大径木蓄積から推定した小径木本数をもとに予測しており,この進界量の推定方法をより正確にする必要性が指摘されていた。本研究における林分構造の分析の結果,胸高以上の樹高を持つ林木(上木)は主木と副木ではなく,胸高直径10cmで上層木と下層木に分ける方が林分構造をうまくとらえていることがわかったので,進界量は主木と分けて推定するのではなく,下層木内の成長の結果として推定した。(4)針広混交の天然林を対象にして開発されたFSDでは樹種は基本的に針葉樹と広葉樹の2種類に分けて予測を行っている。唐沢山の広葉樹再生林のモデルでは,常緑広葉樹の侵入具合,落葉広葉樹と常緑広葉樹の成長の違いが重要であると考えられることから,樹種を常緑広葉樹と落葉広葉樹の二つに分けて予測を行った。(5)FSDにおいて林冠層を構成すると考えられる大径木は寿命などを考慮して枯損率が決定されているが,本研究では落葉広葉樹の寿命等,検討するのが困難であった。本研究における林分成長の分析の結果,上層木の量が多いほど落葉広葉樹の上層木の枯損率が高い傾向がみられたので,その関係から上層木の枯損率を推定した。(6)FSDにおいては小径木および中径木の枯損率はおのおのより上層にある中大径木蓄積および大径木蓄積の影響を受けるとされているが,本研究では下層木の枯損率は上層木のBA合計の影響が小さいと考えられることから,下層木の枯損率は一定とした。

上記の点を変更および改良した「改良モデル」と進界量の推定方法のみ従来の方法を用いた「オリジナルモデル」の予測結果を比較したところ,改良モデルの方がより現実の進界量を正確に予測しており,進界量の予測に今回のモデルが有効であることが示唆された。また,改良モデルにより30年後の予測を行った。期首に上層木の少ない林分は30年後に落葉広葉樹が上層木を優占し,同時に常緑広葉樹が下層木に多く存在する林分になると予測された。一方,期首に上層木が多い林分の30年後は,上層木は落葉広葉樹が優占し続ける中に常緑広葉樹が含まれ,下層木は常緑広葉樹が多く存在する林分になると予測され,期首と同じような林分構造が維持される可能性が示された。

以上,本研究についてまとめると,(1)FM唐沢山の広葉樹再生林は上木を上下二層に区分して扱うことが適切である可能性が示された。林床から高木層までの樹種構成を検討したところ,斜面方位の影響により常緑広葉樹の有無という林分構造に大きな違いが見られ,落葉広葉樹から常緑広葉樹林へ推移する林分と推移しない林分がある可能性が示された。(2)成長について分析を行った結果,常緑広葉樹と落葉広葉樹では成長に違いがみられることが確認された。(3)分析結果をもとに,成長モデルの改良を行い,また得られた特徴をパラメータに反映させた結果,予測が改善され,広葉樹再生林の成長予測を行うことが十分可能であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

かつて薪炭林・農用林として利用されていた里山林では,昭和30年代から化学肥料や化石燃料の普及にともなって人間の利用が減少し,放置された里山林は直接の利用価値と経済価値を失っていった。しかし,近年,身近な自然の減少に対する危機感や里山林特有の種多様性に対する関心が高まると同時に,里山林をレクリエーションや市民活動,環境教育の場として利用するケースが増え,広葉樹再生林を管理するための指針が必要になると考えられる。あらゆる森林の管理においてもっとも基本的なことは,成長予測に基づいて計画を立てることである。成長予測を適切に行うためには,(1)現在の林分構造の的確な把握と分類(林型区分),(2)林型区分に基づく成長解析,(3)成長モデルの作成と予測,という3つの段階が必要である。異齢混交複層林である広葉樹再生林では,同齢一斉単純林と異なり,林床の後継樹や下層の林木が将来の林相に関わってくるので,後継樹や下層の林木の動態を明らかにする必要がある。また,複層林の変化にもっとも影響する上層の林木の動態解析はもちろん,上層の林木と下層の林木や後継樹との相互関係を明らかにする必要がある。広葉樹再生林や二次林の研究は数多くあるが,計画・管理の視点に立ち上記3点を明らかにしようとする研究はみられない。そこで,本研究では広葉樹再生林の林分構造と林分成長について林床から上層までを対象として分析を行い,その結果を成長モデルに応用し,広葉樹再生林の成長を予測することを目的とした。

栃木県南部に位置する唐沢山の広葉樹再生林に13カ所のプロットを設け,林分構造,林分成長に関する調査を行った。まず,上木(樹高1.2m以上の林木)の構造について分析を行った結果,胸高直径10cm以上を上層木,10cm未満を下層木として広葉樹再生林を扱うことができることがわかった。また,林床から上層木までの樹種構成を中心に検討したところ,上層木には高木性落葉広葉樹が多いこと,下層木および林床空間の後継稚樹においては,特に,高木性・小高木性常緑広葉樹のBA合計および絶乾重量に違いがみられることが明らかとなった。

高木性常緑広葉樹がほとんどみられないプロットとその他のプロットの地況について比較したところ,斜面方位のみが異なっており,前者は北向き斜面に,後者は南もしくは西向き斜面に位置していた。そこで,斜面方位に起因する環境要因の違いについて,温度条件を中心に検討した。その結果,唐沢山は平均気温や温かさの示数,寒さの示数では常緑広葉樹の分布する範囲であるが,最寒月(1月)の平均気温(1.8〜3.3℃)で考えると常緑広葉樹林の主要構成種であるスダジイやカシ類の分布北限と同程度の温度環境であることが明らかとなった。そのような温度環境の中で,唐沢山では冬期の北西季節風が強く,冬期の北向き斜面の林分では他の林分に比べて地温が低く乾燥害を受けやすい条件が整っていることから,常緑広葉樹林が生育するには厳しい環境であると推察された。したがって,今後も高木性常緑広葉樹が生育する可能性は低いと考えられた。

次に,第1回目定期測定調査(1997〜1998年)と第2回目定期測定調査(2003年)の測定結果を用いて林分成長について解析した結果,(1)上木全体では,上木の多いプロットの方が枯損量が多く,粗成長量については上限と下限が存在する可能性があること,(2)下層木の落葉樹は,上層木の多いプロットの方が成長が悪いが,枯損に対しては上層木の影響は低いこと,(3)下層木の常緑樹の成長や枯損については,上層木の量の影響はあまりみられないこと,(4)落葉樹よりも常緑樹の方が枯損量,枯損率が低く,枯損しにくいことなどが,明らかになった。

最後に,本研究で得られた知見をもとに既存の天然林成長予測モデル(FSD)を広葉樹再生林に応用した。その際,(1)精度,利用可能性の点から蓄積を基本にしたモデルであるFSDをBA合計をベースにしたモデルに改良する,(2)主木を対象に三つの径級に分類して成長予測を行っているFSDを本研究の分析の結果をもとに胸高直径10cmで二つの径級に分類して予測を行うモデルに変更する,(3)FSDの弱点の一つとして改良の必要性が指摘されていた期末に主木に参入してくる個体数(進界量)の推定方法を本研究における分析の結果から,主木と分けて推定するのではなく,下層木内の成長の結果として推定する方式に改良する,(4)針広混交の天然林を対象にして開発されたFSDでは針葉樹と広葉樹の2種類に分けて予測を行っている点を落葉広葉樹と常緑広葉樹に分けて予測を行うように変更する,(5)FSDにおいて寿命などを考慮して決定されている林冠層を構成すると考えられる大径木の枯損率を本研究の分析の結果から得られた,上層木の量が多いほど落葉広葉樹の上層木の枯損率が高いという関係から推定するように変更する,(6)FSDにおいては小径木および中径木の枯損率はおのおのより上層にある中大径木蓄積および大径木蓄積の影響を受けるとされている点を下層木の枯損率は上層木のBA合計の影響が小さいと考えられるという分析結果を基に,下層木の枯損率は一定とする,などの改良を行った。

上記の点を変更および改良した「改良モデル」と進界量の推定方法のみ従来の方法を用いた「オリジナルモデル」の予測結果を比較したところ,改良モデルの方がより現実の進界量を正確に予測しており,進界量の予測に今回のモデルが有効であることが示唆された。また,改良モデルにより30年後の予測を行った結果,期首に上層木の少ない林分は30年後に落葉広葉樹が上層木を優占し,同時に常緑広葉樹が下層木に多く存在する林分になると予測された。一方,期首に上層木が多い林分は,上層木は落葉広葉樹が優占し続ける中に常緑広葉樹が含まれ,下層木は常緑広葉樹が多く存在する林分になると予測され,期首と同じような林分構造が維持される可能性が示された。

以上のように,本論文は日本に広く分布する広葉樹再生林を管理していくために必要な林分成長に関する基礎的な知見を栃木県唐沢山における7年間にわたる調査結果から明らかにし,その成果を用いてこれまで不十分であった天然林の成長モデルをより正確で利用可能性の高いものへと改良することに成功したものであり,今後の再生林管理への応用可能性が高いものと評価できる。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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