学位論文要旨



No 119151
著者(漢字) 河内,香織
著者(英字)
著者(カナ) コウチ,カオリ
標題(和) 渓畔林から渓流に夏季に流入する粗大有機物が渓流の破砕食底生動物に与える影響
標題(洋)
報告番号 119151
報告番号 甲19151
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2702号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 石田,健
 東京大学 助教授 宮下,直
 東京大学 助教授 久保田,耕平
内容要旨 要旨を表示する

森林内を流れる渓流では、流路上空が樹冠により閉鎖される期間が長い一方で、渓畔林から葉や枝などの粗大有機物が多量に流入し、これらの外来性有機物は渓流生物群集の重要なエネルギー基盤となっている。流入した有機物を、食物資源や巣材として直接利用する破砕食底生動物は、渓流生態系において上位消費者の食物資源として、また、糞や破砕の際に生じた葉片は、他の底生動物の食物資源として、直接・間接に利用されている。破砕食底生動物の多くは秋に最大成長期を迎え枯葉を摂食するが、夏季に最大成長期を迎える種も少なくない。一部の種では、粗大有機物が欠乏した場合に藻類も摂食することが知られている。

温帯の渓流では、河床の粗大有機物は、一般に枯葉が多量に流入する秋季に最大、夏季には少量となるため、夏季に成長期を迎える破砕食底生動物にとって食物が不足する可能性がある。夏季に渓畔林から渓流に流入する有機物としては、生葉、花や果実、陸生昆虫の糞や死骸などが挙げられる。これらの有機物の流入量は枯葉と比較すれば少量であるが、底生動物の成長に必要な窒素含有率が枯葉よりも多く、また、易分解性であることから、渓流に流入後に栄養塩が溶出し、藻類生産を増加させる可能性がある。したがって、これらの有機物の流入は、夏季に成長期を持つ破砕食底生動物に食物資源を提供し、生存、成長、発育を介してこれらの絶対適応度に正の影響を与えうる。この影響は、破砕食底生動物個体群への正の効果を介して渓流生物群集や渓流生態系にも波及しうる。したがって、森林渓流の生物群集や生態系の構造と機能を理解するうえで、夏季に流入する有機物の動態と、それらが破砕食底生動物に与える影響について明らかにすることは重要である。しかしこれまでのところ、枯葉以外の流入有機物の動態、渓流生物群集や生態系への影響についての知見は乏しい。

本研究は、渓畔林からの生葉、花、糞の流入が、渓流の破砕食底生動物に与える影響を明らかにすることを目的とした。まず、2章において有機物の渓畔林から渓流への流入パターンを明らかにし、流入を規定する要因について検討した。また、3章において、河床に現存する粗大有機物と破砕食底生動物の季節動態それぞれの関連を明らかにした。流入した有機物が破砕食底生動物の適応度に及ぼす影響には、食物資源や巣材として直接的に、もしくは溶出した栄養塩による藻類の増殖等の様々な過程が存在しうる。そこで、4、5、6章では、行動、成長、発育のそれぞれについて、破砕食底生動物の種ごとに、有機物の影響を分離して評価した。野外調査および野外実験は、北海道中西部に位置する沿岸山地小渓流である濃昼(ごきびる)川において行った。

濃昼川においては、フトヒゲカクツツトビケラ(Lepidostoma complicatum)とタキヨコエビ(Sternomoera rhyaca)が優占しており、本研究では、この2種を破砕食底生動物の代表として扱った。フトヒゲカクツツトビケラは北海道から九州まで広く分布している。破砕食者のトビケラは可携巣を作製し、止水や流れの遅い流水中に生息する種が多い。タキヨコエビは北海道から本州日本海沿岸に分布し、夏季に成長を行う。ヨコエビは移動力が大きく、流速の大きな場所にも分布する。

2章では、3年間の野外調査により、渓流に流入する粗大有機物の量と種類の季節変化を、重量および窒素量の観点から明らかにした。5月から8月にかけて流入する粗大有機物は年間流入量の25%であったが、窒素流入量では41%に相当し、その構成は生葉(31%)が優占し、花(23%)、陸生昆虫の糞(20%)の順であった。生葉の流入時期を規定する要因は、樹種特性、風、チョウ目幼虫による摂食など樹種によって異なり、この時期における生葉の流入は多樹種により連続的に生じていた。

3章では、野外調査により、河床における生葉を中心とした粗大有機物の夏季の空間分布、および優占的破砕食底生動物種であるフトヒゲカクツツトビケラとタキヨコエビの、生活環と季節的動態を明らかにした。粗大有機物は夏季には岸際に多く、水深、流速ともに小さい岸際では、枯葉が枝に、生葉が礫にそれぞれ単独で堆積している傾向が見られた。一方、水深、流速ともに大きな瀬では、枯葉と生葉が混在して礫に堆積している傾向が見られた。フトヒゲカクツツトビケラは岸際に多く、6月に最大成長、成熟期をむかえ現存量が最大となった。タキヨコエビは瀬、岸際とも同程度に分布し、夏季の出生直後に急速に成長し現存量の季節変動は小さかった。

4章では、夏季に渓流に流入する生葉や花、陸生昆虫の糞が、破砕食底生動物の成長や発育に与える影響を、室内実験によって明らかにした。第一に、フトヒゲカクツツトビケラの成長や発育における、生葉や花の好適性を枯葉との比較により検討した。フトヒゲカクツツトビケラが、生葉のみの利用で成虫まで発育しうる条件は限られたものであった。ミズナラもしくはイタヤカエデの生葉のみを与えた場合には、ミズナラの枯葉のみを与えた場合に比べて、有意に成長効率は大きいものの、成長速度は小さく、蛹化、羽化率は低かった。しかし、枯葉とこれらの生葉を同時に与えた場合には、成長速度、幼虫時の発育速度は枯葉のみを与えた場合より有意に大であった。したがって、本種の成長、発育において、生葉の利用が正の効果を生じるためには枯葉の存在が必要であることが示唆された。生葉は窒素含有率からみた食物の質は枯葉に比べて高いが、フェノール類による負の影響もあること、葉が柔らかいため巣材としては不適であることが考えられる。また、枯葉とともに花が存在する場合も、本種の成長、発育に正の効果があることが示された。

第二に、タキヨコエビの成長に対する生葉と陸生昆虫の糞の流入の影響について検討した。タキヨコエビは、微細デトリタスのみを与えた場合には有意な体重増加は認められなかったが、ハンノキやイタヤカエデの生葉やチョウ目幼虫の糞を加えて与えた場合には、有意な成長が認められた。糞の正の効果は、直接の利用に加え、糞からの溶出栄養塩により増殖した藻類の利用によるものと考えられた。したがって、本種が夏季に十分な成長を達成するためには、渓畔林からの生葉や糞の流入が重要であることが明らかとなった。

5章では、フトヒゲカクツツトビケラの生葉と枯葉の選択行動を室内実験により観察した。また、本種の成長期に野外で存在する枯葉や生葉の強度について、野外調査、実験により明らかにした。本種は、概してミズナラ枯葉よりもイタヤカエデ生葉に対する選択性が大きかったが、4齢後期から5齢初期にかけての成長途上の個体では有意に枯葉を選択するものも認められた。また、ともに供した直後は生葉を選択する傾向が大きかったが、その後は枯葉と生葉を交互に利用する傾向がみられた。調査地で本種の成長期に河床に最も多くみられる枯葉であるミズナラの枯葉は、同時期に河床に存在する様々な樹種の生葉よりも強度が大きかった。したがって、本種は、生葉は枯葉よりも巣材として不適と判断していることが支持された。

6章では、河床の有機物の量的変異、空間分布が破砕食底生動物の成長、行動に与える影響について検討した。第一に、生葉の流入量がタキヨコエビの成長に与える影響について野外実験を行った。枯葉と250μm以下のデトリタスのみの流入では、タキヨコエビの成長は負であったが、濃昼川に流入する量と同量の生葉の流入下では、その10倍量の流入と変わらず成長は正であった。そのため、濃昼川に流入する生葉の量は、成長期のタキヨコエビに必要十分量であると判断された。

第二に、河床における枯葉と生葉の分布がフトヒゲカクツツトビケラの行動に与える影響について実験を行った。フトヒゲカクツツトビケラは枯葉の堆積よりも生葉の堆積に多く定着し、生葉の堆積が存在した場合には、枯葉の堆積と比較して下流への分散が小さいことが明らかになった。また、枯葉のみの堆積と枯葉と生葉の混合堆積を比較した場合には、フトヒゲカクツツトビケラは枯葉と生葉の混合堆積に多く定着し、下流への分散は枯葉と比較して小さかった。採餌や巣作製のための移動のコストを考えると、枯葉と生葉が同時に存在することがフトヒゲカクツツトビケラにとって最良であると判断された。

本研究により、渓畔林から渓流に夏季に流入する生葉や花、陸生昆虫の糞などの粗大有機物が渓流の破砕食底生動物の成長、発育に正の影響を与えていることが明らかとなった。さらに、これらの有機物のみならず、前年の枯葉が同時に河床に存在することが必要であることが明らかとなった。食物資源の乏しい夏季には、破砕食底生動物にとって生葉が連続的に流入することが重要である。そのためには、多樹種で構成された渓畔林が必要である。また、花の流入には、一定年数を経た渓畔林が必要であると考えられる。さらに、夏季に枯葉が河床に存在するためには、秋に流入した枯葉を翌年まで残存できる河床構造であること、分解速度の遅い樹種も渓畔林を構成していること、枯葉の斜面からの断続的な流入が妨げられないことなどが考えられる。

本研究の成果は、外来種の侵入や河川改修の際に生じた渓畔林構成樹種の変化が渓流生態系に与える影響について予測し、河川再改修の際の渓畔林構成樹種の選定や、落葉を長期間保持可能な河床構造の提案などに応用することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

森林内を流れる渓流では、渓畔林から流入する葉や枝などの外来性有機物が渓流生物群集の重要なエネルギー基盤となっている。しかしこれまでのところ、絶対量の大きい枯葉以外については、流入有機物の動態、渓流生物群集への影響について知見は乏しい。夏季に渓畔林から渓流に流入する生葉などの有機物はこの時期に成長期を持つ破砕食底生動物に食物資源を提供し、これを介して渓流生物群集や渓流生態系にも影響を与えうる。したがって森林渓流の生物群集や生態系の構造と機能を理解するうえで、夏季に流入する有機物の動態と、それを利用する破砕食底生動物への影響について明らかにすることは重要である。

本論文は、渓畔林からの生葉、花、糞の夏季における流入が、渓流の破砕食底生動物に与える影響を明らかにすることを目的として、北海道に位置する小渓流濃昼川で行った調査に基づいてまとめられている。濃昼川では、フトヒゲカクツツトビケラ(Lepidostoma complicatum)とタキヨコエビ(Sternomoera rhyaca)が優占しており、本論文では生活様式や河床分布の異なるこの2種を破砕食底生動物の代表として扱っている。

2章では、渓流に流入する粗大有機物の量と種類の季節変化を、重量および窒素量の観点から明らかにした。夏季に流入する粗大有機物は年間流入量の25%であったが、窒素流入量では41%に相当し、その構成は生葉(31%)、花(23%)、陸生昆虫の糞(20%)の順であった。

3章では、野外調査により、河床有機物の種類と量の季節変化、フトヒゲカクツツトビケラとタキヨコエビの生活環と季節的動態を明らかにした。また生葉を中心とした粗大有機物の空間分布について明らかにした。

4章では、第一に、フトヒゲカクツツトビケラの成長や発育における、生葉や花の好適性を枯葉との比較により検討した。フトヒゲカクツツトビケラに枯葉と生葉または花を同時に与えた場合には、幼虫の成長・発育速度は枯葉のみを与えた場合より有意に大であったが、生葉のみを与えた場合には羽化に至る可能性は限られていた。生葉は窒素含有率からみた食物の質は枯葉に比べて高いが、フェノール類による負の影響もあること、葉が柔らかいため巣材としては不適であることが考えられた。

第二に、タキヨコエビの成長に対する生葉と陸生昆虫の糞の影響について検討した。タキヨコエビは、ハンノキやイタヤカエデの生葉やチョウ目幼虫の糞を与えた場合に有意な成長が認められた。糞の正の効果は、直接の利用に加え、糞からの溶出栄養塩により増殖した藻類の利用によるものと考えられた。

5章では、フトヒゲカクツツトビケラの生葉と枯葉の選択行動を室内実験により観察した。本種は、概して枯葉よりも生葉に対する選択性が大きかったが、巣拡張途上の個体では有意に枯葉を選択するものも認められた。巣材の選択実験では、幼虫は全て枯葉を用いて巣を作成した。

6章では、河床の有機物の量的変異、空間分布が破砕食底生動物の成長、行動に与える影響について検討した。濃昼川に流入する生葉の量は、成長期のタキヨコエビに必要十分量であると判断された。またフトヒゲカクツツトビケラは枯葉のみの堆積よりも生葉も含む堆積に多く定着し、下流への分散もより小さいことが明らかになった。

このように本論文により、渓畔林から渓流に夏季に流入する生葉や花、陸生昆虫の糞などの粗大有機物が渓流の破砕食底生動物の成長、発育に正の影響を与えていること、しかし前年の枯葉が同時に河床に存在することが必要であること、枯葉が少なく食物資源の乏しい夏季には、生葉や花が連続的に流入することが重要であることが明らかになった。河川改修の際にも、破砕食者の機能を維持するためには多樹種で構成された渓畔林、秋に流入した枯葉を翌年まで残存できる河床構造が必要であることを提言し、応用上も貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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