学位論文要旨



No 119154
著者(漢字) 呉,守蓉
著者(英字)
著者(カナ) ウ,ショウ ロン
標題(和) 森林の機能評価に関する研究 : 朝日の森を事例として
標題(洋)
報告番号 119154
報告番号 甲19154
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2705号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 助教授 白石,則彦
 東京大学 助教授 露木,聡
 東京大学 助教授 石橋,整司
内容要旨 要旨を表示する

森林は木材生産に代表される生産機能から,水源涵養,国土保全などの環境保全機能,レクリエーションなどの文化的な機能まで,様々な機能を有している。この森林の多面的機能についての人々の関心が高まるにつれて,その科学的評価に対する要請が日増しに強まっている。しかし,これまでの森林機能評価に関する研究を見ると,理論的にも,方法論的にも森林の多面的機能を的確に評価する水準に達していない。それに対応して,多面的機能を発揮させるための森林整備や管理に関する研究も遅れている。したがって,実践的な見地からは,多様な森林情報を収集・処理し,その情報を基に森林機能を評価し,さらにその結果を森林管理に活かす総合的な森林管理手法の開発が急務となっている。本研究で研究対象地として選んだ「朝日の森」は,そのような要請に迫られている森林の一つであり,昭和54年7月に滋賀県朽木村内の朝日新聞社有地内に設けられ,四半世紀にわたって,「森林環境基地」,「人間と自然とのふれあいの場」として住民や市民に様々なアメニティを提供してきた。現在も,森林環境教育等の観点から,朝日の森に対する市民の期待や要請は大きい。

そこで,本研究では,朝日の森を対象として森林の機能評価に関する研究を次の6つの観点から進めることにした。

(1)森林情報の処理,森林管理の基礎として森林GISを構築する。(2)GIS情報を利用してポテンシャルの面から森林機能の定量的評価を行う。評価の対象とした機能は,森林の「水源涵養」,「保全文化」,山地防災及び「木材生産」機能の4つであり,その評価結果に基づいて,森林のゾーニン方法を検討し,森林機能を考慮した朝日の森の森林区分を試みる。(3)森林の生物多様性を,樹木群集の生態系の観点から定量的に評価する。さらに,野鳥の生物多様性を保全するために,ランドスケープフォレストリーの観点から管理方針の策定方法を検討する。(4)様々な角度から,森林レクリエーション機能の経済的評価を行う。(5)最後に,本論文の構成や方法,得られた知見について総合的考察を行う。

第一章では,研究の背景と目的を述べると共に,従来の森林評価や森林区分,森林整備・管理に関わる各種手法及び技術についてレビューの形で概説した。

第ニ章では,研究対象地「朝日の森」の沿革,自然概況,植生,運営組織,施設,レクリエーション活動,訪問者等についてその概況を述べた。

第三章では,森林情報の収集・処理,森林管理などに資することを目的に,まず,地理情報システム(GIS)を構築し,次いで,それを利用して,ポテンシャル面から森林の「水源涵養」,「保健文化」,「山地防災」及び「木材生産」機能の4つの機能を定量的に評価した。評価単位は小班である。評価結果は,機能別の分布図及び優勢機能の分布図の形にまとめた。さらに,それらの機能評価結果と階層クラスタ方法(Hierarchical Cluster Analysis),四つの基準に基づく森林のゾーニング手法を開発し,森林機能に立脚する森林管理のための朝日の森の土地利用区分を試みた。

本章のアプローチの第一の特徴は,それぞれの情報を有機的に結びつけて,総合的にゾーニングする点にある。その背後では,GISという技術や階層分析法という数理手法,森林の機能を多元的な観点からみる四つの基準,そしてそれらを統合して最終的にゾーニングに結実させる人間側の知恵が一体となって働いている。第二の特徴は,本章の方法は,直観的で,手続きが容易であり,その結果を迅速にモニタリングできるという応用上の利点を有している。機械的にマニュアル操作でゾーニングするのでなく,GISから出力された評価結果や分布図を見ながら多元的観点からゾーニング結果の調整が可能である点にある。森林機能の評価結及びゾーニング結果を見ると,朝日の森の設立目的及び位置,林相状態などから判断して,おおむね妥当な結果であると判断される。

第四章では,森林生物多様性保全機能に関して,朝日の森全体を評価単位として,森林樹木群集の空間構造に着目して,生態系多様性を定量的に評価した。次いで,野鳥の生物多様性保全計画のための管理方針の選択に関して,ランドスケープフォレストリーの観点から新たな方法を提示した。群集構造についてみると,全体的にはクリやリョウブを交えたコナラ主体の森林であるが,かつての薪炭林の低木層にはネジキや常緑樹のソヨゴとアセビなどが多く生育し,尾根筋には高木性のアカマツなどがわずかながら分布している。多様性指数を計算してみると,Shannon-Wiener多様度指数3.84,Simpson多様度指数0.11,Pielouの均等度指数0.93となった。Shannon-Wiener 多様度指数 3.84は,他の暖温帯林と比べてやや高い。これは,朝日の森が暖温帯と冷温帯の境界に位置すること,人為による撹乱を受けた二次林であることに起因しているものと考えられる。Pielouの均等度指数 0.93もかなり高く,このことは朝日の森の樹種構成に偏りが少なくバランスがとれていることを示している。朝日の森は比較的に複雑で,安定な森林群集と言える。

生物多様性の保全とは,生物種そのものの保全と同時に,生息地となる生態系の保全を意味する。そこで,まず,野鳥と森林生態系の関係を分析し,次いでその関係に基づいてwhite boxを設計し,野鳥の多様性保全のための管理方針を比較検討した。その結果,野鳥の多様性保全のためには,ランドスケープフォレストリーの観点から,80年生以上の老齢林の割合を40%に保つことことが望ましいことが分かった。さらに,二次林に関する施業の基本方針を定め,人工林施業には小面積皆伐と択伐の中間的性格を有するSmall group selectionが望ましと判断し,できるだけ自然の撹乱パターンに委ねる施業方針を採用した。これらの施業を通じて,野鳥の生物多様性保全機能は,禁伐を基本とする保存林タイプの施業より高まることがわかった。

生物多様性の保全は,現在及び将来の利用を同時に考え,生物資源を維持しつつ持続的に利用することを前提としている。本研究で試みたwhite boxを利用したメンタルモデルの決定方法は人間の主体的判断や管理方針を考慮した計画方法であり,形式的な数学方法よりも柔軟性に富んでいる。

第五章では,朝日の森のレクリエーション機能に関する経済的評価を試みた。その際,森林のレクリエーション価値を現実価値とポテンシャル価値の2つ概念に区分し,方法論的には様々な角度から評価方法を検討した。分析の手順は,(1)環境経済学の手法TCMを用いて現実レクリエーション価値を評価する。(2)PABSTの方法を見直し,朝日の森の現実に応用できるように改善し,現実価値とポテンシャル価値の両方を求めた。後者の評価にあたっては,レクリエーション価値と森林面積,住民人口の関係に着目した。(3)朝日の森のレクリエーション価値から,平田,箕輪の方法を利用して,社会資本としての朝日の森の資本価値を計算した。(4)ZTCM方法,PABST方法と箕輪方法の3つの方法について考察を加えた。結果は次の通りである。

TCM法での評価結果は年1106万円,PABST法でのそれは年1119万円で,その差はわずか13万円である。二つの方法を比較すると次のようになる。

(1)両者とも,旅行費用(貨幣費用と時間費用の2部分)を用いて現実レクリエーション価値を評価する。(2)共に,訪問者の居住先によって地帯区分を行うが,分区の方法には違いがある。(3)TCM法はWTPを用いた評価方法に属するが,PABST法はWTPの以外の評価方法である。(4)PABST法は計算方が相対的に簡単であり,結果もTCM法の結果に近く,応用価値がある。(5)PABST法は現実レクリエーション価値を計算できるだけではなく,ポテンシャルレクリエーション価値も計算できる。今回は,朝日の森のポテンシャルレクリエーション価値は137,800万円/haと推定された。(6)森林のレクリエーション価値と森林面積,住民の関係を解析することにより,レクリエーション価値の動態的な傾向を明らかにした。

次いで,レクリエーションの年評価値から社会資本としての朝日の森の資本価値を推定する方法について述べる。

この方法では,資本の価値は,レクリエーションの年評価値,朝日の森の管理運営期間u,それを取り巻く環境もしくは価値観のゆらぎの周期Tの三者の関係から決定される。特に重要なのは, uとTの相対比の値である。本研究では,朝日の森の管理運営が25年にわたってなされてきたことを勘案し,u=25年とした。この想定の下では, T=25年の時は,朝日の森の資本評価値はゼロとなった。これは,朝日の森の管理運営を25年という短い視野で考えるとその資本価値は無に帰することを意味している。実際,朝日の森は,経済的理由から本年三月に閉鎖されたが,この判断は社会資本の実質的維持という観点から不当であることが分かる。他方,極端な場合として, T=∞とすると,朝日の森の資本価値はレクリエーション年評価値のu倍となり,最大の正当な評価を受け取ることになる。その他, T=50,75,100年などのケースについて資本評価値の変化を分析した。

第六章では,本論文の構成と方法及び得られた知見について総合的な考察を行った。

審査要旨 要旨を表示する

森林の多面的機能についての人々の関心が高まるにつれて,その科学的評価に対する要請が日増しに強まっている。しかし,これまでの森林機能評価に関する研究は,方法論的には森林の多面的機能を的確に評価する水準に達していない。そこで,森林管理のための総合的な森林評価手法の開発が急務となっている。本研究の研究対象地「朝日の森」は,そのような要請に迫られている森林の一つである。本研究は,次の五つの課題から構成されている。

(1)森林情報の処理,森林管理の基礎として朝日の森の森林地理情報システム(GIS)データベースの構築。(2)GIS情報を利用したポテンシャルの面から森林機能の定量的評価。その評価結果に基づく森林機能を考慮した森林区分。(3)森林の生物多様性の定量的評価と,生物多様性保全のための,ランドスケープフォレストリーの観点からの管理方針の策定方法の検討。(4)様々な角度からの森林レクリエーション機能の経済的評価。(5)本論文の構成や方法,得られた知見についての総合的考察。

第一章は,研究の背景と目的の説明、研究レビューに当てられている。

第二章では,研究対象地「朝日の森」の沿革,自然概況,施設,レクリエーション活動等についての概況が記述されている。

第三章では,まず,GISデータベースを構築し,次いで,それを利用して,ポテンシャル面から森林の「水源涵養」,「保健文化」,「山地防災」及び「木材生産」機能の4つの機能を定量的に評価し、さらに,それらの機能評価結果と階層クラスタ方法(Hierarchical Cluster Analysis),四つの基準、四つのステップに基づく森林のゾーニングの方法が検討されている。

第四章では,朝日の森全体を評価単位として,樹木群集の空間構造に着目した生態系多様性の定量的評価と、生物多様性保全のための管理方針の選択に関するランドスケープフォレストリーの観点からの分析が行われている。生物多様性は,Shannon-Wiener多様度指数3.84,Simpson多様度指数0.11,Pielouの均等度指数0.93となり、Shannon-Wiener 多様度指数 3.84は他の暖温帯林と比べてやや高い。これは,朝日の森が暖温帯と冷温帯の境界に位置すること,人為による撹乱を受けた二次林であることに起因している。Simpson多様度指数は0.11と小さく、Pielouの均等度指数は0.93と高く,このことは朝日の森の樹種構成に偏りが少なくバランスがとれていることを示している。

生物多様性の保全に関しては,まず,野鳥と森林構造の関係を分析し,次いでwhite boxを設計し,野鳥の多様性保全のための管理方針を比較検討している。その結果,野鳥の多様性保全のためには,80年生以上の老齢林の割合を40%に保ち、できるだけ自然の撹乱パターンに委ねる施業方針を採用することが望ましいという結果になっている。

第五章では,朝日の森のレクリエーション機能の経済的評価に関して、様々な角度から評価方法を検討している。分析の手順は,(1)環境経済学の手法TCMを用いた現実価値の評価(2)PABSTによる現実価値とポテンシャル価値の計測。(3)レクリエーション価値から,平田,箕輪の方法を利用した社会資本としての朝日の森の資本価値の計算。(4)ZTCM方法,PABST方法と箕輪方法の3つの方法についての綜合的考察となっている。

TCM法での評価結果は年1106万円,PABST法でのそれは年1119万円で,その差はわずか13万円である。二つの方法を比較すると次のようになる。

(1)両者とも,旅行費用を用いて現実レクリエーション価値を評価する。(2)TCM法はWTPを用いた評価方法に属するが,PABST法はWTPの以外の評価方法である。(3)PABST法は現実レクリエーション価値を計算できるだけではなく,ポテンシャルレクリエーション価値も計算できる。

資本価値は,レクリエーションの年評価値,朝日の森の管理運営期間u,それを取り巻く環境もしくは価値観のゆらぎの周期 Tの三者の関係から決定される。特に重要なのは, uとTの相対比の値である。本研究では,朝日の森の管理運営が25年にわたってなされてきたことを勘案し,u=25年とし、Tの大小に伴う資本価値の変化を分析している。その結果、例えば、T=25年のときの資本価値はゼロ、逆に T=∞(揺らぎなし)のとき,資本価値は最大となる。

第六章では,本論文の構成と方法及び得られた知見についての総合的な考察がなされている。

以上、本論文は、朝日の森を事例に、GIS技術や統計的手法、環境経済学的手法、森林経理学的手法を組み合わせることにより、森林機能の評価と森林区分に関して総合的な分析を行ったもので、方法論の確立および現実の森林管理面に資する点が大である。

よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク