学位論文要旨



No 119161
著者(漢字) 池田,大介
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ダイスケ
標題(和) トラフグ筋関連遺伝子に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 119161
報告番号 甲19161
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2712号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

トラフグのゲノムサイズは約400Mbで、ヒトより7倍以上小さいながらほぼ同数の遺伝子をもつことが示唆された。すなわち、トラフグゲノム中の繰り返し配列は15%以下で、ヒトゲノムの35 - 45%に比べ著しく小さい。さらに、トラフグゲノムは遺伝子間領域が短かく、イントロンサイズはヒトの数〜数十分の1である。トラフグゲノムはこのような特徴からヒトゲノムの機能解析のモデルとして全ゲノム解析が行われ、現在、全体の約90%をカバーするドラフトシークエンスのデータが公開されている。したがって、目的遺伝子のコーディングシークエンスだけでなく、転写調節に関わるプロモーター領域および選択的スプライシングに関わるイントロン領域の情報を容易に入手することが可能である。一方、トラフグはわが国の重要な産業種で、全ゲノム解析データの水産への応用、すなわち高成長や耐病性に関する遺伝子および選抜育種のためのマイクロサテライトマーカーの探索などにも利用されることが期待されている。

以上のような背景の下、本研究はトラフグの可食部である筋肉に着目し、未だ不明な点が多い魚類の筋関連遺伝子のうち、主要成分であるトロポミオシンおよびミオシンのコード遺伝子を対象にゲノム構造を明らかにし、他生物種のオーソロガス遺伝子と比較した。

得られた研究成果の概要は以下の通りである。

トロポミオシン1遺伝子の解析

まず、トラフグ・ゲノムデータベース(http://fugu.hgmp.mrc.ac.uk/blast/)を既報のシログチ・トロポミオシン1遺伝子(TPM1)のcDNAをプローブにスクリーニングしたところ、同配列と相同性のみられる8種類の scaffold が得られた。個々のscaffoldに含まれる配列を解析した結果、scaffold (S)31およびS1614に含まれる配列が既報のTPM1と高い相同性を示した。これらの配列は、イントロン領域は大きく異なるが翻訳領域はいずれも高い相同性を示したため、S31およびS1614がコードする遺伝子をそれぞれTPM1-1およびTPM1-2とした。ちなみに、他の脊椎動物では1種類のTPM1しか明らかにされていない。また、高等脊椎動物のTPM1が15エクソン/14イントロンにより構成されているのに対し、TPM1-1は14エクソン/13イントロン、TPM1-2は11エクソン/10イントロンより構成されていた。

トラフグTPM1-1およびTPM1-2周辺の遺伝子領域を比較したところ、TPM1とともに5' 側に位置する遺伝子のTLN2も倍化していた。したがって、2種類のTPM1は魚類祖先における同遺伝子を含む大きな領域の倍化、もしくは全ゲノム規模の倍化によって形成されたものと考えられた。また、TPM分子の特徴であるコイルドコイル形成能につき予測したところ、TPM1-1およびTPM1-2間には明確な差異は認められなかった。

次に、RT-PCRにより速筋、遅筋、肝臓、心臓、腎臓、脾臓、眼、未分化生殖腺、皮膚および脳における発現を確認したところ、TPM1-1は肝臓以外のすべての組織において、TPM1-2は速筋、遅筋、肝臓、眼、生殖腺、皮膚および脳において発現がみられ、両アイソフォーム転写産物の発現組織の違いが明確に示された。したがって、2つのトラフグTPM1は偽遺伝子化することなく、その発現組織を互いに補完するように分子進化したものと推察された。

ミオシン重鎖遺伝子の網羅的解析

ミオシン重鎖遺伝子(MYH)のサイズはタンパク質コード領域が約6kbもあり大きく、1つの遺伝子の全領域をクローニングすることは容易ではない。現在までに、GenBankに登録されている全コード領域をカバーする魚類MYHは9遺伝子に過ぎず、さらにそれらは骨格筋型および心筋型のものである。そこで、TPMの研究の成果を応用し、トラフグMYHのゲノム構造および遺伝子数の解析を試みた。In silico クローニングされたトラフグMYHは16骨格筋型、9心筋型、5遅筋/superfast型、11平滑筋/非筋細胞型の合計41遺伝子であった。このうち、開始コドンから終止コドンまでを含む完全長のMYHは4骨格筋型、1心筋型、1遅筋/superfast型、4平滑筋/非筋細胞型の合計10遺伝子であった。各MYHのコード領域におけるイントロン部位を解析したところ、その多くは対応するヒトMYHのイントロン部位とよく一致したが、トラフグ独自の位置にイントロンが存在する例もみられた。

MYH分子はN末端側の ATPase 活性能を有する球状の頭部サブフラグメント1 (S1)と、C末端側のコイルドコイル構造を形成する線維状の尾部ロッドからなる。タンパク質分解酵素に感受性の高い部位として知られるS1のloop 1およびloop 2領域の一次構造は、アイソフォーム間で大きく異なることが知られていることから、各アイソフォームに特異的なPCRプライマーを比較的容易に設計できる領域であることが予想された。そこで、in silicoクローニングにより得られたトラフグ41MYH遺伝子のうち、15遺伝子につきRT-PCRを適用してloop2領域をコードする転写産物の解析を行った。その結果、骨格筋型、心筋型、遅筋型および平滑筋/非筋細胞型MYHは当該組織に顕著な発現がみられ、一次構造からの予想によく一致した。一方、RT-PCRにより骨格筋型、遅筋型および平滑筋/非筋細胞型MYHの発現が胚体でも確認された。同時に、別途クローニングした筋分化制御因子のコード遺伝子MyoDおよび myogenin の発現も認められた。そこで、これら遺伝子を対象に whole-mount in situ hybridization (WISH)による発現部位の解析を行った。その結果、受精後72および96時間のトラフグ胚体の筋節において、MyoDの発現に続き、myogeninが発現することが示された。さらに、これら筋分化制御因子の発現に誘導され、トラフグ胚体の筋節で速筋型および遅筋型MYHの発現が確認された。また、平滑筋/非筋細胞型MYHは胚全体に発現がみられた。

骨格筋型ミオシン重鎖遺伝子のゲノム構造解析

哺乳類では、6骨格筋型および2心筋型の計8種類の横紋筋型MYHの存在が報告されている。このうち、6種類の骨格筋型MYHはヒトおよびマウスにおいて、それぞれ17および11番染色体おいてタンデムクラスターを形成している。したがって、MYHクラスター内の物理的な位置関係が発生段階における発現調節に何らかの役割を果たしていると考えられている。これまで魚類MYHのゲノム構造に関する詳細な報告はなく、その正確な遺伝子数すら不明であった。そこでイギリスのMRC HGMP-RCが提供しているトラフグゲノムのbacterial artificial chromosome (BAC)エンドシークエンス、cosmidエンドシークエンスおよびBAC内の配列をランダムに決定したランドマークBACシークエンスのデータを活用し、トラフグ骨格筋タイプMYHを含むmayffold同士の位置関係を詳細に解析し、ヒトおよびトラフグのMYHクラスターと比較した。

まず、骨格筋型MYHクラスターを解析したところ、トラフグではヒト骨格筋型MYHクラスターに対応する遺伝子座が2種類あることが見出された。次に、BACエンドシークエンスの情報を基に骨格筋型MYHを含む mayffold 同士を結合し、それぞれの位置関係の情報を得た。その結果、トラフグには3種類以上の骨格筋型MYHを含むクラスターの遺伝子座が少なくとも2領域存在することが示唆された。ヒト全ゲノムデータベースを用いてヒト遺伝子座と比較したところ、トラフグゲノムのシンテニー領域には大幅な遺伝子の再編成が認められた。一方、トラフグのMYHを含む遺伝子座につきヒトのシンテニー領域を解析したところ、周辺にはMYHの配列は存在しなかった。したがって、トラフグにおける骨格筋型MYHクラスターは高等脊椎動物と魚類の共通祖先が約4億5千年前に分岐した後に出現したものと考えられた。

以上、本研究によりトラフグにおける筋関連遺伝子TPM1およびMYHの構造が明らかとなった。すなわち、TPM1についてはトラフグにおいて倍化しており、2種類のTPM1-1およびTPM1-2がその発現組織を互いに補完するように分子進化したことが示された。MYHについてはヒトに存在する全てのタイプをトラフグは有しており、かつその遺伝子数が多いことが示された。また、骨格筋型MYHのゲノム中の分布も示され、ヒトなど高等脊椎動物のものとは大きく異なることが明らかにされた。これらの成果は比較ゲノム科学に寄与するのみならず、トラフグゲノムの産業的な利用に基礎的知見を提供することから、応用上の価値も大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

トラフグゲノムはヒトゲノムの機能解析のモデルとして全ゲノム解析が行われ、現在、全体の約90%をカバーするドラフトシークエンスのデータが公開されている。したがって、目的遺伝子のコーディングシークエンスだけでなく、転写調節に関わるプロモーター領域および選択的スプライシングに関わるイントロン領域の情報を容易に入手することが可能である。本研究は未だ不明な点が多い魚類の筋関連遺伝子のうち、主要成分であるトロポミオシンおよびミオシンのコード遺伝子を対象にゲノム構造を明らかにした。

まず、トラフグ・ゲノムデータベースを既報のシログチ・トロポミオシン1遺伝子(TPM1)のcDNAを用いて検索したところ、相同性のみられる8種類の配列が得られた。個々の配列を解析した結果、scaffold (S)31およびS1614に含まれる配列が既報のTPM1と高い相同性を示したため、S31およびS1614がコードする遺伝子をそれぞれTPM1-1およびTPM1-2とした。トラフグTPM1-1およびTPM1-2周辺の遺伝子領域を比較したところ、TPM1とともに5' 側に位置する遺伝子のTLN2も倍化していた。したがって、2種類のTPM1は魚類祖先における同遺伝子を含む大きな領域の倍化、もしくは全ゲノム規模の倍化によって形成されたものと考えられた。RT-PCRにより速筋、遅筋、肝臓、心臓、腎臓、脾臓、眼、未分化生殖腺、皮膚および脳における発現を確認したところ、TPM1-1は肝臓以外のすべての組織において、TPM1-2は心臓、腎臓および脾臓以外の組織において発現がみられ、両アイソフォーム転写産物の発現組織の違いが明確に示された。したがって、2つのトラフグTPM1は偽遺伝子化することなく、その発現組織を互いに補完するように分子進化したものと推察された。

次に、ミオシン重鎖遺伝子(MYH)の解析を行った。In silico クローニングされたトラフグMYHは16速筋型、9心筋型、5遅筋/superfast 型、11平滑筋/非筋細胞型の合計41遺伝子であった。得られたトラフグMYHのうち、15遺伝子につきRT-PCRを適用してloop2領域をコードする転写産物の解析を行っところ、速筋型、心筋型、遅筋型および平滑筋/非筋細胞型MYHは当該組織に顕著な発現がみられ、一次構造からの予想によく一致した。また、筋分化制御因子のコード遺伝子MyoDおよび myogenin とともに、これら遺伝子の一部を対象にwhole-mount in situ hybridization による発現部位の解析を行った。その結果、受精後72および96時間のトラフグ胚体の筋節において、MyoDの発現に続き、myogeninが発現することが示された。さらに、これら筋分化制御因子の発現に誘導され、トラフグ胚体の筋節で速筋型および遅筋型MYHの発現が確認された。また、平滑筋/非筋細胞型MYHは胚全体に発現がみられた。

最後に、トラフグゲノムのBACエンドシークエンス、cosmid エンドシークエンスおよびランドマークBACシークエンスのデータを活用し、トラフグ速筋タイプMYHを含む mayffold 同士の位置関係を詳細に解析した。ヒトおよびトラフグのMYHクラスターと比較した結果、トラフグではヒト速筋型MYHクラスターに対応する遺伝子座が2種類あることが見出された。BACエンドシークエンスの情報を基に速筋型MYHを含む mayffold の位置関係を解析した結果、トラフグには3種類以上の速筋型MYHを含むクラスターの遺伝子座が少なくとも2領域存在することが示唆された。ヒト全ゲノムデータベースを用いてヒト遺伝子座と比較したところ、トラフグゲノムのシンテニー領域には大幅な遺伝子の再編成が認められた。一方、トラフグのMYHを含む遺伝子座につきヒトのシンテニー領域を解析したところ、周辺にはMYHの配列は存在しなかった。したがって、トラフグにおける速筋型MYHクラスターは高等脊椎動物と魚類の共通祖先が分岐した後に出現したものと考えられた。

以上、本研究によりトラフグにおける筋関連遺伝子TPM1はトラフグにおいて倍化しており、2種類のTPM1-1およびTPM1-2がその発現組織を互いに補完するように分子進化したことが示された。MYHについてはヒトに存在する全てのタイプをトラフグは有しており、かつその遺伝子数が多いことが示された。また、骨格筋型MYHのゲノム中の分布も示され、ヒトなど高等脊椎動物のものとは大きく異なることが明らかにされたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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