No | 119162 | |
著者(漢字) | 伊藤,直樹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イトウ,ナオキ | |
標題(和) | マガキの卵巣肥大症原因寄生虫の同定と発育に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on the identification and development of a parasite causing abnormal enlargement of the ovary in the Pacific oyster, Crassostrea gigas | |
報告番号 | 119162 | |
報告番号 | 甲19162 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2713号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 水圏生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 近年、カキ類の養殖技術は発達し、養殖対象種も増え、また養殖海域も拡大している。そのため、生産量は世界的に増加傾向にあり、水産増養殖における重要性は増してきている。一方で過密養殖や種苗の移動も頻繁に行われるようになって、いったん感染性の疾病が発生すると被害が急速に拡大し問題となっている。特に原虫性の疾病による被害は深刻であり、未発生国に新たな発生があった場合OIE(国際獣疫事務局)に報告義務を伴う疾病として5種の原虫病が指定を受けているほどである。 日本国内のマガキ養殖においては、卵巣肥大症が大きな問題となっている。発症したマガキは収穫期に異様な外観を呈するため商品価値を失う。岡山県における被害額は、総生産量37億円(2001 年度)に対し年間1億円以上と見積もられており、被害は深刻である。本疾病が1934年に初めて報告された当初はマガキの生理異常が原因と考えられた。しかし、その後の研究から本疾病は卵細胞内に寄生する原虫によって引き起こされる感染症であることが明らかにされた。1979年に韓国においても同様の原虫がマガキに寄生することが報告され、後に新種として Marteilioides chungmuensis と命名されていたが、日本のマガキにみられる疾病との異同は確認されていなかった。また、マガキ体内では卵巣以外の器官、組織における原因寄生虫の観察の記録はなく、マガキ体外における存在も知られていないことから生活環は全く不明であった。 そこで、本研究では最初に、原因寄生虫の同定をおこなった。さらに、分子生物学的手法を用いた感度の高い検出法を開発し、実際にこれを用いることにより、これまでに得られていなかった生活環に関する知見を得ることができた。 卵巣肥大症原因寄生虫の同定及び卵細胞内での発育 マガキの卵巣肥大症原因寄生虫を同定するために、電子顕微鏡による観察を行った。その結果、本寄生虫は、宿主であるマガキの卵細胞の中で、細胞内細胞(外側から一次細胞、二次細胞・・・と称する)を形成しながら胞子形成を行うことから、Paramyxea門に属することが分かった。二次細胞であるsporont内に胞子が形成されること、胞子は三次細胞、四次細胞から構成されること、及びhaplosporosomeと呼ばれる細胞内小器官を有することを明らかにした。これらの特徴は、韓国で報告されているM. chungmuensisと一致しており、その結果、日本の種は韓国のものと同種であると結論した。 光学顕微鏡観察により、寄生虫の大きさと胞子形成段階は宿主細胞の発育と同調していることが判明し、このことから、本虫はまずマガキの濾胞周縁部の未熟卵細胞に侵入し、卵細胞の発育と同調しながら細胞内細胞の形成を繰り返すことが明らかになった。また、寄生を受けた卵細胞は正常の卵細胞と同様に、生殖細管を経てマガキ体外へ放出されることが推定された。 M. chungmuensisの18S ribosomal DNA(18S rDNA)塩基配列の確定 これまで、M. chungmuensisは卵細胞内に寄生する虫体の記載はあるが、卵細胞外における発生段階等は全く研究がなされていなかった。近年、遺伝子を指標とした検出法が寄生原虫の未知の発生段階を解明するために有用であることが実証されている。そこで、本章では、遺伝子による検出法を確立するために、以下の方法で寄生虫の単離、寄生虫の遺伝子抽出ならびに塩基配列の解析を行った。 すなわち、感染したマガキの卵細胞を凍結・融解処理によって破砕した後、ショ糖とパーコールによる濃度勾配を利用して寄生虫の二次細胞を単離した。単離した虫体はDAPIによってDNAを含むことが分かった。そこで、単離した虫体からDNAを抽出し、真核生物の18S rDNAに共通のuniversal primerを用いてPCRを行い、得られたPCR産物をクローニングし、18S rDNAの全塩基配列 (1744 bp) を得た。この塩基配列を元に寄生虫に特異的であると考えられる3つのprobeを作製し、in situ hybridization (ISH)を行った結果、寄生虫のみに反応したため、得られた遺伝子は寄生虫由来であることが確認された。 分子生物学的手法を用いたM. chungmuensis検出法の確立 前章で解析した塩基配列のうち、M. chungmuensisに特異的な塩基配列をもとに、本寄生虫を特異的に検出するPCR法及びISH法の開発を試みた。特異性を確認するために、M. chungmuensisと同じParamyxea門に属し、ヨーロッパヒラガキの消化管に寄生するMarteilia refringens及びオーストラリアのカキの一種の消化管に寄生するM. sydneyiとの交差反応の有無を調べた。その結果、開発された合成oligonucleotide probeの検出法は、従来の肉眼または組織切片による方法よりも感度が良好であった。また、これらのprobeはM. refringensやM. sydneyiの遺伝子を増幅せず、特異性の高さが確認された。本実験の結果、今回開発した方法は、今まで知見の得られていないマガキ卵細胞外のM. chungmuensis発育段階の検出に有用であることが示唆された。 M. chungmuensisの初期発育様式の解明 これまでの研究で、8月にマガキ種苗を感染海域に垂下すると、曝露90日前後で卵細胞内に胞子形成が観察されることが分かっている。そこで本章では、未感染であることが予めわかっている宮城産のマガキ種苗を8月に感染海域に7週間垂下し、1週おきに20個体ずつ採取した。また、一部の個体から体の前部、後部を採取し、前章で開発したPCR法及びISH法に供し、卵細胞外の初期発育段階を明らかにすることを目的とした。 その結果、PCR法により曝露1週後から実験終了時の7週後までM. chungmuensisuが検出された。また、ISH法による観察では、曝露2週後の個体において、外套膜と鰓の上皮組織及び結合組織内に、また3週後には唇弁及び軟体部の結合組織内にM. chungmuensisの寄生が確認された。また、4週後に初めて卵細胞内で胞子形成が観察された。一方、消化管、消化盲嚢などの消化腺からはまったく検出されなかった。 また、ISH法で寄生虫の感染が確認された部位を透過型電子顕微鏡による観察に供した結果、鰓の上皮組織、外套膜及び唇弁において細胞内細胞を内包する発育段階が観察された。さらに、卵巣の上皮組織周辺においても、細胞内細胞を内包する発育段階が確認されたが、鰓で観察されたものとはその形態が異なっていた。内包される二次細胞の大きさや構造から、これが卵細胞への侵入体であると推測された。 以上の結果より、M. chungmuensisは消化系組織からではなく、外部環境に最初に接触する鰓、外套膜及び唇弁から宿主に侵入し、マガキの体内を移動しながら分裂増殖をおこなうと考えられた。そして、宿主へ侵入後4週以内に卵巣内へ移行、卵細胞内に入り胞子形成を行うことが明らかとなった。 従来の知見では、M. chungmuensisは卵細胞内に寄生するため、雌個体のみが感染すると考えられていた。しかし、PCR法及びISH法によって、雄においても寄生虫が唇弁や生殖巣の周囲にある結合組織内で検出された。一方、精巣内には寄生虫は観察されず、PCR法による結合組織内での検出率も徐々に低下していった。これらのことから、本寄生虫は雄のマガキにも感染するが、精巣内では胞子形成を行うことができずに排除されていくことが示唆された。 総合考察 M. chungmuensisの生活環に関しては、光学顕微鏡による観察を基として研究が行われてきた。そのため、卵細胞内における胞子形成段階が集中的に研究される一方、卵細胞外の動向については全く知見が得られていなかった。また、研究室内での感染実験系が確立されていないことも、生活環の解明を妨げている。本研究では、まずM. chungmuensisの18S rDNAを得るため寄生虫の単離をおこなった。その後、塩基配列を確定し、これを用いた鋭敏な検出法を開発した。さらに、感染海域に垂下して感染させたマガキに新しく開発した方法を用いることで、マガキへの侵入経路、卵細胞外での発育及び卵細胞への侵入経路といった生活環の一部を明らかにした。卵細胞に侵入後は、細胞内細胞を形成しながら3細胞で構成される胞子を形成した。以上のことより、本寄生虫は宿主へ鰓、唇弁及び外套膜を経て侵入し、その後、分裂増殖によって個体数を増し、卵巣へ移行後は卵細胞への侵入体を形成し、卵細胞内へ移行後に胞子形成を行うという3つの段階をマガキ体内に有することが示唆された。また、本寄生虫は雄にも感染するが、一連の胞子形成は確認されないことから、本寄生虫の胞子形成には卵細胞内という環境が必須であることが考えられる。 M. chungmuensisに近縁とされているMarteilia sydneyiは本研究と同様の手法を用いて、カキ体内での生活環が解明されている。この寄生虫の生活環と、本研究で明らかにされたM. chungmuensisの生活環は類似した点が多いことから、分裂増殖期、胞子形成前に行われる分裂期及びその後の胞子形成期という3つの段階はParamyxea門原虫の発育に共通するものであると考えられた。一方、近縁種のMarteilia refringensでは自由遊泳性カイアシ類が中間宿主の一つであることが明らかにされている。本研究においては、M. chungmuensisのマガキ体外での生活環に関しての知見を得ることはできなかった。今後、本研究で開発された特異性が高く高感度の検出法を用いることで、本寄生虫の全生活環を明らかにすることができる可能性が示された。 | |
審査要旨 | 近年、日本のマガキ養殖において、卵細胞内に原虫が寄生することによって異様な外観を呈する、マガキの卵巣肥大症が大きな問題となっている。本疾病は1934年に報告されて以来、原因病原体の分類学的位置が確定していなかった。また、マガキの卵細胞内での発育は研究されているが、それ以外の生活環は不明であった。そこで、第1章でマガキ養殖における卵巣肥大症の問題点を整理したうえで、以下の研究を行った。 第2章では、本虫を同定するために、電子顕微鏡による観察を行った。その結果、本虫は、宿主であるマガキの卵細胞内での発育様式及び微細構造より、韓国で報告されている Paramyxea 門の Marteilioides chungmuensis であると結論した。また、光学顕微鏡観察により、本虫の大きさと胞子形成段階は宿主細胞の発育と同調していることを明らかにした。このことから、本虫はまずマガキの濾胞周縁部の未熟卵細胞に侵入し、卵細胞の発育と同調しながら細胞内細胞の形成を繰り返すことが明らかになった。また、寄生を受けた卵細胞は正常の卵細胞と同様にマガキ体外へ放出されるものと推定された。 これまで、本虫の卵細胞外における発育段階は全く研究がなされていなかった。第3章では、未知の発育段階を解明するために、遺伝子による検出法の確立を目指した。そこで、まず本虫を単離し、DNAを抽出後、18S rDNAの全塩基配列の解析を行った。この塩基配列をもとに本虫に特異的と考えられる3つのprobeを設計し、in situ hybridization (ISH)を行った結果、寄生虫のみに反応したため、得られた遺伝子は寄生虫由来であることが確認された。 第4章では、前章で解析した塩基配列のうち、本虫に特異的な配列をもとに、PCR法及びISH法による検出系の開発を試みた。特異性を確認するために、本虫と同じParamyxea門に属し、他のカキ類に寄生する原虫との交差反応の有無を調べた。その結果、開発された検出法は、従来の肉眼または組織切片による方法よりも感度が高く、近縁種との交差反応も無く特異性の高さが確認された。そのため、今回開発した方法は、本虫の未知の初期発育段階の検出に有用であることが示唆された。 第5章では、本虫の初期発育段階を明らかにするため、無感染マガキを感染海域に垂下飼育した後、前章で開発したPCR法及びISH法に供した。その結果、1週間後にはPCR法により本虫の感染が確認された。ISH法による観察では、まず、外套膜と鰓の上皮組織及び結合組織内に、次に唇弁及び軟体部の結合組織内に寄生が確認された。その後、卵細胞内で胞子形成が観察されたことから、本虫は外部環境に最初に接触する器官から宿主に侵入することが分かった。 また、ISH法で確認された未知の発育段階を透過型電子顕微鏡による観察に供した結果、鰓、外套膜及び唇弁において細胞内細胞を内包する発育段階が観察された。さらに、卵巣の上皮組織周辺においても、細胞内に細胞を内包する発育段階が確認された。これらの結果より、本虫は、鰓、唇弁及び外套膜から侵入し、結合組織内で細胞内に細胞を形成しつつ分裂増殖を行い、その後、卵細胞内で胞子形成を行うことが明らかとなった。 Marteilioides chungmuensisの生活環に関しては、卵細胞外の存在については全く知見がなかった。本研究では、単離した寄生虫を用いて18S rDNA塩基配列を確定し、これを基にした鋭敏な検出法を開発した。さらに、初期感染のマガキにこの開発した方法を用いることで、マガキへの侵入経路、卵細胞外での発育及び卵細胞への侵入経路を明らかにした。本寄生虫に近縁とされているMarteilia sydneyiの生活環と、本研究で明らかにされたM. chungmuensisの生活環は類似した点が多いことから、分裂増殖期、胞子形成前に行われる分裂期及び胞子形成期という3つの段階はParamyxea門原虫の発育に共通するものであると考えられた。また、本研究で用いられたのと同様の検出法を用いることで、本寄生虫の全生活環を明らかにすることができる可能性が示された。 以上、本研究はマガキの卵巣肥大症において、原因寄生虫の同定をおこない、さらに分子生物学的手法を用いた検出法を開発、応用することで、従来得られていなかった生活環に関する知見を得たもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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