学位論文要旨



No 119163
著者(漢字) 児玉,圭太
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,ケイタ
標題(和) 東京湾におけるシャコの資源量変動機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 119163
報告番号 甲19163
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2714号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 助教授 山川,卓
 東京大学 助教授 佐野,光彦
内容要旨 要旨を表示する

東京湾においてシャコは小型底曳網漁業の最重要漁獲対象種である。1980年代には漁獲量は高水準であったが、近年には漁獲量は極めて低い水準に落ち込み、漁業経営に大きな打撃を与えている。持続的な資源利用を行うためには、生物学的知見に基づいた漁獲管理を行うことが必要である。シャコについて、これまでに生物学的特性および資源管理に関する研究が行われてきた。しかしながら、資源量変動要因に関する研究は国内外を通して皆無である。シャコ資源量の変動要因を解明することは、漁況予測による計画的な漁業管理・経営を実現させる上で非常に重要である。本研究では、生物学的特性および漁獲量と環境要因の関係を調査することにより、シャコの資源量変動に関与する要因を明らかにすることを目的とした。

東京湾における底生魚介類群集の長期変動と環境変動

1977年から1995年にかけて東京湾において行われた底曳網漁獲調査の結果より、シャコを含む底生魚介類群集の漁獲量変動を明らかにするとともに、公表されている環境因子データを用いて、漁獲量変動と環境変動の関連を調査した。

全調査回を通して採集された全255生物種の中で、個体数の99.2%、重量の98.1%を占める113種を主要種とみなした。特に、シャコは個体数(28.8%)および重量(21.5%)において最優占種であった。

多変量解析より、主要種の漁獲量および魚種組成の違いから、調査期間は第1期(1977-1983年)、第2期(1984-1988年)、そして第3期(1989-1995年)の3期に区分された。主要種の漁獲量は第1期から第2期にかけて増加したが、第3期には急激に低下した。シャコの漁獲量変動は他の主要種と同調しており、1984-1988年まで漁獲量は高水準であったが、1989年に急減し、それ以降は低水準で推移した。

判別分析より、降水量、溶存酸素、塩分および溶存態無機リンの経年変動が、底生魚介類群集の漁獲量経年変動と同調していることが示された。既往の知見によると、動物プランクトン群集にも1980年代中期とその前後の期間で種組成および豊度に差が見られた。以上を総合すると、1980年代末におけるシャコおよびその他の主要種の漁獲量の急減は、環境変化に同調した生態系の変化に起因するものであることが示唆された。

資源量水準の変化にともなう再生産構造の変化

東京湾において1979年から1989年および1991年から2002年の、6月から10月の各月にプランクトンネット(マル特BネットまたはNORPACネット:目合0.33 mm)によって採集されたシャコ浮遊期幼生について、月別および年間の豊度指標 (ind m-1 tow-1) を算出した。1980年代の平均年間豊度は1.17であったが、1991年以降には0.14へと急減した。資源量水準の低下にともなって、幼生の年間豊度も減少したことが明らかとなった。

資源量水準の変化にともなって、季節的幼生出現パターンにも顕著な変化がみられた。資源量高水準期である1980年代には7月および9月の2回の出現盛期があったが、資源量低水準期である1991年以降にはほとんどの年において8月以降に弱い出現盛期がみられたのみで、7月以前には幼生出現量は少なかった。

季節的幼生出現パターンの変化の要因を探るため、2002年1月から12月の各月に採集されたシャコについて産卵特性を調査した。生殖腺重量指数(GSI:生殖腺重量/体重×100)と卵巣組織観察の結果から、2002年において産卵期は4月から9月の期間であると推察された。また、サイズによって産卵盛期に違いが見られ、体長9 cm未満の小型個体では8月に産卵盛期となるのに対し、体長9 cm以上の大型個体では5月と8月の2回の産卵盛期があった。一方、1980年代の産卵期においても、2002年と同様のサイズ別産卵盛期があることが報告されていることより、資源量水準の違いによって個体の産卵特性自体には変化はないことがわかった。

一個体あたり産卵数Fと体長X (cm)の関係は、F = 58.4 X 2.79(R2 = 0.93, P <0.01)と表された。一個体あたり産卵数の多い大型個体が春に産卵を行っているにもかかわらず、その産卵に由来する7月以前の幼生の出現量が少ないことは、大型個体の産卵資源量が極度に減少していることを示唆する。

リポフスチンを年齢形質とした個体群年齢組成および加入年齢の推定

漁獲対象サイズである体長11 cmに到達する年齢を明らかにするため、加齢とともに神経細胞に蓄積する蛍光性色素リポフスチンを年齢形質とした年齢推定を行った。

東京湾において2003年8月に採集した200個体のシャコについて脳の連続組織切片を作成し、共焦点レーザー顕微鏡を用いて蛍光画像を撮影した。そして、前脳橋に付随する神経細胞 (PBCM) の中に占めるリポフスチン顆粒の面積比を算出し、1個体あたり10切片についての面積比測定値の幾何平均をとり、各個体のリポフスチン密度とした。

リポフスチン密度ヒストグラムからは Hasselblad 法により4つの明瞭な正規分布が識別された。各正規分布のモードMとリポフスチン密度Lの関係は、L = 0.065M - 0.013(R2 = 0.99, P < 0.01)と表された。他の甲殻類においてリポフスチン密度は年齢とともに直線的に蓄積することや、各モードの体長組成より判断して、モードは年齢群に対応すると考えられる。リポフスチン解析から識別された年齢群を体長ヒストグラムに適用した結果、漁獲対象となる体長11 cm 以上においては3歳の個体の比率が高いことが示された。

一方、体長ヒストグラムからは明瞭な正規分布は検出されず、従来の甲殻類の年齢推定法である体長組成法によって加入年齢を推定することは困難であると判断された。

1980年代の資源量高水準期に行われた体長組成法による成長推定では2歳までに漁獲対象サイズに到達するとされていた。成長に年変動がある可能性もあるため、本研究の結果からは当時の成長推定結果の妥当性を判断することはできない。しかし、少なくとも現状の資源においては、主として3歳の個体が漁獲対象として加入していると推定された。

加入量決定要因

1992年から2002年における定点漁獲調査、標本船漁獲調査および幼生採集調査の結果をもとに再生産関係を調査した。同一年における産卵資源量と幼生豊度の間には有意な正の相関がみられた(R = 0.70, P < 0.05)。しかし、ある年の幼生豊度と1〜4年後の加入量の間には有意な相関関係はみられなかった。このことは、加入量の水準が、産卵資源量および幼生発生量によって決定されるのではなく、生活史初期以降における生残の成否に依存することを示唆する。

加入量に及ぼす環境因子の影響を調査するため、公表されている環境因子データを用いて加入量との相関解析を実施したところ、ある年の加入量と3年前の夏季に東京湾に流入する河川流量との間に有意な負の相関関係が検出された(R = -0.74, P < 0.01)。東京湾においてシャコは3歳で加入することより、この結果は、河川流量の増加が夏季における浮遊期幼生の生残率の低下を引き起こし、3年後の加入量の減少につながることを示唆する。

浮遊期幼生の塩分耐性

飼育下で浮遊期幼生の致死塩分濃度を明らかにし、自然水域下で河川流量の増加にともなう塩分低下が浮遊期幼生の大量減耗を引き起こすか、という点に関し検討を行った。

2002年の産卵期において、産卵間近とみられる雌個体を採集し、飼育下で産卵・孵化させ、5日齢および17日齢の幼生の塩分耐性を調査した。5日齢幼生では、異なる水温(20,25,30℃)、塩分(10,15,20,25,31 psu)を組合せた実験区を設定し、段階的な塩分降下(1 psu/時)(EXP-A)と、急激な塩分降下(目的とする塩分水に直接幼生を投与) (EXP-B) の2通りの塩分降下方法を実施した。17日齢幼生では、同様の5塩分区について、水温25℃、段階的塩分降下についてのみ実験を行った(EXP-A+)。

EXP-Aでは10 psu区にて24時間後に幼生は底面に横たわり瀕死状態にあった。その後回復する個体もいたが、生残率は他塩分区に比べ低かった。特に20℃10 psu区では72時間後には全数死亡し、他実験区と72時間後生残数に有意な差がみられた。15 psu以上の塩分区では72時間後生残率は高かった(63.3-91.7%)。EXP-Bでは10、15 psu区で実験開始直後に底面に横たわる瀕死状態に陥り、72時間後には25℃15 psu区(生残率17.5%)以外では全数死亡した。20 psu以上の塩分区では、72時間後生残率は高かった(55.0-90.0%)。10,15 psu区と20,25,31 psu区の間で72時間後生残数に有意な差が見られた。EXP-A+では72時間後生残率は高く(60.0-90.0%)、EXP-A,Bのように低塩分区で瀕死状態に陥る個体は見られなかった。以上の結果より、浮遊期初期段階において、急激に15 psu以下の低塩分水に遭遇した場合には、生残率は大きく低下するものと考えられる。しかしながら、シャコ幼生の主分布域である東京湾南部水域では、河川水が大量に流入した場合には、表層塩分は20 psu程度まで低下することはあるが、15 psuまでは低下しない。よって、東京湾では塩分低下が直接的にシャコ幼生の大量減耗を引き起こし加入量を規定することはないと判断された。

東京湾においては河川流量の増加にともない湾外方向の密度流が卓越することが報告されていることより、密度流によって浮遊期幼生が漁場ではない湾外に逸散し、湾内漁場における加入量が減少する可能性もある。この点に関しては今後検討を要する。

1980年代末から1990年代初頭にかけて生じた資源量水準の大幅な低下は、湾内の環境状態の変化にともなう生態系の変化に同調したものであることが示された。同時期における環境変化にともなう資源状態の変化は様々な魚種および海域にて報告されており、東京湾における資源状態の変化も、いわゆるレジームシフトのような広域にわたる長周期的な環境状態の変化に起因するものであることが示唆される。すなわち、近年の資源量低水準期から脱却するためには、中長期的時間スケールにおける環境状態の好転を待たねばならないと考えられる。しかし、このことは漁獲管理の必要性がないことを意味するものではない。むしろ、資源量低水準期において限られた資源を持続的に利用していくために適切な漁獲管理を実施することが不可欠である。本研究より、資源量低水準期の中において河川流量を指標とした短期的な漁況予測が可能であることが示された。今後、河川流量と加入量の間の因果関係を詳細に検討するとともに、漁業の影響など他の加入量決定因子についても調査し、漁況予測精度を向上させる必要性がある。本研究の結果は、漁況予測に基づく適切な漁獲管理という次のステップに必要な知見を与えるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

東京湾においてシャコは小型底曳網漁業の最重要漁獲対象種である。1980年代には漁獲量は高水準であったが,近年には漁獲量は極めて低い水準に落ち込み,漁業経営に大きな打撃を与えている。本研究では,生物学的特性および漁獲量と環境要因の関係を調査することにより,シャコの資源量変動に関与する要因を明らかにすることを目的とした。

東京湾における底生魚介類群集の長期変動と環境変動

1977年から1995年にかけて東京湾において行われた底曳網漁獲調査の結果より,主要種の漁獲量および魚種組成の違いから,調査期間は第1期(1977-1983年),第2期(1984-1988年),そして第3期(1989-1995年)の3期に区分された。主要種の漁獲量は第1期から第2期にかけて増加したが,第3期には急激に低下した。シャコの漁獲量変動は他の主要種と同調していた。また、降水量,溶存酸素,塩分および溶存態無機リンの経年変動が,底生魚介類群集の漁獲量経年変動と同調していることから、1980年代末におけるシャコおよびその他の主要種の漁獲量の急減は,環境変化に同調した生態系の変化に起因するものであることが示唆された。

資源量水準の変化にともなうシャコの再生産構造の変化

1980年代のシャコ浮遊期幼生の平均年間豊度は0.80であったが,1991年以降には0.30へと急減し、資源量水準の低下にともなって,幼生の年間豊度も減少した。また、資源量高水準期には7月に出現盛期があり,一方,資源量低水準期には7月以前には幼生豊度は低かった。2002年において、小型個体では8月に産卵盛期となるのに対し,大型個体では5月と8月の2回の産卵盛期があった。これは1980年代と同様であり、資源量水準の違いによって個体の産卵特性自体には変化はないことがわかった。以上より,1990年代以降においては,産卵資源量の中で春に産卵を行う大型個体が相対的に少なくなったことが主要因となり,7月以前の幼生豊度が減少していることが示された。

リポフスチンを年齢形質とした野生個体群の年齢推定

漁獲対象サイズである体長11 cmに到達する年齢を明らかにするため,加齢とともに脳の神経細胞に蓄積する蛍光性色素リポフスチンを年齢形質とした年齢推定を行った。リポフスチン密度ヒストグラムからは4つの明瞭な正規分布が識別された。各モードの体長組成より判断して,モードは年齢群に対応すると考えられる。リポフスチン解析から識別された年齢群を体長ヒストグラムに適用した結果,漁獲対象となる体長11 cm 以上においては3歳の個体の比率が高いことが示された。主として3歳の個体が漁獲対象として加入していると推定された。

資源量低水準期における加入量と環境要因の関係

公表されている環境因子データを用いて加入量との相関解析を実施したところ,ある年の加入量と3年前の冬季における底層水温,および浮遊期幼生の出現時期に東京湾に流入する河川流量との間に有意な負の相関関係が検出された。東京湾においてシャコは主として3歳で加入することより,この結果は,生活史初期における環境状態により年級群強度が決定され,その時点で3年後の加入量の水準も決定されることを示唆し、資源量低水準期の中において河川流量を指標とした短期的な漁況予測が可能であることがわかった。

浮遊期幼生の塩分耐性

自然水域下で河川流量の増加にともなう塩分低下が浮遊期幼生の大量減耗を引き起こすか,という点に関し検討を行った。飼育下で産卵・孵化させ,5日齢および17日齢の幼生の塩分耐性を調査した。浮遊期初期段階において,急激に15 psu 以下の低塩分水に遭遇した場合には,生残率は大きく低下するものと考えられる。しかしながら,シャコ幼生の主分布域である東京湾南部水域では,河川水が大量に流入した場合でも, 15 psu までは低下しない。よって,東京湾では塩分低下が直接的にシャコ幼生の大量減耗を引き起こし加入量を規定することはないと判断された。

1980年代末から1990年代初頭にかけて生じた資源量水準の大幅な低下は,湾内の環境変化にともなう生態系の変化に同調したものであることが示され、いわゆるレジームシフトのような広域にわたる長周期的な環境状態の変化に起因するものであることが示唆される。すなわち,近年の資源量低水準期から脱却するためには,中長期的時間スケールにおける環境状態の好転を待たねばならないと考えられる。資源量低水準期において限られた資源を持続的に利用していくためにより適切な漁獲管理を実施することが不可欠である。

以上、本論文は、東京湾のシャコ資源の変動要因を明らかにし、漁獲管理のための漁況予測が可能であることを示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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