学位論文要旨



No 119164
著者(漢字) 白藤,徳夫
著者(英字)
著者(カナ) シラフジ,ノリオ
標題(和) 串本周辺海域におけるキビナゴの生活史と資源加入機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 119164
報告番号 甲19164
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2715号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 助教授 山川,卓
 東京大学 助教授 河村,知彦
内容要旨 要旨を表示する

キビナゴ Spratelloides gracilis は、熱帯海域に分布の中心を持つ沿岸性小型浮魚であり、西日本からオーストラリア北部まで連続的に分布する。熱帯海域においてはカツオやマグロの餌生物として重要であり、そのためこれまで主に熱帯海域における生態の研究が行われてきた。我が国では、西日本を中心に重要な漁業資源となっているが、その生態に関する知見は少ない。本研究では、和歌山県串本周辺海域に分布するキビナゴの繁殖生態、成長過程および生活史初期における生残過程を明らかにした。また、これらの結果を基に串本周辺海域に分布するキビナゴの生活史を解明した。

繁殖生態

成熟したキビナゴ卵巣内には卵黄胞期までの未成熟な卵母細胞群と発達した卵母細胞群が存在し、「部分同時発生型」の発達様式を示す。卵巣の組織学的観察の結果、排卵直前の成熟した卵母細胞と共に排卵後濾胞が観察されたことから、発達した卵母細胞群が複数回に分けて排卵・産卵されると考えられた。生殖腺重量指数 (GSI) と卵巣の成熟度の関係から、GSIが4以上の雌は数日以内に産卵すると考えられた。体長61 mmの雌の卵巣内に排卵後濾胞が確認されたこと、体長60 mm 以上では半数以上の個体がGSIが4以上の卵巣を持つことから、体長約60 mm で成熟することが明らかになった。

キビナゴの産卵期は、これまでの研究ではGSIの季節変化により推定されており、高知の宿毛湾では5〜8月、長崎の五島列島周辺海域では6〜10月であったことが報告されている。本研究では、潮岬西岸海域において周年にわたってキビナゴ仔稚魚の採集調査を行い、採集した仔稚魚の孵化日を耳石の日輪から算出した。その結果、串本周辺海域では4〜11月に孵化した仔稚魚が採集され、産卵期は少なくともこの8ヶ月に及ぶことが明らかになった。また、この結果と串本周辺海域の水温の季節変化から、キビナゴの産卵は、水温が約20 ℃以上になると行われることが示唆された。産卵親魚群の体長組成を解析した結果、産卵期前半(4〜7月)は主に大型の個体(70〜90 mm)、産卵期後半(8〜11月)は主に小型の個体(60〜70 mm)が産卵親魚群を構成していることがわかった。

成長過程

キビナゴ仔魚はシラス型変態を行い、変態の進行に伴って筋節数に対する背鰭の前端位置が前進する。この背鰭の位置を指標として、キビナゴ仔魚は体長18〜25 mmで変態を完了することがわかった。仔稚魚の採集調査においては、仔魚は主に水深10 mと20 m の浅い海域で採集され、その沖合の水深30 mと40 m の海域では稚魚が多く採集され、仔魚は少数が採集されたのみであった。キビナゴは水深20 m 以浅の砂地に粘着卵を産み付けることがわかっている。したがって、キビナゴは仔魚期には産卵場周辺の浅い海域に滞留し、稚魚期になって遊泳能力が発達するに伴って分布範囲を沖合へ拡大すると考えられる。

体成長の季節変化から、これまでキビナゴは2年で約100 mm の最大体長に達すると考えられていた。本研究で耳石日輪情報に基づいて仔稚魚および成魚の日齢を査定したところ、孵化後20〜40日齢で仔魚期を終えること、5〜11ヶ月で体長90 mm 前後に達することがわかった。串本に生息するキビナゴの成長速度は、これまで国内の別の海域で報告されているキビナゴの成長速度よりも速く、熱帯海域の個体群とほぼ同じであることが明らかになった。また、2001年9月に採集された72.3 mm SL(79日齢)と64.1mm SL(104日齢)の雌は、孵化後3ヶ月前後でGSIが4を超えて産卵が可能になっていたことがわかった。

成魚の逆算体長から成長過程を推定した結果からも、孵化後平均約3ヶ月で成熟体長(60 mm SL)に達していたことが明らかになった。

成魚の孵化日組成から、産卵期前半に採集された成魚群は主に前年の産卵期後半生まれ、産卵期後半に採集された成魚群は主に同じ年の産卵期前半生まれの個体で構成されていることがわかった。また、産卵期前半に孵化した群(約150〜210日齢)は産卵期後半に孵化した群(約150〜330日齢)よりも成長が速い個体が多く、高齢の個体は少ないことがわかった。

生活史初期の生残過程

仔魚は一般に成長が遅いほど被食などの減耗要因に長期間さらされることから、成長速度は仔魚期の生き残りや新規加入量を決定する重要な要因と考えられる。串本におけるキビナゴの産卵期は8ヶ月に及ぶことがわかったが、生まれた時期によって成長速度が異なる可能性が考えられた。そこで、孵化月毎に孵化から15日齢時までの平均成長速度を算出した。その結果、孵化月によって平均成長速度は0.59〜0.76 mm/dayの範囲で異なったが、明瞭な季節的変化は認められなかった。

北大西洋のマダラ Gadus morhua や親潮・黒潮移行域のカタクチイワシEngraulis japonicus では、生活史初期において成長の速かった個体が選択的に生き残り、成魚群に加入していたことが報告されている。串本周辺で採集されたキビナゴ成魚群の生活史初期の成長履歴と、同じ海域で採集された仔稚魚群の成長履歴を比較することにより、生活史初期においてどのような成長過程を経た個体が生き残り成魚群に加入しているかがわかる。串本周辺海域に生息するキビナゴの耳石日輪半径は体長と比例することから、同じ日齢時において日輪半径が大きい個体ほどそれまでの成長が速かったと考えられた。そこで、成魚群と仔稚魚群について20、30、40、50日齢時の日輪半径の頻度分布を比較した。各日齢時において成魚群と仔稚魚群の日輪半径の頻度分布はほぼ一致したことから、生活史初期における生残確率が成長速度によって異なることはないと考えられた。

串本周辺海域におけるキビナゴの生活史

本研究の調査期間中、串本周辺では、産卵期前半には前年に孵化した大型(70〜90 mm)の個体が主に産卵を行い、産卵期後半には当年に孵化した小型(60〜70 mm)の個体が主に産卵を行っていたことが明らかになった。すなわち、夏を境に世代の交代が起こったと考えられる。また、産卵期前半に孵化した群には、越冬する個体と越冬しない個体がいるものと推察され、越冬しない個体の寿命は長くても7ヶ月前後と考えられる。本研究で明らかになった串本周辺海域のキビナゴのように1年の間に2世代が存在する例は、日本周辺海域において主要な資源として利用されている魚類の中ではこれまで知られていない。

キビナゴの分布の中心は熱帯海域にあり、串本は分布の北限に位置する。熱帯海域のキビナゴは、寿命が4〜6ヶ月であり、最大体長が60〜70 mm、雌の成熟体長が45 mmであるのに対して、串本周辺海域では、寿命が7〜11ヶ月と熱帯海域より長く、最大体長(約100 mm)と雌の成熟体長(約60 mm)も大きいことがわかった。また、産卵期についても、熱帯海域における産卵期が周年にわたるのに対し、串本周辺海域の産卵期は、4〜11月に限定されていることがわかった。キビナゴ属の中でもっとも南に生息するS. robustusは、環境の季節変動が大きい南オーストラリア沿岸のみに分布しているが、その生活史特性(最大体長100mm、成熟体長 60 mm、産卵期10〜2月)は串本周辺海域に生息するキビナゴと類似している。ニシン科魚類は低緯度海域に起源があるとされる。串本周辺に生息するキビナゴ個体群の生活史特性が熱帯海域に分布する同種の個体群と異なるのは、環境が周年安定している熱帯海域から環境の季節変動が大きい中緯度海域に分布を拡大する際に、生息環境に適応した特性を獲得した結果と考えられる。

キビナゴは、同じニシン科であるマイワシやニシンと比較すると、変態日齢が20〜40日、初回成熟日齢が約100日と若く、寿命が1年未満と短いこと、産卵期が8ヶ月にわたり長いことなどの特徴をもち、マイワシやニシンに比べて小型でかつ短命であることがわかった。一般に魚類は生活史初期の死亡率が高く、この時期の死亡率によって年級群水準が大きく変動する。キビナゴが短命でニシンやマイワシに比べて高速で再生産を繰り返すことは、資源の変動を大きくする要因となる。しかし、実際にはキビナゴの資源量がニシンやマイワシより安定しているのは、低緯度海域の環境が安定しているためであると考えられる。キビナゴは生産力の低い低緯度水域から得られる限られたエネルギーをより早くから繁殖に配分するという再生産の特徴を持つことがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

キビナゴSpratelloides gracilisは、熱帯海域に分布の中心を持つ沿岸性小型浮魚であり、西日本からオーストラリア北部まで連続的に分布する。我が国では、西日本を中心に重要な漁業資源となっているが、その生態に関する知見は少ない。本研究は、和歌山県串本周辺海域に分布するキビナゴの繁殖生態と初期生態を明らかにすることを目的として行われたもので、4章からなる。

第1章の緒言では、熱帯海域に分布する本種の生態を概説するとともに、西日本沿岸に分布する本種について得られている知見を総括して、本研究の目的を明示した。

第2章では、串本周辺海域における本種の繁殖生態を1999年から2003年の5年にわたって採集した成魚標本によって解析した。その結果、キビナゴ卵巣は「部分同時発生型」の発達様式を示すこと、発達した卵母細胞群が複数回に分けて排卵・産卵されること、生殖腺重量指数 (GSI) が4以上の雌は数日以内に産卵すると考えられること、半数成熟体長が約60 mmであることが明らかとなった。また、2001から2003年の周年にわたって採集したキビナゴ仔稚魚のふ化日組成が4〜11月にわたったことから、産卵期が少なくともこの8ヶ月に及ぶことが明らかとなった。さらに、産卵期前半(4〜7月)は主に大型の個体(70〜90 mm)、産卵期後半(8〜11月)は主に小型の個体(60〜70 mm)が産卵親魚群を構成していることがわかった。

第3章では、2001〜2003年の4〜11月の産卵期に孵化した仔稚魚を毎月採集し、耳石日輪を解析して本種の成長過程を解析した。その結果、キビナゴ仔魚は体長18〜25 mm、孵化後20〜40日で変態を完了することがわかった。仔魚は主に水深10 mと20 mの浅い海域で採集され、その沖合の水深30 mと40 mの海域では稚魚が多く採集されことから、仔魚期には産卵場周辺の浅い海域に滞留し、稚魚期になって遊泳能力が発達するに伴って沖合へ分布範囲を拡大すると考えられた。また、孵化後約3ヶ月で60 mm SLの成熟体長に達すること、5〜11ヶ月で約90 mmの最大体長に達することがわかった。さらに、成魚の孵化日組成から、産卵期前半に採集された成魚群は主に前年の産卵期後半生まれ、産卵期後半に採集された成魚群は主に同年の産卵期前半生まれの個体で構成されていること、産卵期前半に孵化した群は産卵期後半に孵化した群よりも成長が速い個体が多く、高齢の個体は少ないことがわかった。

第4章の総合考察では、2、3章で得られた結果に基づいて串本周辺海域におけるキビナゴの生活史を推定し、熱帯海域における本種の生活史と比較した。串本周辺では、産卵期前半(4〜7月)には前年に孵化した大型群(70〜90 mm)が主に産卵を行い、産卵期後半(8〜11月)には当年に孵化した小型群(60〜70 mm)が主に産卵を行っていたことから、夏を境に世代の交代が起こると考えられた。資源として利用されている魚種について、1年の間に2世代が存在する例はこれまで知られていない。熱帯海域のキビナゴは寿命が4〜6ヶ月であり、産卵期が周年にわたるので1年間に2〜3世代が非同期的に入れ替わることが知られている。串本周辺海域では寿命が7〜11ヶ月と熱帯海域より長く、且つ産卵が抑制される低水温期(12〜3月)の存在によって、世代の交代が夏季に同期的に起こること考えられた。熱帯海域に分布の中心がある本種において、分布の縁辺に当たる串本周辺の個体群の生活史特性が熱帯海域と異なるのは、環境が周年安定している熱帯海域から環境の季節変動が大きい中緯度海域に分布を拡大する際に、生息環境に適応した特性を獲得した結果と考えられた。

以上のように本論文は、串本周辺海域におけるキビナゴについて、親魚の繁殖生態と仔稚魚の初期生態を綿密な野外採集と室内分析によって明らかにし、本種の生活史を解明した。従来の魚類資源研究が、中高緯度水域に生息して大きな資源量変動をみせる種を対象に発展してきた一方で、低緯度水域の魚類資源については沿岸国の食料資源としての重要性が認識されていながら、基礎的な知見の蓄積が著しく遅れている。低緯度水域に分布するキビナゴの生活史を明らかにし、世代回転が速く新規加入量が安定しているという資源学的特性を明らかにした本研究は、低緯度水域の魚類資源の管理・保全研究に資源学的基礎を与えるものである。よって審査委員一同は本論文が学位(農学)に値するものと判断した。

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